第十二話:凍りし敵、溶けぬ心

 雅騎がしず達に助けられた時間と同じ頃。

 霧華は、佳穂、エルフィ、御影、光里と共に、とある峠の側にある森の中にいた。


 その森は、異様だった。

 まだ年も明けて一月も経っていないにも関わらず。その森に漂っている冷気は、本来の気温による寒さとは異なっていた。

 周囲の木々の幹の一部が氷漬けになっている。いや……。瞬間、ばらまかれたように飛来する氷の棘が、近くの木の根元や幹に連続で当たると、そこが瞬時に凍りつく。


  ドドドドッ


 小刻みに響く、銃の連射音と共に、飛来する氷棘ひょうきょくを光弾が撃ち落とす。

 銃を撃ち放ったのは、普段見ない姿をした霧華だった。

 片膝を突いたまま銃を撃ち終え、無事第一波を撃ち落とした彼女は、構えた長銃のデジタルサイトから目を離さず、白い息をいた。


 普段どおりに眼鏡はしている。が、スタイルのいいグラマラスなボディラインをはっきり強調した、身体にフィットした黒を貴重としたラバースーツを首から下全身に纏っている。

 頭には機械的なヘッドギアを装備し、そこからせり出たインナーバイザーには、照準やレーダーと思われる情報をヘッドアップディスプレイとして表示している。

 手にする銃は、ドラゴン戦でも使用していた近未来感の強い彼女の愛銃、神々の炎ディバインブレイザー


 これこそが、彼女が戦うときの本来の正装。

 MPPCエムピーピーシー執行人エンフォーサーとしての姿だった。


* * * * *


 MPPCエムピーピーシー

 『Malicious Paranormal Phenomena Closer』の略称を冠したその組織は、その名の通り、悪意ある超常現象、または類似する存在に立ち向かうため、世界各国の政府が極秘裏に存在を許可し誕生した、対超常現象相手の戦闘に特化した組織である。


 悪魔や悪霊、精霊、そして磁幻獣グラジョルトまで。

 様々な人に危害を与える超常的存在に対抗すべく、専用の兵器の所持することが許された特殊部隊。通称『法的執行人リーガルエンフォーサー』を有する組織なのだが。


 霧華はその日本支社の創始者である如月きさらぎ圭吾けいごの一人娘であり、最も実力のあるマスタークラスの執行人エンフォーサーとして、そこで活躍していた。


 彼女が何故、ドラゴン戦で御影や佳穂、エルフィと共に戦っていたのか。

 それは、この組織の一員だからに他ならない。


 勿論、御影や佳穂、エルフィには多少異なる事情や状況から共に戦っているのだが。

 彼女達は既に良き戦友であり、良き仲間として、霧華に力を貸していた。


* * * * *


 何とか自身や仲間を直撃する氷棘ひょうきょくを止めた霧華だったが、それと同時に迫る物があった。

 それは複数の、完全に氷で形成されし、やや大きめの狼達。

 B級危険種の磁幻獣グラジョルト氷狼フェンリルである。


 銃をチャージし直しており即座に動けない霧華だったが、それは想定内。

 まるで息を合わせたかのように。霊刀れいとう朧月ろうげつを構えたブレザーにダッフルコートを纏った御影がその間に入ると。


「消え失せろ!」


 叫び声をあげた、刹那。己の身を二人に分け、狼の群れに突貫する。


 神降術しんこうじゅつ狗狼双閃くろうそうせん


 その身を狗狼くろうの如く躍動させる彼女の素早さは、迫る氷狼フェンリルの比ではない。まるで舞うように刀を振るい、次々にその狼達を一閃し、時に真っ二つにし、砕き、散らす。


 だが。

 それでも未だ、氷狼フェンリルの数は多く、氷棘ひょうきょくもまた、より奥に潜む何者からかひっきりなしに撃ち放たれていた。

 それらが霧華の側に固まっていた、御影と同じ制服姿の、佳穂、エルフィ、光里に向け放たれるも。まるでそれを遮るように、彼女達の前に宙を舞うように幾つも現れたのは、金色の魔方陣、煌光の盾サルファディエル

