女の子だけど、騎士になりたい
ヤーカが夜に奇妙な物を生やしてしまった次の日の朝、彼女は家族に隠れてそれを直接目で見ていました。確かに親指ほどのおちんちんが生えていて、トイレをするときもそっちから尿が出ているようでした。
あまりに突然のことで、ヤーカは家族の半分が揃う暖炉のある居間で一人気の天井を見上げながら考え込んでいました。黒いシミが何だか顔のように見えなぁ、などと明後日のことを思いながら、おちんちんが突如生えてしまったことを家族に言うかどうかを悩みます。
ヤーカは、今自分の身に起きている現象が一般的でないことを理解していましたし、何なら昨日貰ったコインが原因らしいこともきちんと理解していました。彼女は未だに褪せぬ銀色のコインを手で弄びながら、そこに昨日は感じていた奇妙な感覚が無くなっているのに気が付きます。
きっと魔法が発動してこうなったんだな、でも、このコインについて商人さんは何も知らないようだし……、とヤーカが考えながらふと天井から居間にいる家族へと目を向けます。
昼の今、ここにいるのは家族の中でも女衆と自分の二つ上の兄だけでした。残りの男衆は狩りに出かけていました。真冬で雪が一気に積もっていっていても、森には様々な動物が闊歩しています。
鹿に兎に鳥に、狼。特に狼はアッコの狩人にとってはとても重要な隣人でした。時には狩りを手伝い、時には殺し合う。ヤーカには10上の兄がいたらしいのですが、その兄は狼に食い殺されたと昔聞いたことがありました。
ヤーカは父親たちが、白銀の世界の中で今も狩りに励んでいる所を想像して、ふと昔の会話を思い出します。
『なんで女の人の狩人はいないの?』
『男の方が力が強いからな。力が強くないとこの地で狩人はやっていけない』
男の方が力が強い、そう、男の方が力が強いから狩人になれる。そして、ヤーカの大好きな英雄譚の主人公は皆男でした。
アーク王国の国祖アークも、闇のドラゴンを討伐したマガサも、魔神ジュヴィナジュシュを滅ぼしたエルケフォーも、皆が皆男でした。
ヤーカはふと自分の体を見下ろします。母のように胸は出てはいませんでしたが確かに自分は女で、あこがれの英雄になんて成れないと。王国の煌びやかな騎士にも、ましてやアッコの狩人にすらなれないと子供心にどこか諦めていました。
でも、今は半分男です。男ならもしかしたら狩人に、もっと頑張れば騎士になれるんじゃないかと思ってしまいます。
「うん!決めた!」
ヤーカはそう声を上げると、この家に逗留している商人の元へと歩み寄ります。
先ほどのヤーカの声を聴いていた商人は、近寄ってきた彼女にどうしたのかと優しく問いかけます。すると、ヤーカはしばらく考えて、一つの質問をしました。
「ねぇ、商人さんは王都に行ったことがある?」
「あるともさ」
「じゃあ、騎士のなりかたって解る?」
ヤーカが純粋な首を傾げながら商人に問いかけると、彼は困ったように唸り始めます。はっきりと女の子の君には無理だよというべきなのでしょうが、商人は彼女の家族ではなくただの客人です。商人は険しい顔をふと緩めると、ヤーカの頭を優しくなでながら語り始めました。
「ああ、わかるよ。平民でも騎士になれるよ」
そして、商人は語り始めます。
王都には貴族たちが通う学校があるということ。その学校には騎士になるための学科があるということ。平民でも恵まれた体格と剣の腕、それから最低限の教養があれば騎士学校に入学をすることが出来ること。平民の場合13歳から15歳の間で受験ができること。
それらを商人はヤーカに一つづつ教えていきました。すると、ヤーカは彼の言葉をよくよく反芻して、それから商人にもう一つ問いかけました。
「最低限の教養ってどれくらい?」
「読み書き算術だね。ヤーカちゃんは自分の名前が書ける?」
ヤーカは空中に自分の名前をすらすらと綴ってみます。アッコの村の住民はとりあえず自分の名前だけは書けるように教育はしていました。
「じゃあ、文字は読める?」
「読めない」
しかし、文章を読める人間は村長くらいの物でした。ヤーカはしょんぼりと首を振った後、俯いてしばらく考え込んで、それから商人のことを見上げます。
「教えてくれる?」
商人はヤーカのその言葉に驚いたように目を見開くと、同じ部屋にいて布を繕っていた彼女の母親に目を向けます。母は今まで聞いていたヤーカと商人のやり取りに、微笑ましそうに目を細めると頷きました。
「そうですね。無駄にはならないと思いますし、良ければ教えてあげてくれませんか?」
商人は母の了承を得ると、これも宿を借りているお礼だと、その上部屋にこもって持て余していた暇をつぶせるだろうと考えて、ヤーカにもう一度向き直ります。
「だそうだ。私で良ければ文字を教えよう」
商人の笑顔にヤーカは両手を振り上げながら、嬉しさのあまりその場で飛び跳ねるます。
騎士学校受験に必要な最低限の教養はこれで補える、後は剣術だ。とヤーカは内心でほくそ笑んでいると、家の玄関が開く音が響き渡りました。
それを聞いたヤーカは矢が飛んでいくように、居間から飛び出して玄関へと走って行きます。後に残された商人はきょとんとすると、大きな笑い声を上げるのでした。
玄関へ、父親と彼について行っていた兄たちを出迎えたヤーカは、彼ら羽織っていた狼の皮から作った外套に付いた雪を払い落としている所に出くわします。
「おかえり!」
「ただいま。『シッチス』」
帰宅の挨拶をした父は、声に魔力を乗せて文言を唱え、濡れていた外套を魔法で乾かします。生活に根付いている魔法はとてもスムーズな物で、みるみるうちに湿気が取れていきます。
父の服が完全に乾いたころに、ヤーカは彼の大きな体に飛びつきます。そして、キラキラと目を輝かせながら、上目遣いにわがままを言いました。
「お父さん!私に狩りの仕方を教えて!」
「え?うぅん……」
突然のことに父は驚いて、すぐに困ったと首を傾げながら自分の顎にある豊かな髭を撫でて考え始めます。女の子は素直に家に入って家事をして欲しいというのが男としての本音でしたが、だからといって父親としては子供のやりたいことをやらせたい。
そんな二律背反に、父は実によく響く低温で唸り声を上げます。
「頑張るからさ」
ヤーカが重ねてそう言うと、父は舌を向いて彼女のことを見ます。娘の瞳は決意に溢れていました。その目元は自分よりも妻に似ていて、二重で大きな眼差しはとても理知的に見えるものでした。
確かにヤーカは聡い子で、あまりわがままを言ったりはしないのでした。そんな子がこんなにもまっすぐ自分のことを見つめてきているのだから、父としてこれに応えなければいけないだろう。
やがて父は一つ頷くと、ヤーカの黒い髪をガシガシと撫でつけます。
「わかった、いいだろう。明日から狩りに付いてくるように」
「はい!」
ヤーカは大きな声で返事をするのでした。
これで受験に必要な要素が揃い、後は自分がどれだけ頑張れるかにかかっている。それをヤーカはとても、とてもよく理解していました。
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