第十話:帰り道には危険が付き物

 日も落ちて、すっかり気温が冷え込み出したその日の夜。


 バイトも終わり、バックヤードでブレザーに着替えた雅騎が、何気なしにスマートフォンの画面を見ると、そこに残っていたのは不在着信とMINEの通知だった。


 着信相手は霧華。

 電話をしたが留守電だった為だろうか。MINEにこんなメッセージが残っている。


『今晩は帰りが遅くなるから、貴方は気にせず先に休みなさい』


  ──帰りが遅い?


 書かれていた現実に、雅騎は真剣な顔をした。

 彼女は如月家の支援を受けられないはず。そんな中で帰りが遅くなる要素は何なのか。

 そう考えた際、真っ先に浮かんだもの。それは、将暉まさきの存在だった。


  ──大丈夫なのか?


 そう不安に思うものの。自ら理由を告げず、しかし自らの意思で送ったであろうメッセージに、いきなり首を突っ込める訳ではないとも思っていた。

 何故なら。彼とて霧華の全てを知っているわけではないからだ。


 数少ない女友達と一緒に過ごしているのかもしれなければ、別に込み入った用事ができたのかもしれない。最悪、ドラゴン戦あの日のような戦いに身を投じている可能性だってある。

 多くの理由が有り得る中で、己の不安だけで心配するような言葉を掛けるのは、どうにも気が引ける。


  ──まあ、信じるか。


 彼は短く『分かった。気をつけて』とだけ返すと、スマートフォンを制服のポケットに仕舞い、鞄とコートを手にバックヤードを出た。


「それじゃ、俺はこれであがるね」


 店のカウンターで、最後の仕事である帳簿を付けていたフェルミナに向けそう声を掛けると、彼女は帳簿から顔を上げ、にっこりと微笑む。


「気をつけて帰るのよ」

「ああ。フェル姉も程々にね」

「ありがとう。あ。あと後」


 ふっと、何かを思い出したような顔をした彼女は。


「彼女と仲良くね」


 最後に、またもにっこりと笑みを向ける。

 裏にある下心を感じ。雅騎は何処か不満げに頭を掻くと。


「そういう事ばっかり言うフェル姉は、好きじゃない」


 そう思わず本音を口にした。

 勿論それをからかってやっているであろう事は理解しているのだが、やはりそういう煽りは、何処か反応に困る。

 彼の言葉の真剣味を感じたのか。


「ごめんごめん」


 フェルミナはそう言って、思わず苦笑する。

 だが、直後。その表情を優しげなものに戻した。


「でも、家で預かっている間位、ちゃんとして、力になってあげなさい」


 そこにも含まれし、同じ言葉。

 だが、長年フェルミナと交流のある雅騎だからこそ、その同じ言葉の違う意味を理解したのだろう。


「大丈夫だよ。あと四日半分だしさ」


 ふぅっとため息をいた後、改めて笑顔を返した雅騎は、


「それじゃ、お先に」

「お疲れ様」


 互いに短い挨拶を交わすと、静かに店を出た。


 外は月まで綺麗に見える夜。澄んだ空気が、より真冬の寒さを際立たせるのか。

 店の脇にある駐輪スペースで思わず身を震わせた彼は、そそくさとコートを着込み、鞄から手袋を出して付けると、自転車にまたがり店を離れた。


* * * * *


 自転車を漕いだ雅騎は、そのまま真っ直ぐ家に帰る事はせず。一度下社駅しもやしろえき前に向かうと、スーパーに寄り食材を買い足していた。

 店から出て、エコバッグを肩から掛け、自転車を止めた駅前駐輪場に戻ろうと大通りを出た時。


「お前が、速水雅騎か?」


 突然。聞き覚えのない男の声が背後からかけられた。

 ゆっくり振り返った彼の視線に映ったのは、三人の屈強さを感じる男達。

 社会人だろうか。それぞれ思い思いのラフな服装をしているが、はっきりと分かるのは、その筋骨隆々な身体。そして、目に見えて悪い目つき。


 口を閉じたまま、真剣な顔で威嚇する者。あざ笑うようににやける者。その二人に挟まれた、彼等より一回り背の高い、顔に目立つ傷を浮かべた男は、彼の無言を肯定と捉えたのだろう。


