第二十四話:無情

『もう後戻りもできぬ、神や天使が集いそうなこの天の世界。二人の悲哀の物語の終焉には、もってこいの舞台だろう?』


 雅騎と視線を交わした彼は、悪意を露骨に際立たせるように、いやらしくわらう。


『まずはその銃を霧華に投げてよこせ。勿論その位置から動かずにな』

「止めて! 雅騎! 逃げて!」


 身動き取れぬ状況にも関わらず、必死に身を乗り出そうとする霧華。

 よく見れば、強く感じる疲弊に、泣き腫らした目。そして、悲壮感。

 その顔には、普段の冷静さなど感じられない。


「きゃぁぁぁぁぁっっ!!」


 突如また、霧華が強い声で叫びだす。

 まるで何かに痛みつけられているように。


『ふん。相変わらず強情だな』


 その叫びに、将暉まさきは心底いやそうな視線で彼女に一瞥をくれる。


『彼女には洗脳を掛けておいたのさ。私の言うことを何でも聞くように。だが、彼女は中々に強情でね。ああやって抵抗しては苦しんでいる。このままでは、彼女の精神は崩壊し、廃人と化すだろうな』


 雅騎は、静かに彼女に視線を戻す。

 一旦苦しみから解放されたのか。またぐったりと俯く彼女。

 だがそれを見ても彼は、落ち着いた、凛とした表情を変えようとはしない。


『そんな彼女を苦しみから解放したいのなら、素直にそのを渡すんだな。勿論、余計なことをすれば、分かっているな?』

「あぁぁぁぁぁぁっ!!」


 女神の悲鳴。

 その苦しみは、モニター越しに見ている者達すら、絶望させ、目を逸らさせる。


『さあ、投げろ』


 悲鳴が止まったのを合図としたように、最後通告のような厳しい言葉で告げる将暉まさき

 その声に。雅騎は手に持った神々の炎ディバインブレイザーを、下手投げで、勢いよく滑らせた。


 銃は、最初は向きを変えずに滑っていくが、途中からくるくると回るように滑っていき。

 霧華の座る椅子の少し手前で、銃口を雅騎に向けるように、止まった。

 まるで、羅針盤が何かを指し示すかのように。


『いいだろう。では、お前達の最終章の幕を開けよう。この舞台、皆で楽しもうではないか』


 両手を高らかにあげ、まるで神に意思を伝えるかのように、将暉まさきが目を閉じる。

 と。それを合図にしたように。霧華を動けなくしていた拘束具が、カシャリと音を立て椅子に収納された。


『霧華よ。その男を、撃て』


 静かなる言葉に従うように、彼女がゆっくりと立ち上がると、足元にあった椅子はすっと地面に消え。天と同化する。


「嫌。絶対嫌よ! 雅騎、逃げなさい! 早く! お願い!」


 身体とは裏腹に、悲痛な叫びを繰り返す霧華。

 眼鏡の下の表情は既に、歯がゆさなどでは表せない悔しさに染まっている。


「うあぁっ! 嫌、嫌っ! 雅騎! 雅騎!!」


 身体が、苦しみながらも、ゆっくりとしゃがみ、銃を手に取ろうと動く。

 それを嬉しそうに眺めながら、はたと何かを思い出したように、将暉まさきがこう語り始めた。


『そうだ、忘れていたよ。洗脳を解く方法がひとつだけある。お前が腹を撃たれろ。頭や心臓、肺でない所に俺の慈悲があるだろう? 洗脳さえ解かれれば、霧華は晴れて自由の身だ』

