(解答編1)ベンチの楽しい座り方

 縁側でスイカを食べているときも、せっちゃんの部屋でオセロをやっているときも、私はどこか上の空だったと思う。謎ベンチについて考えていたからだ。


 坂の下に向かって置いてある、関係者以外立ち入り禁止の謎ベンチ。誰にも用途を明かさぬままに、それを作った窓子ちゃんの祖父は亡くなってしまった。


 まだ解かれていないその謎を、お姉さんに頼ることなく、私が――


「……るきちゃん。みーるきちゃん」


 そのとき、私を呼ぶ声が耳に入ってきた。左のほっぺを指でつんつんつつきながら、面白がるような目でこちらを見ている。


「えへへ、やっとこっち向いた」


 せっちゃんの家の二階、私たちが寝泊りする部屋。自分の机で宿題をしていたはずの窓子ちゃんは、いつの間にか私の隣までやってきていた。気付けば外はもう薄暗い。ずいぶんと考えこんでいたようで、脳が疲れているのが分かる。


「どっかわかんないとこある? ……って、そのページ丸付けまで終わってるじゃない」

「あー、うん。ちょっとぼーっとしてたというか、考え事してて」


 そう答えつつも、私はまた別の部分に意識を向けていた。窓子ちゃんのワンピースは生地がゆったりしていて、屈むと首元が大きく開く。机の上を覗き込むような体勢を取ると、近くに居る私からは中身が見えてしまうのだ。

 灯りに背を向ける形になっているせいで、はっきりと見えるわけじゃない。けれど、重力に沿ってゆるやかに下を向く真っ白な曲線が目に入るたび、どうにかなってしまいそうだった。このアンモラルさでしか満たされない欲がある。


「ベンチのこと? 深瑠姫ちゃんもそんなに気になるんだ」

「うん、一応。あのベンチになにか、メッセージみたいなものがあるのかもって思ったら。おじいさんには、お世話になったから」


 窓子ちゃんの祖父は無口だけど優しい人だった。心臓発作で突然死んじゃったけど、身体が強くてたくましい人だった。

 私の家庭のことをいつも気にかけてくれていて、私の父親に色々と言ってくれたこともあったらしい。その人が遺した謎ベンチ。明かされるべき秘密があるなら私が解いて、窓子ちゃんたちに教えてあげたい。


「深瑠姫ちゃんは優しいねぇ」


 窓子ちゃんはそう言って、後ろからゆるく抱き着いてきた。全然崩れない三つ編みがこちらに流れて、甘い匂いがする。それが蚊取り線香の煙の匂いと合わさって、ちょっとだけお姉さんの部屋を思い出した。


 どちらも甘い匂い。けど、窓子ちゃんの匂いは、なんというか……カボスとかスダチみたいな、ちょっとマイナーな果実の妖精って感じの匂いだ。お姉さんのは魔女の焚くお香って感じ。甘さの中の爽やかさが全然違う。


「あーあ、深瑠姫ちゃんが妹だったらなー」

「姉妹ってどんな感じなの?」

「うーん、よくわかんないけど、たぶん今日みたいな日がずっと続く感じ」


 なるほど、それはいい。けど家に四人も人が住んだら、お互い迷惑をかけないようにするのが大変そうだなとも思う。


 そのとき、廊下の灯りがぱちっと点いたのが分かった。階段の下から、せっちゃんが呼ぶ声がする。


「おーい、そろそろ準備したほうがいと思うよーー?」


 窓子ちゃんは「はーい」と言って、私の首元に回した腕を戻した。立ち上がるのを促すように肩を叩かれて、「なにかあるの」とつい尋ねる。


 すると、窓子ちゃんは得意げな顔で答えた。


「実はね、ここの夏祭りは今年から花火大会があるの。もともと別の場所でやってたのが工事で出来なくなっちゃったかららしいんだけど」

「はなび、たいかい」

「そう。湖の近くでやるんだけど、裏の坂を上った先の高台からならよく見える予定なんだって。だから、動画繋いでおばあちゃんにも見せてあげるんだ」


 制限時間ぎりぎりというより、もう答え合わせの最中のようなものだろう。けれど、私はたしかに、真相に辿り着いていた。

 普通の樹だと思っていたものが春になって桜だと気付くように、ある特定の時期になって初めて本質が現れるもの。謎ベンチもそのひとつだった。


「行こう、窓子ちゃん。せっちゃんも一緒に」

「え? でも、おばあちゃんは足が悪いから――」

「だからこそなの」

「えぇ~~っ?」


 わたわたする窓子ちゃんを引っ張って、私は部屋を出ようと急ぐ。

 目的地は当然、高台なんかじゃない。




 ○○○○○○○○○○




 気持ちが早っていたけれど、準備する時間は普通にあった。私たちは虫よけを念入りにして飲み物を入れる用の小さなクーラーボックスを用意し、うちわを持って外に出た。それから例の車部品の専門店に出向いて、駐車場の一区画に置かれた謎ベンチのもとまで歩く。


