第十七話:素直な心で
翌朝。
二人共、学校を休んでいた。
雅騎は朝稽古すら休む徹底っぷりで。
表向きは、雅騎は風邪。霧華は家の私用。
だがそれは、噂が消えかけた学校を震撼させた。
「たまたまじゃないのか?」
「でも、偶然にしては出来すぎじゃない?」
「噂を否定した矢先に、疑われる真似しねーんじゃねーの?」
そんな話題で学校内がもちきりとなる中。
当の本人達と言えば……特急電車の中にいた。
マフラーとコートで防寒した、白基調の霧華と黒基調の雅騎。
「これ、案外いけるね」
席に並んで座った二人。
二列のシートの通路側に陣取る雅騎は、未だ怪訝な顔をしている霧華を差し置いて、楽しそうに駅弁の幕の内弁当を頬張っている。
と、その痛い視線に気づいたのか。
「如月さんも早く食べなよ。お腹空いちゃうよ?」
一緒に買ったペットボトルの温かいお茶をぐびっと飲んだ雅騎は、そんな気遣いを見せる。
だがそれは、彼女の表情を変えることはない。
「随分悠長ね。今頃学校大変なことになってるわよ」
「別に。今までと一緒だよ。ちゃんと否定すればいいって。それよりほんと、美味しいよお弁当」
霧華の心配も意に介さず。彼はそう言うと、中に入っていた弁当にしては立派な鮭に箸を伸ばすと口に放り込んだ。
既に電車に乗って十分。
昨日の意味深な一言から、半日は経っているにも関わらず。
霧華は目的を全く告げられず。今日は学校休んで付き合ってもらうと宣言され、無理矢理ここまで連れてこられてきていた。
あの後。
雅騎のどこか淋しげな色は一転。普段通りに振る舞っている。
その急な変化に気持ちが追いつかない彼女は、未だ心がふわふわとしたまま、苦言を呈しながらも彼に従っていた。
──……まったく。
あまりに我儘な行動に、不貞腐れた彼女が開けていない弁当を太ももの上に乗せたまま、窓の外を見てため息を
既に車窓から見える景色は、快晴の中、太陽に照らされはっきりと見える、多くの自然に囲まれた山々や、のどかな畑の景色に変わっている。
何処に行くかも分からぬ、突然の二人旅。
昨晩まで迷っていた心すら忘れ、彼女はただ呆れたため息を漏らすばかりだった。
* * * * *
それから数時間掛け電車を乗り継ぎ。
人気の少ない山奥の駅を降り、タクシーで二十分程。
昼前に二人がたどり着いた場所。
それは、とある霊園だった。
既に掃除も終え。仏花を添え、線香も上げ。
雅騎は足を閉じしゃがんだ体勢で。霧華は立ったまま。その墓に向け手を合わせていた。
墓石に刻まれし、『
それは数ヶ月前、雅騎が目にした光景。
だが、霧華にとっては初めて見る場所。
拝み終えた霧華が、隣でしゃがんでいる雅騎を見る。
彼もまた、拝み終えて、じっと墓石を愛おしそうに。寂しそうに。眺めている。
「何故、こんな所に?」
彼女は未だ、こんな所に来た理由が未だ分からず戸惑っていた。
少しの間、返事はなく。ただ静かに、ほんの僅かに頬を撫でる風だけが、現実だと伝えるように、彼等に優しく吹く。
そんな中。
「昨日、知りたいって言われたから」
そう笑った後。
「俺、小学校の頃は親の都合でよく転校してたんだけど。ある学校に転校した時に、出会った子がいたんだ」
彼はこんな話を語り始めた。
「その子は髪の色が白いってだけで、皆から仲間はずれにされててさ。俺はそれが許せなくて、転校した矢先、その子に絡んでは一緒に仲良くしてたんだ。最初は俺も皆から一緒に仲間外れにされてた。だけど俺はそれでも彼女といて。彼女を笑顔にしようって、親に教わった手品を見せたり、色々話をして。少しずつ笑ってもらって、話してもらえるようになった」
すっと、雅騎は立ち上がる。
視線は墓に向けたまま。少しだけ辛そうな笑顔で。
「子供って現金でさ。俺の手品とか、楽しく話す姿が気になったんだろうね。少しずつ興味が強くなったり、罪悪感を持ってた子達が歩み寄ってきてさ。『俺達にも手品を見せてほしい』。『私達も、話をしても良い?』って。気づけば、彼女の周りにも人が集まって、気づけば皆で仲良くするようになったんだ。俺はそれが凄く嬉しかった。でも同時に男子が彼女に話しかけるのを見ると、不安と切なさを覚えてさ。それで気づいたんだ。俺、彼女を好きなんだって」
雅騎は、話を区切るようにひとつため息を漏らすと、天を仰いだ。
「秋も深まった頃にさ。俺は彼女に、二人っきりで遊びに行こうって誘った。彼女も凄く嬉しそうに頷いてくれて。日曜日の昼に駅で待ち合わせをしたんだ。だけど……時間になっても、彼女はこなかった」
