男のふりして、エルフと迷宮へ
ヤーカは日を改めて朝早くから迷宮へとやってきていました。迷宮の入り口は街のちょうど真ん中にあって、その入り口は一つの小高い丘のふもとにありました。
迷宮の入り口の前は大きな広場になっていて、今の朝早い時間であっても大量の人でごった返していて、そのほとんどの人が武装をしていました。
ヤーカはソフィアを探そうと辺りを見回すと、エルフだからか美人だからか、はたまたその両方の理由かで人々に遠巻きに眺められている彼女のことをすぐに見つけることが出来ました。
とてつもなく目立っているソフィアにヤーカは内心目立つのは嫌だな、と思いながら挨拶をします。
「おはよう。今日はよろしく」
「こちらこそ」
そして、ヤーカは迷宮の入り口を指し示してさっさと中に入ろうと歩き始めます。広場から出て行くヤーカの背中には、多種多様な意味合いの視線が突き刺さっていて、彼女はそのうすら寒い感覚に顔を顰めてしまいます。
しかし迷宮に入って、土でできた大人が両手を広げて10人は並べそうな大きな通路を歩き始めると、そんな不躾な視線はすぐになくなってヤーカはその事実にほっと溜息をつきます。
一方のソフィアはヤーカのその心境の変化を愉快そうに眺めていて、当のヤーカは面白がられていることに気が付くとむっと唇を尖らせて、本題へとさっさと入ろうと口を開きます。
「食料は何日分持ってきた?」
その質問にソフィアはニコニコとしながら、背中に背負ったカバンを重そうにゆすってみます。
「とりあえず一週間分だね」
「俺も」
ヤーカは内心こういう相談は事前にしておいた方がよかったかなと反省しながら、あらかじめディックから貰っていた迷宮の地図を取り出します。そこには丘の中とは思えないほど広大な迷路が広がっていて、地図が無ければ一生出てこれないのではないかと言うほどの物でした。
「じゃ、行こうか」
ヤーカの先導で二人は迷宮の奥へと歩みを進めます。迷宮の入り口近くでは外から光が差し込んでいて、それなりに薄暗かったのですが、奥へと入り一つでも角を曲がると瞬時に光の無い暗闇が広がっていました。
「暗い」
「そうだな」
角の所でソフィアは立ち止まると、そう不満げな声を上げました。それに、ヤーカは昨日のうちに買っていたランタンを取り出し、そこに火を付けようとします。しかし、その前にソフィアはローブから杖を取り出し、その先端で何か文字を書くように動かします。
すると、昼間の太陽のような真っ白な光を放つ、人のこぶしほどの光の玉が現れました。
「はい、光」
ランタンを取り出していたヤーカはその光の玉を見て固まり、やがてせっかく買ったのにと肩を大きく落とします。ソフィアはそんなヤーカの仕草に、くすりと笑って彼女の背中を励ますようになでてあげるのでした。
そして、二人は光の玉と共に迷宮を歩き始めます。相変わらず迷宮の通路はとても広く壁は茶色や黄土色でしたが、光の玉がランタンの光よりもはるかに明るいので、閉塞的な雰囲気は余りありませんでした。
時々別の迷宮探索者とすれ違いますが、二人が迷宮の奥の方へと行くと、探索者とは滅多にすれ違わないようになります。そこで、ヤーカはソフィアへと向き直り一つの提案をします。
「とりあえず一階層で迷宮がどんなものか見ようと思うんだけど」
「賛成」
ソフィアはその提案に否やはなく頷き、二人は迷宮に出る魔物がどんなものなのかを確かめるためにそれらを探し始めます。しかし、一階層には魔物があまり出ないのか、探し始めてすぐには魔物と出会うことができず、手持ち無沙汰になったソフィアは軽く雑談をしようと口を開きます。
「とりあえずキミの目標は金貨500枚だけど、当てはあるのかい?」
ヤーカは金貨500枚という単語に内心で肩を落としながらも、ディックのアドバイスや昨日の内に聞き込みをした内容で、一番現実的な方法を考えていました。
「話を聞くに、5階層には巨大な森が広がっているらしくて、そこで狩りでもしてみようかなと」
「森?」
ソフィアは森という単語に首を傾げてしまいます。それも当然のことで、この迷宮は地下へ地下へと階層を降りていくタイプの物です。地面の下に巨大な森が広がっていると言われても、いまいちピンとこないのでした。
「そう、森」
そして、ヤーカはその森が、基本的には通路や何もない広間で戦うのを好む探索者があまり長居したがらない場所であること、だからこそその森で取れる資源はそれなりに高値で買い取ってもらえることを話します。
「いいね。森」
ソフィアがヤーカの解説に感慨深そうにそう言った時、通路の奥、光が届かないところから一匹に鼠が飛び出してきました。鼠と言ってもその大きさは猫ほどの大きさがあって、お尻に付いた尻尾はとても長く太い物でした。
その鼠はそれなりの速度で走ってきますが、ヤーカは慌てることなく地図を仕舞い、剣を抜き放ちます。そして、そうこうしているうちに間合いに入ってきた鼠の頭を上から真っすぐ突いて、首を剣の切っ先で地面に縫い付けることで簡単に殺してしまいます。
