第二十八話:命の灯火

  ザザザザ……


 インカムには、激しいノイズばかりが入る。

 誰の声も、叫びも届かぬ中。

 霧華は、光と風を止める、青白き球体として展開された魔壁の盾シルズ・ヘルサの中にいた。


 幼き時。護られたその魔方陣の中で、彼女はただ、呆然としていた。


 壁の先には激しき光と風が、向かい風のように流れている。

 厄災の凶刃か。風が魔方陣を切り裂かんと無数に傷をつけていき。風切り音と共に、切りつけた刃が壁に弾かれる澄んだ音が、ひっきりなしに続く。


 盾の傷は再生するかのように、すぐに消える。

 だが。音は未だ、鳴り止まない。


 己の髪や赤きドレスを靡かせる強き風が。耳障りな澄んだ音が。

 その力をはっきりと感じさせ。

 彼女をはっきりと絶望させた。


 こんな中で生き残る事などできない、と。


「佳穂! エルフィ! 御影! 秀衡ひでひら! しず! みんな、返事をなさい!」


 それでも皆の無事をあんじ、霧華は必死に叫んだ。

 しかし、返事が聞こえる事はなく、ただのノイズばかりが耳に届く。


 絶望が彼女の顔を歪め、その瞳に涙を溜める。

 と、刹那。霧華は何か、ぬるりとするものを感じた。


 自身の赤きドレスを伝い、ゆっくりと滴り、垂れるもの。それが未だ光から彼女を護る青白きキャンパスに、赤き点をひとつ。ふたつと増やしていく。

 その光景にはっとし、彼女は自身の身体を見た。


 何時の間にか。彼女の腹部には傷が……生まれてなどいなければ、痛みすら感じてなどいない。


「雅騎!?」


 思わず彼女が叫んだ直後。耳元で、彼が何かを吐き出す嫌な音がした。

 霧華の顔の横を再び通り過ぎ、またもキャンパスを汚す、吐き出されし血。


 呼吸は荒い。

 彼女を支える腕が。銃を離し、盾を支えるように伸ばした腕が、震えている。


「雅騎! しっかりして!」


 彼女は必死に叫んだ。


 もし彼になにかあれば、空にいる自分もまた墜ちて死ぬだろう。

 だが、そんな恐怖が叫ばせたのではない。

 霧華の心に沸き上がったのは、別の恐怖。


「駄目! 雅騎! 死んじゃ駄目! 雅騎!」


 幼きあの日。

 命をかけて護ろうとしてくれた彼に、掛けられなかった叫びを声にする。

 だが。返事はなく。ただ、荒い呼吸があるだけ。


 そんな中。

 少しずつ、風切り音が弱まり。盾に当たりし刃が減り。光も弱まり。凄惨たる大地が少しずつ姿を現すと。そこには、非現実的な現実が広がっていた。


 破天の厄災ディラバウ・レヴェーテの姿は既にない。

 しかし、先の爆発と奔流のせいだろう。

 大地は厄災を中心に、放射状に激しく地面が抉られ、その跡が強く刻まれている。

 大きく姿を変えた大地を見ながら。


「これは……」


 莉緒りおに肩を借り立つ秀衡ひでひらが。


「生きて、いる?」


 意識なき光里を抱えあげていたしずが、呆然と呟く。


 今まで経験したことのない出来事に、言葉を失っていた他のメイド達も、ある者は立ったまま茫然と。ある者はへなへなとしゃがみ込んでしまう。


「これは、魔方陣……か?」


 御影は呆然と、皆の目の前にあるものと同じ、青白き障壁を見つめ。


『霧華! 雅騎を止めなさい!』


 とある事実に気づいたエルフィが、思わず悲痛な声で叫んだ。


 地上にいる者達それぞれを囲うように展開された魔壁の盾シルズ・ヘルサは、既に敵も、衝撃も存在しないにも関わらず、彼女達を護っていた。


 エルフィはその魔壁の盾シルズ・ヘルサをドラゴン戦で駆使した男を知っている。

