第二話 パンツ出現とリコーダー消失

(問題編)プールの日の二重事件

 プールの日だというのに、あいにくの曇りだった。体操服とプールセット、どっちも持ってくるように言われたけれど、水温がセーフラインだったから水泳になった。

 水に入ったら温かいとかそんな事は全然なくて、普通に寒くて嫌だった。授業が終わってから、私は足早にシャワーを浴びて更衣室でバスタオルにくるまる。温かくて幸せだけど、なんか好きじゃないタイプの幸せだった。プールさえなければ私はずっと凍えずに済んだのだ。マイナスがゼロになっただけだ。

 私が水着の肩ひもに手をかけたタイミングで、更衣室がうわーっと騒がしくなった。シャワーで騒いでいた女子たちが、そのままこちらに流れてきたのだ。私はその会話の輪に上手に混ざって水着を脱ぐ。果実の皮をむいているような気分だった。水を吸って真っ黒になった水着の中から、白い肌が剥き出しになる。


 瞬間、視線を感じた。


 その主は見ずとも知っている。チカちゃんだ。チカちゃんは本当は知花ともかちゃんだけど、音読みでチカちゃんって呼ばれている。


「――今日五時間目音楽だよね? リコーダーのテストていつだっけ」


 私は適当に会話を伸ばしながら、上だけ裸の時間を増やす。服を着るのも下からにする。チカちゃんはたぶん私が好きだ。いつも私から少し離れたところに水着バッグを置いて、私の着替えを盗み見てくる。ばれてないと思ってる。

 私はそれを知りながら、あえて見せてあげている。えっちな目で見てくる男子はゴミだけど、女の子なら悪い気はしない。私の近所にもひとり、私と悪いことをしたがる悪いお姉さんが居るけれど、正直そこまで嫌ではないのだ。あれがお兄さんだったら絶対に警察を呼んでいる。

 私はお返しのつもりでチカちゃんの着替えも少し見てみた。あまり見どころのない身体だった。チカちゃんの胸はまだ平らで、先っぽの色も肌とほとんど変わらない。変な優越感がある。


「次の授業あるから、早く着替えろよー」

 

 ごんごん、と更衣室を叩く音がして、シゲセンこと茂宮先生の声が聞こえた。シゲセンは体育の先生で、ゴリラみたいなおじさんだ。ロリコンという噂がある。

 男でロリコンは最悪だし、そうでないにしてもデリカシーが無いと思う。着替えてるとこにノックされるって普通に怖い。入ってきたら勝てないし。

 私はちょっと嫌になった気分を紛らわせるために、チカちゃんに声をかけてみる。


「ほらチカちゃん、急がなきゃ。遅れちゃうよ」

「ああっ、うん! ……あっちょっと待って、反対の穴に足入れちゃった」


 チカちゃんは明らかに慌てていた。タオルを巻いた場所に膝丈スカートを入れようとして、なにやらもぞもぞやっている。次の授業に遅れるのも嫌なので、私は他の友達と一緒に更衣室を出る。

 そのとき、ぬめっとした水溜まりを踏んでしまった。つくづく運のない日だと思った。



○○○○○○




 三時間目が体育で、四時間目が算数で。面倒な時間割の日なのに、もうひとつ面倒なことが起こった。放課後、うっかり教室に給食袋を忘れてきてしまったのだ。五時を過ぎてから学校に戻り、教室の鍵が閉まっているかもしれないから先に職員室に行く。五年生の教室は三階にあるから、行って開いてなかったら面倒だ。

 けれど、職員室の中には入らずに済んだ。横開きの扉が自動ドアみたいに開いて、そこからシゲセンが出てきたのだ。鍵束を指にかけて持っている。


「おー、深瑠姫みるきさん。どうした?」


 私が二年生くらいの頃から生徒は名前にさん付けで呼ばれるようになったけど、ごついシゲセンが言うと違和感がある。今日の鍵閉め当番この人かーと少しがっかりしながらも、私はつくりものの声で応じた。


「あーっ、先生。私あの、教室に忘れ物しちゃって……」

「じゃ、先に三階から閉めてくか」


 絶妙に脈絡のないことを言いながら、シゲセンは私に着いてくる。低くて細かい階段を、私は一段ずつ、シゲセンは段飛ばしで上った。特に会話をすることはない。シゲセンは去年違うクラスの担任になったけど、私とは体育でしか接点がないのだ。

 五年一組は男子トイレのすぐ傍にある。中に入って給食袋を手に取って、それで終わるはずだった。けれどもうひとつ、小さなイベントが起きたのだ。


 誰も居ないはずの教室に、先客がいた。


「あれ? チカちゃん?」

「ひゃっ⁉」

 

