ありがとう

 ソフィアは詰所で衛兵からの事情聴取を長い時間受けて、ついでに使い魔に関する書類を何枚も書かされました。そして、ようやく解放された時には日が暮れていて、ソフィアは疲れたと肩を回しながら、水で流されて綺麗になった白狼と共に詰所から出てきます。

 満月の夜空の下、人混みをかき分けながら一人と一匹が道を歩き始めると、白狼は帰り道の途中で路地へと走って行ってその姿を消してしまいます。ソフィアは彼のことを追いかけようと手を伸ばして走りだろうとしましたが、一歩足を出したところで足を止めます。

 そして、その場で何事かを考えると、笑いながら軽くため息をつき、ゆっくりと歩いて宿屋へと帰ることにしました。

 夜の迷宮街は迷宮から帰ってきた探索者たちでごった返していました。種族の違う彼らは皆が皆体を汚しながら、今日の成果を口々に自慢をしていました。種族を越えたやり取りがあちらこちらで行われている様子に、ソフィアはどうしても口角が上がっていくのを感じます。

 そんな中ソフィアは自分に向けられる視線が以前よりも減っていることに気が付きました。昨日まで感じていた視線はそういう意味だったんだな、と内心反省しながら歩いていると、真正面から黒い髪を持った美形の男が走り寄ってきました。

 ヤーカでした。彼女はいつもは編んでいる髪が伸ばしっぱなしになっていて、邪魔にならないようにただ耳に掛けているだけでした。

「ソフィア、無事だったか」

 ヤーカは微笑みながらソフィアの前に立つとそう言って、ソフィアは彼女のその態度に小さく吹き出してしまいます。

「大丈夫。何にも問題ないよ」

 そして、二人は並んで歩き始めます。向かう先は宿屋で、もう遠くはない距離でした。二人が無言で人混みを縫って歩いていると、ふと小さな声でソフィアが隣の、自分よりも少し下に顔があるヤーカへと声をかけます。

「なぁ、ヤーカ」

 ヤーカはソフィアのことを見上げて、何だ?と眉を傾けます。ソフィアは彼女の灰色の瞳を覗き込みながら、言っていい物かとしばらく考えて、やがて口を動かしました。

「あの狼、ヤーカだろう?」

 その問いかけと言うよりは確認の言葉に、ヤーカは頬を掻いて視線を逸らしながら頷きます。

「まあ、うん」

「そうか」

 ソフィアが合点がいったと頷くと、二人はまた無言で歩き始めました。

 二人がやがて宿屋に付くと、通報のお礼をヤーカは女店主へと言います。結局は、ヤーカが詰所を荒らしまわったので、その意味は半分ほど薄れてしまったのですが、それでも、衛兵がすぐさま狼を追って飛び出ることが出来たのは彼女の通報で衛兵たちがすでに武装していたからでした。

 そして、二人は二つのベッドがあるいつもの部屋へと帰ってくることが出来ました。ちなみに、ソフィアの荷物を漁った形跡は隠滅されていました。

 ヤーカが自分のベッドへと座ると、ソフィアは彼女の隣に腰を下ろしました。窓から入ってくる満月の月明りは、二人のことを照らし出していて、特にソフィアの髪は美しく光り輝いていました。

 しばらくは無言の時間が過ぎ、やがてソフィアは手を組んで親指同士をくるくると回しながら口を開きます。

「キミはネウロンの民だったんだな」

「それは知らない」

 ヤーカは突然言われた、一方でどこかで聞き覚えのある言葉に首を傾げます。ソフィアは本当に知らなさそうなヤーカの声に、解説を付け加えていきます。

「儀式によって狼に変身することが出来る民族だよ。上先代の書物にきちんとした記述がある」

「へぇ」

 ヤーカがソフィアの解説に感心した声を上げると、ソフィアは組んでいた手をほどいて、ヤーカの太ももに手を置きながら彼女へと迫ります。

「違う。そうじゃない。そういうのが言いたいんじゃない」

 ソフィアは鼻先が相手に当たるのではないのかと言う距離で首を振って、そのエメラルド色の瞳を潤ませながら濡れた声を上げます。

「何で助けてくれたんだ?」

 ヤーカは眉を顰め、口の中で「何でって」と呟きます。人として当然のことをしたのに、それを咎めるような言い方をされてしまったことに、ヤーカは少し不機嫌そうな表情になります。

