第十三話:闇を照らす灯台
既に午前一時を過ぎ。
戦いを終え、帰宅時の格好に着替えた霧華は、佳穂、御影、光里とは別の車に乗り、雅騎の家に向かう車の後部座席で、より闇が強くなった町並みを眺めていた。
とても冴えない表情で。
彼女はあの時。
御影達にはっきりと告げた。
「彼とは本当に、何もないわ」
それは一部は嘘だが、残りは本当……なのだろうか。
──私は、速水の事を……。
どう思っているのか。
霧華はそれが少し、分からなくなっていた。
過去に助けてくれた恩人だと思っていた相手。
だからこそ、当時を感じさせる優しさに安堵し。どこか心を許していた自分がいた。
だが、昨日の
──「小さい時に助けてあげたんだ。まさかその事を、忘れてはいないよね」
最もありえない相手が、知らぬはずの事実を口にした時、動揺を抑える事ができなかった。
父にはっきりと違うと断言したのに。
本当に昔の恩人は、権力に溺れ、権力と共にある者となってしまったのか。
父はその真実を知り、その言葉を口にしたのか。
──「……もし。
改めて心に浮かぶ父の言葉。
未だその答えを持てぬ中で突きつけられし現実。
それが、心を揺らがせる。
そして。
もしそうだとしたら、雅騎は一体何者なのか。
そんな想いもまた、より強くなった。
たまたまドラゴン戦で助けてくれた、異能の者なだけなのか。
だとすれば何故彼は、自分達のためにあそこまでしてくれたのか。
今もまた、何故ここまで助けてくれるのか。
そんな相手への疑問と。
自分は何故ここまで、彼と共にあることに安心しているのか。
ただ、彼の優しさに助けられているだけなのか。
それとも……。
そんな、自身の気にしていなかった想いが、強く気になりだしていた。
「まもなく到着いたします」
町並みが最近見慣れた景色に変わり始めた頃。
そんな渦巻く思考を遮るように、静かに
「ええ。わざわざありがとう」
「いえ。本日は突然のお呼び立て、大変失礼しました」
「良いのよ。貴方が私の助けが必要と判断した。そういう事なのでしょう?」
「恐縮にございます」
バックミラー越しにちらりと霧華の表情を眺めた
「あと三日でございます。もう暫くご辛抱を」
「……ええ。そうね」
彼の言葉に、無意識に淋しげな笑みを浮かべた霧華は、ふとそれに気づき、小さなため息を漏らす。
──私は、嫌なの? 彼との日々が……。
心で大きくなる疑問。
残念ながら、それは既に夜も更けた街同様、闇で道の見えない自問として、彼女の心を巡り続けるのだった。
* * * * *
雅騎のマンションの前で、霧華は車を降りると、彼女は側でドアを開け立っている
「それでは、失礼いたします」
静かに後部座席のドアを閉めた彼が、丁寧に会釈する。
「ええ。気をつけて帰りなさい」
「はい。では」
外は未だ寒い。
冷えた空気に僅かに身を震わせた彼女が、無意識に五階の雅騎の部屋に目を向けた瞬間。
──え!?