 それは正確に迫りくる氷棘ひょうきょくを受け止め、打ち砕く。


「棘は私達に任せて! エルフィ、いける?」

『勿論です!』

「分かったわ」


 佳穂とエルフィとのやりとりに頷いた霧華は、姿勢を変えず神々の炎ディバインブレイザーをスナイプモードに変更し、デジタルサイトの倍率を上げると、その奥にいる物を捉えようとする。

 サイトを熱源モードに切り替えるも、その先に生物の熱らしきものを感じない。

 だが、敵は間違いなく、そこにいるはず。

 素早く暗視モードとした彼女は、思わず目を瞠る。


「御影! 正面奥に巨大な氷狼フェンリルよ!」


 直感で敵の根源を見定めた霧華は、堂々と立っている大型の氷狼フェンリル──氷狼王フェンリルキングとも言える存在の額に向け、神々の炎ディバインブレイザーの照準を向ける。

 と、瞬間。殺意を向けられたのに気づいたのか。大きな咆哮と共に、その周囲に、またも氷棘ひょうきょくを大量に生み出し、敵意を向ける者に撃ち放った。

 それは殺意を向けた、霧華に向かい真っ直ぐに向かってくる。


 迷いなく霧華は神々の炎ディバインブレイザーのデジタルパネルに触れ、フルバーストモードに切り替ると、トリガーを引く。

 銃から放たれし、強き熱を持つ複数の光弾。

 それが互いの存在を否定するように氷棘ひょうきょくを相殺する。が、銃の弾が先に尽き、チャージするが生まれてしまう。


「くっ!」


 思わず舌打ちする霧華。

 煌光の盾サルファディエルの合間を狙いし、己の射撃をなぞるように返される氷棘ひょうきょくは、魔方陣に阻まれることなく彼女に迫る。


 だが、その氷棘ひょうきょくは彼女に届く前に、隙間を埋めるように現れし何かに阻まれ、宙に浮いたまま停止した。

 止めた何かに僅かにひびが浮かぶ。それは、花々を模した氷の壁。光里の神降術しんこうじゅつ氷花ひょうかだった。

 二重、三重と並べた氷花ひょうかは同じ位置に打ち込まれし氷棘ひょうきょくの進軍を阻み、ヒビを浮かべつつもそれを受け切った。


 思わず霧華と光里は、同時に安堵の息をく。


「助かったわ」

「いえ」


 短く交わされる二人の言葉。

 それに割って入るように、御影の叫びが届いた。


「光里! 狼はお前が! 霧華、支援を頼む!」

「はい、姉様ねえさま!」

「分かったわ」


 全ての氷棘ひょうきょくを止めきったのを確認し氷花ひょうかを解くと、氷の花々はまるで結晶に戻らんと粉々に砕け、宙に散る。

 同時に。


「咲き誇れ、鳳仙花ほうせんか!」


 光里の声と共に、彼女達を覆うように咲き乱れたのは、神降術しんこうじゅつ鳳仙花ほうせんか

 煌光の盾サルファディエルの隙間を抜け、彼女達に牙を向けようと飛び込む氷狼フェンリルは、無謀にもその花畑に踏み入ると、瞬間。弾け飛ぶ鳳仙花ほうせんかの衝撃を受け吹き飛び、砕かれ、氷の破片となり消えていく。


「凄い……」


 光里の神降術しんこうじゅつを初めて見る佳穂の感嘆の言葉。

 それはエルフィも、霧華も同じ気持ちだった。


「エルフィと佳穂は引き続き氷の棘を。光里もそのまま狼をお願い」


 未だスコープから目を離さず指示を出す霧華に、


『承知しました』

「うん!」

「お任せください!」


 各々に返事をした三人は、緊張感を途切れさせることなく、周囲に未だ存在する氷狼フェンリル氷棘ひょうきょくに集中した。


 一方。

 自身に迫る氷狼フェンリルを斬りつけ、氷棘ひょうきょくを避けながら、御影はその先にありし氷狼王フェンリルキングに一気に迫っていた。


 以前対峙したドラゴンほどではないにせよ。

 人の身長をゆうに超える巨大なる氷の狼の威圧感に、決して気を許せる相手ではないと、彼女はすぐに察する。


 と。

 彼女の接近に気づき、大きく咆哮した氷狼王フェンリルキングは、瞬間。その巨体に見合わぬ身のこなしで、突如木々をなぎ倒しつつ、御影に向かい飛び掛かり、のし掛かろうとした。