 ベンチの掃除にも使えるようにとクーラーボックスには大きめのおしぼりも忍ばせていたけれど、存外綺麗なままだった。お店の人が掃除をしてくれているのかもしれない。


「あの、深瑠姫ちゃん、もしかして――」

「そう。。……それが、このベンチの真相」


 せっちゃんはずっと黙ったまま、私が促すのに合わせてベンチの前に立った。大事そうに抱えていた座布団を敷いてから、そこに腰かけて前を見る。


 瞬間、最初の一発が打ち上がった。


 少し遠くの湖から上がる花火に、隣の窓子ちゃんの頬を染め上げるほどの火力はなかった。けれど遠いぶん、音も小さい。光から数拍遅れてやってくるそれが言葉を阻害しないことを確認してから、私は推理した内容をつむぐ。


「この高さからの景色は、周りの木々がじゃまするから、そこまで眺めがいいわけじゃない。けど、ベンチの前方は木々がちょうど拓けてて――湖の方角がよく見える。実際、ここからだけ花火が見えてる」


 大輪の花火の最初のターンが終わって、いまは星とかハートとか、ポップでカラフルな花火の群れか上がっている。


「けど――全部が見えるわけじゃない。秘密の穴場というには、ここはまだちょっと見えにくい」


 打ち上がる花火の横端のほうは、木に阻まれて見えてなかった。このぶんだと、空の低いところで咲くスターマインも怪しいだろう。


「このベンチが花火を見るためのものと仮定するなら、きっともっと良く見える、坂の上の高台にはないメリットを示す必要があると思ったの。混んでないとか、すぐ行けるとか――坂道を登らなくてすむとか」

「あっ、だから……」


 窓子ちゃんも、それに気付いたようだった。私は花火の音が一旦やむのを待ってから続ける。


 特別大きな花火が開いた。


「このベンチは――おじいさんとせっちゃんの為に作られたんだよ。


 どんっ、と、遠くに居るはずの私たちの心臓にまで、花の散る音が重く響いた。


 窓子ちゃんのおじいちゃんが花火大会のことを知っていたのも、この辺りでの家の力が強いことを踏まえれば不思議ではない。寡黙で心優しいあのひとは、今日のために備えていたのだ。二人で座るベンチを作って、サプライズのために。


 けれど。


 隣に立つ窓子ちゃんが、うっすら涙を浮かべている。


 けれど、その願いは、もう――


「んっふふふふふ! それはそれは、素敵な計画ですこと! でもあなた、先に死んじゃったら意味無いでしょうに。んっふふふふ!」


 せっちゃんはものすごく楽しそうに笑っていた。私たち二人がぽかんとしているのを見て、どこか慈しむように言う。


「あなたたちは大切な人が死ぬ経験が少ないから、ちょっとおセンチになっちゃうだろうけど。私にとってはこれはもう、笑い話ですよ。ほとんど一年越しに楽しませてくれるなんて、ねぇ。けどね、小さな探偵さんが現れてくれなきゃ、私さっぱり、分からなかったと思うわ。

 そう、深瑠姫ちゃん。あなたの推理にはホンのちょっとだけ間違いがあるの、たぶんだけど。あのひと、サプライズのためじゃなくて――ただ単に恥ずかしくて、このベンチの秘密について話せなかったのだと思うわ。だからきっと、もう当日でいいやってなって……ねぇ。本当に、キザなくせして不器用な人だこと」


 お姉さん【感動的な話だね】


 私の手元のスマホの上部に、そんなメッセがポップアップした。


 いま私たちはビデオ通話を繋いでいて、スマホのカメラ越しにお姉さんにも花火大会を見せてあげている。さっきなんとなく画面を点けたら167件の通知がきており、明らかに寂しそうだったのでご機嫌取りでそうしてあげたのだ。


 それから――私が一人でも推理できると、見せつけてあげるためにも。


 けれど、今回の謎はお姉さんならもっと早く解けていたんだろうなとも思う。やっぱり私は、探偵役としてはまだまだ未熟だ。


 けれど、と思う。いま隣には窓子ちゃんが居て、お姉さんとも通話を繋いでいる。二人と同時にデートしてるような状況だ。そして、窓子ちゃんはそれを知らない。


 お姉さん【君は悪い女だね】


 今日ばかりは反論できないなと思った。花火はまだ鳴っている。





 ○○○○○○○○○○





「お風呂が沸きましたよー」


 階段の下から、せっちゃんの声がした。花火が終わって家に帰って、夕飯にとろろご飯とカツオのお刺身を食べてからのことだ。私と窓子ちゃんは、「はーい」と同時に返事する。


「先入ってきていいよ。私、宿題のキリが悪いから」


 早くパジャマ姿が見たい一心での発言だった。けれど窓子ちゃんは、「えー?」と言ってにへっと笑った。


「一緒に入ろうよ。せっかくのお泊りなんだから」


 私の心臓がひっくり返る。


 いやでもそれはさすがに、ねぇ……?





(問題編2&ドキドキ一緒にお風呂回に続く)





 



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