 同時に、これだけの術を同時に掛ける事が、どれだけの負担となるのかも。


 霧華もそこにある現実に気づき、泣き叫んだ。


「雅騎! もう止めなさい! 終わったのよ! もう良いのよ!」


 未だ消えぬ盾には、既に希望などない。

 ただ命を散らす、絶望の未来だけ。


 だが。雅騎は応えなかった。


 ……いや。

 彼は、応えた。


「ごめ……ん……。深空みそら、ちゃ……」


 そこにいないはずの者の名を口にする彼に、霧華は目を見開く。


 意識の混濁を起こす程に、雅騎は限界だった。

 彼には幻影術師イリュージョニストとしての術がある。

 そして、周囲を覆い尽くす、普段以上に濃い魔流シストも。


 本当に、途中から目が見えていなかった。

 だが。彼はこの結末を知っていた。


 破天の厄災ディラバウ・レヴェーテ

 ある世界の厄災の名を冠した相手。

 それが消える間際。断末魔のように、周囲に死をもたらす光と風を振りまく事を。


 彼は見えぬ中、視ようとした。

 濃い魔流シストの中で、魔流シストを持たぬ者達の存在だけを感じ取り。霧華の指示で照準を合わせながら。己の感覚で、皆にも狙い定め。

 瞬間。手を伸ばした。


 結果として、皆を救えた。

 だがそれは、皆を救えただけ。


 何かの術を新たに駆使する為に。彼は己の傷口を止血する為維持していた術、氷雪の息リエスド・ファイムを解き、限界まで力を仲間に向けた。


 それでは、己を救えない。

 だがそれでも。彼は護りたかった。

 大事な。大切な。仲間達を。


 彼の呟きが、皆の耳に届く。


「助けて、くれたのに……ごめん……。助けら、れなくて……ご、め……」


 懺悔のような弱々しく、か細い声が途絶えた時。


 まるで、命が儚く散るかのように。

 彼らを、彼女達を護る役割を終えた魔壁の盾シルズ・ヘルサが、澄んだ音と共に粉々に砕け散り。


 霧華に手を掛けていた雅騎の手がだらりと離れ。瞼が静かに閉じ。表情から、緊張が消え。彼等は突如、重力に引かれ、墜ち始めた。


「雅、騎……」


 その身が風を感じる中。

 霧華は呆然としたまま、ただ、涙した。

 恐怖はない。哀しみしか、ない。


 彼は、またも皆を救おうとした。

 そんな彼の命が、消えてしまうかも知れない。


 失望感を感じたまま、限界を迎えたのか。霧華もまたゆっくりと目を閉じ、意識を失う。


「雅騎! 霧華!」


 頭上から墜ちてくる二人の姿に強く叫んだ御影は、彼等に向け駆け出す。


 同時に。翼をはためかせ、必死の形相でエルフィが天に飛び立った。


「青龍! 雅騎達を!!」


  ──『ああ!』


 御影は彼等の真下に入ると、朧月ろうげつを天に向け斬り上げた。

 瞬間。まるで雷光が轟くかのように。怒涛の勢いで天に舞い上がったのは青龍。

 勢いをそのままに、雅騎と霧華に迫った龍が、直前で四つの姿に変わり。彼等の四方を天に向け駆け上がった。


 瞬間、強く流れし上昇気流が、彼等をふわりと浮かせ直す。


「『届いて!』」


 天を舞っていたエルフィの身体が強く光を放つと。そこから佳穂とエルフィが同時に飛び出し、彼等の両脇を挟み、肩を貸すように身体を支える。


「速水君! 霧華!」


 涙目のまま、必死に呼びかける佳穂。


 互いに息はある。

 まだ生きている。

 だが二人共、目を覚さない。


 急ぎ大地に舞い降りた佳穂達の側に、御影が。秀衡ひでひらが。しずやメイド達が駆け寄る。


 血塗れのまま、意識なき雅騎と霧華。


