女の子だけど、狩りに出かけました

 アッコの冬の仕事はおおよそ二つ。狩りと内職。狩りは森に入って獣を狩ってくる仕事、内職はその狩ってきた獣をばらして服や装飾品を作る仕事。

 そして、男衆に交じって狩りのやり方を覚えることのなったヤーカは、前者の仕事を覚えることになりました。

 今日は冬の良く晴れた日でした。ヤーカは、父や兄たちに交じって、かんじきを履いて雪道を歩いていました。一番大男の父が先頭に立って雪をかき分けながら小道を作り、その後ろを子供たちがついて行きます。

 一行が森に差し掛かった時、父は振り返ってヤーカに声をかけます。

「ヤーカ、まずは雪道の歩き方を覚えろ」

「はい!」

 ヤーカが元気よく返事をすると、一番近くにいた年の近い兄が彼女のことをがしがしと下手くそに頭を撫でました。その様子を見た父は朗らかに笑うと、森に向き直ってざくざくと音を鳴らしながら歩き始めます。

「じゃあ、森に入る。獲物を見つけたら知らせろ」

 アッコの森はとても静かでした。冬でも葉を落とさない針葉樹が深い緑色を蓄えて、それらはどこまでも真っ白な雪で化粧がされていていました。時々風が吹いて、木から雪が落ちる音が響く以外は、一行の荒い息遣いしか聞こえません。

 その夏とは違った風景に、ヤーカは白い息を吐きながら魅入ります。耳や指先の末端が寒さで痛いほどでしたが、それとは打って変わって心臓は未知を征服していく興奮で高鳴っていました。

 家族から遅れないように足をせわしなく動かしながら、それでも銀世界から目を放していなかったヤーカはふと、ぼんやりとした何かの圧、つまりは生き物の気配を体全体に感じました。

 圧を感じるのは左半身が強く、ヤーカがそちらを見ると、そこには耳を閉じて蹲る雪のように真っ白な塊がいました。

「あ、兎」

 それを見たヤーカはそう言いながら、目の前にある兄の背中を叩きます。

「兎?嘘だろ?」

 兄が訝し気な子を上げながら振り返り、それと共に他の父たちも足を止めます。そして、父はヤーカが見ている方向へと目を凝らします。すると、そこには確かに小さな兎がいました。

「いるな。よく見つけた。全員しゃがめ」

 父のその言葉に全員がしゃがむと、彼は一番近くにいた、もう半人前になっている長男へと声をかけます。

「お前が射ってみろ。風をしっかり読むんだ。今はどちらへ風が吹いている?」

「こっちが風上。このまま射るよ、父さん」

 そして、長男がそう言いながら弓を引き絞りますが、父は手をあげながら少し待てと合図します。そして、きょろきょろと森の様子を見まわし始めました。

 ヤーカは父のその仕草を見て、彼には何が見えているのだろうかと同じように森を見回してみます。すると、何かが風が吹いている方向とは別の方向へ、横切っていった気がしました。

 ヤーカがその直観を得た瞬間、父が静かな声で子供たちに向き直ります。

「違う。もうすぐ右から左へと風が変わる。しっかり読み解くんだ」

 父のその言葉に、ヤーカは先ほど横切った何かがその前兆なのだと理解しました。そして、父はそれをもっと正確に認識しているということも。

 一方の長男はその父の言葉に、矢じりの方向をすこし兎からずらし、それから矢を放ちました。ひょっうと風きり音を放つ矢は、向きが変わった風に乗って一直線に兎の首へと吸い込まれていきました。

 兎はビクンと体を強く跳ね上げて、やがて雪の上に倒れ、びくびくと痙攣しながら白いそれを赤い血で染め上げていきました。

「うん。見事だ」

 一行は仕留めた獲物の元へと向かうとそれを解体していき、ヤーカはその様子を一つも余すところなく見て覚えます。そして、解体した肉を持つのはヤーカの仕事で、背中にそれを背負いながらまた移動し始めた皆の後ろについて行きました。

 ヤーカは移動している間も時間を無駄にすることなく、先ほど覚えた兎の解体を何も持たない手を動かして何度も何度もおさらいしているのでした。


◆◆◆


 冬の短い日が登って、沈んでいく間狩りは続いて、それが終わると皆は体に疲労を溜めながら家に帰ってきます。そして、玄関で乾燥の魔法を各々で唱えて、濡れた外套を乾かします。

 もちろん、まだ子供で今日初めて狩りに出かけたヤーカはその魔法を唱えることはできません。父はそんなヤーカと目線を合わせるためにしゃがむと、彼女の瞳を覗き込みながら魔法を唱える時の触媒である、狼の背骨を加工した骨の杖を持たせます。

 白くとても軽いそれは、大人の広げた手の親指の先から小指の先くらいの長さで、未だ手が小さいヤーカには少し持て余してしまう物でした。

「ヤーカ、これくらいの魔法は何も難しいものじゃない。物事をよく理解して、呪文を唱えるだけだ。水はゆっくりと蒸発し、天へと上る。その因果を自分の手で少し早めるだけだ」

 ヤーカは夏の水たまりが、ゆっくりと小さくなって消えていく様を思い浮かべながら、父の言葉にしっかりと頷きます。そして、見よう見まねで杖を振りながら呪文を唱えました。

「『シッチス』」

 言葉と共にヤーカは、体の中から熱のような物が手から杖へと流れ込んでいく感覚を覚えます。すると、確かに濡れていたはずの外套の右の袖から水気が無くなっていました。

「おお、一度で成功するとは。やっぱり、ヤーカは賢い子だ」

 父は優しく微笑みながらヤーカの頭をしっかりと撫でてあげます。しかし、その褒める言葉に、ヤーカは嬉しさ半分反省半分の微妙な表情になります。

「全部乾かなかった」

 そうです。乾いたのは右の袖だけで、他の部分は致命的なほどに未だに濡れていたのです。

「いいんだ。最初はみんなそんなもんだ」

 ヤーカが不満げにするのに、父はぽんぽんと彼女の頭を叩いて、それから杖を返してもらいます。そして、父も感想の魔法を唱えると、見事にヤーカの全身から水気が払われるのでした。

 今日の父からの教えはそれで終わりますが、ヤーカはただ狩人になりたいわけではありません。王都に行って学校に通い、騎士になりたいのです。そのためにはまだまだ勉強することがいっぱいありました。

 家族全員が集まる夕食が終わると、ヤーカは商人の元へ行って文字を習い始めます。商人は昨日の今日で授業をせがまれることに驚きながらも、昼の間にあらかじめ用意していた黒板をヤーカに手渡します。

「ヤーカちゃん。とりあえず、全部の文字を書いてみたから、それぞれの形と発音を覚えていこうね」

 ヤーカは黒板に書かれていた30の文字を見よう見まねで書いていきます。最初はまっすぐ線を引くことすら不器用な彼女でしたが、寝る時間に近づくころにはお手本とそっくりな文字を書くくらいには成長していました。そして、最後に単語をいくつか書いてもらって、ヤーカはそれを発音しながら書き留めていきます。

 ヤーカは一日中、どれだけ疲れていてもどれだけ眠くても今目の前の課題に真剣に取り組み続けて、今日一日だけで昨日とは見違えるほどに成長したのでした。兄弟と一緒に布団に入った後も、目をつぶりながら今日倣ったことをしっかりと反芻し続けて、二周ほど繰り返したころでいつの間にか夢の中に入り込んでいるのでした。

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