女の子だけど、同年代で一番の狩人になれました

 弓や剣の訓練をして狩りに出かけ、それが無い時は読み書き算術の訓練をする。それはとても忙しい物で、光陰矢の如く季節は流れていきました。

 ヤーカ13歳の秋、常緑樹は青々と落葉樹は赤く色づく森の中で、彼女は息をひそめて弓を引き絞っていました。

 狙うは落ち葉の上で何事かをしている茶色い兎。落ち葉と上手く同化していた夏毛の兎でしたが、周囲の生き物の気配を察知できるようになったヤーカからしてみれば隠れられてなどいませんでした。

 そして、ヤーカは風がどう変化するかを五感で感じ始めます。今は左から右へ、しかし後方遠くから『何か』が素早く何かがやってくる気配がありました。それで彼女は、こちらがすぐに風上になることを察知します。

 ヤーカは風が変わる瞬間を見計らって、追い風に乗せて矢を兎に目掛けて放ちます。すると、まっすぐ飛んだ矢は寸分たがわず兎の首に刺さり、首の骨を折りつつ兎を絶命させました。

 ヤーカは弓を仕舞い、ナイフを取り出しながら兎に近づくと、それをさっさと血抜きなどの後処理をしていきます。

 ヤーカには一を聞いて十を知るほどの頭はありませんでしたが、何かを教えられたときは反復練習をしてそれをきちんと覚えることを心がけていました。その実、兎の解体は初めて見た時以外で改めて教えられたことなどは無いのでした。

 兎の解体を手馴れた手つきで終えると、ヤーカは木の裏に隠しておいた他の獲物を背負うと村へと戻りました。

 村に戻った時間はまだ夕方になる前でした。ヤーカは自分の体が大きくなるにつれて狩りから帰ってくる時間が早まっているなと、夕日を眺めながら思いました。

 そして村に近づくと、ヤーカはその外れの空き地で蹲っている長い白髪があるのに気が付きます。

「チリー!」

 ヤーカは右手を上げながらその少女の名前を呼びます。すると、チリーは立ち上がりながら振り返って、髪を耳にかけながらヤーカに向き直ります。

「お帰り」

 彼女の白い髪や白い肌は夕日を反射して美しくオレンジ色に輝いていて、ヤーカはその姿に見惚れながら、自分よりも頭一つ分下にあるルビー色の瞳と目を合わせて背中にしょった兎をチリーに手渡します。

「ただいま。これ、兎」

「ありがと」

 チリーはヤーカから兎を手渡されると、地面で取り分けていた野草が入った籠を拾い上げながら家へと小走りで戻っていきます。ヤーカは走るたびにふわりとたなびく彼女の髪に微笑むと、自分も弓を片付けるために家へと戻りました。

 ヤーカが家に帰ると、居間には神妙な表情の父が椅子に座っていました。ヤーカはそんな彼の表情に首を傾げます。

「ただいま、どうしたんですか?」

「話がある」

 父のその一言はとても硬い物で、ヤーカは身を引き締めながら父の前に椅子をもってきて座りました。

 やがて、短くもとても重要な話が始めりました。


◆◆◆


 父の話はすぐに終わって、それを聞き終わったヤーカは口を真一文字に引き締めながら家をしっかりとした足取りで出て行きます。そして、夕焼けの村を一人歩いていると、突然、家の陰から一人の男が木刀を上段に構えながら飛び出してきました。

「くたばれぇ!ヤーカ!」

 その男はヤーカと同じくらいの背丈の男でした。ヤーカは彼が誰なのかをすぐに認めると、振り下ろされた木刀を横に体を逸らすことで避けます。木刀を振り下ろした男はすぐに手首を捻りながら、それを下から上へと振り上げようとします。

 しかし、腕全体にとてつもない力がかかってその行動をすることはかないませんでした。なぜなら、ヤーカが振り下ろされた木刀を踏みつけていたからです。

「甘いぞっ!」

 ヤーカは男が視線だけで状況を察した瞬間、反撃を許さずに彼のみぞおちに向かってこぶしをまっすぐ振り抜きます。

「ぐぇっ」

 男は呻くような汚い声を上げ、あまりの痛みに腰を折ってせき込み始めます。男は数十秒も息を大きく吸っては吐いて痛みを誤魔化すと、恨みがましい目でヤーカのことを見上げます。

