(解答編)二人の距離の不正解

「えっ? 窓子ちゃんが……ゴミ捨てじゃんけんに、わざと負けた?」

「そう考えるのが妥当でしょう? チカちゃんはうまいこと切り抜けたよ。『いじめじゃない』とは言ったけど、『じゃんけんは出来レースじゃない』とは言ってない。窓子ちゃん自らがゴミ捨て係を名乗り出て、自分が負けるように仕組んでいるのなら――これは掃除班の上級生四人全員にとって、win-winの状況のはずだ」


 お姉さんの言っていることは、理屈の上ではよく分かる。じゃんけんの参加者全員が協力して勝ち負けを操作しているのなら、それはもう心理戦ですらない。


「君が掃除の役割分担じゃんけんを盗み見たとき、一度はあいこになったと言ったね。先生がじゃんけんを監視していたことを踏まえると、じゃんけんが公平なものであるとアピールするため、あえてワンターンでの決着を回避したとみるのが自然だろう。どの手を出すかの指示なんて、サインひとつで簡単にできる」


 そう。出す手を決めるサインなんていくらでも作れるし、その方法自体を突き止めることに意味はないだろう。問題は、なぜそんな事をするかだ。ゴミ捨て係はハズレの仕事。わざわざ率先してやる意味がない。


 逆に言えば――率先してやる意味があるからこそ、窓子ちゃんは運ゲーのはずのゴミ捨てじゃんけんを出来レースに変えた。


「君が話した情報の中には、不自然な点がいくつかある。ただね、それを積み上げたところで、真実に届き得るわけじゃない。私が提示できるのはあくまでも道筋だけだ。だからこその2点だよ。その後の現場検証は君の仕事だ」


 お姉さんは後方に身体を倒した。衣服の詰まったゴミ袋を安楽椅子に代えて、お姉さんは「さて、」と前置く。


「まず変だと思ったのはね、時間だ」


 ぴんと立てた人差し指を秒針に見立て、それをチクタク動かしていく。お姉さんの指は細いとはいえ、時計の針より全然太い。それなのになぜ、一秒一秒を刻んでいるのがはっきり見てとれるのだろうか。


「時間?」

「ゴミ捨て係は、ゴミ捨て以外の仕事もするのかな?」

「んーん。ゴミ捨てだけだから、早く終われば後は暇だよ」

「だったら――早々にじゃんけんを終わらせた窓子ちゃんは、どうして掃除が始まってからしばらく経ってゴミ捨てに出向いているのかな?」


 自分の口が、あ、の形に開くのがわかった。私のクラスは上級生四人の集合が早い。けれど、窓子ちゃんが教室を出ていく時刻は遅いのだ。私はそれをいつも廊下で見ていた。早く行けば早く仕事が終わるというのに、このタイムラグは確かに不自然に見える。


「もうひとつ。君はチョークを用いて黒板に正の字を書いたと言っていたけど――そのチョーク、いったいどこから出てきたんだい?」

「え? だから、ちっこいのが一本だけ置いてあって……」

「そのチョークはどうして一本だけ出ていたのかを聞いてるんだよ。まだ掃除中なのに……おかしいね」


 ぱちっと、脳の奥で灯りが点いたような気がした。


 チョークは普段、黒板の下側と地続きになっているチョーク受けに放置されている。けれど黒板掃除ではチョーク受けも綺麗にするから、チョーク受けの中央下部に取り付けられた箱状のチョーク入れに避難させられる。

 なら、取り残されていたあのチョークは一体……?