「遅い!」


 叫んだ御影は咄嗟にその身を低くすると、より疾き踏み込みを見せた。


 神名寺流みなでらりゅう胡舞術こぶじゅつ閃空せんくう

 神速とも言える踏み込みで跳躍する氷狼王フェンリルキングの腹下を敢えて抜けつつ、霊刀れいとう朧月ろうげつを頭上に構え氷の腹に一閃する。

 が。


  ギギギギィィィィン


 腹に刃が食い込む事はなく、腹をなぞるように切っ先が滑る。


「なんだこの硬さは!」


 地に着地した氷狼王フェンリルキングの背後に抜けた御影は、滑りながら身を翻す。

 と瞬間。彼女は驚愕した。


 氷狼王フェンリルキングは着地した瞬間。前脚を軸にしにくるりと身を素早く一回転さながら尾を横薙ぎし、今までに見せなかった氷の斬撃を飛来させる。


「くっ!」


 御影は咄嗟に朧月ろうげつでその軌道を逸し、何とかそれを往なす。

 そのまま顔だけで逸らした斬撃の行方を見ると。斬撃は木々を二、三本薙ぎ倒し、そのまま闇に消えていった。


 想像以上の威力に、思わず御影はごくりと唾を呑み込む。

 身を翻し、御影に振り返った氷狼王フェンリルキングは、姿勢を低く構えたまま、じりじりと彼女に歩み寄る。それは獲物を狙う狼そのもの。

 巨体がゆっくりと迫る中、視線を逸らさず警戒していた御影は、


「青龍! そろそろちゃんと力を貸せ!」


 そう、強い口調で訴える。

 だが。


  ──『ならぬ』


 青龍は、厳格さを感じる短い一言を彼女の心に返した。


「この状況でもだと!?」


 予想外の返事に思わず動揺した彼女の意識が、敵から逸れる。

 氷狼王フェンリルキングはそれを咎めるかのように。


  ワォォォォォォン!!


 空気を震わす程、大きく咆哮した。

 それに一瞬身を震わせた御影は、慌てて視線を氷狼王フェンリルキングに戻すと。

 咆哮と共に生まれし無数の氷棘ひょうきょくが、自身に向いているのに気づいた。


 と、ほぼ同時に。

 それらは彼女を串刺しにせんと、勢いよく彼女に向かい一気に飛来する。


「くっ!」


 咄嗟に後方に何度か飛びつつ、己を狙いし氷棘ひょうきょくを避けていく。

 が。


「なっ!!」


 足元が氷になっている所で思わず片足を滑らせ、次の跳躍ができず彼女は片膝を突きながら、地に伏せる程低い姿勢で踏み留まった。

 瞬間、頬を掠めた一本の氷棘ひょうきょくが頬を軽く裂く。

 走る僅かな痛みと滲む血に。一瞬御影の顔が険しくなる。

 だが、勿論それでは終わらない。


 まだ襲い来る氷棘ひょうきょくを咄嗟に刀を振りながら弾き、往なすも。

 止むことのない氷雨と共に、彼女の周囲を囲むように駆け込んできたのは、複数の氷狼フェンリルだった。


 動きを止められている中で、狼達まで襲いかかってきては。

 そんな不利な状況を想像し、彼女は冷や汗を掻く。

 だが、それはあっさりと現実となり、氷狼フェンリル達が迷わず横から飛び掛かってきた。


 だが、その瞬間。

 宙を駆けようとした氷狼フェンリル達が、真横から複数の光弾を浴び、一匹、二匹と風穴を空けられ、砕け飛んだ。

 同時に氷棘ひょうきょくから御影を守るように展開されし煌光の盾サルファディエルが、彼女を狙いし棘を受け止める。


姉様ねえさま!」

「御影! 大丈夫!?」


 氷狼王フェンリルキングを避け回り込むように、翼で滑空するように飛来する佳穂とエルフィ、そして白虎に乗った光里。彼女達はそれぞれ御影の前に立つと。同じく木々の影より姿を現した霧華が、御影の横に立った。