「悪いが、少々つらを貸してほしいんだが」


 静かな声でそう口にする。 


「俺は皆さんを知りません。貸す必要なんてないかと思いますけど」


 何食わぬ顔でそう返す雅騎だったが。


「如月霧華の話、と言ったら?」


 表情を変えずそう告げる中央の男の返しに、彼は眉をぴくりと動かした。


 答えは返していない。

 だが、彼の気配が一転したのを彼等も感じ取ったのか。にやけていた男の顔が引き締まる。


「付いて来い」


 そう言い、背を向けた三人が歩き出す。

 雅騎がその危険誘いに、踏み込まないはずはなかった。


* * * * *


 案内されたのは、大通りを外れた、飲み屋などが多い歓楽街の雑居ビル外の裏手。

 丁度新たなビルを建築している最中の、周囲に人気のない工事現場の敷地内に、三人と雅騎は向かい合い立っていた。

 街灯の光もここまでは届きにくい為、互いに薄っすらとした相手の気配だけが見て取れるだけ。


「如月さんの件って何ですか?」


 先に口を開いたのは雅騎だった。

 怒りを見せてはいないが、凛とした、怯えなど感じさせない表情は、既にただの学生ではない。

 だが相手とて、その程度で怯えるほど柔ではない。


「至極単純な話だ。如月霧華と縁を切れ」

「縁も何も。同じ学校の生徒なだけですが」

「だ~から。そういうのも縁って言うんだよ。学校で習わなかったか?」


 雅騎の聞き分けのなさそうな台詞に、早くもいらいらし始めたのか。先程へらへらしていた男は、現場の床に残されていた大きなハンマーを、片手で軽々と手にし、肩に担ぐ。

 だが。


「習いませんでしたけど」


 またも彼は、相手を意に介す事なくさらりと否定する。


「お前なぁ!?」


 あまりにも生意気に感じたのか。ハンマーを持った男が思わず前のめりになり、飛び出しそうになる。

 だが。


「お前は黙れ」


 そう中央の男に言葉で制され、渋々踏み留まった。


「答え次第では、どうなるかは分かっているな?」


 淡々と語る顔に傷を持った男に合わせるように、寡黙な男が指をポキポキと鳴らす音が届き、空気がより緊張したものに変化していく。


「如月さんに、手を出したんですか?」


 静かに問い掛ける雅騎の気配もまた、一気に変わる。

 三人は、その気配に自然と身構えた。


「俺達はお前の事を頼まれただけだ。如月霧華に手を出すつもりはない」

「誰に頼まれたんですか?」

「わざわざ言うことでもないが。多少は心当たりもあるんじゃないか?」


 静かに交わされる言葉の裏に浮かぶ人物。


  ──十六夜いざよい先輩、か……。


 彼はすぐ、当たりを付けた。


  ──「いい? ああいうタイプは目を付けられると面倒よ。下手な世話を焼くと、貴方が苦労するわよ?」


 霧華の忠告が脳裏に過る。

 この状況こそが、彼女が言っていた答えなのだろう。


 だが。まだ確証があるわけではない。

 そしてこの状況を、彼女が知らない可能性もある。

 そうだとすれば。霧華はこの件を一生知らずにいるほうが、幸せなのかもしれない。


「で? 答えは?」


 三人の気配に明確な殺意が加わる。

 それは何時でもお前を倒せる。そう強く訴えかける脅し。

 雅騎はひとつため息を漏らすと、戦う覚悟を決めようとした。その時。


  キュイーン


 四人の耳に聞き慣れない、耳障りな高い電子音が耳に届いたかと思うと、瞬間。ビリビリっという放電と共に、一帯が一気に真っ暗になった。

 文字通り、真っ暗に。


「な、何だぁ!? ガッ!?」

「む……グッ……」

「これは!? ゴフッ」


 突然の暗闇に男達が狼狽うろたえ戸惑いの声を上げたかと思いきや。呻き声をあげ、バサバサっと倒れる音がした。


 雅騎は複数の新手の気配を察し、闇の中、正確に最も近い相手に素早く向き直り、咄嗟に身構える。

 だが。


わたくしです」


 落ち着いた女性の声を耳にした瞬間、それが杞憂だと知る。


「あなたは? 何でここに?」

「お話は後です。こちらへ」


 女性が雅騎を導こうと手を取ろうとする。が、彼はそれを避けると。


「走ってください。付いていきます」


 そう、しっかりと言葉にした。

 彼女はその言葉に納得したのか。


「分かりました」


 殆ど音らしい音も立てず、女性が。そして他の者達が追うように続き。雅騎もまた、彼女達と共に暗闇に支配されし、ビルの谷間を駆け抜けていった。

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