男のふりをした女と、エルフとの出会い

 王都から剣の迷宮へとつながる背の低い草で覆われた丘陵地帯の、曲がりくねった道の途中、ヤーカは三叉路脇の近辺で唯一あった木の下で雨宿りをしていました。黒い雨雲が空を覆いつくし、そこから秋の冷たい雨が降ってくるのを、ヤーカは時々木陰の端へと歩み寄って眺めます。

 そして、風が吹いてくる方の雨雲が薄くなっていて、そこから日の光がわずかに漏れ出ているのを認めると、後もう少しで雨は止んで出発できそうだと感じます。

 ヤーカは先の王都での受験から二週間ほど西へと進んで、剣の迷宮街へと向かっていました。そこでの目標は、金貨を500枚ほど稼ぐこと。下宿などでかかる生活費なども考えると550枚ほどは稼がないといけないのですが、ヤーカは努めて楽観的でいようとしました。

 現実的に考えると不可能だったので、あまり考えないようにしていたとも言います。

 ヤーカが腕を組んで、風に吹かれて草の波が見える様子や、形を変え続ける雨空を見上げていると、三叉路の王都とも剣の迷宮街とも別の方向から、黒いローブを頭からすっぽりと身を包んだ背の高い人がやって来るのに気が付きます。

 雨に濡れて泥になった土の道を、勢いよく蹴りながら走ってきたその人物は、息を切らしながらヤーカの前で止まります。自分よりも背の高いその人が息を整えるのをヤーカが気になるなと見上げていると、その人はそこだけ陰にならずに見えていた口を開きます。

「剣の迷宮がどっちかわかるかい?」

 女性の実に綺麗な声でした。ヤーカは内心でチリーといい勝負だなと思いながら、三叉路の迷宮街の方へと指をさします。

「こっち方面ですけど、もうすぐ雨は止みますよ?」

「解ってる。ありがとう」

 ヤーカのおせっかいはその女性には受け取ってもらえず、彼女はまた泥でローブの裾を汚しながら走り去ってしまいます。ヤーカはなんとなく彼女が曲道で見えなくなるまで見送って、心配になるなと肩をすくめました。

 そして、女性が走り去ってから一時間ほど、雨足が随分と弱くなってもうそろそろヤーカが出発しようとしたころ、先ほど女性が来た方向の道からドッドッドッという激しい足音と共に馬5頭走ってきました。

 ヤーカが目を凝らしてその馬と馬に乗っている人達を見てみると、騎乗している人物は押しなべて、凸凹な胸甲に身を包んで顔が傷だらけの上、ひげを汚らしく全く整えていない、いかにも怪しい人物でした。

 そんな彼らがやがてヤーカの所に来ると、彼らは腰に携えた剣の柄に手をやりながらドスの利いた声でヤーカに怒声を浴びせてきます。

「おいお前!ここに人が来なかったか?答えろ!」

 あまりの印象の悪さにヤーカは顔を顰めてしまい、とっさに本当のことを言ってもいい物かと逡巡してしまいます。いかにも不審者で人さらいですと言ったような風貌の人物に、きっとフードの中は美人だろうということが察せられる人のことは言うのは忍びないと、ヤーカは嘘をつくことに決めました。

「ええと、向こうへ行きました」

 結果的にヤーカが指示したのは王都への道であり、女性が行った方とは反対側でした。ヤーカのその答えに男の内リーダー格らしい人物が、彼女へと胡乱気な視線をよこしますが、ヤーカがにこりと作り笑顔を見せると、嘘ではないと判断したのか王都への道へと馬の鼻を向けます。

「嘘だったらタダじゃおかねえからな。行くぞてめぇら!」

 そして、そう捨て台詞を残して男たちは走り去っていきました。ヤーカは男達が道の起伏に隠れて見えなくなって、それからしばらく時間をおいて彼らが戻ってこないことを確認すると、雨の中一目散に走り出し、女性の方へと向かいました。


 一時間ほど後から走る人を追いかけるのは骨が折れそうなものでしたが、女性は途中から疲れて歩いていたのか、ヤーカが走って一時間もしない内に追いつくことが出来ました。

 そして、ヤーカは女性に大声をかけます。

「そこの方!」

 女性はびくりと肩を跳ね上げて、勢いよく振り返ります。その手には茶色い杖が握られており、ヤーカは剣呑な彼女の雰囲気に両手を上げて無害だと主張します。

「なんだい?」

「怪しい男があなたのことを探しているみたいでした」

 ヤーカが息を切らしながら先ほど見た怪しい男5人組のことを言うと、女性は杖をヤーカに向けたままその先端をゆらゆらと揺らします。

「キミは?」

「え?」

 ヤーカは質問の意図がわからないと首を傾げますが、女性は困惑するヤーカの表情や仕草を見て、そこでようやくこちらに対する害意はない事を認めて杖をローブの中に仕舞います。