簡単に魔物を殺したヤーカは顔を顰めて鼠から剣を引き抜き、切っ先に付いた血を用意していた布で拭きとります。ソフィアは何の気がいもなくその様子を眺めていると、ヤーカがじっと死んだばかりの鼠のことを見つめているのに気が付きました。
「何か不満点でもあるのかい?」
その問いかけにヤーカは口をへの字に曲げながら、剣と鼠とを見比べます。
「食べもしないのに生き物を殺すのはちょっと……」
その発言にソフィアはなるほどと頷き、腕を組んで共感できると声を上げます。
「解らなくもないよ」
しかし、次の言葉でソフィアはそのような感傷は無用だと断じます。
「けど、迷宮に出てくる魔物は生物とはまた違ったものなんだよ」
「そうなのか?」
ヤーカは首を傾げながら剣を鞘へと仕舞い、ソフィアのことを見ます。強い光に照らされた彼女の髪がキラキラと光り輝いている様子は、背景の壁の土くれとはとてもアンバランスな印象がありました。
ヤーカがそんな明後日の方向を考えていることは露知らず、ソフィアは先ほどヤーカが殺した鼠の傍に座り込んで死体にナイフを差し込み始めます。
「迷宮に出てくる魔物は、迷宮の核が魔力を集めて作ったもので、その肉体は実はかなりスカスカなんだよ」
ヤーカも中腰になりながらソフィアが鼠を器用にバラしていくのを横から覗き込みます。
確かにソフィアが開いて見せた内臓には、心臓や血管などの循環器や胃や腸などの消化器官こそありましたが、そのほかの肝臓や腎臓などが見当たりませんでした。そして、ソフィアは鼠の肉を切り取ると、それをナイフで刺してヤーカへと差し出します。
「ほら、口に含んでみて」
ヤーカは突き出された未だに血が滴る肉に眉を顰めますが、これも経験だとそれを思い切って口に含んでみます。すると、その瞬間刺激的で、腐ったような匂いが鼻へと一気に登ってきました。
「おえっ!」
ヤーカは思わず肉を吐き出し、口に残った血や唾を何度も吐き出そうとします。そして、その様子を見たソフィアは楽しそうに笑いながら、解説を続けます。
「まずいし栄養もほとんどない。これが迷宮外の魔物とかだったら、内臓もあって、肉も味があってそれなりに栄養もあるんだけどね」
何度か口の中の物を吐き出したヤーカは口元を手の甲で拭いながら、ソフィアへと向き直ります。そして、恨みがましい視線を彼女へと向けながら口を開きます。
「詳しいな」
「それなりに長く生きてるからね」
ソフィアはナイフを振って、それに付いた血を払いながらふふんと鼻を鳴らします。その様子に、ヤーカはふと気になったことを尋ねます。
「いくつ?」
ソフィアはそのヤーカの質問に笑みを深めてナイフを仕舞い、彼女の額に強くデコピンを放ちます。
「乙女に歳なんて聞くものじゃないよ」
ソフィアの指はとても細いのでしたが、そのデコピンは妙に痛くて、ヤーカはひりひりとする額を手で擦りながら頭を下げるのでした。
「ごめん」
◆◆◆
二人は慎重に時間をかけて、二日がかりで迷宮の階層を下へと降りていました。迷宮は相変わらず入り組み土の大きな通路がずっと続いていて、油断していると距離感が一瞬で失われてしまいそうでした。
「ううん。時間間隔が狂う」
「だな」
そして、何より大変だったのは、時間感覚でした。常に暗い場所にいて、今の時間が昼か夜かがわからないというのは思った以上に精神的に負担で、ソフィアは気分が悪そうに頭を振ります。
とりあえず体感で夜に7時間は寝るようにしていましたが、果たして今の時間が本当に昼なのかどうかはわかりませんでした。
ヤーカは比較的こういった環境に強いのか、集中力を切らさずに地図を読み解くことが出来ていて、やがて目的の場所へと近づいてきていることをソフィアに告げます。
「この道を曲がって階段を下りると5階層」
二人が光の玉の明かりを頼りに角を曲がると、そこには地図の通りに下へと向かう階段がありました。そして、不思議なことにその階段の下からは光が漏れ出てきていて、その事実に二人は顔を見合わせます。
「光はつけたままで行くよ」
ソフィアがそう言うと、ヤーカは頷き慎重に階段を降りていきます。土でできたその階段を一段づつ降りていくと、下から漏れてくる光はどんどんと強くなってきていて、心なしか暖かい物を感じます。
やがて階段を降りきると、そこには森が広がっていました。
見上げるとそこには雲一つない青空があり、その下には青々とした木々が所狭しと植わっていて、その葉から漏れ出る木漏れ日の下には下草が生えていました。
階段を下りてきたところには壁があり、その土壁は右へ左へと緩く弧を描きながらやがて木々に隠れて見えなくなっていました。その光景にここはまるで、地上から円柱状の穴がぽっかりと開いていて、そこに森が出来ているのではないかと言う錯覚に陥ります。