「えっと……チョーク受けを綺麗にしたあとに、誰かが持ってきて置いたとか」

「正解」

「えっ⁉」


 私の推理は基本的に当たらない。そして、お姉さんに「可愛いね」とからかわれる。それが日常風景だった。今回もあまり考えなしに言ってしまったから、正解だと言われたところでそれが誰かは分からない。


「君は黒板の隅まで少し歩いて、小さなチョークを手に取った。教室の前側入口でおしゃべりしていたという情報を踏まえると、その黒板の隅とやらは入り口に近いほうのことを指しているね? だったらそこにチョークを置ける人物として、最適な誰かが居るはずだ」

「……窓子ちゃん」

「その通り」


 私とチカちゃんは教室の前側入り口でおしゃべりしていて、そこに窓子ちゃんが帰ってきた。一旦教室に入って、すぐに折り返すという今思えば不自然な動き。それが、あらかじめ持って行ったチョークを返却するためだとしたら、違和感なく説明がつく。


 いや、そもそも……。


「なんで窓子ちゃんはチョークを持って行ったの?」

「君が言った窓子ちゃんのプロフィールに答えがある。君より年上で黒髪で、おっぱい大きくて可愛くて……ふふ、私みたいだね。まあ私は別にどんくさくないし、いじめられそうでもない。本は家に配達させてるから図書室にも図書館にも行かないし、それから――」


 ――――ペンフレンドも居ない。


 私に教えてくれた秘密。

 その秘密が、謎の答えと紐づけされる。


「私の考えた答えはこうだ。窓子ちゃんは、人が少ない時間を狙うために遅くに教室を出ていく。そして、くすねてきたチョークを使って、誰かとメッセージの遣り取りをしている。君に打ち明けたペンフレンドが、その相手だとは言い切れないけど――そういった関係性を好むことは確かだろうからね」


 ゴミ捨て場の付近の地面は、コンクリートになってたはずだ。そこに直接書き込んでいるかは分からないけど、チョークを使って遣り取りできる地点はきっとある。


 お姉さんは言葉を切って、ぐーっと大きく伸びをした。腕が長くて身体も細いから、シルエットが異常に縦長になって猫みたいだ。


「相手が誰なのかまでは、断言することはできないけれど――候補はそう多くないはずだよ。縦割り掃除は週に二回、ゴミ捨ては一回ということだけど、全部のクラスが同じ日にゴミ捨てに向かう訳ではないでしょう? 混雑を避けるためにも、それぞれの曜日に半分ずつのクラスが行うはず。窓子ちゃんが行かないほうの曜日に張り込みでもしておけば、相手の顔が見られるかもね」


「うん……。でも、なんで窓子ちゃんはゴミ捨ての日にこだわるんだろ?」

「ゴミ捨て場の立地だろうね。一人では行きづらい場所にあるからこそ、掃除の日は見張りの先生がついている訳だし。……もっとも、掃除のついでに交流すること自体にロマンスを見出している、というのが本命かなとも思うけどね」


 お姉さんはそう笑ってゲームを再開した。もう語るべきことは無いということだろう。謎解きをするかどうか、解かれた謎をどう使うのか、お姉さんは私に一任してる。それによって私が得しようと傷つこうと、責任は取らないということらしい。


 なら、私は――


「もしこれ以上探りたいたら、ひとつだけ知恵を授けよう。もしかしたら役に立つかもね」


 お姉さんはそう言って、画面を点けたままゲーム機を置いた。暗く調整された液晶の中で、時計をいじっていたのがわかる。


「――――――――――。」


 魔除けのおまじないみたいな内容だったけど、なんでだろう、絶対に役に立つような気がした。お姉さんは薄く笑って、それからなんてことないように言う。


「蒸し返すようだけど――じゃんけんを出来レースにするためには、四人の共犯じゃあ成り立ちにくいと思うけどね……」




 ○○○○○○○




「あれっ、深瑠姫みるきさん。どしたの」


 翌日の放課後。掃除の日でもなんでもなかったけれど、わたしは体育館裏のゴミ捨て場付近まで来ていた。窓子ちゃんとやり取りしている人を見るより早く、推理した内容が真かどうかを知りたかったのだ。