「無事かしら?」

「ああ。すまん!」


 氷狼王フェンリルキングから目を逸らさず、頬に垂れし血を服の袖で拭う。

 その姿を一瞥すると、霧華もまた氷狼王フェンリルキングに視線を戻し、


「いえ。私の判断ミスよ。済まなかったわ」


 思わず歯を食いしばるように、悔しさをあらわにする。


 それは、咄嗟の判断……いや。ただ本能に従っただけだった。

 御影に対しあっさりと優勢を見せた王の姿に、脳裏に走る嫌な予感。

 瞬間。真っ先に飛び出していったのは霧華だった。

 それを見て思わず残されし三人は顔を見合わせるも。


『二人共! 霧華に続きなさい!』


 エルフィが咄嗟に機転を利かせ指示を出した事で、判断を誤ることなく、迫りくる狼達を掻い潜り、みなを御影の元に集め、守りきれたのだ。


 氷狼王フェンリルキングがまたも、大きく吠える。

 と、同時に。周囲に生まれし新たなる氷狼フェンリル達が、じりじりと彼女達との間合いを詰め始める。


「やはり、氷狼王あれを討たないと勝ち目はないわね」

「……そうだな」


  ──だが……。


 御影は唇を噛んだ。

 朧月ろうげつの刃が通らぬ相手。そして、青龍は未だ、あの因縁の相手、羅恨らこんとの戦い以降、その力を貸そうとしない。

 残されし技でどこまで肉薄できるのか。それが見えなかった。


 新たなる力を得て、より戦いを優位に出来る。

 そう信じて疑わなかった彼女にとって。

 妹は白虎の力を借り、戦えているにも関わらず、自分はそれが叶わない現実への劣等感と相成り、不安と迷いばかりが心を支配する。


  ──御影……。


 霧華も、事情は分からねど、そんな彼女らしからぬ変化を感じ取っていた。

 だからこそ。彼女は長く白く息をくと。


「私が前に出るわ。皆、支援して」


 そう告げ、みなの前に立った。


「霧華!?」


 その行動に一番驚いたのは御影だった。

 自分が前に出て、彼女に支援を受ける。

 長く戦友として、そんな陣形で戦いをしてきたからこそ。それを崩す連携を取ろうとする事に強く戸惑う。

 霧華は顔だけ横を向け御影を見ると、ふっと笑みを浮かべる。


「たまにはこういう事をしないと、腕が鈍るのよ」


 それは今までの霧華らしからぬ言葉。

 これまでの彼女なら、自分を叱咤していたのではないか。そう御影の心が告げる。

 何があったのか。彼女の頭に、最近耳にしたひとつの噂が浮かぶ。

 だが、今それを言葉にする暇はない。


 敵に視線を戻した霧華は、銃のパネルを触ると、新たなモードに切り替えた。

 数も撃てず、連射もできない。だが、光弾の出力をより高め、高威力を放つチャージモード。

 但し、威力を出す代償は短射程。それを当てるのであれば、必要なのは接射。


「いくわ!」

「うん!」

「はい!」


 霧華の号令に、緊張した面持ちで佳穂と光里が返事をする。

 エルフィは佳穂と共に並び立ち、既に詠唱を始める。

 そんな中御影だけは、はっきりと歯がゆさを顔に出し、返事をできずにいた。


 瞬間。

 真っ直ぐに氷狼王フェンリルキングに駆け出す霧華。

 それを合図としたかのように。氷狼王フェンリルキングは咆哮と共に空に周囲にひょうきょくを生み出し始め。同時に先陣を切るように、氷狼フェンリルが彼女に襲いかかろうとした。


