第二十話:護りし者

「馬鹿もん! 何を受け身になっておる!」

「でも、あの攻撃を全部受けてるのは凄いよ」

「当たり前だ! あいつは神名寺流みなでらりゅう胡舞術こぶじゅつの使い手だぞ! あの程度の技に屈するものか!」

「そうです! 雅騎様は絶対に勝ちます!」


 別室で映像を見ながら、まるで本当の格闘技の試合を見るかのように興奮を見せ、叱咤激励する佳穂、御影、光里の三人。

 先程まで繰り広げていた、まるで恋仲同士の二人の会話に、未だしずが言うような偽りを感じることはできなかった。


 ただ彼女達三人は、戦いに至るまでの会話を聞きながら、心に思うことがあった。


  ──速水君はきっと、本当に霧華を馬鹿にされたの、嫌なんだ……。

  ──あいつはすぐそうだ。こうやって誰彼構わず首を突っ込んで、こう言ってみなの助けになろうとする……。

  ──もし私が同じ立場にあっても、きっと雅騎様はこう言ってくださるのでしょうね……。


 確かに傍目はために恋人同士のように見えても。彼は恋人そうでなくともこう口にし、こう行動するのでは。

 そう皆が同じように感じていたのだ。


 何よりも、助けられた者同士。

 何よりも、彼の優しさを知る者同士。


 互いにその言葉を交わさずとも、そう感じてしまっていたからこそ。まだ、二人が偽りの関係であるのかもしれないと、希望を持てたのかも知れない。


  ──貴方が変わらぬからこそ、でしょうね。


 そんな三人の雰囲気の変化に唯一気づいたエルフィは、心で少し安堵する。

 とはいえ、闘いは決して安堵できるものではなく。今の時点で雅騎の優勢さを感じられない。

 だからこそ、彼女達はじっとその闘いを見守った。


 彼は負けない。

 そう信じながら。


* * * * *


「まだウォーミングアップ程度なんだがな。随分防戦一方じゃないか!」


 鋭いハイキックを腕で受け止められた将暉まさきが、皮肉を口にしながら楽しそうに技を振るう。

 蹴り足を素早く引きながら前に踏み込み、顔面めがけ放たれしストレート。

 それを雅騎は首を横に傾け避けるが、すぐさま繰り出されたのは死角となるであろう顎を狙うアッパー。

 それも軽く身を後ろに引いて避ける雅騎に、間髪入れず腹めがけたニーキックを繰り出す将暉まさき

 しかしそれもまた、手で受け止められ、払われる。


 闘いが始まり数分。

 確かに、雅騎は防戦一方だった。


 技は一切食らっていないものの。手数に圧倒されているのか。避け、受け、体を入れ替えるのに精一杯にも見える。


 だが。

 将暉まさきの内心では、鬱憤が少しずつ大きくなっていた。


 確かに手加減はしているとはいえ、相手がここまで技を受け切ると思っていなかったのだから。


 プロの格闘家でも、この打撃の中ひとつ、ふたつは技を喰らう。経験上そう感じているからこそ、癪に障る。

 ただ、未だ全力は出していない。だからこそ。


  ──まあ、時間の問題さ。


 そんな余裕を心に持っていた。


 決して状況が良くないこの闘いを見守りながら、圭吾は止めどころに悩み始めていた。

 周囲から見ても雅騎が劣勢。

 だが、自身に頭を下げた雅騎から、負ける気は感じられない。

 むしろ、相手より堂々としているように彼の目に映っていた。


 この先に何があるのか。

 実は手詰まりではないのか。


 そんな迷いを感じつつも、闘いをまだ止めず、見守るしかできなかった。


 同じく見守っていた霧華もまた、ずっと彼の動きを目で追いながら考えていた。

 彼が仕掛けられない理由を。


  ──何かを、気にしている?


 自ら受けると言った割に、まったく見せない攻めの姿勢。

 そこに何の意図があるのか、はっきりと読み取れない。


 ただ。

 何故か彼が負ける所だけは、全く想像できなかった。


  ──まさかここに来て、十六夜いざよい先輩に同情しているのではないでしょうね?