思わず驚きを浮かべた。
周囲の家は既に就寝しているのか。どの部屋も電気が消えているにも関わらず。
まるで夜に海を照らす灯台とでも言わんばかりに、その部屋は
思わず、霧華は駆け出していた。
エレベーターに乗る事をのも忘れ。階段を一気に駆け上がり、玄関の鍵を開けドアを開く。
出迎えたのは、夜の闇を吹き飛ばす明るいキッチンと、居間の引き戸の隙間から漏れている光。
玄関を閉め、靴を脱ぎ、家に上がるとゆっくりと歩き出す。
そして、キッチンに足を踏み入れた時。
すっと、静かに居間の引き戸が開く。
そこにいたのは当然。
「速水……」
「お帰り。寒かったでしょ?」
明日も学校があるだけでなく。雅騎が御影との朝稽古もあり、より早起きなのは知っていた。
だからこそ、こんな時間まで起きていると思わなかった。いや、寧ろ何故寝ていないのかと、強く感じる相手が、優しい笑顔で出迎えている。
「晩御飯とかは済ませてる?」
「え?」
その問い掛けに、彼女ははっとする。
夕方、
彼女はそれを承諾し、直様現場へ移動を開始していた為、夕食を済ませてなどいない。
実際、戦いへの緊張感や、色々な考え事が空腹など忘れさせていた為、彼の言葉を聞くまで、しっかりその存在すら忘れていた程。
「まだなら準備するけど」
すぐに反応がない事から、何か察したのか。
気を利かせるようにそう口にした雅騎だったが。この時間では、彼への負担が増えると感じた霧華は。
「……いえ。結構よ」
少し間を置き、遠慮するように答えを返した……のだが。
ぐぅ~っ
残念ながら、身体は正直だった。
思わず顔を赤くして俯く霧華に、ふっと笑みを強くした雅騎は。
「じゃあ、軽く何か作るね」
そう優しく返すのだった。
* * * * *
──わざわざ待っているなんて……。
先に風呂を済ませ、居間でテーブル前に座ったパジャマ姿の霧華。
頭に巻いたバスタオルで髪を乾かす事も忘れ、彼の行動の一部始終を振り返り、落胆したようにため息を
それは彼を責めるものではなく、迷惑をかけているという自身への反省に向けられしもの。
「少し時間掛かるから、先にお風呂でも入ってて」
彼に先んじてそう促されたのだが。
更衣室には既にバスタオルが準備され、湯船もしっかり張られ、風呂も温められていた。
風呂を終え、着替えた後に居間に入れば。
雅騎が寝るために敷くべき布団は未だ隅で畳まれており、居間は普段通り、二人がくつろぐスペースが確保されていた。
暇つぶしだったのか。
テレビに映るのは、最近CMが多い流行りの高難度アクションゲーム『闇の魂 弐』をプレイしている画面。
それらは全て、彼がただじっとここで、彼女を待っていた証。
「お待たせ。ごめんね、遅くなって」
考え事に
トレイに何かを乗せ運んできた彼は、バイト先で見せるような、手慣れた動きで彼女の側に腰を下ろすと、順に皿や器をおろし始めた。
食べやすい大きさのフランスパンがふたつほど載った皿。
ミネストローネの注がれた器。
サラダが盛られし皿。
そして温かなダージリンティーの入ったティーカップ。
軽食っぽさを感じる食事は、二名分それぞれ座る場所に置かれていく。
「貴方も食べるの?」
「うん。ゲームに夢中になってたら、晩飯食べるの忘れてて」
「まったく。何やってるの? 早く寝なさいってメッセージを残したでしょう?」
「まあまあ」
苦笑しながら
本心は、心苦しいものがある。
だが、敢えてそれに言及はしない。もし自分がまた弱気な気持ちを見せてしまえば、彼に迷惑をかけてしまうのが分かっていたから。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます」
全てを並べ終えた雅騎は、両手を合わせそう言葉にすると、彼女もそれに続く。
彼女は最初にスプーンに手をかけ、温かなミネストローネを口に運ぶ。
トマトの酸味に玉ねぎなどの野菜の甘味。そして程よい塩気と温かさ。
それが、彼女の身体に染み渡る。
味に満足しつつ、静かに食べ進めていると。
雅騎は突然、パンを手で千切るとミネストローネに少し浸し、それにかぶりついた。
「あら? 随分とはしたないのね」
彼女の普段経験する食事では考えられない、決して褒められるようなものではない行動に、思わず苦言する霧華だったが。
「庶民はこういう楽しみ方もするの。俺しかいないんだし、試しにやってみなよ」
