第九話 少女レノンと解き忘れ宿題
(導入編)期間限定盟友
「はじめまして! うちは
北からやってきたその転校生は、関西弁を喋っていた。
二学期が始まったのが金曜日で、土日を挟んでの今日が月曜日。ここから一週間フルで授業を受けなければならない私たちにとって、転校生の来襲というのは砂漠に降る雨のようなイベントだった。しかも噂では可愛い女の子ということで、私はずっとうきうきしていた。
で、現れたのが彼女。高いところで結んだポニーテールを揺らしながら入ってきた恋音ちゃんは、たしかに可愛らしい子だった。目鼻立ちがくっきりしていて、見るからに運動神経がよさそうな印象がある。そのわりにあまり日に焼けていなくて、ノースリーブのシャツから覗く腕は健康的な白さを保っている。
声は快活で、教室の後ろでもはっきり聞えそうな通りの良さがあった。けれど乱暴な感じじゃない。むしろ甘ったるさの残る響きで、悪戯に心をくすぐってくるような質感がある。
総じて、子供っぽい感じの子だった。タイプとしてはエナにちょっと近い。同級生に大人っぽい落ち着いた感じを求めるほうが無理があるのだろうけど、まあ、あまり目につくことをしないように過ごしていただけたらなと思う。
「え~、好きなタイプ? ヤダ、教えんもん絶対」
私は頬杖をつきながら、恋音ちゃんが皆の質問に答えるのを見ていた。恋音ちゃんは大げさにもじもじしつつ、照れたふりして笑っている。
ほんと、子供……。
「あー、でもヒント言うとな」
そのとき、ふいに。
「このクラスにおるで、めちゃくちゃタイプの子」
熱を帯びた瞳と、視線が合った。
その日一日中、私はもんもんとして過ごすことになった。席替えで斜め前にやってきた恋音ちゃんはすぐにクラスに溶け込んでいて、休み時間中やまない質問の雨を上手に捌きながら笑っていた。
忙しく揺れるポニーテールを眺めつつ、朝に貰った視線を脳内で再生する。あれは完璧に私に向けられていたと思う。視線が結ばれた瞬間、頭の奥がぱちっとなった。あっちの瞳もわずかに揺らいでいたような気がする。
ただ時間が経つにつれ、それが私の気のせいだったように思えてきてならなかった。なにせ恋音ちゃんはあれ以来、ただの一度もこちらを見ない。それに恋音ちゃんを囲わずに遠巻きに眺めているのは、男子たちも一緒だった。もしかしたらあいつらも、視線の合図を貰ったのは自分だと思い込んでいるかもしれない。
だとしたらばかみたいだと思った。私はなんだかむかついてきて、でも何に怒るのも不適切な気がして、学校に居る間はずっと本を読んで過ごした。
そして現在、放課後。
「なーなー、話そ? 待ってたんよ、二人になれる時」
誰も居ないのに、声が聴こえる。
「あはは。面白」
お姉さんのところに向かおうと、ちょっと古めの家が立ち並ぶ細い道を歩いていたときのことだった。その声が聴こえた瞬間風が吹いて、残暑に汗ばんだ身体をちょっとだけ冷やした。
「……どこ?」
「上やで、上」
そう言われて、視線を上げる。案の定そこに居たのは恋音ちゃんだった。猫みたいにブロック塀に登っていて、なぜだか木の枝を片手に持っている。しゃがんだ脚はきちんと閉じられていて、ミニスカートの奥は見えそうにない。
「――とうっ!」
恋音ちゃんはその体勢から高くジャンプして、体操選手みたいに足をぴんと伸ばし、両腕を高く挙げながら着地した。衝撃が強そうな降り方なのに、けろりとした顔をしている。パンツは水色だった。
「……っと。改めて初めまして。よろしゅうな」
「あの、なんで塀の上に居たの?」
「? びこーしとったから」
答えになっているようでなっていない。尾行するためにわざわざ塀に登っていたら非効率だ。やっていることは忍者ごっこに近い。
やっぱり、子供……。
けど、気になる部分もあった。さっきたしか、二人で話せる時を、とか。
「なーなー、名前それなんて読むん? ふりがなふってないから分からんかったわ」
「えとね、」
「あー待って、言わんで。当てたる」
恋音ちゃんは近寄ると、私の胸についた名札を手に取った。名札を持ち上げる指がブラの生地にこすれて、ついどきっとしてしまう。
「相能は『あいのう』でええんかな? 深瑠姫は……あてじ? だったら分からなそうやけど……」