「俺のが3歳上なのに、勝てねぇのはなんでなんだ?」

「練習量だな」

 果たして男はヤーカの兄弟子でした。ヤーカよりも男の方が2年ほど早く剣の練習を始めていて、最初は当然男の方が強かったものでしたが。今となってはヤーカの方が遥かに剣の腕前が上になっていました。

「お前くらいやってたら体壊すわ、アホ」

「そうか?」

「そうだよ」

 男が木刀を支えに背筋を伸ばしながらそう言うと、ヤーカは首を傾げながら明後日の方を向きながら考え込みます。そして、ここ最近この男が突っかかってきていた理由は、先ほど父から聞かされたあの話が関係しているのだろうなと内心あたりを付けました。

 男はヤーカが考え込み始めたのを遮る様にすこし大きな声を上げます。

「で、お前またチリーの所行くのか?」

「ん?ああ」

 ヤーカは思考をすぐさま中断して、とはいっても男が隠したがっていた秘密にはたどり着いていましたが、頷きます。

「うらやましー」

 ヤーカが何でもないように頷くのに、男はそう言って軽く木刀を横一線に振り抜きます。ヤーカはその嫉妬をわき腹で甘んじて受け止めて、目の前の男の額に思いっきりデコピンをしながら声を上げます。

「じゃあ、もっと狩りも上手くなるんだな」

 べちんという音と鋭い痛みに男が涙目になると、彼はちょっと赤くなった額をさすりながら大きく肩を落としました。

「お前には敵わないよ」

 どうせ今日も何匹も兎狩ったんだろ?と男が言えば、ヤーカは誇るでもなく頷きながら歩き始めます。

「じゃあな」

 後ろ手に手を振りながら村の道を歩き始めたヤーカの後姿、そして家からちょうど出てきたチリーが彼女との距離を瞬く間にゼロにする光景、それから二人は笑顔で楽しそうに言葉を交わし合いながら村はずれに行く様子を、男は木刀の先を地面をぐりぐりと押しつけながら見つめていました。

「ほんと、敵わねぇよなぁ」


 ヤーカとチリーは村のはずれにある大きな木のふもとまで歩いていきます。ピチチとどこかで小鳥が鳴くのが聞こえる中で、二人は木の幹にもたれかかる様に座り込みました。

 仕事と仕事の間の、夕焼けの中の穏やかな時間の中で二人は楽しく他愛もない話をし始めます。雑談はしばらく続き、その内にヤーカはチリーに歌って欲しいとお願いしました。

 チリーは否やはないとヤーカから目を逸らして、夕日に視線を向けながら胸を逸らして口を開きます。チリーの美しい歌声は、冷たい物を含み始めた秋の風に乗って村やあたりに響き渡ります。

 そのどこまでも透明な水晶のような歌声に聞き入りながら、ヤーカはチリーの夕日に照らされる横顔を見ます。ここ最近一層綺麗になって村一番の美人になっていくチリーに、ヤーカは囁くように声をかけます。

「チリー」

「何?」

 チリーは歌うのを中断してヤーカに向き直ります。そして、ヤーカは言い辛そうに口を開いたり閉じたりした後、チリーがじっと言葉を待ち続ている表情を見て、意を決して言わなければならないことを宣言します。

「儀式の日が決まった。次の冬至の日だ」

 その一言でチリーは目を見開き、思わず手を伸ばしてヤーカの手を握ります。どこか遠くへ行ってしまわないように彼女の手を握りしめたチリーは、声が上ずらないように注意しながら口を開きました。

「早くない?」

 ヤーカはチリーのその疑問に、眉尻を下げながら手を握り返しながら父に言われた言葉を反芻します。

「十分強くなったから、だそうだ」

「でも……」

 まだヤーカは子供、と言いかけたチリーに当の本人は首を振ります。

「大丈夫。きっと大丈夫」

 通常よりも早く行われる儀式はヤーカが望むものでした。王都の騎士学校を受験できるのは13歳から15歳の間で、アッコから王都までの移動も考えると、この時期にはもう儀式を済ませて一人前になっていなければなりません。ヤーカはそのために血反吐を吐くほどに鍛錬をして、一冊の本をそらんじるほどに勉強をしました。