少し頬を掻いた雅騎は、逆に笑顔でそう促してきた。
少しの間、彼を怪訝そうに見ていた霧華だったが、ふうっと息を
そして彼に習うように、パンを千切り。ミネストローネに浸し。それをゆっくりと口にした彼女は、次の瞬間、少し驚いてみせた。
確かに。
硬さを抑えるように染みたミネストローネの味が、パンの独特の食感と共に、また違った世界を提供していた。
一瞬の表情の変化を見逃さなかった彼は、少しだけ自慢げな顔をする。
「どう? 案外いけるでしょ」
「……確かに。中々悪くないわね」
相変わらず素直でない言葉だが、雅騎はそれで十分満足したのか。
安堵した笑みを浮かべた。
「面白いでしょ? こういう世界を知るのも」
「……そうね」
霧華も、そんな彼の表情に優しい笑みを返すと、二人は他愛もない雑談をしつつ、遅い晩飯を食べ進めていくのだった。
* * * * *
「それじゃ、おやすみ」
「ええ。おやすみなさい」
晩ご飯を済ませ、歯を磨き、髪も乾かし。寝る支度も整えた霧華は、洗い物を終えた雅騎とキッチンで別れ、寝室に戻った。
既にここで過ごして数日。
慣れた動きでベッドに潜り込み、ベッドテーブルにあるリモコンで電気を消灯すると、眼鏡を外し、彼女は横になる。
独りになったせいだろうか。
今日の出来事が改めて頭に浮かぶ。
だが。
──結局、何も聞いてこないのね。
彼は一緒に過ごす間に、一家に帰るのが遅くなった理由を尋ねてはこなかった。
ドラゴン戦を知る彼だからこそ、似たような出来事があったのだろうと推測しているのかもしれない。
だとしても、だ。
──気を遣い過ぎなのよ、貴方は。
独りでいさせることを初日に拒んだ彼らしくない反応に、霧華は無意識にはにかんでしまう。
そして、気づけばここ数日の雅騎を、自然と振り返っていた。
食べ物も。生活も。
自身の事で色々と迷惑をかけているはずなのに。それを責めも、面倒だと愚痴る事も一切せず、笑顔で色々と教えてくれた。
そして。
踏み込むべきところに踏み込んで、気を遣いながら。同時に触れてほしくない所には踏み入らない気遣いを見せてくれる。
結局。
普段と違う生活で、普段と違う負担もあるはずなのに。彼だけは何も変わろうとせず、普段通りの気遣いと優しさを向けてくれる。
そんな雅騎らしさは、普段学校でも人と距離を置き、一人静かにしていたいと思っていた彼女に対してすら、一緒にいる事での安らぎを感じさせる。
……と。
霧華は、はっとした。
家に帰るまではあれほど不安で、迷っていたはずなのに。
今の自分は、そんな気持ちすら完全に忘れていたことに。
──そういう事、なのね……。
そう。
彼女は気づいてしまった。
家にいれば、
しかし。彼等といる中で、ここまでの
それは、何処か如月家というものに縛られ、如月家の令嬢として振る舞わなければならない緊張感を常に感じ、その意識を持たされていたから。
しかし雅騎は違う。
図書委員で、彼と話すようになったのも。
何処か他の男性とは違うと感じたのも。
今回の件で助けてもらった時、彼の言葉に従えたのも。
それは、相手が優しき彼だったからだ。
彼が側にいることに気づけば安堵し、安らぐからこそ、今も彼の側で、自分はこれだけ落ち着いていられるのだと。
そして。そんな安らぎに安心しているからこそ、自身もこんな短い期間で変わっていったのだと。
彼女は気づかされた。
──もし、私が誰かを
数日後。
彼との別れと共に、向かわなければならないその場所に、もし立ってくれる者があるとしたら。
それを、自分の意志で決めなければならないとしたら。
今、選べるのはたったひとり。
自身が迷わず、望んで選べるのは、たったひとり。
──でもそれは、きっと……。
霧華はふっと、淋しげな顔で体ごと横に向く。
それはただ、雅騎の迷惑にしかならず。
それはただ、雅騎の良心に付け込んでいるだけ。
それが一時しのぎの場だとしても。
彼が望まないであろう事に巻き込み、これ以上彼の負担になるのは、心苦しい。
今まで一人の男子を相手に、ここまで心を痛める事などなかった。
だからこそ。彼女はより強く心を痛め。思わず悔しそうに、瞳を涙で潤ませる。
運命を決めるまで、あと三日。
彼女の心は、まだ迷っていた。
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