 その凄惨な光景に、皆が顔面蒼白となり、思わず息を呑んだ。


「佳穂! エルフィ!」


 彼等を結ぶバンドを、御影が急ぎ朧月ろうげつで断ち切ると、二人を横に並べ寝かせる。

 改めて見る雅騎の腹の傷。その痛々しさが、皆の表情をしかめる。


「絶対! 絶対死なせない!!」


 佳穂とエルフィは直様雅騎の傷を塞ごうと、流れる涙を拭いもせず、必死に治癒の光マグスルファを向けた。


しず。莉緒。アイナ。車を急ぎこちらに。ヘリが到着次第、意識のない者と、佳穂様、エルフィ様を病院に運び込みます。他の方は申し訳ございませんが、車にご同乗を」


 この最中さなかにあっても冷静な秀衡ひでひらの言葉に、指示を受けた三人が頷き、車に向け走り出す。

 他の者達はただ、歯痒さだけを見せ、彼等の無事を見守る事しか出来ない。


 悪夢をもたらし厄災は消え、未来への希望を感じる晴れ空の元。

 彼等の心には、不安と悲しみの雨だけが、降り続いていた。


* * * * *


 あれから数時間後。

 雅騎は、 MPPCエムピーピーシーの施設内にある病院に搬送され、集中治療室に担ぎ込まれていた。


 佳穂とエルフィの力で何とか傷を塞ぎ、急ぎ輸血を施したものも。未だ身体の衰弱が激しい。

 傷を急ぎ治しても、残ってしまった痛みが彼を苦しめているのか。

 時に呻き。無意識に苦しげな顔をし。彼はベッドに横になっている。


 佳穂とエルフィは、光里や秀衡ひでひらシャオの怪我も、必死に治癒し続けた。


 戦いから酷使し続ける力に疲労感が色濃くなるも。それが使命だと言わんばかりに、力を使い続け。

 その甲斐もあってか。

 意識ある者達の傷も無事治り。意識なく重傷だった光里もまた、暫くして無事、目を覚ました。


* * * * *


 霧華もまた、神経に異常がある可能性もあり、別の部屋でベッドに寝かされていた。

 彼女がゆっくりと瞼を開くと。瞳に映ったのは、側で見守っていた圭吾の、心底安堵した顔。


「……霧華。無事で良かった」


 涙を堪え、唇を震わせながら呟いた彼に、彼女はぼんやりとしたまま、問いかける。


「……ここ、は?」

MPPCエムピーピーシーの病院だ」

「私は……」

「大丈夫だ。精密検査の結果待ちだが、制御チップはまるでその場から消えたかのように、神経を傷つけず抜かれていたそうだ。強く神経に負担が掛かったショックで動きにくくなっているが、すぐに元通り動けるだろうと先生も仰っていたよ」


 ぼんやりと尋ねる霧華に、安堵の笑みを見せつつ、丁寧に状況を説明していった彼だったが。


「……雅騎は?」


 続けて問われた言葉に、その笑顔を失った。


「……生きてはいる。が、まだ予断を許さぬ状態だ」


 辛そうな父の表情に、ぼんやりとしていた目が少し見開かれ。その顔が青ざめる。

 だが、起き上がる気力が、生まれない。それだけ、彼女もまた疲弊していた。


「……すまなかった」


 俯いた父が、ぽつりと呟く。


「俺は、雅騎君がお前の命の恩人だと伝えたかった。しかし、それを彼の父親に止められていたのだ。『雅騎は彼女が元気に生きてるならそれでいいと言っている。だから、過去の事は話さずにいてやってくれ』とな」


 圭吾は悔しそうにぐっと、歯を食いしばる。


「だが、俺は秀衡ひでひらから聞いた。お前と雅騎君が学校で接点を持っていると。それならば、あいつとの約束を守りながらも、お前に何としてでも、彼が恩人だと気づかせたいと思った。せめて雅騎君と共に歩んでほしいと、本気で思ったのだ」


