第六話 お泊り会の謎小品集

(出発編)白ワンピとメンヘライン

 夏休み!!!


 空がなんかもう超青くて、入道雲がでかくて、セミの声がたくさんで、太陽からもアスファルトからも熱いのが襲ってきて暑かった。

 

 そんな中、少し遠くのバス停のベンチに腰かけている少女がいる。


 真っ白なワンピースに麦わら帽子、傍らに大きな旅行鞄を置いた彼女の姿に、道ゆく人が少しずつ見惚れる。夏に対するあこがれを纏ったようなその子は、帽子のつばで影を作って、文庫本を読んでいるようだった。

 私も周りの人たちみたいに、近付いたときにその姿を盗み見た。


 けど、私が他の人と違うのは――


「――や、深瑠姫みるきちゃん。元気元気?」


 その子……窓子ちゃんが、私のためにバスを待っているということだ。


「うん。元気。あの、窓子ちゃん、それ……」

「ん? あー、これね」


 窓子ちゃんはそう言って本を閉じると、かけていたライトピンクの眼鏡の柄をくいっと上げた。ちょっと前にコンタクトに変えて、それ以来着けていなかったアイテムだ。


「深瑠姫ちゃん、眼鏡のほうが好きって言ってたから。ひさしぶりに掛けてみたんだー。鼻の上とかなんかちょっと違和感あるよー」

「ん、やっぱ、似合ってる……」


 憶えててくれたんだとか私のためにそうしてくれたんだとか今日思い出して掛けてくてくれたのかなとか色んな思いがぐるぐる回って、ほとんど無意識に出した言葉はなんだか素直なものだった。窓子ちゃんは「ありがと~」と言ってにへって笑う。


 今日から一泊二日、私はバスで少し走った先にある窓子ちゃんの母方の実家で過ごす。窓子ちゃんの家はかつての紡績の名家で、お父さんの会社と繋がりがあったらしい。それによって私のことを気にかけてくれている――だっけ? 正直詳しい関係は分かってない。ともあれ私は単体で、窓子ちゃんの家と仲が良かった。


 これからの二日間を想像するだけで幸福だった。窓子ちゃんはとても優しくて可愛いのだ。宿題教えてもらって小説の話して、それから……とワンピースに包まれた身体を見た瞬間、私のスカートのポッケから通知音がきた。


「なになにー? 彼氏さんから連絡?」

「そ、そんなんじゃないって」


 三つ編みをくりくりいじりながら訊いてくる窓子ちゃん。私はそれから逃げるように、最新機種のスマホの画面を着けた。ラインが来てる。


【お姉さん】おはよう

【お姉さん】楽しんできてね

【お姉さん】水分補給はしっかり

【お姉さん】電話してね

【お姉さん】写真もほしいな

【お姉さん】もちろん君の写真ね

【お姉さん】服着てるのでいいから


「…………。」


 私は相当にげんなりした顔をしていたと思う。なんとなく察してはいたけれど、お姉さんはラインの使い方がめんどくさいタイプの人間だ。

 なにかしら返そうと思ったタイミングでバスがきて、私はスマホをマナーモードにしてポッケに仕舞いこむ。途端にブザー音が連続で鳴った。


 私がうまく乗車できるか気遣う窓子ちゃんの手を取りながら、どうしてこうなってしまったのだろう、と振り返る。


 そう、それは昨日のことだった――。




 ○○○○○○○○○○




「明日はどこかお泊りにでも行くのかい?」


 そのとき私は、背中側からゆるく抱きしめられながら借り物の小説を読んでいた。お姉さんに完全に寄りかかっている状態で、そのお姉さんは衣服の詰まったゴミ袋に寄りかかってる。びっくりして逃げようとしたけど、腕に力を込められて動けない。

 悪い事なんてしてないのに、冷や汗が流れた。


「別に、そんなことないけど……」

「ふぅん。そうなのか」


 私が否定すると、お姉さんは腕の力をゆるめた。なんとなく居心地が悪くなって這い出ると、お姉さんは私の髪をそっと掴んで梳いてくる。蛇に這われた気分だった。力で抑えられているわけじゃないけど、私はまだ拘束の中に居る。


「他の女の家に泊まりにいくのか」

「!?」


 反射的に身体を震わせると、「反応わかりやすすぎ」と言ってお姉さんは笑った。その表情に責め立てるような色はない。いつものように薄く笑いながら、私の髪を淡々といじっている。


「君が誰と何をしようと、基本的に私は頓着しないよ。なにせ私たちは付き合っているわけじゃないのだから。楽しんできなね。行きも帰りも忘れ物をしないように」

「えと……なんでわかったの」

「それだったらね、11点でいいよ――悪いお姉さんが教えてあげる」


 11点。普通のキスと同じ値段だ。頓着しないとは言っているけど、何かしら思うところはあるらしい。まあそうだろうな。お姉さんは私のこと大好きだし。なんかちょっとだけ気分がよかった。


「じゃあ、『普通のキス』にする」

「OK、契約成立だ。さて――」


 悪いことをする前の台詞と謎解きをする前の台詞を並べて言われ、私はぽかんとしてしまった。対価を受け取るより早く謎解きをしないのがお姉さんの中のルールだ。他人を信用していないからこその決まりらしいけど……ひょっとして私、信頼されたのだろうか?


