(問題編1)ベンチの正しい座り方

 バスから降りるとき、入れ替わるように乗り込んでいく法被を着たおじさんたちが見えた。「しばらく行った先の湖のあたりで、夏祭りがあるんだよ」と、窓子ちゃんが教えてくれる。三つ編みが夏風に流れて綺麗だった。


「行きたい? ちょっと遠いけど」

「うーん、別にいいや。夏祭りなら学校の近くでもやるし」

「たしかに。そっちなら友達たくさん来るしねー」


 会話の選択肢を間違えただろうか、と心臓が冷える。私は別に、友達の参加数が理由で夏祭りを選別した訳じゃない。むしろ二人で行けるならずっといいじゃないか。どうして反射的に行かないと言ってしまったのだろう。

 そんなぐるぐるした考えは、次の一言で簡単に吹き飛ぶ。


「けど、できれば深瑠姫ちゃんと一緒に行きたいなー。浴衣、すっごく似合うんだもん。あっちで同学年の子と合流するにしても、会場までとか」

「う、うん……! りんご飴とか、一緒に食べたい!」

「いぇーい。たのしみー」


 こっちの顔を覗き込むようにふんにゃり笑う。少しかがんだから眼鏡がずれて、三つ編みも変な方向に垂れ下がって、窓子ちゃんは修正に忙しそうだった。可愛い。


 それから、「こっちだよー」と言って歩き出す。窓子ちゃんの実家は長くてゆるい坂道を上った先にある。そこら一帯は平地になっていて、しばらく進むと今度は急な坂道がある。ちょっとオーバーな表現をすると、伏せた丸皿の上に伏せた紙コップを乗せたような地形の、紙コップのふち付近にある家だ。


 ツタが壁を這う日本家屋は、不気味というよりむしろ生命力に満ち満ちていた。十分大きく見える二階建ての家だけど、昔は三階建てで面積ももっと広かったらしい。人が減って使わなかった部分を削り、周囲に持っていた土地も店や企業に貸してあげて、少しずつ小さくしているのだという。


「――でね、去年できたあそこの車部品の専門店も、うちの貸した土地に店を立ててるみたいなの。だけどね、ほんの一か所だけ、貸さずにうちの土地のままになってる部分があるの」


 言葉だけを聞いてもぼんやりとしか理解できなかったけど、窓子ちゃんの視線の先を見遣るとそれが指すものが何かわかった。ゆるい坂道の終わった地点、そこそこ広い駐車場の端のほうに、少し変わった場所がある。


 ペグとロープで囲われた区画に、ひとつのベンチが置いてあった。


「なんというか……むしろ差し押さえられてるみたいだね」

「そうなんだよねー、なんのためにあるんだろ」


 窓子ちゃんが子首をかしげたので、あれ、と思った。


「わかってないの?」

「そうなの。去年、私のおじいちゃんが亡くなったでしょう? そのおじいちゃんが作ったものらしいんだけどー……」


 聞けば、この車部品の専門店ができたのは去年の暮れのことらしい。窓子ちゃんの祖父は秋口に亡くなったけど、土地の貸し借りも謎ベンチを作るのも、それ以前には取り決めを終えていたのだという。

 じゃあそれまでは何に使われていた土地だったかといえば、何にも使われていないでかい倉庫だった。一度窓子ちゃんと二人で探検に出向いたことがあったけど、普通に鍵が掛けられていて中に入れなかった記憶がある。


 当然ながら当時は謎ベンチなど存在せず、周囲から見ればなんの脈絡もなくできたものらしいのだ。店側も用途は聞かされていないようで、ずっとそこに放置している。


 遺されたベンチは誰にも座られることがなく、空席のままそこに在る。


「私たち家族はあれに座っていい人間なんだけど、じゃあ座る機会があるかって言ったら別にそんなことはないし。デザインはシックな感じでおしゃれだから、もはやベンチのオブジェって感じで近所の人に親しまれてるんだー」


気付けば、私たちはもう屋敷の玄関前まで来てた。外見は古めかしいけど中は普通に現代的で、セキュリティ会社のマークがついたインターホンが付いている。ドアも外開きのオートロックだ。


二人揃ってピンポンを鳴らすと、スピーカーから「はーい」と可愛らしい声が聞こえた。それからしばらく時間が経って、去年よりもずっと腰が曲がった窓子ちゃんの祖母――節子さんだからせっちゃん――が顔を出す。