「雅……騎! そんな男に、耳を貸しては、だめっ!……逃げてっ!」


 苦しげに、抵抗しようと必死になりながら。しかし、銃を手にしゆっくりと立ち上がる彼女に、雅騎は視線を重ねる。

 瞬間、見せた彼の表情が、より霧華の絶望を煽り。将暉まさきいやらしい笑みを強くする。


 雅騎は、淋しげに微笑んでいた。


「ごめんね、霧華さん。俺のせいで、こんな目にあって」

「ふざけ、ないで! 逃げ、なさい。早く! 逃げてっ!!」


 彼女は、必死に懇願し、叫んだ。


 彼にはきっと、この場を何とか出来るだけの力があるはず。

 それは、理解していた。


 だが、霧華はその力を彼が使わないと気づいていた。

 何故なら、自身が操られている間に、自分に何かあるかもしれない行動を、雅騎が取るはずがないから。


 だが。自身に腹を撃たれれば洗脳が解けるという言葉も、そんな都合がよい事などありえるはずがないとはっきり理解している。

 将暉あの男が、そんなに甘いわけがない。


 まるで、ほぼ一面に隙間なく埋められた地雷だらけの道を、身体ひとつで歩いて行けと言わんばかりの、見え見えで危険過ぎる罠。

 しかし。それでも彼が、その道を歩もうとする。

 それも、分かっていた。

 雅騎が優しすぎる男だから。


 だが。

 それでも彼を、傷つけたくなかった。

 だからこそ。叫んだ。叫び続けた。 


「お願い、逃げっ……てっ!」


 意思に反し、赤き女神は腕を震わせながら、神々の炎ディバインブレイザーを彼に向ける。

 対する雅騎は……一歩、前に出た。ゆっくりと、一歩。また一歩。


 瞬間。銃口が輝いたかと思うと。瞬きすら許さず、光弾が雅騎の頬を掠めた。

 レーザーが頬の皮膚を焼き。僅かに血が飛び散り。彼の後ろにあった壁を撃ち抜くと。その周辺のみ、激しい火花と放電を見せた後、機械的な壁に戻る。


『ほほぅ……』


 ここまで来ても必死に抵抗する霧華を見て、その精神力に感服する将暉まさき

 だが、それもひとつの余興でしかない。


「こんな事させて、ごめん」

「そんなっ! 来ないでっ! 嫌あぁぁっっ!」


 霧華は抵抗しながら。涙しながら。苦しみながら。震える腕で彼に銃口を向け、引き金を引く。

 それは、肩を。太ももを。腕をを掠め、傷を増やす。

 だが。彼は痛みなどないかのように、優しい笑顔を崩さず、距離を詰めていく。

 まるでこの幻想的な世界は夢ではなく、哀しき現実だと示すかのように。彼女の視界に映る、彼の後ろの壁が、少しずつ機械的な物に戻っていく。


「私はっ! 貴方にこんな事、したくはない!」


 涙を止めどなく流し。

 顔に絶望を宿し。

 懇願し。抵抗し。


 女神が放ちし力が、雅騎の脇腹を掠める。


『惜しいな。もう少しだ』


 人をさげすみ。人を嘲笑あざわらい。

 この状況に興奮し、恍惚こうこつとし。

 将暉まさきの表情は、既に悪魔のようにも見える。


 だが。

 雅騎も、霧華も。二人は、あの男の用意した筋書き通り、望まぬ世界を演じさせられていた。

 物語の幕引きに向かうように。


「お願い! 私はっ! 貴方を殺したくないっ! あぁぁぁぁっ!!」


 抵抗による強き痛みに叫んだ瞬間。

 雅騎の左腕を光弾が撃ち抜き。彼の足元の空を、赤き鮮血が汚す。


 反動で思わず左半身が後ろに流れ。

 歩みが止まり、咄嗟に右腕で庇うように傷口を押さえ、彼が強く顔をしかめる。


 瞬間。霧華は過ちを犯した絶望的な表情を浮かべた。


『はっはっはっは! 下手に抵抗するせいだぞ、霧華。素直に奴の腹だけを撃ち抜けば、こんなことにはならぬのになぁ』


 将暉まさきは、より狂気の笑みを浮かべ、彼女を煽る。

 だが、それはもう、耳に届いていなかった。


「雅騎……嫌……。ごめんなさい……。私……」


 まるでうわ言のように、後悔だけを口にし、呆然とする霧華。

 そんな彼女を見て。ぐっと奥歯で腕に走る、焼けるような痛みを噛み殺した彼は。また姿勢を戻すと、ゆっくりと、歩き出す。

 無理やり、微笑んで。


「大丈夫。絶対、助けるから」


 苦しげに。しかし、強く口にする。


「あ、あぁぁぁぁぁっ!!」


 ゆっくりと迫る彼に。彼女はまた、銃を放った。光弾は彼の足元の床を撃ち抜き、そこを現実に返す。それでも、歩みは止めない。

 そして。何度かの銃撃で身体の傷を増やしながらも、彼は後四、五歩歩けば、霧華に届く距離まで歩み寄る。


「もうっ! だめっ! 私はっ! こんな事を、する為、生きたかった、訳じゃないのっ!!」


 悲痛な叫びと共に放たれし光弾が、非情にも彼の右太腿の肉を抉る。

 雅騎の笑みが一瞬消えるも。それでも、安心させようとまた微笑み、歩く。


 これ以上近寄れば、身体の何処かを撃ち抜いてしまう。


 絶望に心を染められたその時。

 その言葉が、心に浮かんだ。


  ──「よく頑張ったな。ゆっくり休みな」


 脳裏に蘇ったのは、ドラゴン戦で意識を失う直前に見た、雅騎の優しい笑み。

 心が追い詰められた今、改めて思い出す。

