男ふりしてようが、してまいが必要な物

 実技試験が終わると、試験官二人は何事かを相談し始めます。その相談は一時間近くも続き、その間待たされるヤーカを含めた受験生は緊張で手に汗をかいてしまいます。すると、やがて生真面目そうな男が顔を上げ、手元に持った紙と見比べながら受験生の肩を叩いて回ります。

 その肩を叩かれた人の中にはヤーカが含まれていて、彼女は肩を叩かれた瞬間に一時間ずっと詰まっていた息を大きく吐き出すのでした。

 そして、実技試験に合格したのはヤーカを含むたった15人だけで、その15人は庭に残され、残りの500人近い人たちは庭から追い出されてしまいます。中には、大声で泣いている者もいたりして、ヤーカはそんな人のことを見るとばつの悪い顔になってしまうのでした。

 ヤーカが残った15人を眺めると、その中にはディックやいけ好かない矢の優男、その上剣の試合でヤーカに負けた男も含まれていました。

 やがて不合格になった人間がその場からいなくなると、仕事が面倒いと顔にかかれた男が両手を振って合格者の間を縫うように歩いていきます。そして、その後ろからは生真面目そうな男が、紙と万年筆らしいペンを配っていきます。

「次は筆記だ!全員離れろ!紙とペンを回すから、1時間で答えろ!」

 しかし、生徒の殆どがその万年筆らしいペンを手にして困惑した表情になります。困惑していないのは、ヤーカが試合で打ち負かした子のような身なりの良い子ばかりで、ディックやヤーカといったあまり育ちが良くないものはわけがわからないと首を傾げてしまいます。

 試験官はそれにすぐに気が付き、実に面倒くさそうに頭を掻きながら説明をします。

「ああそうか、その説明しないといけないのか。蓋とったらインクが出て書けるから。字が汚いくらいは大目に見てやる」

 その言葉通りにヤーカは板に張り付けられた紙の端に、ぐるりと線を書いてみます。薄い金属に細い切れ込みが入っていて二股に分かれており、妙に柔らかいそれを紙に押し付けるとその間からインクが出るという、知っている人には当然な、一方で知らないヤーカ達にはとても繊細な筆記用具だという印象を与えるものでした。

 いつもは地面に木の棒で文字を書くか、黒板にチョークで文字を書くかしかしてこなかったヤーカにとって、とても新鮮でかつ難しい行為なので、口をへの字に曲げてしまいます。

「始め!」

 しかし、文句を言うことなどはできず、ヤーカは諦めて指定された紙の端に自分の名前を書いてきます。

 そして、改めて問題を読んでみると、その内容なあまり難しい物ではないように思えました。暗算できる程度の簡単な計算問題から始まりそれをすらすらと解くと、とんでもなく回りくどく書かれた文章題へと変化していきます。

 特に最後の問題は、回答に不必要な情報が大量にちりばめられており、ヤーカはその迂遠な文章を読むだけで頭が痛くなるほどでした。ですが、ヤーカは出された問題の全てに回答しきることが出来、時間も十分に余らせることが出来ました。

 結局、ヤーカは3回ほど自分の回答を見直したところで試験終了の合図を試験官が出します。試験が終わると、生真面目そうな男が紙を一枚一枚回収して、その内容を改めていきます。

 先ほどの実技試験の相談とは打って変わって、生真面目そうな男は相談もなく、静かな声を急にあげ始めます。

「ディック、合格」

「え?」

 合格を宣言されたディックは、まさかこんなすぐに合格を告げられるとは思っていなかったのか、素っ頓狂な声を上げます。そして、ヤーカが今日できた友人の合格に笑顔になっていると、

「ヤーカ、合格」

 自分も合格を発表されました。

 あまりに突然のことでしたが、自己採点で満点だという自信があったヤーカはこぶしをぎゅと握りしめて自分が正しかったことに満足します。

 その後も、次々と合格が発表されていき、結局名前を呼ばれたのは15人中10人でした。不合格者は漏れなく、合格者のことを親の仇のような目で見つめ、ヤーカはその視線があまり心地よくないと顔を顰めます。

「名前を呼ばれなかったものは不合格!合格者には冊子を渡すので、よく読んでおくように!では、解散!」

 そして、試験終了はとてもあっけなく、その後は男が面倒くさそうに合格者に紙の冊子を渡して解散と相成りました。ヤーカは早速その冊子の一ページ目を開こうとしますが、それを遮るような元気な声が飛んできます。

「やったな!」

「そっちこそ!」

 その声はディックで、彼は右手こぶしを突き出してきます。ヤーカはそのこぶしに自分も右手でこぶしをぶつけて、お互いの合格を祝います。そして、ヤーカが他の合格者をちらりと見ると、やはりと言うか、いけ好かない矢の優男と身なりの良い子は合格していました。