「いいや、何でもないよ。ありがとう」

 そして、女性はそうお礼を言うと迷宮街の方面へと振り返り、また走り出そうとします。しかし、結果的に彼女は走り出さず、またもや後ろを振り返ることになります。

 なぜなら、遠くからドッドッドッという馬の激しい足音が聞こえてきたからです。女性とヤーカはどこか隠れる場所はないかと辺りを見回しますが、ここは草しかない丘陵地帯。背の高い馬で上から見られるとどうしても見つかってしまいます。

「キミは隠れて!」

 しかし、それでも女性はヤーカに隠れるように言いながら、先ほど仕舞ったばかりの杖を取り出し臨戦態勢に入ります。

「いいえ、俺も加勢します!」

 ですが、ヤーカもここまで来ては女性を一人見捨てることはできないと背中から弓を取り出して、そこに矢を番えて丘の陰から馬が出てくるのを待ち構えます。

「いいから!」

 女性はなおもヤーカを遠ざけようとしますが、ヤーカは首を振ります。

「女性を一人ほっとけないでしょう!」

 そしてヤーカがそう言い切った瞬間、丘の陰から人さらいたちが現れます。相も変わらず5人組でとても汚らしい男達でした。

「てめえ!嘘教えやがったな!死ね!」

 ヤーカはそう叫ぶリーダー格らしい男へと矢を射かけます。風を正確に読んで、男の胸甲などで防護されていない顔を目掛けて放たれたそれは、見事に男の眉間へと刺さります。矢じりは頭蓋骨を簡単に貫通して、脳へと達しリーダー格らしい男は即死してしまいます。

 一方でリーダー格の男が死んでも残りの四人は一切ひるむことなく、馬上で剣を抜いてヤーカの方へと突進してきます。二本目の矢を射る暇はないとすぐに判断したヤーカは弓を投げ捨てて、儀式の日からこちらずっと世話になってきているナイフを取り出します。

 通常のナイフよりは長く、一方で剣よりも短い刃渡りのそれは、馬上の人間を攻撃することは難しいことが誰の目にも明らかでした。

「死ねッッ!!!!!」

 ヤーカは高い所から、馬の速度も合わせて振るわれる剣をナイフで上手く受け流します。一人目、二人目とすれ違いざまに攻撃されてもそれを完全に防ぎきると、先ほどの女性は通り過ぎた一人目の男の背中目掛けて魔法を放ちます。

「『セカーレ』!」

 切り裂けと鋭く呪文を詠唱すると、一人目の男は鉄の胸甲ごとずたずたに引き裂かれてしまいます。それを見たヤーカはこれならいけると判断し、ナイフを改めて構えなおし、残り三人となった人さらいと相対します。

「10秒ほど頑張ってくれたらいいから」

 ヤーカは後ろに庇った女性の囁き声に頷くと、ここで勝利するためには自分は援護に徹すればいいと理解します。しかし、人さらいのうちの一人もこの戦闘のキーマンが魔術を使う女性だということにすぐに気付き、他の二人に命令を飛ばします。

「先に女をやれ!」

「命令すんな!」

 人さらい三人の内の二人は右と左へと旋回し、左右からヤーカ達を挟撃しようとします。そして、残り一人も時間をおいて突っ込んできて、ヤーカは彼らの武器の間合いを見ながらどうすれば今からの三連撃を防御しきることが出来るか考えます。

 ナイフで三連撃を受け流すのは不可能、走って逃げるのも勿論無理、ならば――

「伏せて!」

 ヤーカは女性のローブを後ろ手に下に引っ張って地べたに向かった寝そべるほどに伏せさせ、ヤーカも地面に膝をつきます。そうすると、ただの剣で武装した人さらいたちには、ギリギリまで身を乗り出さないと地面まで間合いが届かないと判断したのでした。

 果たして結果はそのようになり、右から来た人さらいはただ二人の上を通り過ぎるばかりでした。しかし、一方の左から来た人さらいは、ヤーカに目掛けて剣を投げつけてきました。

 味方が三人いるからこその武器の放棄に、ヤーカは目を見開きながらも、勢い良く投げられた武器をナイフではじきながら何とか紙一重で回避します。

「『セカーレ』!」

 投げられた剣とナイフが甲高い金属音を鳴らしたその瞬間、女性は呪文を唱え、先ほどただ通り過ぎた人さらいの体を切り裂いて殺します。

 ですが、三連撃はまだ途中で、最後の真正面から走ってきていた人さらいへとヤーカは目を向けます。その人さらいは剣を掲げ、ヤーカに向かって鈍色のきらめきを振り下ろそうという格好になります。

「だらぁっ!」

 しかし、繰り出された攻撃は馬の前足による突進攻撃でした。ヤーカは迫りくる巨体に冷や汗をかきながら、後ろの女性を思い切り突き飛ばしながら右側、人さらいから見ると左へと飛び退きます。

