(解答編)解決! 30キロおじさん
蒸し暑さに根負けするように目を開けると、窓子ちゃんがこちらを見ていた。
「あ、起きたー。……おはよ」
「お、おはよう……」
窓子ちゃんはもうとっくに目覚めていて、ちょっとサイズの大きいシャツに着替え終わっていた。布団も既にたたみ終わっていて、畳に直に寝そべりながら私をじっと見つめている。
何かを探るように。
「うーん、これはシロかなー?」
「?」
「深瑠姫ちゃん、真夜中のこと、憶えてないでしょ?」
「??」
「じゃー仕方ない、ゆるしたげる」
「???」
「深瑠姫ちゃん、妹というより赤ちゃんだ」
「????」
困惑する私のほっぺを、窓子ちゃんがつんつんとつつく。何か言おうとした矢先、下の階から「朝ごはんできたよー」と声がした。窓子ちゃんの祖母であるせっちゃんの声だ。
「はーい」
窓子ちゃんはさっさと立ち上がり、部屋の入り口へと足早に歩いていく。それからこちらを振り返り、とくべつ大人っぽい顔で微笑んだ。
な、なにがあったというんだ……?
『ふ~ん。なるほどねぇ。なるほどなるほど』
特製ピザトーストを朝ごはんに食べ、歯磨きを済ませてからの休憩時間。私は昨晩のようにトイレに籠り、お姉さんに電話をかけていた。
「ねぇ! 何がなるほどなの?」
『君が眠っている間にしたことだよ。許してもらえてよかったね』
「その……胸に顔を」
『その後にしたこと』
そう言われたところで、一体私が何をしたというのだろうか。私は昨夜、お姉さんに『30キロおじさん』の詳細を送ってからすぐに眠ってしまったのだ。
私が知らないことを、お姉さんだけ一方的に分かっているのがまた悔しい。
「……何点?」
『7000点』
「教える気ないやつじゃん」
『どうだろうね。ただ――30キロおじさんの正体なら、7点で教えてあげよう』
直前に提示された謎からの落差を抜きにしても、まあまあ安めの値段ではあった。もとより、この謎を解いてもらうために長々とメッセを送ってから寝たのだ。その労力に報いるためにも、これを受け入れない手はなかった。
「わかった。じゃあ、天狗様の謎と合わせて、32点借金ね」
『君もずいぶん、この謎解きビジネスの利用に躊躇しなくなったものだね』
お姉さんは揶揄うように言ってから、『さて――』と続ける。
『君は普段、“キロ”という単位を何に使ってる?』
「え? 重さ」
『他に』
「んーと、長さというか……距離?」
『他には?』
「んーと、んーと……」
……あっ。
「――時速」
『そう。欲しかった答えはそれだ』
速さとしてのキロ。たぶん分速とか秒速でも使われることはあるだろうけど、身近なものは時速だろう。たしか○○キロメートル毎時、ともいうんだっけ。説明するまでもなく、一時間に進む距離……つまりは速さを指す単位。
『つまりだね、30キロおじさんが叫んでいたのはきっと、自分の体重なんかじゃない。その道路の、出していい時速の上限――制限速度をアピールしてたんだ』
弱い火花が脳の奥で散った。
…………えっ、ほんとに?
『声を出したり黙ったりを繰り返していたのは、速度を守らない車が現れるタイミングがまばらだったからだ。数字を羅列していたのはきっと、ナンバーを覚えたことのアピールだろうね。30キロという数字にも違和感はない。彼が居た頃は相当な田舎道だったようだし、そのくらいの制限速度が定められるのは自然だろう』
「ああうん、そのへんは納得できるんだけどさ」
一拍置いて、私は尋ねる。
「30キロおじさんは、なんでそんな事してたの? おかしいよね――ルールを破るくらい速く走ってる車の運転手に、おじさんの言葉が聞こえるはずもないのに」
『だからこそだよ、可愛い見習い探偵さん』
かなり鋭い意見だったのに、お姉さんはそれを予期してたかのように滑らかに切り返してきた。いまは電話越しだけど、どんな顔で笑っているかよく分かる。
『制限速度を破っている車に対して、正しい速度を示してやる――この行為自体は、ぱっと見善行だ。正当性がある。30キロおじさんは思い切った大声で良い事をする。しかし相手は聞いていないし、聞いていたところでUターンして轢きにかかるような面倒なことはしないだろうね。
つまりは、ストレス発散だよ。夜中に大声で正しいことを一方的に叫ぶ。相手は反撃してこない。自動車と掛けた洒落ではないけど、ガス抜きのつもりだったのだろう』
海とか太陽に向かって吠えることと似ているのだろうか、と一瞬思った。けれどこっちは聞こえていないとはいえ人に対して言っているし、正しいことをしているようで普通に近所迷惑だ。真似したくはないなと思う。