 そして私は、どこか複雑な顔をしたショーコちゃん先生――私のクラス担任であり、教室掃除の監督もやっている先生――と出くわしたのである。


「ああっ、えっと……」


“もしゴミ捨て場の道中で会ってはいけない人と出くわした場合、丁寧に折った便箋を持って行って、それをさりげなく見せなさい”


 私はお姉さんの助言の通りに、何も書かれてない便箋を丁寧に折ったものを胸の高さまで持っていった。ショーコちゃん先生は「あっ」と言って、それからアワアワと両手を前に突き出す。


 その左手が白く汚れていた。


「そ〜〜〜〜いうことか、ごめんごめん、邪魔しちゃったな! 見なかった振りするから……いやー、今の子も変わらないんだね……」


 ショーコちゃん先生は一人で納得して焦って、短いポニーテールをぴょこぴょこ揺らしながらそそくさと去っていった――告白のために呼び出されたふりをした私を残して。


 私はそれに構わずゴミ捨て場へと向かった。細い道でも速度を落とさず、雑草に足をなぶられながら走った。ゴミ捨て場にはゴミ袋を入れ込む大きな箱があって、真っ黒な口を開けていた。背後には背の高い門があった。回収車が入れるようになっているその門が夕日に照らされ影を作って、檻のようだった。


 目的のものは、その気になって探せばすぐに見つかった。巨大ゴミ箱の側面に、白いチョークで文字が書いてある。



〝私たち二人が 大人になったら〟



 名探偵のお姉さんと長く触れ合っていたせいか、私の頭の中には、その真相がありありと流れ込んできた。


 まず、この文字を書いたのはショーコちゃん先生だ。ゴミ捨て場のペンフレンドは、担任教師だったのだ。いま見た左手の白い汚れがそれを示してる。

 お姉さんが言っていた共犯者不足も、先生のことを指していたのだろう。だって、じゃんけんに立ち会っている先生が、窓子ちゃんが負け続けることに違和感を覚えないのはおかしい。


 先生は、相手が窓子ちゃんだと知りながらメッセージを遣り取りしてた。


「う……」


 なら、〝私たち二人が 大人になったら〟という言葉の意味は? 私は文字が書かれた部分を撫でる。その文字に上書きされる前の、窓子ちゃんの言葉を想像する。そこには例えば、こんな言葉があったのではないか。


〝会いたい〟


「うぅ……」


 それを先生は拒否した。それはなぜ? シンプルな答えだろう――教師と生徒が、大人と子供が、取っていい距離感じゃないからだ。

 ショーコちゃん先生はいつも右手で文字を書く。だからこそ、利き手ではない左手を使って筆跡を偽ることで、自分の気配を消していた。同じ小学生のふりをして。近付きすぎることのないように。けど、夢を壊さず、ロマンチックに。


 私の頬を、涙が伝う。


 二人の関係の美しさに? それもある。けれど一番大きいのは、私とお姉さんの関係の醜さのためだ。

 大人と小学生が恋仲になるのはどうしたって犯罪で、だからショーコちゃん先生は適切な距離を取っている。ぎりぎりの場所で留まっている。ショーコちゃん先生が窓子ちゃんを好きかどうかは分からない。けど窓子ちゃんは、見知らぬペンフレンド相手に焦がれているのではないだろうか。会えないまま。正解のまま。


 私たちはどうだろうか。普通に会ってキスをして、その先にまで踏み入っている。点数と謎解きのルールだって、社会からは理解されない。これが明るみになったなら、お姉さんは罪人となる。私が大人になるまでの十年足らずを、お姉さんは待てなかったのだから。


 チョークの文字だけで自分たちを断罪された気分になって、私は泣いた。

 真実を知りたいという好奇心の、代償として。


 泣きながらその場を離れる。




 なのに私はたまらないほど、お姉さんに会いたくなった。

 とりあえず、レターセットを買おうと思った。



 

 



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