男のふりをした女だとしても、駄目なものは駄目

 迷宮五階層での狩りはとても順調な物でした。故郷では一人前の狩人になっていたヤーカと森と共に生きるエルフのソフィアは、森での戦闘にとても長けていて、次から次へと魔物を狩ることが出来たのです。

 流石に人の何倍もある巨体の熊などは狩れませんでしたが、迷宮特有の角が鋭利な刃物状になった鹿や、口から牙が飛び出るほど発達した狼などは何匹も狩り、二人は限界までそれらの換金できる部位を背負って迷宮から脱出しました。

 事前に調べていた通り、普通の探索者たちは余り森で狩りをしないらしく、二人が素材買取をしている組合へとそれらをすべて持って行くと、驚かれながらもとても歓迎されました。

 そして、迷宮から持って出れたその全てを売った合計金額は、夕日に照らされるヤーカの手のひらにある一つの金色の硬貨でした。

「金貨1枚」

 一週間潜って限界まで狩りをして金貨一枚。最低限の目標金額まで、単純計算で後500週間でした。ヤーカは路地にあった樽に座り込み、魂が抜けたかのような表情でその金色の輝きを見つめ続けます。

 村全体で一年かけて何とか金貨1、2枚なのを考慮すると破格の時間効率でしたが、いかんせんヤーカには時間がありませんでした。

「期限は?」

 さしものソフィアもそんな様子のヤーカを揶揄うことはできないのか、真剣な表情で彼女にそう問いかけます。

「あと8週間」

 何度も潜れば作業が効率化していって幾分かの時間短縮は望めそうでしたが、流石に8週間では不可能なのは誰の目にも明らかでした。 

「来年に期待だね。1年くらい付き合ってあげるよ」

 エルフの時間感覚は人間と違うので、ソフィアは簡単にそう言ってのけてしまいますが、ヤーカはふるふると力が抜けたように首を振ります。

「できれば今年から通いたい。来年も受かる保証なんてないし」

 ヤーカは弓の試験にいた精霊使いの男のことを思い浮かべ、来年ああいう人が複数人いたとしたら自分は落ちてしまうだろうと考えてしまいます。

 ソフィアは暗い顔をして座り込むヤーカのことを、眉間にしわを寄せながら眺めます。ソフィアからすれば、何故ヤーカがそんなに悲観的なのかがあまり理解できなかったのです。

 人とエルフは随分違うからな、とソフィアは首を振って気を取り直すと、ヤーカの腕を掴んで彼女を強引に立たせます。

「とりあえず今日は飲もう!」

 そして、笑顔でそう言いながら、昨日から目星をつけていた酒場へと彼女のことを引っ張っていきます。しかし、ヤーカは首を振ってそのお誘いを固辞しようとしました。

「お酒飲める年齢じゃない」

「いいからいいから」

 ソフィアはヤーカのことを相変わらず引っ張っていって、結局ヤーカはその強い押しにお誘いを断り切れないのでした。


 そして、二人がやってきたのは街の中心からそれなりに離れた所にある、あまり人が入っていないような酒場でした。荒くれ物の探索者は少なく、むしろそういった探索者たちを相手にした商売をしているような、商売人たちが集まっているようでした。

 そんな酒場に入るなり、ソフィアは店内にいる従業員に声をかけます。

「お兄さん、お酒!二杯!」

 ざっくばらんとしたその注文の後にヤーカは適当な夕食を頼むと、従業員が調理場へと引っ込んでいきます。

 木造の店内は薄暗い物でしたが、エメラルド色のようなタンザナイト色のような髪を持つソフィアが入った途端に、一気に華やかになります。事実、店内で食事を取っていた人たちは一斉にソフィアの方へと目を向け、次に暗い顔をしたヤーカへと不愉快そうな視線を向けるのでした。

 そんな不躾な視線に二人がすぐに慣れると、お酒と食事がやってくるまで向かい合う様にテーブルについて無言で待ち続けます。そして、並々エールが注がれた木のジョッキが二つと、骨付きの鳥肉が中心の夕食が運ばれてきます。

 二人は早速乾杯をして一口お酒を飲むのでしたが、アルコールの苦い味にヤーカは眉を顰め、一方のソフィアはこれが美味しいんだととても良い笑顔を浮かべてため息をつきます。

 結局ヤーカはエールは一口飲んだだけで、残りをソフィアへと押しつけ、自分は改めて茶を頼みます。

 夕食は最初は無言で始まり、ヤーカは骨付き肉を手づかみで、ソフィアは丁寧にナイフとフォークで鶏肉を切り取って口に運んでいきます。そして、ヤーカが野菜をフォークで突き刺した時、ソフィアが何の気も無しに口を開きます。