 手が。身体が震え。大きなはずの父は、何処か小さく見える。

 と。彼の顔から、一滴ひとしずく、涙が、溢れた。


「それがどうだ。結果としてお前をこんな形で危険に晒し。こんな形で傷つけ。あまつさえ、雅騎君は命まで失いかけている。どうお前に顔向けすればいい? どうお前に償えばいい? 今の俺は、それすら分からない。……すまない。情けない父で、すまない……」


 父が泣く姿など。一度しか見たことがない。

 母が死んだ日。号泣する霧華の頭を撫でながら、泣いていた。

 その一度だけ。


 その父が、泣いていた。


「お父様。顔を上げてください」


 それは、霧華の声だったはず。

 しかし、圭吾はその声にはっとした。


 赤髪の少女は、微笑んでいた。

 まるで亡くなりし妻が、死ぬ前に見せた時と同じ、優しき微笑みで。


「きっと、雅騎ならこう言いますわ。『気にしないでください』、とね」

「霧華……」

「……お父様に歯向かったあの日。婚約者フィアンセの話が煩わしかったのは確か。そのせいで、多くの辛さも、不安も経験しましたわ」


 彼に向けた視線を逸し、霧華は天井をぼんやりと見る。


「でも。そんな時に彼は教えてくれたのです。『知らないことを知るきっかけを貰ったって考えればいい』と。『過去なんかに囚われなくていい』と。……昔と変わらなかった。ずっと優しかった。そんな彼と共に過ごす事ができたのは、お父様のお陰。だから今は、感謝しております」