「白虎! 私に力を! 桜風散華おうふうさんげ!」


 叫ぶ光里に。


  ──『はいはーい! やっちゃうよー!!』


 彼女の脇に立っていた白き虎が、心の声に合わせるように隣で一吠ひとほえし、姿を消した瞬間。

 光里の周囲から疾走はしり出した、強き突風があった。

 季節外れの桜の花びらを舞わせながら。


 風は勢いよく森を吹き抜け、飛びかかりし氷狼フェンリルに直撃すると。まるで竜巻のように狼達を個々に空高く舞い上げ、その身を共に吹き荒れる桜の花びらが粉々に打ち砕いていく。

 まるで、死に至る彼等を見送るように。


 竜巻の間を軽快な身のこなしで駆け抜け迫る霧華に対し、氷狼王フェンリルキングは大きく距離を開けるように、後方にとんぼ返りするように飛ぶと、回転の反動を利用し、先程御影を狙ったのと同じ、氷の斬撃を放った。

 同時に、召喚されていた氷棘ひょうきょくが同じく前方から無数に彼女に迫る。


「エルフィ!」

『はい!』


 瞬間。

 三度金色の魔方陣が霧華に迫る棘を止める。

 が、斬撃を遮る煌光の盾サルファディエルだけが現れず、真っ直ぐに彼女を狙い撃たんとした。

 だが。天使達はそれを許しはしない。


 突然。霧華の頭上を超え、光が放たれたかと思うと。氷の斬撃に直撃し、くうで打ち砕いた。


 放たれた、光に見えし物。それは魔方陣同様の文様を纏いし金色こんじきの矢、煌光の矢サルファグレシア

 そしてその射手は、召喚された金色の弓を持つエルフィだった。


 矢はそのまま、くうから着地した反動で身を低くし動けない氷狼王フェンリルキングの額に当たり、激しい閃光を放つ。


 王の額に傷ひとつ入らず。それは敵を倒すには至らない。

 だが、その狙いは敵を倒すことではない。


  ギャン!


 まばゆい光を目の前で視させられた氷狼王フェンリルキングが、後ろ脚だけで立ちあがり、その身を大きくのけぞらせると、思わず前脚で両目を抑える。

 そう。その閃光こそ、エルフィの狙い。


 まるで雅騎が、エルフィの妹、レイアを助けるため、魔壁の盾シルズ・ヘルサ閃光の矢キュディア・ブレムに変え放ったのを模したように。その矢にて、相手の目を眩ませたのだ。


 見事な仲間の連携で得たチャンスを、彼女は逃しはしない。


 霧華は目前の氷狼王フェンリルキングに飛び付くと、顔を抑える前腕に片手を掛け、よりその身を高く舞わせ。くるりと宙で身を翻すと、王の背後、後頭部に浮いたまま銃を向けた。


 刹那。

 迷わず神々の炎ディバインブレイザーの引き金が引かれ、強き光弾が後頭部に直撃すると、相手は頭を一気に弾き飛ばされ。氷狼王フェンリルキングは大地に頭を打つように、勢いよく倒れた。