 闘いに敗れれば、それこそ十六夜いざよいに泥を塗るかもしれない。

 雅騎はそこまでの事を考えているのでは。


 彼の優しさを知るからこそ、思わずそう考えずにはいられなかったのだが。


 そんな皆の視線を集める流れるような闘いが、一度動きを止める。


 将暉まさきはふっと後ろに軽く飛び退き距離を取ると。


「君とような木偶でくの坊とのスパーリングも飽きてきた。そろそろ全力で決めさせてもらう」


 そう軽く口にしたのだが。

 顔に浮かんでいたのは、はっきりとした苛立ちだった。


 ここまで有効打を与える事なく進んだ事に納得がいかず。あまりに見せ場がないままでは、周囲の客人にも示しがつかないと、強い焦りを感じていた。

 同時に、彼の言葉を受けても、雅騎はなお熱を感じさせることなく、凛とした表情を向け続けている。


  ──そのすまし顔が……。


「気に入らない!」


 そう叫ぶやいな否や。

 将暉まさきは今まで以上の早さで素早く踏み込むと、彼の目の前で勢いよく身を捻り、バックスピンキックを頭部に繰り出した。

 それは客人達が思わず「おお!」っと声を上げるほど、華麗かつ素早い動き。

 見えなかったのか。未だ雅騎は、それを受ける気配を感じられない。


 だからこそ。


「雅騎!」


 思わず霧華も叫んでしまった刹那。

 突如、将暉まさきの視界は目まぐるしく変化した。


 なぜ、シャンデリアが見えるのか。

 なぜ、カーペットが見えるのか。

 光と景色が流れる幻想的な世界が一瞬垣間見えたかと思うと。


 突然。背中に強い激痛が走った。


 将暉まさきは、何が起きたのかわからなかった。

 理解できる事といえば、身体に走る痛みと、視界に入る天井。そして、不可思議な構えで脇に立ち、静かな瞳を向ける雅騎。


 そう。

 将暉まさきの蹴りは彼の頭部を撃ち抜くことなく。逆にその身を強く地面に叩きつけられていた。


 神名寺流みなでらりゅう胡舞術こぶじゅつ陣風じんぷう

 雅騎は本気を出した彼の蹴りに、その勢いを利用した合気投げを繰り出していた。


 蹴りを手にとった瞬間に軸足を素早く払い。勢いで彼の身をくうで一回転させ、勢いよく床に叩きつける。


 あまりの疾さに、周囲の客人は何が起こったのかわからず。戦闘に長けた秀衡ひでひらやメイド達、そして霧華ですらその動きを目で追うのがやっと。


 皆が一瞬目を疑う中。はっとした将暉まさきは咄嗟に大地で背を付いたままその身を丸めたかと思うと、勢いよく反動をつけ後方に飛び出すと、宙に舞い、距離を開け起き上がった。


 未だ激しく痛む背中は、紛れもなく自身が技を受けた証。

 だが、何をされたのかがさっぱりわからない。


 混乱にあるものの。それでも彼は構えを見せると。


「ほほう。中々やるじゃないか」


 多少相手を認める言葉をきつつ、表情で平然を装おうとした。

 だが周囲の者が見ても、その青ざめし顔が理解できてしまう。


  ──何だ? 何があった!?