 ヤーカの事情を知るチリーだってそれは理解していました。だからこそ、ヤーカが大丈夫と言うなら、チリーはもう押し黙るしかありませんでした。

 チリーが悲し気に眉を顰めてつないだ手に視線を落とすのに、ヤーカは困ったように微笑むと掴まれていない方の手で彼女の顎に指を伸ばし、顔を上げさせます。

 そして、二人は黙って見つめ合います。昔、囲炉裏の前で夢を語ったヤーカは大人びた少年のような精悍な顔つきになって、女の子らしくないほどに黒髪を肩のあたりで切ってしまいました。

「ヤーカ」

「ん?」

 チリーはその顔を見ながら彼女の名前を呼びます。そして、出て行ってほしくないという言葉を飲み込んで、しかし似たような意味の言葉を吐き出します。

「村を出て行く話、おじさんにはちゃんと話した?」

 その問いにヤーカはばつが悪そうに視線を外すと、つないだ手を離しチリーから遠ざかるように腰を動かした後、彼女の太ももに頭を乗せるために地面に寝転がりました。そして、チリーのことを見上げながら口を開きます。

「薄々察してはいるとは思うけど、言ってない」

「村の皆にも?」

 チリーは太ももに乗せられたヤーカの顔に手を伸ばすと、彼女の髪を指先で梳き始めます。わずかなくすぐったい感じにヤーカは目を細めながら頷きます。

 しばらく二人は見つめ合って、やがてチリーはヤーカの頭を撫でるのをやめます。そして、先ほどよりももっと直接的に問いかけます。

「ねぇ、ヤーカ。やっぱり出て行きたい?」

 その質問にヤーカは目をつぶって、片腕を上げてチリーの腰に回しながら応えます。

「それが夢だから」

 チリーは顔を渋くさせて、瞼を閉じたヤーカはそれに気付かずに言葉を続けます。

「子供のころよりも強くなってる」

 ヤーカがそう気持ちを込めて呟いた瞬間、その思いの強さに呼応するかのようにざぁと気を鳴らすような強い風が吹き、鳥が一鳴きして夕焼けへと飛び去っていきます。

「ヤーカ……」

 チリーは彼女の言葉に、思わず彼女の名前を呼んでしまい、彼女はすっと目を開きます。ヤーカの灰色の瞳はとてもまっすぐで、チリーはその瞳を見るとしょうがないとため息をつくばかりでした。

 ヤーカは見上げるチリーの表情が悲しいものだと言うのに気が付くと、申し訳なさそうに微笑みました。

 ヤーカの微笑みにチリーが唇を尖らせると、彼女はヤーカの黒い髪を僅かに手に取って、それを細い指で器用に編み始めます。前髪横の、もみあげの上あたりの髪を三つ編みにしていく中で、チリーは話をそらすために適当な話題をヤーカに振ります。

「声、ちょっと低くなったよね」

 すると、ヤーカは目を開いて、自分の喉をさすり始めます。そこには、僅かにのどぼとけが突き出していて、ヤーカは内心で半分男になってしまったことが原因かもしれないと思い至ります。

「……そう?」

「ほんの少しだけね」

 チリーは口調も男の子みたい、と呟きながらはにかみ、ヤーカの髪を編み終えます。そこで、彼女の髪から手を放してその表情をよくよく見てみると、どこかばつの悪そうな表情で目がわずかに泳いでいました。

「何か、隠してない?」

「隠してない」

 チリーが訝し気に問いかけますが、ヤーカは誤魔化すように首を振って応えます。ですが、幼いころからヤーカのことを見ていたチリーは何か隠し事をされていることを確信します。

「本当に?」

「ほ、本当だってば」

 ヤーカはそう言いながら上半身を起こして、素早く立ち上がります。チリーがその仕草にくすくすと笑い声を上げると、立ち上がったヤーカは後頭部を掻きながらもう片方の手で未だ座るチリーに手を差し出します。

「夜、夕食を貰ってもいいかな?」

「うん」

 チリーはヤーカの手を取って立ち上がりながら、誤魔化されてあげるよ、と笑顔で頷くのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る