「ヤーカってさ、案外根暗?」

「は?」

 その言葉にヤーカは自分でもびっくりするほど不機嫌な声を上げて、突き刺した野菜を口に持って行く途中で止めてしまいます。

「いや、違う。元気ないというか、なんというか、よそよそしいというか」

 ヤーカの明らかに不機嫌な声にソフィアが慌てて言いつくろうと、ヤーカはため息をついて確かにそうかもしれないと自分のことを振り返ります。そして、天井を見上げて、酒場特有の油でてかる木の梁を見つめながら考え込みます。

 しばらく考えて、その理由には思い至りましたが、ヤーカは言っていい物かと逡巡します。そこで、ヤーカがソフィアの顔を見ると、彼女はただの興味本位でこちらを見ているのでは無く、どこか心配の色があることに気が付きます。

「不安なのかも」

「不安?」

 ヤーカがぽつりとつぶやくと、ソフィアは言葉を繰り返して問い返します。ヤーカは自嘲気味な笑みを湛えて視線をソフィアに向けると、ゆっくりと口を開きました。

「故郷から一人飛び出てきて……」

 ヤーカはいったんそこで言葉を切って突き刺したままだった野菜を口に運びます。ソフィアはそんなヤーカのことを、アルコールで顔を赤らめながら見つめ続けます。

「知り合いが一人もいないところで、……ね。こうやって生きていくのはしんどいよ」

 ヤーカがそう自分の心の一番深い所を吐露すると、ソフィアは目を僅かに見開き、視線を自分の手元、ナイフとフォークへと向けます。

 せっかくの夕飯の雰囲気が物寂しいものになってしまい、ソフィアはそれを払しょくするためにヤーカから押しつけられたジョッキを手に取って、それを一気に傾けていきます。

 一杯のエールを、大きく喉を鳴らしてソフィアは一気飲みし、彼女はジョッキの底を机の上に叩きつけました。

「私が慰めてあげよう!」

 そして、両手を広げてそう言って見せると、ヤーカはその気遣いに嬉しそうに微笑んで首を振ります。

「その気持ちだけで嬉しいよ」

 しかし、ソフィアか見たヤーカのその笑顔はどうしても無理をしているように見えてしまい、彼女は店員を手招きして呼びつけながら、他の客の迷惑にならない程度に声を張り上げます。

「お酒はいい物だ!エルフの里じゃ全然飲ませてくれなかった!」

 そう言って、やってきた店員にソフィアは追加のお酒を頼みます。

「だから一杯飲む!」

 その一連の行動を見たヤーカはソフィアが言外に、外に出てきたんだからもっと楽しもう、と伝えようとしてくるのをきちんと察しました。それと同時に、その伝え方がとても不器用なことに、ヤーカは大声で笑い声を上げてしまいます。

 目の前の美人で理知的なエルフのその見た目とは裏腹なその行動に、ヤーカは目の端に涙をためるほどに笑い、当のソフィアは恥ずかしそうに長い耳を赤くして持ってこられたジョッキをまた傾けます。

「ありがと」

 ヤーカはお酒を飲み進めるソフィアにそう言って、自分も渋い味のお茶を一気に飲み干すのでした。


 食事の後、ヤーカとソフィアは酒場の前で、先ほどの良い雰囲気はどこへやら程度の低いやり取りをしていました。

「ヤーカぁ、まだ飲むぅ」

 そう言ってヤーカに嫌々と首を振ってしがみつくソフィアは、アルコールで酔いに酔って顔を真っ赤にして、あまりろれつが回っていませんでした。

「駄目だっての!」

 ここにきて、ヤーカはこのソフィアと言う女にお酒を飲ませてはいけないと理解し始めていて、彼女のことを引きずりながら酒場を離れていきます。

 酒場から十分離れるといい加減ソフィアは諦めたのか、ふらふらとしながらも自分の足で歩き始めます。一方で未練はたらたらで、拗ねたように唇を尖らせてヤーカの服の端を指先でつまんで引っ張っていました。

「ほら、宿はどこ?」

 そんなソフィアの様子にヤーカがため息をつきながらそう問いかけると、ソフィアは赤らんだ顔を小さく左右に振ります。

「まだとってない」

「この馬鹿!」

 ソフィアのその言葉にヤーカが直接的に罵倒すると、彼女は傷ついたと言わんばかりに眉尻を下げます。しかし、その可愛らしい仕草もヤーカには一切効かず、彼女は溜息をつきながら自分が取った宿屋へとソフィアを連れていくことに決めました。