「だが。そのせいで、お前は……。雅騎は……」

「……お父様。どうかわたくしを、彼の元に連れて行ってください」


 言葉と共に向けられたのは、しっかりとした視線。


「雅騎が命を落とすのだとしたら、命を奪ったのはわたくし。だから見届けねばなりません。彼がこの先、どうなるのかを」


 圭吾はその凛とした表情を見て、覚悟を感じ取る。

 死ぬとしても。生きるとしても。その者とありたいと思う彼女の決意を。


「……わかった」


 父は涙を腕で拭うと、娘に強く頷いた。

 彼女の願いを叶える為に。


* * * * *


 誰もいない薄暗い廊下を、霧華の乗った車椅子が圭吾に押され、からからと音を立て進む。


 エレベーターでフロアを移り。幾度かの廊下の角を曲がると。集中治療室の前のベンチに腰を下ろす者達が見えた。


 佳穂。エルフィ。御影。

 三人は俯いたまま、まるで絶望に打ち拉がれたように、一様に俯いている。


「……霧華」


 車椅子の音に気づき、顔を向けた御影が、ほんの少しだけ、笑う。

 表情は疲れ切っている。

 泣き腫らしたのか。目も赤い。


「……皆、おはよう」


 彼女達の側で止まった車椅子に座ったまま、冗談交じりに笑う霧華に、佳穂とエルフィも顔を上げ、弱々しく安堵の笑みを見せた。

 彼女達の顔色は良くない。疲労も限界に近いのか。表情にも覇気がない。


「霧華。動けるの?」

「まだ全然よ。でも……」


 車椅子の手すりに懸けていた腕を、ゆっくりと、震わせながら動かし、自らの胸に当てる。


「こうやって動けるだけ、あの時よりまし。お医者様も時間が経てば普通に動けると言っているわ」

『それは、本当に良かった』


 エルフィもまた、佳穂同様に疲労を色濃くしながらも笑みを向け、彼女も同じく笑みを返した。

 彼女は圭吾をちらっと見上げる。

 それに頷き返すと、彼はゆっくりと車椅子を進めた。


 集中治療室の中が見える窓の向こう。

 そこに、雅騎は存在していた。


 幼き日に、両親に見守られ眠っていた彼を思い出す、周囲に並ぶ医療機器。


 そんな機器類のある床に、青白き魔方陣が描かれている。

 そして。

 彼の側に一人の女性が立っていた。


 金髪の長い髪をした、白衣を纏った女性。

 彼女は雅騎に目を閉じたまま手をかざし、そこから彼を包む青白い光が放たれている。


「あれは……」


 霧華にも見覚えがあった。

 喫茶店『Tea Time』の店長。天野フェルミナ。


 その姿を見た時。彼女の心に思い出された記憶。

 それは、幼き日に雅騎を助けるためにやってきた、金髪の少女。


「天野様は、雅騎と同じ力を持っているのだ。今は彼の身体から失われている魔流シストとやらを、譲り渡している所だ」


 立ち上がった御影が霧華の脇に立ち、不安そうな瞳を雅騎に向ける。


「まだ、無事なのね」

「怪我は治せたし、輸血もしたの。でも、身体が弱ってるから、どうなるか、わから、ない……って……」


 椅子に座ったままの佳穂が、堪えきれなくなり両手で顔を覆う。

 涙が、止められない。悔しくて。苦しくて。寂しくて。


「私が! 私にもっと力があったら! 私がもっと強かったら! 私が……私が……」


 廊下に響く悲痛な叫び声に、エルフィがゆっくりと頭を撫で、慰めると。佳穂は思わず彼女に抱きつき、胸の中で涙した。


「……私がもっと早く気づければ良かったのだ。新たな力があれば、どんな相手にも負けない。そんな気持ちばかりが逸り、忘れていたのだ。神降之忍かみおろしのしのびの力とは、護るために使うものだと。だから、私のせいだ。私が、もっと早く気づいていれば……光里だって。雅騎だって……」


 片手を窓に添え、額を窓にコツンと突き。御影もまた、涙した。

 世界を救ったはずなのに。心には後悔しかなかった。


 そんな彼女の心苦しさが分かるからこそ、霧華もまた俯き。皆が何も言えなくなる。


 嗚咽。震え。

 そんな悲しみばかりに包まれた時間がどれだけ続いたか。


 集中治療室の自動ドアが静かに開くと、そこからフェルミナが現れた。


 廊下に漂う悲壮感を感じながらも。疲れた顔を無理に隠し、誰に声を掛けるでもなく廊下に歩き立つ。


「状況は?」


 静かに尋ねた圭吾に、フェルミナは気丈に振る舞う。


「足りなかった魔流シストは何とかできたし、一応生命の精霊の力を少し高めてみたわ。って言っても、今の身体だと負担もあるしこれ以上は危険。だから、私ができるのは一旦ここまでね」

「……雅騎は、助かるのですか?」


 ゆっくりと振り返り、懇願するような瞳を向ける御影に、フェルミナは残念そうに首を横に振った。


「こればかりは分からないわ。あの子次第って所ね。ま、気長に待ちましょ」


 そう言って笑顔を見せたのだが。

 それが、御影の心を苛立たせた。


「……何故、天野様は笑えるのですか?」

「え?」

「雅騎は死にそうなのだ! それなのに、何故笑うのですか! 何故笑えるのですか!」

「止めなさい、御影」


 思わず掴みかかるようにフェルミナの白衣にしがみつき、霧華の静止も聞かず、涙を隠さず叫んだ。


「私のせいであいつが死ぬかも知れないのだ! もっと責めてもよいのだ! もっと悲しんでもいいのだ! それなのに、何故笑っていられるのだ!? 雅騎が死んでもよいのか!? 雅騎が死ぬのが怖くないのか!?」


 想いだけが空回りした、脈絡のない言葉の数々。

 それだけ御影は不安だった。後悔していた。


「……私達なんて、助けなくてよかったの。速水君が生きてくれたら、それで良かったのに……。何で。何で速水君はすぐ命を懸けるの。死なないって約束したのに。何で、何で……」