ぱちぱちするまつ毛が長かった。私のほうが長いけど。手入れの行き届いた綺麗な髪をしていた。私のほうが綺麗だけど。けれどなんだか、目が離せない。この至近距離が嬉しかった。ずっと私の名前を考えていたらいいのにと思ってしまう。
「……あ、わかった。『みるき』やろ。
「正解。同級生で読めたのは恋音ちゃんがはじめてよ」
「え、やった! なぁなぁ深瑠姫、深瑠姫は自分の名前好きなん?」
「うん、好き」
私がそう言うと、恋音ちゃんは少し驚いたような顔をした。わずかに頬が赤らんで、はにかむように笑いだす。
「あー、あかん。深瑠姫が好きって言ったとき、きゅんとしてもうたわ。……私も好きやで、深瑠姫…………って、名前。ええ名前やもんな。深き瑠璃の姫で、深瑠姫。可愛らしいわぁ」
くるくる変わる表情を前に、私は自身の振舞い方を決めあぐねていた。照れられて褒められて、感情の置き所が分からない。けれど悪い気はしなかった。一刻も早くお姉さんの部屋に行きたかったはずなのに、この立ち話がどこまでも心地いい。
「ありがとう。……それで? 何を話したくて尾行してきたの」
「えと、」
とりあえず、お高くとまってみてしまった。けれど恋音ちゃんは、そんな私の態度を気にかけている余裕などないらしい。こちらに一瞬向けられた視線には朝に垣間見た熱量があって、けれどすぐに逸らされてしまう。
ややあって、訊かれた。
「……深瑠姫も、女の子が、好きなん?」
「え」
残暑に蒸されて出た汗が、別の汗に上書きされる。いまさらりと触れられたのは、今までお姉さんにしか暴かれていない秘密だった。そのお姉さんだって地に足着いた推理で当ててきたというのに、それをこんな、初対面の子に。
「あのな、私、わかるんよ。転校たくさんしてな、皆の何倍もの子と出会ってるから。私がその子に、産まれる前から失恋しとるかどうか」
タイミングのいいことに、流れた雲で陽が陰った。熱と暗さを含んだ表情は、いまの言葉の裏側を悟らせるのに十分だった。
女の子は男の子が好きで、男の子は女の子が好きで。そういう人が多い世界で、私たちは生きている。自分たちをイレギュラの枠に置きたくないのに、この事実の説明のために「普通」という言葉を使いそうになってしまってつらい。
それを理由に、傷付いた過去があるのだろう。前提条件を満たしていないから叶わなかった恋をしたことが。お姉さんは小学生の恋愛事情をなめているふしがあるけれど、当事者にとっては大ごとなのだ。
私はすました顔を作って言った。
「そうだよ、女の子が好き。男の子はみんなばか」
「じゃ、うちのことは?」
「まだ分かんないかな」
「じゃ、好きでもない奴のパンツ見てすけべ顔しとったんか。節操ないんやなぁ」
「……えっ!?」
「あ、ほんとにそうやったんか。深瑠姫はすけべな、覚えとこ」
にしし、という歯を出した笑顔は、からかい顔にしては子供っぽすぎて、けれども今日一可愛かった。しゃんと背筋を伸ばして、手を背中のほうで組みながら恋音ちゃんは歩く。ポニーテールが絶えず揺れていた。家はこっちなのだろうか。なんとなくだけど違う気がする。
「別に私、パンツとか興味ないし。自分が履くのと形同じじゃん」
「あっそ。深瑠姫にお願いされたら毎日でも見せたろ思っとったんやけど」
「え、ほんと……?」
「……ひねくれてそうな顔しとんのに、案外素直やなぁ」
実際のところ、私たちは似通ったところがあったのだと思う。女の子が好きで、周囲の子たちに対して色々考えていて、けれど結局子供の枠から出られやしない。
そして――謎を引き寄せる。
最初の事件が起こったのは、いや、既に起こっていたのが発覚したのは、翌日の朝のことだった。
(問題編に続く)
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お読みいただきありがとうございます。本来、夏休みのエピソードをもう一つ書く予定でしたが、いくら悩めど思いつかなかったので二学期編です。
ただ、面白い話ができたら夏休み回最終話は投稿したいと考えているため、八話を飛ばして九話としています。
二学期はレノンを軸とした話が続くと思います。応援いただけると執筆の励みになります。(謝神)
悪いお姉さんが教えてあげる 謝神逸器 @syagami
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