「なんか……あんま健康的じゃないね」
『さあね。この推理はあくまでも想像だ。30キロおじさんは例えば、制限速度を超過したことで免許がゴールドでなくなった過去があるかもしれない。かつてその辺りで事故を起こして、本気で注意したかったのかもしれない。人間の感情を外側から決めつけることもまた、あまり健康的じゃない』
とはいえ私も、彼のやり方には賛同しかねるけどね――と、お姉さんは付け加える。
「お姉さんのストレス発散方法ってなに?」
『私はあまりストレスを溜めこむタイプじゃないからね。けど強いていうなら、可愛い女の子といちゃいちゃすることかな』
早く会いたいね、とさりげない口調で言われ、私はつい声に出さずに頷いてしまった。窓子ちゃんと一緒に過ごせて満たされているはずなのに、煙草の匂いと甘い匂いの混じったお姉さんがちょっと恋しい。
「あ、あと――30キロおじさんは、どうして居なくなったの?」
『田舎道の草木が刈り取られ、道路も舗装されたタイミングだったんだろう? だとしたら考えられるのは、制限速度の引き上げかな。速く走る車に規則のほうが歩み寄った結果、おじさんは注意しづらくなってしまったはずだ』
開発によって住む場所が無くなった、という説は、ある意味正解だったのかもしれない。実際30キロおじさんは、縄張りであった道路を失ってしまったのだから。相手となる人間が消えたせいで存在できなくなるというのは、なかなかに妖怪的だった。
――けど。
「けど私、おじさんはストレスのない生活を送れるようになったから叫ばなくなった、って答えのほうが好きかも」
『君のくせして優しいじゃないか。いいね、そっちを正解にしよう』
穏やかな声でそう言ってくる。この謎解きに関しては、答え合わせの方法がない。だから、私が納得するものが真実だった。お姉さんが推理した正体も動機も納得のいくものだったけど、せめて結末はいいものにしてあげたかった。
会話がひと段落すると、途端に蒸し暑さを感じた。いま居るのはトイレの個室だ。換気を回しているとはいえ、涼しさをまかなう要素が少ない。
『さて、そろそろ時間かな。この続きや聞き漏らしたことについては、こちらに帰ってきてから聞かせてもらうことにしよう。今は、今しかできないことを楽しんでおいで』
わかった、の「わ」の字を言うため口を開けた瞬間に、お姉さんは一方的に電話を切った。それからわずか数秒にして、トイレを控えめにノックする音が聞こえる。
「深瑠姫ちゃーん? だいじょうぶ? お腹痛かったりするー?」
「あっ、んーん! ちょっとね、考え事してた!」
心配する声が聞こえて、私はとっさに明るく可愛い声で応じる。スマホをポッケに入れて、何も出してないのにトイレを流す。備え付けの水道で手を洗ってから、外に出た。
「ごめんね、ちょっと考え事して、……ひゃっ?」
私のほっぺに、とびきり冷たいものが押し付けられた。ほとんど凍っているそれは、ほっぺの皮にぺとっと貼りついてくる。
「なら良かった。これ食べよ、チューチューアイス!」
「わ。やったー!」
中央でくびれた棒状のアイスが、赤紫と黄色、一本ずつ。どっちがいいかな、と思ったけれど、窓子ちゃんなら分けっこしようって言うだろう。私もそうする方がいい。
縁側への道を歩きながら、窓子ちゃんはこちらの顔を覗き込む。
「ねぇ、なに考えてたのー?」
「天狗様と30キロおじさんの正体についてだよ」
「……それで? わかっちゃった?」
私のほっぺからアイスを引き剥がしながら、どこか神妙な顔つきで尋ねる。私は少しだけ悩んでから、「んーん、」と言って首を振った。
「全然わかんないや。天狗様も30キロおじさんも、案外本当に仙人とか妖怪とかだったりして」
「えへへ、私もそんな気がするんだー!」
窓子ちゃんが私の一番好きな笑顔を見せて、やった、と思った。窓子ちゃんはロマンチストなところがあって、天狗様も30キロおじさんも、その存在を信じてる。あるいは信じたふりをしている。幽霊の正体が枯れ尾花だなんて寂しいじゃないか。
だから私は窓子ちゃんの中の真実を、私の知る真実に更新しなかった。
これがきっと今回の、解かれた謎の正しい使い方だ。
「いい夏休みの思い出ができたねー。まだ始まったばかりなのに」
「ん、私も」
照れたような顔はきっと、夏の日差しに照らされて見られずに済んだ。
二人で食べた安物のアイスは、このお泊り会で一番いい思い出だった。
(第六話:了)
(二日ぶりにお姉さんの部屋に行く回に続く)
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