 廊下側の列の、真ん中あたり。チカちゃんが自分の席に座っていたのだ。チカちゃんは私に気付くと大層驚き、机の下に手をぶつけた。がごっ、という音が気の毒なくらいよく響く。

 そのタイミングでシゲセンも教室入口に着いて、ドア部分に片腕を引っ掛けたまま中を見遣った。


「あれ、チカさん? いたの。駄目だろー、放課後に教室はいるなら職員室の先生に断り入れなきゃ」

「ああえっと、私さっきまで、図書室の先生の手伝いしてて……。それで忘れ物しちゃったから、そこで先生に言って……」

「あーなるほどなるほど、じゃあOKな。でもびっくりするからさ、ちょっと入るだけでも教室の灯り点けてくれな?」


 チカちゃんの説明はちょっと要領を得なかったけど、先生はその意味をちゃんと汲み取った。私はその隙に教卓前の自分の席まで出向いて、机横に引っ掛けてあった給食袋を無事回収する。

 放課後の教室の雰囲気は異質だ。ものすごく静かで、それから広い。カルキの匂いもすっかり消えていて、一人できたらちょっとテンション上がってたかもな、とぼんやり思う。

 

「ほらっ、閉めるぞー」


 シゲセンがドアをちょっとだけ閉めて急かす。私に続いて、チカちゃんも慌ただしく教室を出た。ランドセルをお腹に抱えて、なんだか歩きにくそうにしている。


 思えばチカちゃんは、忘れ物を回収できなかったのだと思う。彼女が探していたはずのものは、この教室が密室になってからこの部屋に現れたのだから。


 ドアが閉まり、そして鍵が掛けられる――。




○○○○○○○○




 そして次の日、二つの事件が起こった。いや、すでに起こっていた事件が、夜を跨いで明らかになったのだ。


 朝読書の時間、クラスの女子全員が多目的室に呼び出された。担任のショーコちゃん先生が、ドアの窓部分に取り付けられたカーテンを閉めてから話しだす。


「これに、見覚えのある子はいませんか?」


 掲げられたのは、思いもよらないものだった。水色のいかにも柔らかそうな布。丁寧に畳まれたそれは、女の子用のパンツだ。

 教室内がざわめくと同時、先生が「静かに」と鋭く言い放つ。途端にみんな前を向いて、次に続く言葉を待った。


「朝一番に来た生徒が、教室の中でこれを見つけたようです。ここでは言いづらいかもしれないから、あとで先生のところまで来てくれれば――」

「あ、わ、私の、です……」


 静寂がくるはずのタイミングで、チカちゃんの小さな声が聞こえた。おずおずと挙げた右手とともに、ゆるくカールした髪の毛の先が震えている。


「昨日、その、プールの後に無くなってて……」

「大丈夫。あとで先生のとこに来て。話を聞くから」

 

 忘れ置かれた誰かの水着が、事後的に見つかることがある。水泳キャップとかゴーグルとかも。それと似た出来事かと思ったけれど、根本的に違う点があった。


 更衣室に忘れていかれたはずのパンツが、なぜ教室で発見された? 


 上級生はプール近くの更衣室で着替えることになっているから、だれも教室で脱ぐことはない。おまけに今日は曇りで、水温からしてプールがあるかないか分からなかった。だから、服の下に水着を着てくることもない。教室にパンツが置かれる状況が、そもそも発生するはずがないのだ。

 そして、もう一つ。前日、チカちゃんは施錠のぎりぎりまで教室に居た。そしてそのとき、パンツは発見されていなかったはずなのだ。


なら――なぜ密室の中に突然パンツが現れたのか?


 私はお姉さんを知っている。悪くて、綺麗で、煙草の匂いがして、お金持ちで、私のことが大好きな――近所に住んでる名探偵を。

 その推理を聞き続けていたからこそ、辿り着いた仮説があった。


「犯人はチカちゃんのパンツを盗み、施錠後~朝のどこかで教室に戻した」

 

 けれど、その方法も犯人もよくわからない。教室に戻るまでの間、友達はパンツの話題を囁きあっていた。けれど私は上の空で、一時間目の国語の準備をするときも、うっかりリコーダーの袋を出してしまっていた。

 でも、その行動は正しかったのだろう――異変にすぐ気付けたのだから。


 リコーダーの袋のファスナーが不自然に開いていた。なんとなしに開け切ってみて、そしてもう一つの事件が明らかになる。



 机の中に保管していたリコーダー。

 その口の部分が、取り外されて消えていた。




(解答編に続く)

 


 




 



 


 

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