『佳穂……』


 御影の言葉に感化されたのか。

 佳穂もまたエルフィから離れ、フェルミナに振り返ると、思いの丈を口にし、涙する。

 心配そうにエルフィが背を擦るも。涙は収まらない。


「二人共」


 霧華の声に、御影と佳穂が彼女に視線を向ける。

 そこにある表情は、とても凛とした落ち着いたもの。


「フェルミナさんはね。小さい時に同じように、雅騎が生死を彷徨ったのを見ているのよ」


 突然語られし事実に、御影と佳穂がはっとする。

 彼女は表情を変えず、ゆっくりとフェルミナに視線を向ける。


「あの時貴方がいてくださらなかったら、雅騎は今、ここにいなかったのですね」

「そんな事ないわ。あなたが一生懸命祈ったのでしょう? だから、願いが通じただけよ」


 霧華の強い視線を見て、ふっとフェルミナは微笑むと。


「もしこの中で、これからも雅騎の側にいていい資格があるとしたら、あなたくらいかしらね」


 その表情に真剣さを宿し、ゆっくりと語りだした。


「雅騎はね。あなた達のお陰でちょっとは変わったのよ。きっと昔のあの子だったら、あなた達に協力なんて頼まない。無理矢理安全な場所に逃して、自分だけで何とかしようとしたわ」


 フェルミナは、佳穂とエルフィをじっと見る。

 二人はその視線を、ただ呆然と受け止める。


「佳穂ちゃんが雅騎に言った、『死んでもいいなんて言わないで』って言葉。あの子はそれを相当気にかけてたわ。エルフィが『私達わたくしたちを信じて』と言ってくれた事もね。『俺、それに応えてもいいのかな?』な~んて、悩むようになっただけでも成長したほうね」


 ふっと何かを思い出し微笑んだフェルミナに、佳穂はまた、両手を口に当て、目を潤ませる。


 御影もまたフェルミナに顔を向けると、掴まれた手をどけようともせず、彼女もまた視線を重ねる。


「だから御影ちゃんを助けに向かう時。あの子は私に頼んでいったのよ。『俺がまた命を懸けるかもしれないけど。その時に助けてほしいんだ』って。『できるかぎり、生きるから』ってね」


 それを聞き、御影ははっとする。

 神降之忍かみおろしのしのびの為に、あれだけの無茶をしたのは、もしもの時の事をフェルミナに託していたから。

 その事実を改めて知り愕然とする。


「今日だって、必死に生きようとしたのよ。だけど、あの子にはどうしても譲れないことがあった。それが、あなた達みんなを護る事」

「助けられなかった後悔を、もう、したくなかったから……」


 霧華が、淋しげにそう口にすると、フェルミナは頷く。


「ええ。彼は治癒系の術は使えない。昔も、今もね。そのせいで命を救えなかった子がいたの。昔っから無茶ばかりする子だったけど、拍車がかかったのはそれからね。まるで呪われたかのように、何かある度に自分そっちのけで誰かを助けようとしたわ」


 何かを思い出したのか。フェルミナは切なげな顔をする。


「きっとみんなを失って、後悔をしたくなかったのよ。それだけあなた達が大事なのよ。あの子は」

「我々が……」

「大事……」


 御影は俯くとゆっくりとその手を離し。佳穂もまた視線を伏せる。


破天の厄災ディラバウ・レヴェーテの最期が、みんなを危険に晒すのを知っていたのはあの子だけ。だけど相手は生半可な敵じゃない。だからきっと、あなた達に戦いにだけ集中して貰って、余計な事に意識を割かせたくなかったんじゃないかしら。そして雅騎は、あなた達と戦うことを決意した代わりに譲らなかった。最後まで、あなた達を助けるっていう決意だけは、ね」


 手を離されたフェルミナが、御影の脇を抜け、歩き出す。


「もしこれからも雅騎と一緒にいたいって思うなら覚悟なさい。あの子はきっとまた、みんなを今日みたいな気持ちにさせる日が来るわ。その時に立ち会う覚悟ができないのだったら、金輪際こんりんざい関わらない事ね」


 静かに語られた言葉が、皆の心に刻まれる。

 きっと昔からそれを経験してきたであろう、彼女の重き言葉が。


「私は少し休ませてもらうわ。何かあったら呼んで頂戴」


 そう言って廊下に足音だけを残し、フェルミナが去っていく。

 残されし者達は、何も言えず、その場から動けずにいた。


 雅騎といるための覚悟。

 その言葉の答えを、出す事ができぬまま。

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