しかし、事実は異なり、降りてきた階段の高さはそこまで高くない上に、本来この真上には4階層の迷路があったはずです。
あまりにも不思議な光景に二人は森に魅入ってしまい、その絶景にため息をつきます。
「これは、凄いね」
「ああ、凄い。地下のはずなのに」
二人が慎重に森の中へと足を踏み入れると、そこには人々が踏み均して作ったと思わしき道があり、地図を見る限りその道はまっすぐ6階層への階段へとつながっているようでした。
そして、ヤーカは森を見回して深呼吸をして見ます。木の幹や草花などの、確かな森の匂いがそこにあって、ヤーカはその慣れ親しんだ空気に思わず笑顔になりました。
しかし、その一方で何か足りないものを感じ、首を傾げます。
「どうしたの?」
ソフィアがヤーカにそう声をかけると、彼女は木の幹に手を当ててみたり、しゃがんで地面の土を手で掴み取ってみたりします。
「違和感が」
地面に手を付きながら辺りを見回してヤーカがそう言うと、ソフィアも確かに何かがおかしいと察し、腕を組んで辺りを見回し始めます。そうして二人が森を観察すると、やがてソフィアがはっと声を上げます。
「風がない」
「本当だ」
その言葉にヤーカは目をつぶり、空気の動きを肌で感じようとします。流石にある程度の空気の循環はあるようでしたが、いつものように『何か』が動く気配は一つもなく、風で葉が揺れてそれらが擦れる音も一切聞こえてこないのでした。
「吹く気配もない」
ヤーカが声を緊張させながらそう呟くと、隣で同じように風を読もうとしていたソフィアが跪くヤーカの黒い頭へと視線を向けます。
「風が読めるのかい?」
「うん。『何か』が通るような感じがあって、それで風を読むんだ。父からそう教わった」
ヤーカは故郷の森を思い出し、そして旅をしている道中や受験の最中にも何度も感じることが出来た物をソフィアに話してみます。すると、ソフィアは目を大きく見開いて、何事かを小さく呟き始めます。
すると、ヤーカは頭の上に突然『何か』が現れるのを感じ、はっと顔を上げます。そこには手を伸ばして、自分の手のひらを見るソフィアがいました。
「何かって、これのこと?」
そして、ソフィアはそう言いながら手のひらを下げてヤーカに見せるようにします。これ、と言われたものはソフィアの手の上には何も見えませんでしたが、そこには確かにヤーカがいつも感じている『何か』がありました。
「そう!それ!」
無色透明で何も見えていないのに、ヤーカはソフィアの手のひらを指し示します。すると、ソフィアは微笑みながら指を何度か動かして、『何か』と戯れ始めます。
「これは風の精霊だよ。キミはどう感じているんだい?」
風の精霊と言われて、ヤーカはいつも彼らが動いた後に風が吹いていた理由を理解します。そして、ヤーカはソフィアの質問に努めて真剣に応えます。
「何か力の塊というか、球があるような、不思議な感じ」
「なるほど。感じてはいるけど、見えてはいないんだね。この子は可愛らしい女の子なんだよ」
ソフィアはそう言うと手をくるりと回したりして、風の精霊と戯れ始めます。絶世の美女のエルフがそうしている姿はとても様になっていて、ヤーカは少しの間彼女に見惚れてしまいます。
「これは私が地上で契約しておいた精霊なんだ。精霊を契約していると……弓貸して」
ソフィアはやがて手を自分の肩に持って行くと、そこに風の精霊を座らせます。そして、弓をヤーカから受け取って、慣れた手つきでそこに矢を番え、弦を一気に引き絞ります。
すると、風の精霊が矢の周りをぐるりと回し始めて、それと共に弱くはない勢いの風が吹き始めます。
「こんなこともできる」
ソフィアがそう言って矢を放つと、強い風をまとったそれは激しい風切り音を響かせて、ものすごい勢いでまっすぐ飛んでいきます。
ヤーカはその光景に見覚えがありました。それは受験の矢の試験の時に、隣の男がそうして的を破壊していた時の物とそっくりでした。彼もソフィアと同じように精霊と契約していたのであろうと、ヤーカは予想を付けます。
「すごいな」
ヤーカは思わずそう呟き、そのとても感心した声にソフィアは手を腰に当てながら胸を張ります。
「ま、きちんとした場所で時間をかけて契約をしたらもっとすごいことが出来るんだけどね」
「いつか見てみたいな」
ヤーカが掛け値なしに笑顔でそう言うと、ソフィアは実に良いしたり顔で弓を持ち主へと返します。
「人間にも精霊魔法を使う人はいるし、騎士学校とやらに通えたらいっぱい見れるんじゃないかな」
ソフィアが何とはなしにそう言うと、ヤーカは弓を受け取りながら肩を大きく落とします。
「金貨500枚……」
「あはは!頑張れー」
ソフィアは笑顔になったかと思えば、急転直下絶望した表情になるヤーカが面白いと笑い声を上げるのでした。
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