男のふりをした女と、滅多に見かけないエルフ

 丘陵地帯をヤーカとソフィアはしっかりとした足取りで歩んでいきます。ここ数日雨が降ったり止んだりだったので、地面はぐちゃぐちゃになっていましたが、旅とはこういうものであり、汚れるのは日常茶飯事なのです。

 人さらいの襲撃の後数日後、ヤーカとソフィアは迷宮街にほど近い所までやってきていました。なんと、今二人が進む地域には今まで何もなかった丘とは違って、腰の高さほどの、薬草になる木が植えられており、畑を管理しているらしい農業従事者がぽつぽつと見えていました。

 そして、数日一緒に旅をした二人は相応に親睦を深めていました。ヤーカが会話の種に自分が北方の村から一人飛び出て、王都で受験をしたことをソフィアに話していると、彼女はとても感心したように目を大きくさせながら頷きます。

「へぇ、騎士になるために村から出てきたんだ」

「そんなところです」

 そして、ソフィアはヤーカの腰にある、人さらいから奪い取った剣と、彼女の古びて汚れた旅装へと視線を向けます。

「騎士って言うには剣とか持ってなかったし、みすぼらしいけど?」

 その揶揄いの言葉にヤーカは唇を尖らせて、奪った剣の柄頭に手を置きます。どんな経緯であれ、もうこの剣はヤーカの相棒でした。

「一介の村人に剣なんて買えないですよ」

 先日判明した入学金金貨500枚とまではいきませんが、しっかりとした作りの剣はそれなりの値段がします。通常そういったものは村中から金を出して纏めて買い、村の共有財産として使用します。それはヤーカが儀式に使ったナイフも例外ではなく、そういう意味ではヤーカはナイフを買ってもらった金を村への貢献と言う形で一切還元していなかったので、彼女は少しの後ろめたさはありました。

 ソフィアはヤーカの微妙な表情を横から見て、何となくその事情を察すると、抱いた感想をぽろっと口に出します。

「あ、村には無断で?」

「うん、まぁ」

 ヤーカが頬を掻きながらそう言うと、ソフィアは腕を組み、ヤーカの横顔をしっかりと覗き込みます。見られているヤーカは、全てを見通してしまうようなエメラルド色の瞳から逃げるように明後日の方向へと顔を向け、その仕草にソフィアはくすくすと笑いながら楽しそうに声を上げます。

「凄い根性」

 確かに根性だけでここまで来ているな、とヤーカが改めて思い返すと、その根性だけではどうにもならない現実をどうしても思い出してしまいます。そして、ヤーカはこの際なら全部愚痴ってしまえと、沈んだ声を上げました。

「お金が足りなくて入学できるか怪しいですけど」

「そうなのかい?」

 ソフィアが首を傾げると、ヤーカは大きなため息をつきながらわけを話し始めます。

「特待生で行けるかなって思っていたんですけど、入学金は必要みたいで、金貨500枚!」

 最後は大声でヤーカが両手を大きく広げてみますと、その値段の大きさに基本悪戯っぽいソフィアも眉を顰めて真剣な声を上げます。

「……稼げる?」

 その冷静な声に、ヤーカは何とか楽観的な思考を持って今まで保ってきた気持ちがどんどん沈んでいってしまいます。

「稼ぐしかないですよ」

「根性あるねぇ」

 ソフィアは苦笑いをしながらヤーカの肩を叩き、元気づけようとします。ヤーカはそのソフィアの気遣いに会釈してお礼を言うと、自分の暗い話はそこで切り上げることにしました。

「あなたは?」

 打って変わって、自分に話を振られたソフィアは驚いた表情になって、実にバツが悪そうに頭を掻いて、ヤーカから視線を逸らして前を向きます。

 そして、しばらく無表情で黙った後、静かな口調で語り始めました。

「私も似たような物だよ。村が嫌で飛び出して、旅費でも稼ごうかと迷宮街に」

「なるほど」

 ヤーカはソフィアの言葉の裏にある、のっぴきならなさそうな事情を察してしまい、踏み込み過ぎたかと閉口してしまいます。すると、ソフィアは気を取り直すかのようにアハハと取り繕ったような笑いをして、ヤーカに大丈夫だと手を振ります。

 そこで、ヤーカはここは一度くらいは会話を続けるのがいいかなと、あたりさわりのない話を振ってみます。

「エルフって、あまり外には出ないんですか?」

「出ないね」

 ヤーカの質問にソフィアは何でもないように言い、その言い方にヤーカはほっと心の中でため息をつきます。しかし、ソフィアは、普通の人なら聞こえないような小声でぽつりとつぶやきました。

「うん。少ないね、少ないよ」

 そのひとり言は、儀式の後から人間の状態であっても耳が良くなったヤーカにはしっかりと聞こえていて、彼女はソフィアの過去については一切触れないでおこうと心に決めるのでした。

 そして、何となく居心地の悪い沈黙の中で二人は道を歩き続け、やがて夕方に差し掛かった頃、丘の間から街が見え隠れするところまでやってきました。

「さて、迷宮街だ」

 ソフィアがそう言うとヤーカも頷き、二人はさっさと宿屋のベッドで寝たいとどうしても早足になってしまうのでした。


 丘陵地帯の丘の間にある迷宮街は、近付いてみてみれば高低差が激しい街のようでした。家々の屋根が上がったり下がったりを繰り返しているのが街の外でもよく見えて、そんな様子を見ながら二人は道の途中にある木でできた簡易的な門へとやってきます。

