第三十一話:彼だからこそ
「アイナ。どうでしたか?」
「三階の病棟をくまなく見回しましたが、何処にも」
「え~!? 一階にいなかったよ!?」
「二階にもおらへんですわ」
「……屋上も、いない」
「まったくあいつ! 何やってるのよ!」
「結衣。お主があまりに怒鳴るから、嫌気が差したのではないかのう?」
「
「まあ一理ありそうですけどね」
「良子!? あんたまで!?」
「まあまあ。今はそれ所やありまへんやろ?」
霧華達が病院に到着し、雅騎の病室の前にやって来たのだが。
そこで見たものは、騒がしきメイド達の姿だった。
「何かあったの?」
霧華の言葉に気づき、メイド達が一様に彼女達を見ると、息を合わせたかのように会釈する。
「申し訳ございません。雅騎様の行方がわからないのです」
「「え!?」」
『何時からなのですか?』
静かに問いかけるエルフィに、ナターシャが少し首を捻る。
「私と
「ナターシャの言う通りどす。……あ」
と。相槌を返していた
「
その言葉に皆の視線が彼に集まると。彼は平然とした顔のまま、短く「ええ」と返事をする。
「
振り返った霧華がそう尋ねると。
「いえ。普段通りの雅騎様でしたが」
そう自然に言葉を返した。
「まだ痛みが引いたわけでもありませんし、体力も戻っておりません。それ程遠くには行ってはいないと思いますが……」
「一体、どちらに……」
「速水君……」
「全く! あいつは何をしておるのだ!」
苛立った様子で、御影が拳と掌を胸の前でパンっと合わせる。
そんな中。霧華だけは、じっと
揺らがぬ互いの視線。そして。
「……
霧華が、静かに命じた。
「え? どういう事?」
思わず佳穂が問いかけると、霧華はため息を
「普段通りの彼、なのよね?」
「はい」
「つまり。普段と違い弱っているはずの彼が、普段通りの事をしているのでしょう?」
その答えに皆が唖然とすると。彼だけはひとり、にっこりと微笑むと。
「流石はお嬢様。勘が良いですな」
満足そうに微笑む。
「どういう事だ?」
「……雅騎様は、強き
御影の言葉にそんな例えをした
「できれば彼の邪魔をせぬよう、お願いいたします」
そう言って、廊下を歩き出した。
* * * * *
それは病院を出た
周囲は補強をされているものの。壁や柱の黒ずんだ色や凹み、傷ついた建物は間違いなく、既にそこは倉庫として機能していないと物語っている。
「ここは?」
そのボロボロの倉庫を見て、佳穂が茫然としたまま声をあげると。
「……十年程前に、
それに答えたのは霧華だった。
だが。皆が彼女を見た時、皆は思わず言葉を失う。
霧華は顔を青くし、強い怯えと共に身を震わせていたのだから。
「……ここで、何があったのだ?」
御影は、絞り出すように問いかける。
聞いてはいけないかも知れないと、思いながら。
霧華は、心を落ち着けるように深呼吸をすると。
「私を助けて、雅騎が、死にかけたの」
少し震えた声で、そう口にした。
本来、被害を被ったような倉庫を残す必要はない。
しかし、その理由が
霧華の中に蘇る
己を護るため命を削り、護ってくれた雅騎が血塗れになっていく姿。
ただ泣き叫ぶ事しかできなかった自分。
幼き日の恐怖に、思わず両腕で自らの身を抱え、顔面蒼白となり、震える。
と。
御影が。佳穂が。両隣に立ち、肩を叩いた。
「案ずるな。過去は過去だ」
「そうだよ。速水君は、生きてるんだから」
強く励ます御影。
優しく声を掛ける佳穂。
そんな二人の手と声に。霧華の心が少し軽くなると、何とか気丈に、弱々しい笑い返す。
「……そうね。ごめんなさい。行きましょう」
二人と笑みを交わした彼女は、気を取り直すと、倉庫横の空いた扉から、ゆっくりと中に入って行った。
建物の破損した切れ目から入る光だけが、
不可思議な程神秘的に中をうっすら照らし出す中。残骸を避け。奥に踏み入り。その先に広がる空間に目をやった時。皆は思わず唖然とした。
確かにそこに、パジャマ姿のまま雅騎は存在していた。
だが。それは一人ではなく、二人。
そこでは、本物の雅騎と、彼が
分身の雅騎は拳で突き、脚を振りながら
本物の雅騎は、それを
氷槍の雅騎が反撃をすれば。それを炎を使う雅騎もまた、時に
繰り広げられし戦いは、決して組手とは違う、実戦さながらの鋭さを持っていた。
だが。双方の雅騎は、動く度に顔を顰める。
御影は気づく。
二人の雅騎の気配はひりつくほど本気。
だが、動きに本気を見せた時程のキレがない。
それが、未だ怪我を引き摺っている証拠だと。
佳穂も気づく。
互いに技を避け、受けていないはずなのに。
既に何度も転げたと思われる汚れや擦り傷が、顔や服にある。
それが、ここでひとり、ずっとこの戦いを繰り返している証拠だと。
息を呑む暇すら与えない、眼を奪う鋭き攻防。
だがそれは、突然終演を告げる。
一方の雅騎が
その隙を突くように、踏み込んだもう一方の雅騎の回し蹴りから放たれた