 そして、ヤーカは空中で体を回転させながら、ナイフを振りかぶり、こちらを睨みつける人さらいの首めがけてナイフを投擲しました。回転しながら飛んでいった鋭利な刃は、ヤーカの狙い通りに人さらいの首を切り裂き、太い血管から凄まじい量の血を噴出させます。

 人さらいは即死はせずに左手で噴き出る血を何とか抑えて走り抜き、二人の人さらいはすぐに合流します。

 片方は首が大きく切れて、もう片方は武器を持たず。一方のヤーカも武器を持っていませんでしたが、女性の方は魔法を放てる杖を未だに人さらいの方へと向けていました。

 そんな状況に人さらいは分が悪いと判断を下したのか、血が止まらい方が、すぐさま血が足りないのか顔を青くさせながら馬の踵を返させます。

「うぅ……、逃げんぞ……」

「チッ!」

 そうしてすぐさま二人は走り去っていきますが、それを許すヤーカではありませんでした。ヤーカは一番最初に投げ捨てた弓の元へと走ってそれを拾い上げると、すぐさま弓を引いて、武器を失った方の人さらいへと矢を放ちます。

 ヒョウッっと風を切った矢は寸分たがわず、人さらいの後頭部へと突き刺さり、その衝撃と共に男は馬からずり落ちてしまいます。

 結果的に首が傷ついた人さらいは逃しましたが、あの血の出方を見るに失血死してしまうのは明らかでした。

 戦闘は終わってみれば短い時間でしたが、その内容は濃密な物で、ヤーカは疲れたと息を大きく吐き出します。そして、先ほど投げたナイフを拾い上げながら一応残った人さらいたちが生きていないかどうかを確認しようとしたとき、ローブを着た女性が声をかけてきました。

「助かったよ。ありがとう」

 ヤーカがそちらの方を見ると、彼女の黒いローブは裾だけではなく胸やフードのあたりまで泥だらけになって茶色になっていました。ヤーカはそれに少し申し訳ない気分になりますが、命あっての物種だと気を取り直します。

「どういたしまして。人として当然のことをしたまでです」

 ヤーカはそう言って微笑みます。

 そして、二人は周りの死体を見やってどうしようかと考え込み、とりあえず道の端へと寄せればいいかと判断して、そうします。死体を道の外に出す頃には雨は止み、黒い雨雲が灰色になって、その間からは光の梯子が幾つも降りてきていました。

 作業が終わると、ヤーカは女性に一つの提案をします。

「俺も剣の迷宮へと行くので、一緒に行きませんか?」

 人さらいに狙われるような人を放っては置けないという善意での提案で、その善意は相手にしっかりと伝わったようでした。

「じゃあ、お願いしようかな」

 女性が嬉しそうに声をワントーン高くしてそう言うと、ヤーカは右手を差し出して自己紹介を簡単にします。

「俺はヤーカ」

「私は……。そうだなぁ、ソフィアで」

 女性はそう言って握手をしますが、ヤーカは女性の明らかな偽名の名乗りに胡乱な視線をよこしてしまいます。すると、ソフィアは肩をすくめて事情があるんだという仕草をします。

「そうですか」

 ヤーカは余計な詮索はしないと肩を落としながら身を引きましたが、当のソフィアは顎に手を当てながら考え込んで、やがて手を叩きます。

「ま、キミならいいだろう」

 その言葉にヤーカが首を傾げると、ソフィアはローブの外套をぱっと外してしまいます。その瞬間雲の間から覗いた太陽が二人に光を差して、そのまぶしさにヤーカが目を閉じてしまいます。

 やがて、強い光に慣れたヤーカが目を開くと、そこにいたのは美しい女性でした。

 ソフィアは一見して色白な印象で、一番最初に目が付くのは彼女の美しい髪でした。

 ローブからこぼれ出たソフィアの髪は腰のあたりまであるほどに長く、その色は根元はエメラルド色でしたが、毛先に掛けて徐々にタンザナイト色へと変わっていくような不思議な色で、光の角度によっては全体的に緑がかったり青がかったりと様々に変化します。

 髪に引けを取らないほど美しく端正に整った顔にあるのは、煌びやかなエメラルド色のぱっちりとした瞳で、それを覆うまつ毛はアクアマリンのような淡い色合いでした。

 そして何より、彼女の髪を割くように突き出した、長い耳が特徴的でした。

「エ、エルフ!?」

 ヤーカは王都ですら見なかった種族の名前を素っ頓狂に叫びます。びっくりして裏返った声に、ソフィアは愉快そうに微笑むと、自分の耳の先をはじきながら美しく笑って見せました。

「そう。エルフだよ。美人だろう?」

 ヤーカはこくこくと頷くくらいしかできないのでした。

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