第三話 ゴミ捨てじゃんけん必敗の謎
(導入編)お姉さんひっそり拗ねる
教室の手前で拳を構える私と涼太くんを、クラスの皆が見守っている。涼太くんは「太」の文字に魂を吸い取られたみたいなでかくて太い男子で、正直暑太くんに改名したほうがいいと思っている。けれどお笑い芸人に詳しいから、クラスの人気者だった。私のほうがたぶん人気だけど。
涼太くんはその身ひとつで、私はスプーンを逆手に持っていた。これから始まる決闘に勝つために、絶対に欠かせない武器だった。
二人して拳を前に突き出す。
教室内に緊張が走った。
「「さいしょはグー、じゃんけんぽんっ!」」
私の手から離れたスプーンが、くるくる回って。
かつーん、と、高い音を立てた。
「私の勝ちっ!」
「ンちくしょおおおおお~!」
大袈裟に頭を抱えて嘆く涼太くんを見つつ、私は床に落としたスプーンを拾い上げた。大きく笑いを取ったのは涼太くんだけど、肝心の余ったプリンは私のものだ。
私は先生に一言断って、水道までスプーンを洗いにいく。給食じゃんけんの死闘を制し、これから二つのプリンを掬うことになる名誉スプーンだ。念入りに洗ってあげなきゃな、と思った。私は優しい女の子なのだから。
それから、この必勝法を教えてくれたお姉さんにも感謝しなくちゃ。
○○○○○○○○
「あー、あれ使って勝てたの。運がよかったね」
「えっ、必勝法じゃないの?」
その日の放課後、お姉さんの部屋。私にフルーツゼリーを出しながら、お姉さんはさらりと言った。ゼリーのカップに載せられたスプーンは柄が細くて長くて、なんだか贅沢な気分になれる。
「勝率を引き上げることはできるけどね。じゃんけんの必勝法なんて、基本的に成立しないんだよ。基本的にね」
お姉さんは私が手を出すより早く、ゼリーの上のスプーンを取り上げる。あっと思った瞬間に、お姉さんは私によく見えるようにスプーンを握り直した。指と垂直に、掬うとこが親指と反対向きになるようにてのひらに置いて、小指、薬指、中指で握る。それから、さいしょはグーの構えを取った。
これが、お姉さん直伝のじゃんけん必勝法。手に何かを握りこんでいる人間Aが、わざわざパーを出すだなんて思わない。でも、チョキなら出せる。ならば、相手となるBはグーを出すのが正解だ。チョキとグーしか出せないA相手には、グーを出せば負けることはないのだから。
だからこそ、Aはパーを出すのが正解となる。手に持った物が地面に落ちるのと引き換えに、ほぼ確実な勝利が出に入る。もっとも、相手もパーを出していたならあいこになってしまうけど。それでも、「Aは絶対にパーを出さない」と思い込んでいるBに対しては、パーを出せば絶対に負けないのだ。
なら。
「いくよ。じゃーんけーん……」
なら、そのタネを知っている私は今、何を出せばいい……?
「ぽんっ」
手を出す合図と同時に、スプーンが机に落ちる音が聞こえて。
チョキを出した、私が負けた。
「はい、私の勝ち」
お姉さんは、スプーンを落としながらグーを出していた。
「手の内を知っている君は、私の思考を読もうとして――ぐるぐるぐるぐる、考えたはずだ。そこで手を出すタイミングより早くスプーンを落とせば、君は私が選び取った選択肢はパーであると考える。よって、私はグーを出して勝ったんだよ」
「う、う~ん?」
「物を握りこむのはね、あくまでも運ゲーを心理戦に変えるだけの技だよ。これが必勝法たり得るのは、私が心理戦で負けないから。君は給食じゃんけんの時、そこまで考えずにパーを出したんでしょう? だから、運がよかったねって言ったんだ」
お姉さんは落ちたスプーンを拾い上げると、ウエットティッシュで丁寧に拭いてから返却した。私の頭はまだこんがらがっていたけれど、疲れてきたから素直にゼリーを食べることにする。味が濃くて大きいみかんが入ってて、なかなかおいしい。
「まあ別に、給食のじゃんけんなんか勝てなくてもいいと思うけどね。私から貰えばいいじゃないか。私が普段あげてるプリン、おいしいでしょう?」
「うん。けど、じゃんけんで勝ち取ったプリンはもっとおいしいよ」
「……ふぅん」
お姉さんは薄暗く微笑んだまま、近くに置きっぱなしにしていたゲームを再開した。私が入ってきたときにやってたやつだ。島で動物とスローライフするやつだけど、お姉さんは動物をスラム街に住まわせて自分だけ豪勢な土地に住んでいる。
「まあ別に、私のプリンはそのへんで買ってきたやつだしね」
ゲーム機を顔の真正面に持ってきているせいで、お姉さんの顔はもう見えない。けれど、お姉さんからは私が見えていたのかもしれない。ゼリーが最後のひとくちになるタイミングで、「ひとくちちょうだい」と言ってくる。
「えっ、えぇ~~?」
「さっきじゃんけん勝ったでしょ? そのご褒美だよ」
最後のひとくちをあげるということは、残っているゼリーのうち100%をあげるということだ。ひとくちの価値が一番高騰したタイミングで、お姉さんはおねだりをしてきたのである。
とはいえ、嫌だと言ってもお姉さんは聞かないだろう。私はしぶしぶスプーンとゼリーのカップを差し出す。
「あーん」
「え」
「あーん」
「…………。」
お姉さんはおすまし顔で目を閉じて、ほどよいサイズに口を開けた。睫毛が長い。意外にも歯並びが綺麗な口内に、私はスプーンに載せたゼリーを突っ込む。思えば、お姉さんの口に食べ物を突っ込んだのは初めてだった。舌を突き入れたことは何度もあるのに。
そろそろかなと思ってスプーンを引き抜こうとしたけれど、強く食いつかれて動かない。お姉さんは唇の両端をにっと上げた。いつも片端だけを上げて笑うから、なかなかレアな表情だ。
「今ねえスプーン舐めてるよ」
口を閉じたまま、腹話術でそう告げてくる。私がちょっと嫌がるのを楽しむときの声のトーンだ。お姉さんはやっぱり悪い人だと思う。再びスプーンを引き抜こうと力を籠めると、今度は簡単に解放してきた。唇を舐めとって、満足そうに笑う。
「今まで食べたゼリーの中で一番おいしかったな」
「思ったんだけど、ゼリーってみかんとメロンとパインの中から選ばせてくれたじゃん。お姉さんは私から貰わずに、残りから選べばよかったんじゃないの?」
「そしたらおいしくなかっただろうなー」
私が空になったカップを机に置いたタイミングで、お姉さんは私のほっぺを片手で包んだ。そのまま、親指を伸ばして唇を優しくなぞってくる。
「ねえ、なにか教えてほしいことない? 本物がほしくなっちゃった」
「そ、それってなんか順序が逆じゃ……あっ」
じゃんけんの話題に関連して、ひとつ思い出したことがある。そこで考えるべきは、その謎の答えを知るためにキスひとつの値段があるかどうかだ。
お姉さんに何かを教えてもらうためには、点数の支払いが必要だ。何が何点かの基準はよくわからないけど、どうしてもキスしたいときだけは、11点――キスの点と同じだけの点数を要求してくる。
「……あのね、」
でも、いいや。
「掃除の時間、負けたらすっごく面倒なゴミ捨てをやらなきゃいけないじゃんけんで――絶対に負ける女の子がいるの」
今日のお姉さんは甘えたがりで可愛いから、特別にゆるしてあげる。
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