 街中を注目を浴びながら歩いて、何とかヤーカが事前に取っていた宿屋へと二人はたどり着きます。そして、ヤーカは宿屋の女店主へとお金を払いながら一つの交渉をします。

「すいません。相部屋に変えられますか?」

「あらあら」

「違いますよ!違いますからね!」

 女店主は男の子が連れて来たお酒に酔ったエルフと言う構図に、口元を手で隠して下世話な想像をしながら新しい鍵を手渡します。ヤーカはそんな女店主へと指をさしながらその想像を否定しながら部屋へを向かうのでした。

 果たしてベッドが二つあるだけのこじんまりとした部屋に二人はやってきます。そして、ヤーカはお酒に酔って段々とうつらうつらとし始めたソフィアの細い腰を抱きながらベッドの片方へと近寄ります。

「ほら、ベッドだぞ」

 ソフィアはこくりと頷きながらベッドに座り、そこでヤーカはようやく一仕事が終わったとため息をつきながら体を放そうとします。しかし、ソフィアはヤーカの両肩を掴んで彼女のことを放しませんでした。

「ううん……体拭いて……」

「自分でやれ」

 ヤーカがソフィアの拘束を振りほどきながら冷たく言い放つと、彼女は振りほどかれた勢いのままベッドに体を横たえます。

 木枠と網戸だけの窓からは月光が差し込んでいて、その光によってソフィアのグラデーションが美しい髪は輝きを増し、火照って赤らんだ肌や寝転んだことでローブの下に浮かび上がる体のラインを扇情的に浮かび上がらせます。

 そんな、天上の美術品のような美しくも、淫靡なエルフに、ヤーカは耳を赤くしながらそっぽを向きます。

 ソフィアはお酒に浮かされた熱っぽいため息をつきながら、自分の太ももからお尻、腰の括れへを指を這わせて見せます。

「私の体に興味がないと?」

「無い」

 ヤーカはなおも顔を赤らめながら、努めてぶっきらぼうに言葉を返して腰に吊った剣を壁に立てかけます。

「嘘」

 すると、ソフィアは冷たい口調で呟きました。突然の剣呑な雰囲気に、ヤーカは振り返ってベッドの上に寝転ぶソフィアのことを見ます。

 彼女は無表情で自分の胸に両手を当てて、窓の外を見つめていました。

「男は皆私を見たら、迫ってくるんだ」

 ヤーカはその言葉に、出会った時に人さらいに追いかけられていたこと、街で人々から視線を向け続けられていることを思い出します。ヤーカはそっと彼女に近寄って、ベッドに腰かけると、ソフィアの頬に手の甲を当てます。

 お酒が入って熱くなったそのソフィアの頬を優しくなでながら、ヤーカは気休めにならないのは解っていても言葉を紡ぎだします。

「そうか。苦労したんだな」

 ソフィアはその言葉に微笑むと、先ほど夕食時にヤーカがそうしたように、自分の心の一番深い所に溜まった暗い気持ちを吐き出します。

「まだ2年ほどしか旅してないけどさ、殆どの男の人が下品な視線向けてくるんだよ」

 そして、ソフィアは右手を上げて振って見せます。

「やだやだ。あー嫌だ」

 ソフィアは小さく「ヤーカは別だよ」と呟き、上げた手の力を抜いてぼふんと音を立てながらベッドに腕を落とします。衝撃で細かい綿が舞い上がり、それが月光に照らされて白く浮かび上がる中、ソフィアは目をつぶって自分の故郷のことを思い浮かべます。

「でも、エルフの里はもっと嫌」

 長く生きすぎて全く変わり映えの無い世界のことを、ソフィアは心の底から嫌っていました。ヤーカは静かなソフィアの語りを聴き終えると、彼女の頭に手を伸ばして、優しくなでてあげます。

 ヤーカの手が動くたびに髪のエメラルド色の部分が揺れて、その感触が気持ちいのかソフィアは目をつぶって長い耳をぴくりと動かします。

 しばらくヤーカがソフィアのことを撫でていると、彼女はローブの胸元を指で引き揚げながら、先ほど断られた提案をもう一度して見ます。

「ね、体拭いて。特別だよ」

 悪戯っぽく言ったソフィアに、ヤーカは困ったように微笑むとベッドから腰を上げて立ち上がり首を振ります。

「自分でやれ」

 しかし、そう言いつつも水と体を拭く布だけは貰ってきてあげようと、ヤーカは部屋を出て行くことにしました。

 一人残されたソフィアはそんなヤーカの心遣いに嬉しそうに微笑むと、窓の外の半分掛けた月を見上げながら言葉を紡ぎだしました。

「ありがとう。ヤーカ」

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