第五話 家出する人体模型の怪

(問題編)人体模型は昼歩く

「事件! デ~~~ス!!」


 夏休みの気配漂う教室に、ひときわ浮ついた声が響いた。昼休みに入ってすぐのことである。宿題の山を削っておこうと意気込んでいた私を標的にしたその声は、ケイトちゃんのものだった。


 ケイトちゃん。アメリカ生まれ日本育ちで、二年生のころに家庭の事情でアメリカへ。そして今年の春になって帰ってきたという、日米を反復横跳びしているようなバイリンガルガールだ。ほんとは日本語ペラペラだけど、キャラ付けのためにニセカタコトでしゃべってる。


 顔もなかなかに可愛らしい。水色の瞳がビー玉みたいで綺麗だ。ふわふわの髪も睫毛も薄い金色で、光が当たると柔らかにきらめく。おでこに巻き毛が乗ってるのもいい。そしてなにより、ほっぺが大変もちもちしている。


 で……事件? なんで私に?


「ミルキー氏はミステリ小説ノヴォーたくさん読んでマス。謎解き得意のハズ」

「ミルキーじゃなくて深瑠姫みるきね。深き瑠璃の姫で深瑠姫」

「ヒソカの後釜として旅団に入ったんデスよね」

「それはイルミ」

「カルトですよデス」

「そうだっけ……?」


 まあ、それについては今度お姉さんに確認してみればいいだろう。問題なのは、ケイトちゃんがどんな謎を持ち込んできたかだ。

 私の机に腕を横置きし、その上に愛らしい丸顔を乗せていたケイトちゃんは、「おほん、」と声に出しながら咳払いした。それから足を肩幅に広げ立ち上がり、ずびしっ! とこちらを指さして言う。



「昼に歩いた人体模型の謎を――深瑠姫氏に解いてほしいデス!」




 ○○○○○○○○○○




 昨日は昼休みと五時間目を使い、一学期に一度の大掃除が行われた。カーテンを洗濯のために取り外したり、机や椅子の足裏にくっついた埃を取ったり。普段は手を出さない場所まで綺麗にして、長期休業に備えていく。

 

 ケイトちゃんの掃除担当は第一理科室だった。ケイトちゃんはとにかく校舎の構造を覚えるのが苦手で、移動教室は誰かと一緒じゃないと迷子になる。その日もやはり、理科室は二階だというのに一旦三階まで出向き、下級生に教えてもらって無事到着したらしい。恥ずかしいけど可愛らしくもあるエピソードだ。



「ケイトちゃん掃除遅刻したって聞いてたけど、やっぱそんな理由か」

「でか箒やら脚立やら持ってる生徒が廊下居て、移動に苦労しただけデス」



 当然ではあるけれど、掃除は至極順調に行われた。けれど、最後の工程でほんのささやかな出来事が起こる。十体ある人体模型の内臓を取り出して丁寧に拭き、再び棚に戻す作業を、縦割り班の下級生たちが嫌がったのだ。


 まあ無理もないことだろう。人体模型は普通にグロテスクだ。どのみち理科室組は作業量が少なく、ちょっとやることが増えたところで時間内に終わらないということはない。ケイトちゃんは内臓拭きの残業を引き受け、下級生を教室に帰したという。教室の大掃除は慣れてないと時間がかかるので、いい判断だ。


 内臓を元の位置にはめ込む作業はなかなかに楽しく、パターンを覚えれば作業速度も上がった。けれど最後の一体に差し掛かったとき、作業を中断させざるを得ない事態が起こったらしい。



「急に尿意を催して、お花畑にしょんべんしに行ったデスよ」

「腕白なお嬢様だね……」



 そこから廊下掃除の友人とおしゃべりし、でか箒持ちとすれ違い、脚立持ちに道を開け。再び掃除場所の理科室へと出向き――異変に気付く。


 出しっぱなしだったはずの人体模型が、無くなっていた。


 ちょっとはかしこいケイトちゃん、まず疑ったのは自分が間違った教室に辿り着いてしまったのではないかという事だった。けれど一度廊下に出て、いま入った教室を確認すると間違ってない。二度見三度見四度見しても同様だった。一応掃除の縦割り分担表と見比べてみても合っている。自分はおかしくない。



「だから、誰か親切んちゅが片付けてくれたんダナーおもて教室帰ったデス。でも、今日の朝に事件が発覚しまシタ……」

「あー、なんか理科の先生に軽く注意受けてたね」



 今日の朝。教室の入り口付近でおしゃべりしていたケイトちゃんに、理科の先生が「人体模型いっこだけ出しっぱだったよー」と言って去っていったらしい。特に咎める色はない、事実を軽く報告しただけの言葉だ。たまたま廊下から見える範囲に居なければ、聞かされることはなかっただろう。


 誰かに深刻な被害が出た訳ではない、ちょっと不思議なだけのエピソードだ。しかしケイトちゃんは、真相を知りたくて仕方ないらしい……。




 ○○○○○○○○○○




「で、どこが昼に歩いた人体模型の謎なのかな?」

「ケイトがしょんべんしてる間に人体模型は家出して、掃除が終わってから帰って来タ!」

「なるほどねぇ……」


 お姉さんの口調をちょっと真似してみたけれど、これといった答えが思い浮かんだわけではない。人から聞いた情報を元に推理するって不安だ。大切な情報ひとつを見落とされているだけで、真実に辿り着けないかもしれないのだから。


 いや、というか……。


「これ、普通にケイトちゃんが部屋間違えてたパターンでしょ」

「……What⁉」

「第一理科室と第二理科室て隣にあって、中身もほとんど同じじゃん。何度も確認したっていうけど、『第一理科室』ってちゃんと書いてあった? 一と二を見間違えてたってオチだと思うけどなー、アメリカ住んでたし」

「あっ、差別! アメリカ人をバカにしている‼ ネイティヴでも間違いようがないってそんなとこ‼」

「あー、ごめんごめん」


 目の端に涙を溜めるケイトちゃんを、私は軽くなだめた。それから、困ったな、とぼんやり思う。最近気づいたことだけど、私は可愛い女の子の泣き顔に死ぬほど弱いのだ。ここが昼休みでがやつく教室でなければ、顔も巻き毛もしょげているケイトちゃんを良い子良い子していただろう。


「で……なにかわかりそうデスか?」


 ふわふわの金髪を持ち上げて、目元を隠すように言う。かわいこぶってるなーと思うけど、かわいこぶってるのって可愛いからなんも言えない。


 私はお姉さんがやるように椅子に深く腰掛け、ふむ、と思考する。私がこの子にするべきは、真実を解き明かして伝えること――。人体模型にまつわる事件は、既に理科室の先生の納得によって終息している。これは、ケイトちゃんを納得させる答えを探すための旅なのだ。


 とはいえ、私も気になった――人体模型はなぜ消えたのか。ケイトちゃんが出払っているとき、理科室は密室になっていなかった。トイレに行って帰ってくるまでにそれなりの時間が経っているのだから、干渉できる人間は少なくない。


 誰かが別の場所に移動させた? 


 なんのために?


 動機も方法も分からなかった。けれど私は、この謎を確実に解くすべを知っている。


「今はちょっと、わかんない。けど、必ず解いてみせるよ」

「!! ……ほんとデスか?」


 ケイトちゃんの顔がぱぁっと明るくなる。膜を張った涙と相まって、水色の瞳がいっそうきらきらした。


「うん――だから一日だけ、待ってほしいんだ」


 その間に、悪いお姉さんに教えてもらおう。





(解答編に続く)








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る