 とりあえず余計なことは言わずに、お口にチャックで聞き手に徹する。


「まず疑問に思ったのはね。普段私と現金の遣り取りをしようとしない君が、両替をねだってきたからだ。500円玉を、100円三枚、50円二枚、10円十枚――随分と細かい指定で。おかしいね。

 最初は自販機でも使うのかなと思った。けれど君は水筒をしっかり持ち歩くタイプで、そうでなくても私におねだりすれば大抵の飲料は用意できる。そもそも自販機ならお釣りが出るからね。わざわざ事前に両替をする必要がない」


 なら、事前に両替をすることに意味があるものは?


「赤い羽根募金、道の駅で売られる柑橘類、クラスでの買い物の集金……基本的に両替不可の案件だけど、明日から夏休みであること、両替後の小銭の刻み方を踏まえると、どれも少しそぐわない。

 なら、両替は可能だが面倒な案件は? ――真っ先に思いついたのがバスだ。ここらを走るバスでは、車掌さんに申し出て崩してもらう必要があるからね。できれば事前に用意しておきたいだろう」


 心の内を言い当てられて、思わず私の身が竦む。少しずつ服を剝かれていくような気分だった。お姉さんの口が再び開き、新たな刃物が肌に触れる。


「それから、君は今日――小説を読み進める速度が異様に早い。今読んでいる部分はもうエピローグだね。けど、普段ならまだそこに辿り着けていないだろう。それが続き物であることを踏まえると、早く次の巻を欲しているように見える。

 けれど君は自宅では本を読まないクチだ。そして、今日読み終われなかったところで、明日またここに来て借りればいい。それをしないということは――明日ここに来る予定がなく、しかし本は必要で、何冊も持ち歩く余裕はない……そう見える」


 その通りだった。私は翌日に窓子ちゃんの家に出向く。その隙間時間に読む本があればいいかもな、と思っていたのだ。けれど、現在読んでいるものは読み終わるまであと少し。かといって、次の巻と合わせて二冊はかさばってしまう。


「……でも、なんでお泊りってわかったの?」

「別に確信は無かったさ。日帰りかそれ以上かまでは絞れない。給食袋の歯ブラシの具合とか、ここ数日の下着の色とかが分かれば断定できただろうけど――まあ、君は分かりやすいからちょっとカマをかけたら済む話だよ」

「そんな分かりやすいかな……」

「窓子ちゃんの家に行くんだよね」

「!?」

「ほら分かりやすい」

 

 お姉さんは揶揄うように笑った。またカマをかけられたのかと思ったけれど、お姉さんは「鍵はね、服だ」と推理の続きを口にした。


「服?」

「そう。君は先週末、新しい服を買ってもらったと言っていたね。私はそれを見ることを大層楽しみにしていたのだけど、ここ一週間で君が着てきた服はすべて、これまでに見てきたものだった。大安の日もあったのにね。

 だったらその服は、近々やってくるおしゃれしたい日に着るものなんじゃないか?

 ――その考えをお泊りという情報に合わせて考えると、窓子ちゃんだろうなと思ったんだ。昔から交流があるらしいし、何より君と話している中で考えれば、君の一番タイプの女は彼女だろう。お泊りに行く理由も浮かれる理由も成り立つ。君の場合は、親戚の家に連れて行かれることもまず無いだろうしね」


 淀みなく完璧な推理だった。完璧な推理だったけど……


「お姉さん、私のことめっっっっっっちゃよく見てるんだね……」

「うん、見てるよ」


 お姉さんは恥ずかしがる様子ひとつ見せずにそう言うと、どこからともなく一台のスマホを取り出した。最近CMでよく見る最新機種だ。


「お姉さんのサブ機。貸したげる」

「えっなんで」

「会えなくて寂しいからに決まってるでしょ」


 開かれたラインのアカウント名は『お姉さんツー』になっていて、友達欄には『お姉さん』だけが表示されている。他のアプリは一切入れられていない、もはや豪華なトランシーバーみたいな一台だった。


「連絡してね、たまにでいいから」

「うん、わかった……」

「ちゅっ」


 お姉さんは可愛らしいリップ音と共にキスをした。謎解きの対価の後払いだ。いつもはねっとりじっくりくっつけてくる癖して、今回はいやにあっさりだった。短いから嬉しいとか嫌とかそんな感情はないけれど、この短さが強がりだったら可愛いな、とも思う。


それから、お姉さんが点数の後払いを許した理由もわかった気がする。


最後にキスしてから次に会うまでの時間を、少しでも短くしたかったのだ。寂しがり屋が過ぎる。



 ○○○○○○○○○○



【お姉さん】あれ?

【お姉さん】ねぇ

【お姉さん】おーい

【お姉さん】なんで無視するのかな

【お姉さん】私のこと嫌いになった?

【お姉さん】なんてね

【お姉さん】嘘だよ

【お姉さん】バスの時間でしょ、知ってる

【お姉さん】調べたからね


「うっわ……」

「どしたー?」



 かくして、私と窓子ちゃんの仲良しお泊り会――とは言い切れない一泊二日の夏が、幕を開けたのであった。




 



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