咄嗟に氷槍で受けるも、勢いを殺しきれなかった雅騎は、砕かれし氷槍と共に吹き飛ばされると、そのまま大地に叩きつけられ、仰向けに倒れた。
それが合図となったのか。
炎を操りし立っていた雅騎の姿が消え、彼はその場で独りとなった。
はぁはぁと苦しげに大きく息を吸い、吐いた雅騎は。
「くそっ」
天を向いたままそう吐き捨てると、思った以上に自由の利かない身体に、悔しげな顔をする。
「速水君!」
『雅騎!』
「雅騎!」
「雅騎様!」
疲弊し倒れている彼に、思わず佳穂が。エルフィが。御影が。光里が。彼に向け駆け出す。
その声にはっとすると、雅騎は痛みを堪え、上半身を起こした。
「
フェルミナの忠告を聞かなかった皆を見て、無理矢理呆れ笑いを見せようとするも。未だ身体を蝕む痛みは堪えられなかったのか。またも顔を歪め、思わず腹を抑える。
「馬鹿者! 何を無茶しておる!」
三人が彼の前に立った矢先。叫んだのは御影だった。
『本当です。佳穂も皆様も、本当に心配したのですよ』
戒めるように、エルフィもそう言葉を続けたのだが。雅騎は、少しだけ真剣な顔をし、胸の前で握った己の拳を見つめると、こんな事を口にした。
「でも、強くならないと、いけないから」
瞬間。そこにいた者達は、またも唖然とした。
今までに彼から、強さを欲するような言葉など聞いた事がなかったのだから。
雅騎は、静かに語る。
「如月さんが拐われたのも、助けるのに俺が傷だらけになったのも。
目を細め。ふっと優しげな顔をする雅騎。
それは、本音だった。
彼女達を戦いに巻き込んでしまうかもしれないのであれば。
彼女達を護り抜き、生きる運命に導く為に。
彼女達を苦しめず、哀しませない為に。
強くなりたい。
そう思っていた。
──貴方は……。
そんな彼を見て、霧華の胸が熱くなる。
きっと。ずっと。こうだったのだろう。
彼はただ、誰かを護り。誰かの為に強くなろうとしてきたのだろう。
きっと彼は、この先も誰にも心配をかけまいと。その癖、皆を護ると必死になるのだろう。
だが。
それこそが雅騎。
己が愛した雅騎。
だからこそ。
「それにしたって無茶よ。痛みも引いていないし、身体だってまだ弱ったままじゃない」
敢えて苦言を呈しながら、彼女は彼等に歩み寄る。
そこにある矛盾を咎めるように。
「まったく。こういう無茶も皆が心配すると覚えておきなさい」
「……ごめん」
きつい言葉に苦笑しながら謝った雅騎だったが、それで腹の虫が収まらない者がいた。
「謝って済む問題ではない!」
叫んだのは御影だった。
今の戦いを見て、彼女はやっと答えを知った。
母、
──きっとお前は、こうやってずっと独り、強くなろうとしたのだな。
痛いほど分かる。
強さなき者の苦しみを。
強くなろうとした彼の決意を。
だが。だからといって、それは無茶をして良い理由にはできない。
惚れた男だからこそ。彼を心配するからこそ。
彼女は強く叫んだ。
「お前は大馬鹿だから、はっきり言ってやる! お前はいつも一人で抱え込み過ぎだ! 確かに私は頼りなかったかもしれん! だが、それでも頼れ! もう独りではないと思うなら尚更だ!」
「そうです!
強い言葉を続けた光里は思う。
──きっと、まだまだ私達が頼りないのですよね。ですがきっと、どんな時でも貴方様の期待に応えられるようになりますから。
自身の力不足を強く感じたからこその決意。
皆が雅騎を好きだと知ったからこその決意。
両腕を組み見下ろしてくる御影と、真剣な瞳を向けてくる光里に、彼は困ったように頭を掻くと。
「本当だよ。さっきだって病室に速水君がいないって、メイドさん達も必死になってたんだから。
佳穂も珍しく苦言を呈しながら。しかし、雅騎に優しく微笑んでいた。
──きっと速水君だから、
時に優しく笑顔を見せ。時に必死に護ってくれる。
自分がそんな彼に心惹かれたように、皆が雅騎に惹かれる。
それはきっと、仕方ないこと。
そして。同じ想いを共感できるからこそ、皆が心配する気持ちも分かる。
だからこそ。
この初恋が叶うかなんてわからないけれど。
今は皆と。雅騎と。一緒にいたい。
彼と共にありたいと、改めて思う。
「今戦うことになっても大丈夫だよ。私とエルフィも一緒だから。ね?」
『勿論ですよ』
「私や
「無論だ! だからこそ無理ばかりするな!」
「御影と意見が合うのは癪だけど、同感ね」
「霧華。お前は相変わらず一言多いぞ」
急に騒がしくなる彼女達を、
それを遠間に見ながら。
「本当に、雅騎様は皆に慕われておりますな」
「そうですね」
「ほんま雅騎はん、かっこええわ~」
「ま、まあ確かに。かっこいいわよね」
「……間違いなく、同意」
「しかし、スピカまでもがここまで食いつくのも珍しいのう」
「そういう
「確かに」
「つまり。
雅騎に
普段以上に騒がしい背後に、
こうして。
運命を変え、変えられた者達は。互いに笑顔を見せ、今ここにある安寧を、改めて噛みしめるのだった。
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