 蹴りを出したはずの自分が倒されている。

 受けたとすれば投げか。だが、その姿勢を見せていなかった男が、そんな事ができるのか。


 それ以上に。

 こちらの全力に、あっさりと付いてきた事実。


 それが、将暉まさきの心の余裕を奪っていた。


 彼が師であるミハエル・グリードよりダウンを奪ったこともある話。

 あれは決して嘘偽りではない。

 将暉まさきの格闘技センスはそれ程までに高く、腕も世界でもトップクラスと言ってよかった。


 だが。

 未だ平然と立つ寡黙な男の視線に、彼の背筋は寒くなり、思わず冷や汗を流す。


「今度こそ、本気でいくぞ!」


 己の震える心を隠し、将暉まさきは改めて踏み込む。


 だが。

 陣風じんぷうを受けし時点で、彼はもう負けていた。


 身体の痛みがキレを奪い、全力に届かない技を出す。

 それではもう、雅騎には届かない。


 彼は技を繰り出すも。


 時に投げられ。

 時に脚を払われ。


 受け身を取ろうとする腕すら刈られ。

 二度、三度。起き上がり攻める度、地に転がされ続けた。


 何が命運を分けたのか。

 将暉まさきがそれに気づけるはずもない。


 確かに格闘技は、時に人の命をも奪う危険なもの。

 その中で強くあった彼も決して、弱くはない。

 だからこそ、本人も強いと思った。強いと信じていた。


 だが。

 彼は経験していなかった。


 己の命を奪うべく振るわれしやいばを受けながら、その武をって闘い抜いた事もなければ。

 時に人を。時に人でなき者すら助ける為、命をかえりみず戦ってきた事すらない。


 護るために闘う。

 そのためなら命すら惜しまなぬ男相手に「守りきれるか」と問いかけた時点で、既に彼は、負けていたのだ。


「くそっ! まだっ! まだ終わってはっ!」


 何度目かのダウンの後、何とか立ち上がった将暉まさき

 だが、誰の目にも、その疲労と痛みがはっきりと伝わるほど、痛々しさしかそこにはない。


「ふざけるのも、いい加減に!」


 既に切れのない拳を振るおうと前に出ようとした瞬間。


「そこまでだ。将暉まさき君」


 圭吾の宣告に、彼は動きを止めた。

 ゆっくりと圭吾の顔を見た将暉まさきは、そこにある哀れみの表情を見ると。


「……うわぁぁぁぁぁっ!!」


 突如の叫びと共に、そのまま圭吾に向け殴りかかろうと飛び掛かった。

 咄嗟に圭吾の前に立った秀衡ひでひらは、将暉まさきの攻撃を止めようと身構える。


 だが、瞬間。

 秀衡ひでひらは目を見開いた。


 気づけば、雅騎がその間に割って入ると、振るわれし狂拳きょうけんてのひらで受け止めていたのだから。

 彼は掴んだ拳を、強く握りしめる。


「がっ!?」


 メキメキっという音と共に、思わず将暉まさきは呻き、顔を顰める。


「先輩。引いてください。男なら、二言はありませんよね」


 静かに告げる雅騎のどこか冷めた瞳が、彼の心の恐怖に僅かに火を付けたのか。

 その表情が何処か怯えたようなものに変わる。


 雅騎が手の力を緩めると、慌てて将暉まさきは手を引き、咄嗟に後ろに身動みじろぎする。

 皆の視線が彼に集まる。

 その瞳は既に、哀れみ。嘲笑ちょうしょう、不快といった、到底認められぬ相手を見るようなものに変わっているのだが。彼はそれでも、霧華を捨てられなかったのか。


「確かにお前は私を追い詰めたかもしれない! だが私は負けを認めていない! それに過去に彼女の命を救ったのは私だ! 霧華! そんな私に恩があるはずだろう!?」


 両手を広げ、必死に、何処か懇願するように叫ぶ将暉まさきの、事実を認めない言葉の数々。

 彼女を救った過去を耳にし、圭吾はその表情をいぶかしげなものに変え。周囲の客人達も突然の新事実に僅かに驚きを見せる。


 そんな中。

 霧華は、ゆっくりと雅騎の脇に並び、真剣な表情で将暉まさきをじっと見た。


「確かに。貴方がわたくしの命の救ってくださったとすれば、恩義はございますわね」

「だろう! ならば私を選ぶのが──」

「ですが、もうそれは過去でしかありませんわ」


 彼女の語りし言葉にすがろうとした瞬間。

 霧華がぴしゃりと放った一言が、将暉まさきの続く言葉を失わせ、その表情を青ざめさせる。


  ──如月さん……。


 雅騎はちらりと、彼女の横顔を見る。

 過去を捨てられるのか。辛くはないのか。

 そんな心配そうな視線を見せると、それに気づいた霧華が、視線だけを彼に向け、大丈夫と言わんばかりに小さく頷く。


 そして。

 改めて将暉まさきを見た彼女は、語った。


「助けていただいた事は感謝にえませんわ。だからこそ今のわたくしがあるのですから。ですが、あの時の貴方は、わたくしの富や権力などで分け隔てる事なく、優しく接してくださったのです。今の彼のように」


 すっと、改めて婚約者フィアンセを紹介するように、彼女は雅騎の手に自身の手を重ねる。


 周囲は気づいていないかも知れない。

 だが、その手を取った瞬間、彼は感じた。

 僅かな手の震えを。


 だからこそ。

 しっかりと、その手を少しだけ強く握り返した。安心させるように。


  ──……ありがとう。


 少しだけ目を閉じ、そこにあるぬくもりに感謝した霧華が、瞼を開き、はっきりと告げる。


「今の貴方からは、過去の優しさの欠片すらも感じない。そんな尊敬すらできぬ相手と、過去の感謝だけを理由に、未来を共に歩む気持ちはございません。素直にお引取りください」