 しかし、ソフィアは首を振って、目の端から涙を零しながら言葉を続けました。

「ヤーカ。命がけだっただろう?」

「まぁ」

 ヤーカは血を流し過ぎていたことや、一歩間違えれば剣に貫かれて死んでいたであろうことを思い返します。確かに、冷静さを失って自分も危うい目に遭っていたことは事実でした。

「出会ってまだ一か月……」

 ソフィアは声を震わせてそう言うと、ヤーカの胸へと顔を埋めて、小さく嗚咽を漏らし始めました。

「私の……馬鹿。私は馬鹿だよ……」

 ソフィアはただ純粋に、無警戒だった自分のことを責めているようでした。しかし、ヤーカも、自分がきちんと周りに気を配っていればこんな事件は起きなかったと思うと、これは二人共の失態なんだと反省します。

 ヤーカはソフィアのエメラルド色の髪に手を置いて、彼女が落ち着くまで頭をゆっくりとなでてあげます。ソフィアの涙はしばらく続いて、やがて彼女は鼻をすすりながら酷い表情でヤーカの胸から顔を上げます。

 ヤーカは満月もうらやむ美人が台無しだと、彼女の頬に手を当てて目元を優しくなでながら口を開きます。

「ソフィアが俺の立場だったらどうする?」

 その優しい口調の問いかけにソフィアは目を細めながら、心の奥底から湧き上がった答えをしっかりとした口調で言い切りました。

「助ける」

「何で?」

 ヤーカの続く質問に、ソフィアは口を引き結んでなぜそんな感情があるのかを考えます。

 ヤーカは騎士になりたいからと故郷から飛び出してきていて、自分もエルフの里よりも外の世界を見てみたいと飛び出して。そして、お互い頼れるものがまったく無い中で道端で出会い、一緒に迷宮に潜って、いつの間にやらこんなに仲良くなっていて。

「そう言うことだよ」

 ヤーカはソフィアが考えていたことは自分も考えていたことだと頷きます。

「何となく似てる気がして、ほっとけなかったんだ。大事な友人だと思ってる。ソフィアだってそう思ってるから、そんな言い方をするんだろ?」

 ソフィアはヤーカのその物言いに、先ほど止まった涙がまた溢れ出てきます。そして、気恥ずかしさからヤーカの肩を押してベッドへと押し倒し、彼女の胸に顔をまた埋めました。

「それで、死にかけるかい?」

 ヤーカは胸で泣くソフィアのことを両手で抱きしめます。背中に感じるベッドの柔らかさとはまた違う、女性特有の芯のある柔らかさと暖かさを感じ、この命を自分は助け出せたんだなと微笑みます。

「終わり良ければ総て良し」

 ソフィアはヤーカのその言葉に小さく頷くと、自分もヤーカの背中に手を回して、彼女の固い体に抱き着きます。背は自分よりも小さいのに、不思議と大きく感じるヤーカの胸や背中に、ソフィアは不安が薄れて心の底から安心していきます。

「ありがとう。本当に、ありがとう」

「どういたしまして」

 ヤーカは窓の外の月を見上げながら、目を細めました。

 やがてソフィアは小さく寝息を立て始め、ヤーカは自分の胸で眠る彼女の、泣きはらして赤くなった瞼の上にあるアクアマリンの長いまつ毛を見ながら、彼女を守ることが出来てよかったと心の底から思うのでした。


◆◆◆


 人さらいの事件が終わっても金策は続き、二人は事件の次の次の日から早速迷宮へと長期遠征へと赴きました。計画通り、あらかじめ用意していた爆薬で大量のゴーレムを破壊して、その体中心にあった魔法の核をこれまた大量に手に入れることはできました。

 しかし、その総額とは言うと、

「金貨15枚……」

 ヤーカがそういって項垂れるだけの金額しかありませんでした。もう金策の期限ぎりぎりでありこれ以上探索は不可能となってしまった中、迷宮に潜って最終的に集まったのは金貨は経費を差っ引くと今持っている金貨15枚くらいでした。

 ヤーカとソフィアは全力で迷宮探索をしましたが、結局金貨500枚を集めることなど不可能だったのです。

 その現実にヤーカは絶望した表情で路地に座り込んでいましたが、一方のソフィアは後ろ手に何かを持ってニコニコと笑顔を作っていました。

「ヤーカ。これ」

 そして、ソフィアはヤーカへと両手のひらでようやく持てそうなほどの大きさの革袋を差し出します。

「何これ?うわっ、重!」

 その差し出された革袋をヤーカが手に取ってみると、それは見かけ以上に重く、ヤーカはあやうく取り落としそうになってしまいます。取り落としそうになった時に革袋が変形すると、中からは固いものが擦れるような音が鳴り、ヤーカは首を傾げます。