 声しか知らなかった。声でしか知れなかった、そこにいた、優しき雅騎の存在を。


 思い出すには遅過ぎたのだろうか。

 それを知ったとて、何もできるはずはない……はずだった。

 しかし。記憶が蘇った瞬間。彼の記憶を封じた力の影響か。ほんの少しだけ、彼女は自由となった。


 彼の笑みを失いたくない。彼の笑みが失われてはならない。

 二度も助けられた自分に、三度目があってはならない。


 自分のせいで、雅騎が死んではいけない。

 だからこそ、決めた。


「雅騎……。今まで……ありがとう……」


 刹那。彼ははっとした。


 霧華は涙を溢れさせながら、ふっと感謝の笑みを浮かべると。すっと、自然に銃口を頭に向けた。将暉まさきにでも、雅騎にでもなく。己自身のこめかみに。


「「霧華!」」

「「お嬢様!?」」


 それを見た瞬間。叫ぶ佳穂と御影。秀衡ひでひらしず

 そして、唖然とするメイド達。

 台本とは異なる動き。だが、それもまた、将暉まさきを至福とさせたのか。彼の口角がよりあがり。興奮した瞳を向ける。


 すっと瞼を閉じ。彼女は覚悟の笑みのまま、引き金を引き。


 瞬間。

 光弾はその身を貫いた。


 霧華の記憶を刈り取ることもなく。

 彼女から血を流させることもなく。

 彼女でない何かを、貫いた。


「ごめ……ん。これで、最後、だから……っ」


 彼女は、耳元で聞こえた苦悶の声と、びしゃりと飛び散った鮮血の音に、はっとし、目を見開き。

 離れて見守っていた者達は声を失い、顔を青ざめさせ。一瞬何が起きたのか分からなかった将暉まさきも、思わず目をみはった。


 いつの間にか、霧華は雅騎に抱きしめられ。傷ついた彼の左腕に導かれたかのように、彼女の神々の炎ディバインブレイザーは、何時の間にか、その銃口を彼の腹に向けていた。


 斜めに貫いた光が、床に機械的な現実と、血飛沫の悪夢を同時に描き出し。流れ落ちし赤き血が、彼の生命を少しずつ削り始める。

 腹に残る焼け付いた傷跡が、雅騎に警告する。

 このまま放置すれば、死ぬと。


 だが。それでも彼は、彼女を安心させるよう、左腕を彼女の首の後ろに、右腕を腰に回し、ぎゅっと力を込め抱きしめると。


「大、丈夫。絶対に……護る、から……」


 まるで。あの日、霧華を助けた時と同じように。

 その姿を少しでも見せぬようにし。あの時と同じ台詞を、囁いた。


「そんな……。何故……。どうして……」


 起こってほしくなかった現実に、顔を青ざめさせ、絶望と後悔を見せ呆然とする霧華。


『は……はっはっはっは!』


 少しの間言葉を失っていた将暉まさきが、突然高笑いを始めた。

 顔を天に向け。片手で顔を抑え。


『本気で信じたのか!? これだから馬鹿なのだ! 信じるなと霧華に警告されたのになぁ! たった腹を一発撃ち抜いた程度で、俺が滿足などするはずないに決まっているだろう!』


 自身の台本通りに行動した雅騎に、改めて嬉々とした目を向ける。

 残念ながら抱きしめ合っている霧華の向こうに隠れ、死に至るであろう者の顔は見えない。

 だが。目に映る霧華の絶望だけでも、充分だった。


『お前の馬鹿正直さに免じて、冥土の土産に教えてやる。霧華は首の裏に埋め込んだチップでコントロールされているのさ。AIで神経から感情を探り、抵抗すれば痛みを与え、私の言葉に従い、無理やり身体の自由を奪うようにな。勿論無理に引き剥がそうとすせば、神経を焼き切るように作ってある。つまり、彼女は完全に私のものだ。もうお前には何もできない!』

「つまり……チェックメイト、か……」

『ああ! 後はお前が死ぬだけだ! 安心しろ! お前を殺す悪夢を植え付け、霧華も心ごと殺し、後を追わせてやる! さあ、霧華よ! 奴を殺せ! そしてロミオとジュリエットのように、そいつの死に絶望し、お前も死ね!! 死んでしまえ!!』


 狂気に興奮した将暉まさきが、霧華に叫んだ。

 しかし。突然彼女は銃を握った腕を、力なくぶらりと下ろし、力が抜けたようにだらりとするも、動こうとはしなかった。

 彼の指示に従う事も。彼の言葉に苦しむこともなく。


「私が、巻き込んだせいで……。ごめんなさい……。本当に……ごめんなさい……」


 ぎゅっと、左腕で強く彼を抱きしめ、口惜しげに、譫言うわごとのように呟く霧華。


『どうした!? 何故だ!? 何故殺さない!? 何故従わぬ!?』


 予想外の展開に、狼狽うろたえ出す将暉まさきに。


「言ったろ。チェック……メイト、さ……」


 雅騎は傷だらけの左腕を彼に向けるよう横に伸ばし、握っていた拳を開く。

 と。そこからゆっくりと何かが落ちる。


  コツーン


 それが澄んだ音を放り、床に転った瞬間。将暉まさきははっきりと驚愕する。


 そこに落ちていたもの。

 それは、細いケーブルや接続部をまったく失うことなく存在する、霧華に埋め込まれていた首筋にあるはずの切り札チップだった。

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