 改めて冷たく突き放された将暉まさきは、少しの間呆然とした後……表情に再び怒りを携えると。


「……ふんっ。後で後悔するなよ」


 床に唾を吐き捨てた将暉まさきは、それ以上何も言わずに踵を返すと、その場より出口に向け人の波を掻き分け、歩き去っていった。

 そして同時に残されし勝者を包んだのは、周囲の客人達の雅騎と霧華へと温かい拍手。


「ほら見たことか! 雅騎の相手になどならん!」

「ですよね!」

「無事で良かった……」


 モニター越しに見守っていた御影達三人も、各々おのおのに喜びや安堵の声を上げる中。


「こ、この度は息子が大変な粗相を……」

「本当に申し訳ございません」


 十六夜いざよい家の夫婦が、慌てて圭吾の前に立ち必死に頭を下げた。


「いえ。こちらこそ将暉まさき君には悪いことをしました。水に流してはいただけませんか?」


 雅騎の勝利に安堵したのは彼も同じだったのか。

 圭吾もまた普段通りの笑顔で二人を見ると、彼等は顔を上げた後、


「はい! ありがとうございます!」


 と、礼の言葉と共に深々と頭を下げた。


 そんな光景をちらりと横目で見た霧華と雅騎は、すっと手を離すと向かい合う。


「大丈夫?」

「ああ。ちょっと、疲れたけどね」


 互いに安堵の笑みを交わしつつも、雅騎の顔には確かに疲労の色が見える。自身の為に闘ってくれた彼への申し訳無さが心に湧き上がる中。彼女は父に声を掛けた。


「お父様」

「どうした? 霧華」

私達わたくしたち、少々風に当たって参りますわ」


 問いかける圭吾にそう言葉を返すと、彼も大きく頷く。


「おおそうか。雅騎君。後で落ち着いて話そう

「はい」

「では。皆々様も、失礼致します」


 父に。そして周囲の客人に二度会釈をした霧華が先導するように歩き出し、雅騎も周囲の方々に、慣れない会釈を繰り返しながら、その場を後にする。

 二人の背中を見ながら。


  ──やはり、霧華の脇には彼が似合うな。


 圭吾は思わず嬉しくて緩みそうになる顔を、必死にこらえていた。


* * * * *


 雅騎と霧華がそのまま足を運んだのは、社交場の窓から出たバルコニーだった。


 眼下に広がる豪華な庭はきれいにライトアップされ、建物の華やかさに華を添えている。

 メイドのアイナと莉緒りおが彼女の指示で人払い兼護衛として室内側の窓に立ち。二人は澄んだ夜空と寒さを感じる夜のバルコニーに並んで立つと、互いに手すりに腕を掛けもたれ掛かった。


 互いに空に輝く無数の星空をじっと眺め、少しの間沈黙する。

 ここに他の客人はない。

 パーティーの喧騒が窓の向こうより聴こえるも。防音性の高い窓故か、殆どその声は漏れ聞こえず。何処か遠い夢心地のように感じられる。


「……怪我はない?」


 と。

 沈黙を破り、空を見たままぽつりと霧華がそう呟くと。


「大丈夫」


 雅騎も視線を空に向けたまま短くそう返す。


「本当に、貴方には頭が上がらないわね」

「どうして?」


 ふと、雅騎が霧華に顔を向ける。

 未だ視線を空に向けたままの彼女は、ふっと優しくはにかむと。


「助けられてばかりだからよ」


 ゆっくりと彼に顔を向け、視線を重ねた。

 眼鏡の下に見える表情がいつになく柔らかい。それが彼をドキッとさせたのか。

 視線を逸らし改めて空を見ると。


「気にしないで。勝手にやっただけだから」


 そう言って、自身に呆れるように小さく笑う。

 だが。続く言葉に、雅騎はその笑みを崩すことになる。


「そうもいかないわ」

「別に気にしなくてもいいよ。借りを返しただけだし」

「そんなものは些細な事よ」


  ──些細な事?