震える声を聞き、彼を見た瞬間。
霧華ははっとする。
彼は、切なげな顔で、泣いていた。
「携帯に掛けてもつながらなくて。メールを送っても反応もなくて。夕方までずっと不安のまま待ってて。そしたら突然、彼女の父親から電話があったんだ。彼女が遊びに来る途中、交通事故にあったって。そして、待ち合わせ場所に来たお父さんに釣れられて、彼女の病室に行ったら……彼女は人工呼吸器とか沢山付けられて、ベッドに寝かされてて」
感極まったのか。涙声になり。辛そうに目を細め。より悔しげに顔を歪ませ。
それでも彼は、見えない何かを天に見ているかのように、じっと空を見続けていた。
「必死に名前を呼んだら、目を開けて、無理にこっちに微笑んで言ったんだ。『待たせて、ごめんね』って。弱々しく、ゆっくり伸ばす手を掴んだらさ。こんなことまで言うんだぜ。『最期に逢えて、良かった』って。ふざけるなって思った。必死に嫌だって叫んだ。生きてって叫んだんだ。だけど彼女は、最期に『ありがとう』って口にして……」
声が、掠れ、消えた。
涙が、止まらなかった。
そんな彼の心の痛みを感じ、霧華も瞳を潤ませる。
それは自身が幼き時、母の死や瀕死のマサキを見た時と同じ。失う恐怖と哀しみ。
大きく息を
「……俺は、目の前に自分のせいで事故にあった彼女がいたのに、結局声をかける以外、何もできなかった。助けられなかった。だから今でも怖いんだ。手が届く人を助けられないのが。そして、助けられずに後悔だけはしたくないって、ずっと過去に縛られてるのさ」
そう言うと、身体ごと霧華に向き直った雅騎は、ポケットに入れていたハンカチを差し出す。
はっとした彼女は、そこでやっと気づいた。
自分も泣いている事に。
彼女はその優しさを無言で受け取ると、眼鏡の下から涙を拭う。
「如月さんは、人に助けてもらった過去に縛られてるみたいだけどさ。人なんて、生きてたらお互いに変わるもんだよ。もし自分が正しい道を歩んでるのに、恩人が悪人になって現れて、『一緒に悪事を働こう』なんて言われたら、そりゃ迷うかも知れない。でも迷うってことは、それは嫌だって事でしょ」
「……確かに、そうね」
「とっくの昔にお礼言ってるんだし、恩も無理して返すもののじゃない。だから過去に縛られる必要なんてないし、今の自分の素直な心で行動すべきだと思うよ」
そして。
雅騎は淋しげに笑った。
「じゃないと、俺みたいになっちゃうから」
そう言った雅騎が、またも目を潤ませる。
そこにある強がりを感じ。
「……馬鹿ね。貴方はそれを話すために、こんな所まで私を連れてきたの?」
霧華は呆れた顔をしながら、借りたハンカチを差し出す。
「貴方がこんな泣き虫だなんて、思わなかったわよ」
そんな皮肉と共に、無理に笑う彼女に。
「目にゴミが入っただけだから」
反論しながら彼はそれを受け取り、雅騎も涙を拭いた。
霧華は、改めて強く感じてしまった。
速水雅騎という人間を。
自分が知りたいと言ったから、わざわざここまで連れてきて。
自分が過去に縛られているのを知って、自分のつらい過去を話しながら、縛られる苦しさを伝え。
彼自身の事は棚に上げ。それでも自分に対し、自分らしく過去に縛られず生きれば良いと諭す。
結局彼は、自分のためにだけ行動してくれたのだと、強く感じる。
そしてそれは、今も昔も変わらないのだと、はっきりと感じる。
互いに無理しながら笑っていた二人だったが。
ふと霧華が視線を逸し、どこか弱気な顔をする。
「……私は……素直になって、いいの?」
改めて確認するように。背中を押してほしそうに。彼女がそう、呟くと。
「勿論。如月さんの人生だよ。如月さんが思うままに生きないと。ね?」
雅騎は優しく笑った後、手桶を手に取る。
軽く墓石を見て、にこりと笑みを返した彼は。
「じゃあ、後は美味しい物でも食べて、帰りますか!」
空元気を声にすると、そのまま来た道を戻り始めた。
少しの間、その背中を見ていた霧華が追いかけようとして、ふと歩みを止め振り返る。
そこには誰もいない。
だが。
彼女は何か、声が聞こえた気がした。
──……そうね。ありがとう。
心でそう礼を言った彼女は、踵を返し雅騎の後を追う。
『彼を、信じてあげて』
そう聞こえた少女の声に応えるように、吹っ切れた笑みを浮かべながら。
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