 ヤーカがこれは何、とソフィアに顔を向けるとソフィアは手を振って開けなよと促します。

 その仕草に胡乱気な表情になりながらヤーカが革袋の口を広げると、そこにはなみなみと金色の輝きがありました。

「はぁ!?」

 ヤーカは素っ頓狂な声を上げて、かっぴらいた目をソフィアへと向けて、裏返った悲鳴のような声を上げます。

「き、き、金貨!いっぱい!何これぇ!」

「ちょうど500枚あるよ」

 ヤーカのあまりの錯乱っぷりにソフィアが大声で笑いながら、袋の正確な内容を伝えると、ヤーカは口をポカンと開けて理解できないと言った表情になりました。

「へぇぁ?」

 その変な表情にソフィアはひとしきり笑って、それから笑いすぎてあふれてきた涙を指で拭いながら、この革袋を渡した意味を告げます。

「ヤーカに命を助けてもらっただろう?そのお返しさ」

「どうやって?」

 ヤーカが当然の疑問を呈すると、ソフィアは腰に手を当てながらあっけからんと言い放ちます。

「エルフの里から持ち出したものがあってね。邪魔だったし、この際だから売っちゃった」

 そして、徐々に思考が追いついてきたヤーカは、ソフィアと手元の金貨を見比べた後、両手に持った革袋をソフィアの胸へと突き返します。

「いやいや受け取れない」

「受け取って」

 返された革袋に手を添えたソフィアは、優しくそれをヤーカへと押し返します。しかし、当のヤーカはぶんぶんと首を何度も振って固辞し続けます。

「無理無理」

「騎士学校に通いたいんだろう?」

「そうだけど」

 一方のソフィアも強情で、金貨をヤーカに手渡そうとし続けます。その内に、業を煮やしたソフィアは自分の体を抱いて、わざとらしく神妙な表情を作って見せました。

「それとも、私の命は金貨500枚よりも軽いのかな?」

「それとこれとは話が別だって」

 そんなソフィアのずるい言い方にヤーカはため息をつきながら、両手で持った革袋を覗き込みます。何度見てもそこにある金の輝きは色褪せず、ヤーカはどうしたものかと唸ってしまいました。

 そして、あともう一押しだと察したソフィアは、自分の売った物を思い浮かべながら、早口にそれがどんなものだったのかをヤーカに言って聞かせます。

「売ったのはエルフの里では不必要な物で、それこそ腐るほどあったものだから本当に何でもないんだよ。ただ、里の外では珍しいから高値が付いただけで」

 ヤーカは口をへの字に曲げながら目の前の彼女の顔を見て、当のソフィアは微笑みながら頷きました。

「ね、受け取ってよ」

「……ありがと」

 ヤーカはここまで来たら突き返す方が失礼かと感じ、ようやく革袋の口を固く閉じてそれを懐に仕舞います。そして、懐に感じた重さを感じながら、革袋に手を当ててその硬さを確かめてみると、ようやく金貨500枚が手に入ったという事実が頭に追いついてきます。

 そうなると、ヤーカは胸が締め付けられるように苦しくなって、どんどん顔をゆがませていきます。

「ありがとぉ……」

 そして、ついには路地でそんな涙声を零し始めてしまいます。

「わっ、泣かないでよ!外だよ!」

 ソフィアは急に泣き始めたヤーカに驚いて彼女の肩を抱いて、周りの人が見ていないかきょろきょろとします。幸いにも路地には誰もおらず、ヤーカの涙は誰にも見られていませんでした。

 ヤーカは泣き声を隠すようにソフィアの胸に顔を埋めると、そこで体を震わせながら静かに涙を流し続けます。抱き着かれたソフィアも、最初はびっくりしたと目を見開きますが、やがてしょうがないなと優しく目を細めて、彼女の頭をゆっくりとなでてあげるのでした。

 感極まったヤーカがひとしきり泣くと、彼女は恥ずかしそうに鼻をすすりながらソフィアから離れます。そして、深々とお金を工面してくれたソフィアに頭を下げました。

「ありがとう。本当にありがとう」

 ソフィアも、ここまで感謝してもらえたことに嬉しそうに笑って、しっかりと頷きました。

「こちらこそ!」

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