 借りを盾に婚約者フィアンセの話をしてきたはずなのに。

 予想外の言葉に、彼が改めて視線を見ると。


「だって。ドラゴンから助けてもらってから、ずっと助けられっぱなしじゃない」


 そう言って、霧華は何処か意地悪そうに笑い。

 そう言われて、雅騎は思わず驚きを見せる。


「どういう事? 大体ドラゴンって……」


 敢えてとぼけるように、他人事を装うとした彼だったが。


「『三人を死なせたいのか!? ずっと一緒にいたいんじゃないのか!?』だったかしら。エルフィに随分と熱弁してたわよね」


 消した記憶の先で放ったはずの、自身の台詞を口にされ、思わず目を丸くする。

 予想以上の反応に、彼女はくすりと笑う。


「私は戦いを後で振り返られるよう、常に音声を記録しているの。何なら後で聴かせてあげましょうか?」


  ──マジ、かよ……。


 彼女の選んだ台詞から、嘘偽りのない事を知った雅騎は、しまったと言わんばかりに思わず片手で顔を覆った。


 ドラゴンから助けた際の記憶だけでも消せば、皆はそれを知らず、何事も無かったことにできるはず。そう思い込んでいた彼にとって、これは流石に予想外。

 とはいえ、そこまでいきなり予見しろと言われても、土台無理な話なのだが。


「ただ、約束した相手がエルフィだったのは良くなかったわね。きっと彼女の事だもの。今頃佳穂にその事を伝えているわ。御影は鈍感だから、どうかは知らないけど」


 悪戯っぽく笑う彼女はまるでこの空気を楽しむように、嬉しそうに推測を語る。

 御影も既に事実を思い出している事こそ違うものの。それはもう、はっきりとした事実ばかりが並ぶ。


 大きなため息と共に、雅騎は身をひねり、手すりを背もたれにすると、顔だけを霧華に向けた。


「……で。どうしたい? 記憶を消す? それとも口封じでも?」

「あら。随分物騒ね」

「だって、知られたくない戦いだったんでしょ?」

「ええ。そうね」


 互いに淡々と語る二人。

 未だばつの悪そうな雅騎に対し。


「でも、別に何もしないわ」


 彼女はまたも、微笑んだ。


「言ったでしょ。助けられてばかりだって。私はそんな貴方の厚意に感謝してるのよ。大体ここまであの戦いがおおやけになっていないのは、貴方が何も語らなかったからでしょう?」

「そりゃあ、記憶を思い出させるつもりなんてなかったし……」

「そんな理由であっても、貴方は優しく誠実なの。だからこの役だって頼めたのよ」


 そう言うと。

 彼女は手すりから手を離し、雅騎に向き直り、じっと彼の瞳を見つめる。


「貴方を信じているからこそ、何もしないわ」


 あまりに真剣な瞳に、嘘はない。

 ただ、それ故か。あまりに真っ直ぐ過ぎる瞳は、彼に気恥ずかしさをもたらしたのか。

 雅騎は思わずそっぽを向き、頬を掻くと。


「それでいいなら」


 少しだけ困った顔をした。

 と。瞬間、はっと何かを思い出した彼の表情が変わる。


「そういえば。如月さんにお願いがあったんだ」

「あら? 私に?」

「うん」


 首を傾げた霧華に、雅騎は小さく頷く。


「御影や光里さん、綾摩さんに、はっきり今回の件否定しておいてほしいんだ」

「今回の件って、学校で疑われている話?」

「そそ。俺も直接否定したんだけど、三人共どうも信じてくれなくってさ。お陰で反応がどうにも余所余所しいんだよね」


 ふぅっと大きなため息をき、流石に疲れたと言わんばかりの顔をする雅騎。


「多分、誰かに探りを入れてくれとでも頼まれているんじゃないかと思うんだけど。流石にずっとそんなだとやりにくくって」


 その言葉に、一瞬彼女はきょとんとする。


  ──貴方、気づいてないの?