 ヤーカは視線をそんな二人からすぐに逸らして、ディックへと右手を差し出します。

「春からよろしく」

「こちらこそ。いい友達になれそうだ」

 握手をした二人は他の合格者と同じように、王宮から出て行こうと歩みを進めます。その間もヤーカは冊子をパラパラと読み飛ばしていて、その姿にディックは勤勉な人なんだなと感心します。

 そして、改めてヤーカの横顔を眺めてみたディックは、汚れた旅装や、ざっくばらんに切られた髪に誤魔化されてはいるものの、ヤーカはかなり美少年な方だということに気が付きます。

「住むところ決めたか?」

「いや、ま…………だ?」

 そして、ディックが適当な話題を振って、良ければ下宿を一緒に探そうと提案しようとしたところで、ヤーカがピタリと歩みを止めて、顔からさあっと血の気を引かせて真っ青になっていきます。

「どうした?」

 ディックはそんな尋常ではないヤーカの様子に、何があったのか心配そうに肩を叩きます。ヤーカは冊子を大慌てであっちへ行ったりこっちへ行ったりと読み込み始め、ディックは王宮内で立ち止まってはマズいとヤーカの背中を押して歩き始めます。

 そして、王宮の門扉から二人が出たところで、ヤーカはわなわなと震えながら声を絞り出します。

「初年度入学費、金貨500?500枚?」

「え、ああ。そうだけど?」

 その言葉に、ディックは当然だろうとヤーカのことを見ますが、当のヤーカはその事実を知らなかったために茫然と言葉を紡ぎだします。

「あれ?え?嘘?特待生制度とかって……」

 お金を持たずに村を飛び出てきたヤーカの頼みの綱は、成績優秀者の特権である学費全面所の特待生制度で、そのために筆記試験も満点を取れるように頑張ったのでした。しかし、ディックは沈痛な面持ちで首を振ります。

「後期からだぞ」

「……」

 ヤーカは押し黙って閉口し、そんな彼女に追い打ちをかけるかのようにディックは言葉を続けます。

「免除されるのは学費だけで、制服代とかは払うんだぞ」

 その言葉を聞いたヤーカは眩暈がしてきて、思わずその場にしゃがみ込んでしまいます。ディックは慌ててそんなヤーカに肩を貸すと、とりあえず王宮の前の大きな道を渡り切って、路地へと彼女を誘います。

 そして、路地に付いたヤーカはそこに偶々あった木箱に座り込み、顔を両手で覆いながら死んだような声を上げます。

「どうしよう」

 ディックは何とか慰めの言葉をかけようと口を開きかけますが、何も思い浮かばず、最終的には現実的なことを言います。

「ええと、あれだ。稼がないと」

 しかし、その言葉にヤーカはぱっと顔を上げて、ディックのことを見上げてこの世の終わりだという表情で口を開きます。

「金貨500枚を?村全体で一年働いてようやく金貨1枚2枚なのに?」

 ディックはため息をつき、ヤーカも気の抜けた「ああ……」という言葉にならない声を上げました。せっかく受験に合格したのに、地獄のような雰囲気が二人の間を流れ始め、そんな二人を待ちゆく人々は受験に落ちたんだなと勘違いしてしまいます。

 やがて、ヤーカはディックに静かに問いかけます。

「ディックはどうしたんだ?」

「俺は孤児院と先輩たちのカンパで」

 ディックは孤児院の出身で、迷宮に潜りながら弟分たちのために日銭を稼いでいたら、才能を見込まれて迷宮探索者の先輩や街の人たちの好意でここに通わせてくれるという話になったんだと身の上話をします。

 しかし、そんな身の上話も今のヤーカは右から左へと聞き流すばかりであり、ディックはそんな彼女の様子に、短い付き合いながらも彼女が実に参った様子だということがわかってしまいます。

 そして、ディックはしばらく考えて、一つの提案をします。

「……迷宮街で迷宮に潜って、珍しい物を手に入れられたら間に合うかも」

「本当に?」

 ヤーカは一筋の光が差し込んできたと、僅かに希望が宿った表情になります。

「運が良ければ」

 ディックは、『五指に入る探索者が』『深い階層で』『命がけの上で』という枕詞を全部省略してヤーカに希望を与えます。果たしてヤーカはその希望に、段々と晴れやかな笑顔になり、腰を下ろしていた木箱から素早く立ち上がります。

「西の方だったな?」

 そして、早速王都を出て剣の迷宮街へと出発しようとしたところを、ディックが大慌てで引き留めます。

「待て。迷宮の潜り方も教えるから」

 その言葉に、ヤーカはディックの両手を取って、彼に花が開いたかのような笑顔で何度も何度も頭を下げてお礼を言います。

「ありがとう、ありがとう!本当にありがとう!」

「いいってことよ」

 ディックは、美形の男が笑顔になるとここまで様になるんだな、と若干苦い笑顔になるのでした。

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