「はーいはい、二人ともよく来たねぇ、大ーーーきくなって」

「ひさしぶりーおばあちゃん」

「お邪魔します。今日から二日間、よろしくお願いします」

「深瑠姫ちゃんもそんな真面目なこと言わないで。おばあちゃんまたオセロ勉強したから、あとで勝負しましょうね」


老いた身体を動かしにくそうにしながら来客用スリッパを出そうとするせっちゃんを慌てて止めてから、私たちは玄関に上がった。他人の家の匂いがした。消臭剤とかじゃなくて、年季の入った木の匂い。


 私たちは寝泊りする二階の部屋に荷物を置きに行き、それから台所で少し遅めのお昼を食べた。冷や麦と酢の物、それからせっちゃん十八番の唐揚げ。腰の具合が悪くて歩くのが大変なせっちゃんだけど、料理は生き甲斐だから絶対に欠かさないらしい。冷や麦のピンクのやつは私にくれた。


そして、穏やかな午後。


「ふぅ~~~~っ、きもちいねぇ」

「うん、すっごく夏って感じする……」


 私たちは縁側に座って、冷水を張った桶に足を入れていた。こぢんまりとした庭の草たちが日光を照り返しているけれど、足から涼しさを吸っている私たちには全然効かなかった。窓子ちゃんが猫みたいに伸びをする。


窓子ちゃんの身体は私よりも日に焼ける速度が遅かった。ほんのり小麦色になってきてるけど、全然白い。後ろに反ることでワンピースの生地が胸に貼りついて、私は反射的に目を逸らした。窓子ちゃんは来年中学生。けれど、私より二歳くらい大人に見える。


「ねぇねぇ深瑠姫ちゃん。あのベンチ、なんのために作られたのかなぁ?」

「うーん……、とりあえず、普通に休憩するためじゃなさそう。普段使いするには、わざわざ囲ってるロープを外したりまたいだりするのが不便だもん。だからやっぱ、座ると何かが見えるとかじゃないかなぁ」

「でも、見晴らしなら坂を上った場所のほうがずっといいんだよねー。そもそもあのベンチからの景色、正面以外を木に阻まれててあんま見るものないし」


 ふむ、と思う。見える景色が無いわけではないようだけど、だとしても占有してしまう理由がない。けれど、お姉さんならこういった謎もただちに解いてしまうのだろうか。


「――そういえばね。私のペンフレンド、夏休みの間は連絡取れないんだ。それから、二学期が始まってからもどうなるか分からないって」


 唐突に、というよりは、むしろずっと言いたかったのだろう。ポッケのスマホに手を伸ばした瞬間そう言われ、冷水の桶とは別の理由で心臓が冷えた。お姉さんが解いた謎のひとつ、窓子ちゃんの少し変わったペンフレンド。ひそかに想いを寄せているであろうその人の正体を、私は既に知っている。


窓子ちゃんは、私が知っていることを知らない。


「……そう、なんだ。寂しくなるね。お返事くるの楽しみにしてるみたいだったし。その……窓子ちゃんとその人は、直接会ったりはしないの?」

「うん、だめだって」


いま意地悪な質問したなって思った。柔らかに傷付けるための言葉だ。たぶん、二人でいるときに他の人のことを話されたことの腹いせだと思う。自分だってお姉さんに連絡取ろうとしてたくせして。


微妙な空気が二人の間に流れた。空は青くて草は緑で風鈴だって鳴っているのに、アンバランスが過ぎると思った。けれど私がなにか言うより早く、窓子ちゃんは「あはは、なんか変なこと言っちゃった」と取り繕うように言ってくる。


それでも、私は言った。


「じゃあ――私が窓子ちゃんの新しいペンフレンドになるから」


それなりに切実な言葉だったと思う。けれど窓子ちゃんは、「うーん、」と言って穏やかに笑った。それから桶の水をちゃぷっと鳴らして、こちらに優しく微笑みかける。


「深瑠姫ちゃんは、直接会う時間が増えたほうが嬉しいかな」


ときめ、けば、いいのだろうか。


それとも、振られたのだろうか。


わかんなかった。風鈴が鳴った。けれどもう微妙な空気は取り払われて、平穏な夏がここに在る。


そして私の中に、小さな覚悟が生まれた。覚悟というより意地だろうか。今回提示された謎――座りどころが分からないベンチの謎は、お姉さんに頼らず私が一人きりで解く。窓子ちゃんは他の人の話をしたけど、私は誰かに頼らずに解く。


足を冷やしているというのに、身体の芯は熱かった。





(解答編に続く))









 

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