 霧華は、既に感じ取っていた。


 以前より露骨な位、雅騎の事を話す時に、自分のほうが親しいと言わんばかりの反応をする御影。

 彼の事を話す時、何処かぼんやり夢見心地な笑みを浮かべる光里。

 そして、雅騎の話をする時に、想像以上に彼を信頼するような台詞を口にする佳穂。


 そんな二人の心の裏に何があるのか。

 それは彼女ですら察していたのだが。雅騎はそれに気づいていないかのような言葉を口にする。


 今回の件で、彼女達を不安にさせたことを理解し。

 今回の件で、自身もまた、心に同じ想いを持ってしまったからこそ。


  ──まったく。鈍感なのね。


 彼女はふっと、はにかんだ。


 だが同時に。霧華はその想いを伝えてはならない事も理解している。

 未だ彼の心には、助けられなかった彼女過去が存在するのだから。


「いいわ。後で私からもはっきり伝えておいてあげる。安心なさい」

「ごめん。迷惑かけて」


 申し訳無さそうな顔をする雅騎に。


「それはこっちの台詞よ。巻き込んで悪かったわね」


 笑みを崩さず、霧華はそう返した。


 と。

 ふと、バルコニーの窓が少し開くと、


「失礼いたします」


 姿を現し、頭を下げたのは秀衡ひでひらだった。


「雅騎様。圭吾様が少しお話したいと」

「あ……」


 そんな事を言われていたのを思い出し、雅騎は彼女の顔を見ると。


「私はもう少しここにいるわ。いってらっしゃい」


 霧華はにこやかに微笑んだ。


「わかった。じゃあ」


 ゆっくりと雅騎は窓に……ではなく。霧華に歩み寄ると、羽織っていたブレザーをすっと脱ぐと、彼女の両肩に流れるような動きで羽織らせた。

 予想外の事に戸惑う彼女に。


「少し、預かってて」


 そう言って笑った雅騎は、そのまま秀衡ひでひらの後に続き、社交場へと戻っていった。

 人肌で温もっていたブレザーに、雅騎の優しさを感じ。


 霧華は少しだけ幸せそうな顔を浮かべると。再びバルコニーより夜景を眺め始めた。


* * * * *


 一部始終を見届けていた御影達は、互いにバツが悪そうに顔を見合わせていた。


 確かに、雅騎と霧華は付き合ってなどいない。

 それを知れた安堵は確かにあった。

 だがそれ以上に、彼女がドラゴン戦の顛末を最初から知っていた事実に驚いていたのだから。


 それだけでなく。


『御影は鈍感だから、どうかは知らないけど』


 そんな霧華の言葉に、


「うるさい! 私だって当に知っているぞ!」


 と、御影は思わず本人がいるわけでもないのに言い返してしまったのだ。

 結果、彼女もその出来事を思い出している事を佳穂達も知ってしまい。皆の空気はより気まずさを増してしまっていた。


「……何故、霧華は最初から我々に話さなかったのだ?」


 晴れぬ表情のまま御影が呟くと。


『きっとわたくしと雅騎の約束を、無駄にさせたくなかったからではないかと……』


 申し訳無さそうにエルフィがそう口にする。


「御影も、もう思い出してるんだよね?」

「う、うむ。佳穂も、そうなのか?」

「うん……。霧華が言ってた通り……」

「そ、そうか……」


 互いに歯切れの悪い会話を続けていくが。

 既に思い出した事をどうこうすることなど、お互いできようもない。

 そんな中。


姉様ねえさま達はみんな、雅騎様に助けられたのですね」


 この中で唯一部外者ともいえる光里が、どこかしみじみと語る。


「それは確かにそうだが……。お前は何でそんなに感慨深げなのだ?」


 思わず御影が彼女を見ると、釣られて佳穂やエルフィの視線も集まる。

 多くの視線に晒された光里は、はっとすると慌てて両手を振り強い狼狽うろたえる。


「い、いえ! 雅騎様は、どこまでいってもお優しい方なのだなと思っただけです!」


 素直過ぎる感想に、思わず御影と佳穂が顔を見合わせると、互いにふっと笑みを浮かべた。


「本当にな。でなければ我々はここにいないのだな」

「そうだよね。だからこそ、きっと霧華も速水君に助けてもらったのかも……」

「あいつは人が良すぎるからな。まったく……」


 呆れ口調にも、互いの笑みは変わらない。


 二人は、意思を通じ合わせたわけではない。

 だが、同時に心ではっきりと理解した。


 あの日助けられたからこそ、皆が今ここにあり。

 あの日助けられたからこそ、各々おのおのがの心に雅騎が強く刻み込まれているのだと。

 そして、それは今の霧華も変わらないのだと。


 そう。

 皆、変わらない。

 雅騎という人間に、助けられただけ。


『本当に、彼は変わりませんね』

「だよね。さっきも『勝手にやっただけ』って口癖みたいに言ってたもん」

「これはきっと、霧華もあいつに頭が上がらんぞ」

「でも雅騎様は、そんな事を鼻にかけはしないと思いますよ」

「確かにそうだな」


 にこやかに話す四人。

 そこにはもう、二人の恋人関係を疑う気持ちはなかった。


 ……いや。

 疑う気持ちは拭えなどしない。

 だが、それはもうどうでもよかった。


 雅騎に生きる運命をもらい、感謝する仲間だからこそ。

 もし霧華が彼に想いを寄せていようとも、同じ助けられた者なら、そんな気持ちを持っても仕方ないのだと、何処か晴れ晴れとしていたのだから。


  ──お嬢様。良いお仲間を、お持ちになりましたね。


 そんな四人に何も語らず。

 しずもまた目を細め、少しだけ嬉しそうに微笑んでいた。

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