 迷宮街はアーク王国の中ほどにありましたので、防衛用の街の城壁などはなく、門は本当に申し訳程度にあったものでした。

「ソフィアさん、顔を隠さなくて大丈夫ですか?」

 そんな門を遠めに見たヤーカが隣のソフィアのそう問いかけると、彼女は大丈夫と胸を張って見せます。

「街の中ではさすがに大丈夫でしょ。それに、あの街にはエルフも住んでいるそうだよ」

 その言葉にヤーカはなぜ彼女が旅費を稼ぐためにわざわざ迷宮街に来たかの理由を理解して納得します。そして、それなら大丈夫かと二人は門へと近づき、衛兵へと声をかけます。

「こんにちは」

「迷宮街へとようこそ。こっちから人が来るなんて珍しいな。通行税は銀一枚だよ」

 ひげを良く整えて清潔感のある衛兵はそう言うと、二人は各々の財布から銀一枚を取り出して手渡します。そして、二人は人さらいに出会ったことと、それを撃退したことを報告します。

 その報告に衛兵は驚いた表情で「王都にも近いのに人さらい?」と声を上げます。二人は衛兵からの質問に一つづつ答えると、彼は先ほどの銀貨を三倍にして返してきてそれを不埒者の討伐料としました。

 銀貨を受け取ったヤーカは数日前から気になっていて、先ほどの衛兵の言葉からも首を傾げていたことを問いかけます。

「こっちの道は人が来ないんですか?」

「王都への早馬用の物だからね。普通は町の北にある、真っすぐに舗装した道を使うもんだよ。遠回りだけど歩きやすいんだ」

 ヤーカは『遠回り』という言葉に、ディックの心遣いを察します。きっと彼は時間の無いヤーカのために最速で迷宮街へと来れる道を教えてくれたのでしょう、ヤーカは王都で下宿を探しているはずのディックへとお礼を念じました。

 一方のソフィアは、舗装されて人通りがあった道があるならここまで苦労せずに済んだじゃないかと、一人で勝手に憤っていました。

 衛兵は顔が整った男と、珍しいエルフと言う組み合わせが、お互い正反対の表情をしていることに首を傾げてしまうのでした。

「ええと、街では騒ぎを起こすなよ」

「大丈夫ですよ」

「ま、騒ぎを起こそうもんなら、探索者にボコボコにされるのがオチだろうがな」

 気を取り直した衛兵の忠告にそんなまさかとヤーカが首を振ると、彼は剣呑なことを言い始め、その言葉にソフィアはこれなら人さらいは出なさそうだなと安心します。

 そして、二人はようやく迷宮街へと足を踏み入れるのでした。

 迷宮街は王都と同じように人種のるつぼでした。しかし、王都と違う点がいくつかあり、その内の一つは犬や猫のような特徴を持つミアキス人、トカゲのようなワニのような鱗を持つドラコ人達のような力が強い種族の割合が多いように見える事。

 そして、一番の相違点が皆が皆、剣や杖などで武装していたことでした。

 ここが迷宮街と知らなければ、ともすれば戦時中と錯覚してしまうような光景に、ヤーカとソフィアは目を丸くしてしまいます。

 しばらく二人が物珍しい視線を街へと向けると、気を取り直したヤーカがソフィアへと向き直り頭を軽く下げます。

「それじゃあ、また。お元気で」

 ヤーカがそう言って別れの挨拶をしようとすると、ソフィアはヤーカの体を下から上へと眺めて、何かを考え込み始めます。

 そんなソフィアの様子にヤーカが眉をあげると、ソフィアは頭を下げるのではなく右手を差し出して一つの提案をしてきます。

「良ければ一緒に迷宮に潜らないかい?」

「良いんですか?」

 その言葉にヤーカはびっくりして、思わず聞き返してしまいました。ヤーカは先日の人さらいとの戦闘でソフィアの攻撃魔術の強力さを知っていたので、これから無理にでも迷宮に潜らなければならない彼女にとってはとてもありがたい申し出でした。

 一方の提案したソフィアにしても、エルフである自分を何の見返りも無しに助けてくれた人とコンビを組んで迷宮に潜ったほうがトラブルはないという打算がありました。

「もちろん。キミの戦い方はよくわかったし、上手くやっていけそうだ」

 ソフィアはそう言って差し出した右手をもう一度突き出します。ヤーカはソフィアのエメラルド色の瞳と目をしっかりと合わせて、笑顔でその差し出された右手をしっかりと握ります。

「それはこちらの台詞です。よろしくお願いします」

 二人がとても固い握手をすると、ソフィアはふと気付いたことがあるという表情になり、悪戯っぽい笑みで口を開きます。

「じゃあ、まずはその敬語をやめるところからだね」

 ヤーカはその言葉に頷き、挨拶をもう一度することにしました。

「よろしく。ソフィア」

「こちらこそよろしく、ヤーカ」

 こうして男のふりをした女と、珍しいエルフという探索者コンビが出来上がったのでした。

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