 銃の反動でより高く空を舞った霧華は、美しい身のこなしで、そのままくるくる回転した後大地に着地する。

 氷狼王フェンリルキングの後頭部には、多少ヒビは入れど、砕けるまでには至らない。

 だが。同時に意識が断たれたのか。王は目を開くことなくその場に倒れ伏していた。


 氷狼王フェンリルキングが倒れて暫しの間を置き。

 その身は少しずつ白き光に変わり、それが細かな光となってゆらゆらと漂い出すと。まるで天に還るように、光は散り散りとなり、ゆっくりと姿を消していく。

 それこそが、戦いの終焉を示す光だった。


 立ち上がった霧華が、安堵のため息と共に、銃を持った手で額を拭う。

 遠間にその安否を確認した佳穂、エルフィ、光里もまた、ほっとしたように互いの顔を見る。


 そんな中。

 ゆっくり立ち上がった御影だけは、彼女達を直視できぬまま、地に目を伏せ、悔しそうに歯を食いしばっていた。


「何とかなったみたいね」


 歩み戻った霧華の見せる笑み。


「うん! 皆無事で良かった!」


 それを見て、佳穂とエルフィも大きく頷く。

 ただ、光里だけはそんな三人と同じ笑みを浮かべることができずにいた。

 彼女は振り返り、姉の歯がゆさそうな顔を目にしてしまったのだから。


姉様ねえさま……」


 心配そうに呟く彼女の声に、はっとした御影は。


「あ、ああ。光里もすごいではないか! あれだけ白虎を使いこなすとはな!」


 心にあるもやもやとした気持ちを、無理に隠して笑みに変え、まるで自分のことのように肩をバンバンと叩き喜んでみせる。

 だが。振り返った佳穂とエルフィも。その姿を見ていた霧華も。褒められた光里も、はっきりと感じ取る。

 その、強い空元気を。


「御影。少しだけじっとしてて」


 そんな彼女の心に触れぬように。

 佳穂とエルフィが御影にゆっくり歩み寄ると、頬の傷に手を添え治癒の光マグスルファを唱える。

 淡い光に包まれた佳穂の手から、彼女の頬に光が当てられ、その傷がゆっくりと消えていく。

 だが、傷は治せど。その心は治せないのか。

 無口になった御影は、僅かに俯き憂鬱さをあらわにした。


 思わず佳穂と光里も、釣られて気落ちした顔になる中。


「何があったの?」


 敢えてその心に触れにいったのは、霧華だった。


 真剣な瞳が御影に刺さる。が、彼女は顔を上げず、周囲の静けさに同化する。

 顔の傷が癒え。すっと佳穂が手を離すと。


「……済まぬ」


 御影は感謝とも、謝罪とも取れる言葉と共に口惜しそうな顔をすると、天を仰いだ。


「皆、変わったのにな」


 ぽつりと、漏れし言葉。

 彼女はひとり、心の中にある嫉妬の炎に苦しんでいた。


 佳穂とエルフィは、以前までの戦いとは見違えるほどの連携で、自分達を守ってくれた。

 光里もまた、神降術しんこうじゅつで四聖獣である白虎の力を借り、見事に霧華の力になってみせた。

 だが、自分だけは未だ、青龍に力を借りることを拒まれていた。

 その理由さえ、語られぬまま。


 そして同時に、もうひとつ変わったもの。

 それもまた、彼女の心のわだかまりとなっていた。


「霧華」


 御影は、何かを決意するように顔を上げ、真剣な目を霧華に向ける。

 久々に向けられし、強い眼差しを静かに受け止める彼女に、御影は問う。


「お前、雅騎と何かあったのか?」


 突然の言葉に。

 朝の出来事を思い出した佳穂もまた、表情に影を落とす。


「……あの噂を、気にしているの?」


 霧華が表情を変えず聞き返すと。


「噂は噂やもしれん。だが……お前は突然変わり過ぎなのだ」


 御影はそういうと、力なく視線を落とす。


「普段のお前なら、私の不手際に皮肉の一つも返していたぞ。そして今だって、普段なら絶対にすぐ否定したはず」


 長らく彼女を見てきた御影だからこそ。

 そのはっきりとした違いを感じ取ってしまっていた。

 そして、そこに重なりし学校の噂。


 彼女は知っている。

 自分とて雅騎と出会い。雅騎と再会し変わったのだ。

 だからこそ感じたのだ。もし事実だとしたときの不安を。 


 改めて顔を上げ、じっと見つめあう御影と霧華。

 そんな二人を見ながら、佳穂もまた、割り切れぬ想いに心苦しくなる。


 エルフィは佳穂を心配そうに見つめ。

 光里は御影を不安そうに見つめる。


 そんな、森の闇と同じ重々しい空気の中。


「私は……」


 霧華は、静かに口を開いた。

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