第16話:休日、王都にて
訓練兵にも休日というものがある。それを利用して、俺は城下町まで戻ってきていた。目的は新しいウォリアについてティティと話すためだ。
しかし……最近は驚くことばかりだ。世の中は既に流動しているとは、誰が言ったのか。いつまでも同じものなんてないのは理解る。でも、ちょっとは変わって欲しいものもある。殺意に満ちた乙女心とか。
(―――サーリ・レッドクレイブか)
ガオゼンのオッサンめ。あんな可愛い娘を放り出して無責任に死んだとか信じられねえ。何かしら理由はあるんだろうけどな……聞きにもいけねーし。
ともあれ、急ぐか。久しぶりの王都、城下町、そして職人街。ここも以前と変わらない、入り込んだ時からずっと辛気臭いなにかが漂って―――いなかった。おかしいな、いつもなら1分も歩くと死んだ目をしたゴロツキを見かけるのに。
俄に活気づいている様子を見るに、俺の知らない間に何かしらの変化があったようだ。戦争に向けて色々と動き出してるからだろうか。あるいは、宰相あたりが手を打ったか。そう思っている時だった。スラム紛いの町並みには相応しくない、紳士的な格好をしている者を見かけたのは。
(こいつら……貴族か。結構あちこちに居るな)
取り巻きが少ないのを見ると、大した家の者ではないことが分かる。だが、端くれとはいえ貴族は貴族だ。通りすがりの人物に何やら必死に話しかけているが、何を話しているのか。気になった俺は抜き足差し足忍び足でそいつらに近づき、物陰に潜みながら会話の内容に聞き耳を立てた。
「だから! 先日、金は払っただろう! いいから紹介しろ、それとも我らを騙すつもりか!?」
「んなこと言われてもねえ。確かに俺ァ案内しましたよ、ウォリアの設計が出来る技師と
「あんな自称するのも烏滸がましい奴などではない! いる筈なんだ、この職人街に!」
貴族風味の男が声を荒げている。確か、以前に一度だけ見たことがあった。第一軍のセレクターだったはずだ。ルーにポコっと倒された、口ほどにもない未熟者だったような。
それから一通りを盗み聞いた俺は、その場から離れた。他に見かけた奴らも同じだった。どうやら、ウォリアを設計できる人材を求めてここまでやって来たらしい。
(そういや、第2軍にボコボコにされたって話を聞いたような)
訓練学校の奴らが「ざまあ」を連呼していた理由がそれだったはず。……ひょっとして機体の差とかそういう言い訳か。汎用の機体ではなくて専門の機体を欲しているに違いない。戦争に生き残るためか、手柄を立てて功績が欲しいからか。
いかにも短絡的な奴らが考えそうなことではある。普通にデキる奴は、さっさと軍に認められて中央に居を構えてるっつーの。ここに残ったのは偏屈か訳ありばかりだ。いずれも貴族のような“オレEREEEE!”を拗らせてた人間が大嫌いな者ばかり。
中央に行かないのは……金が無いからだろう。安目で一発逆転を狙っているのか。うん、気持ちはちょっと理解できるけど動くのが遅いし手法もよろしくない。ま、俺には関係ないことだ。いざとなれば第一軍の上層部か、宰相がどうにかするだろう。
しかし、金とか権力を持ってる奴が焦っているのを見ると飯がうまいぜ。知らないウチにステップしながら歩いちゃう。目障りだと睨まれたけど、俺には関係ないもんね。
―――そう思っていた時期が俺にもありました。
「……ティティ?」
「あ……レオン」
片手を上げて挨拶してくる。しおらしい様子に違和感を覚えた、けどちょっとその前に待ってお願い待って下さい。
――よし。目の前の事態を整理する所から始めよう。
まず、1番―――倒れている貴族な男と愉快な仲間たち。ここに来るまで見かけた奴らよりも格上っぽく、腕自慢風味な護衛もまとめて仲良くうつ伏せに倒れている。
次に、2番―――ティティの頬が腫れてる。経緯については大体予想できる、こいつらが無理強いをしようとしたんだろう。……いや、ニグレイドの噂を嗅ぎつけたからか。俺が原因でもあるけど、拉致しようとするか普通。後で謝るとしよう、俺が生きていれば。
そして、3番。俺はティティの肩に手を置きながら、問いかけた。
「大丈夫だったか、ティティ――それでこちらの美女はどちらさん?」
「助けてくれたんだよ……凄く強かった。ひょっとしたらアンタ以上かもね」
感動したように頷いてる。ウォリア以外にはあまり興味を持たないコイツがこれほどまでに心動かされるほど、か。
確かに強いよ、そいつは。その規格外さについては、ひょっとしたら世界で俺が一番知ってるまである。だけど、1つ聞いていいかなミッドナイトブルーの髪の人。口元まで隠れる服に、白いヘアバンドに、黒い布に紋様が刻まれた目隠しで両目を覆っているおチビさん。
見つめていると、そいつは視線を逸らしながら呟いた。
「……照れる」
じゃねーよ。
思わずツッコみそうになったよ、危ねえよ。
でも、頼むから教えてくれなんでお前がここに居るんだよ――――ソフィア!
なんてことを言うと秒で気絶させられて拉致されることが分かっている俺は、愛想笑いを返した。
「助けてくれてアリガトウ、通りすがりの人。ところで出で立ちから何から王国の人間っぽくないんだが、密入国者とかじゃないよな?」
「……当然」
ソフィアが頷く。いや、こいつちょっと焦ってるな? 表情も仕草にも出ていないが、何となく分かる。それにしても、なんでここに。尋ねると、「予想」とのことだ。いや、どういうことだよ。
「……撃墜」
「え?」
「大破」
「なにが」
「作成」
「……どういうこと?」
ティティが受け答えしながら意味わからないと首を傾げてる。けど、俺には分かった。機体が再起不能になったからには次のものを作るはずだ、だから中央ではなく職人街に網を張ってたと、そんな所だろう、うん。
どんぴしゃじゃねーか、やだー!
時々野生動物以上の勘を発揮することもあるが、これは酷い。しかし幸いにして俺は演技派な男。仮面が無い以上、余計な事を言わなければバレることはない。
それよりも先に、こいつらの落とし前を付けるか。俺はボス格の貴族サマを引っ掴んでティティの工房に移動した。中に入り、椅子に座らせて縛った後に軽く頬を叩いた。
「……っ、ここは」
「目が覚めたようだな強姦魔」
「何を……おい、この縄を解け!」
おー、暴れる暴れる。かと思えば、どうしてか付いてきたソフィアを見るなり小さい悲鳴を上げた。
「おっ、おま……いや。あの戦いぶり、お前はプロの護衛だな? 依頼主の倍は払う、今すぐ俺に雇われてこいつらを」
「否定」
「なに? ならば何故俺の邪魔をした! あんな、あんなに一方的に……!」
「退屈」
「な、馬鹿にしやがって!」
「肯定」
反論する貴族の男が、プルプルと震え始めた。あ、頭の血管破れそう。でも震えてるのは怒りだけじゃない。……まあ、理解不能な未知の化物が急に現れたら驚くよな。強がれるだけ大したもんだ。
で、現場で見ていた人に話を聞こうじゃないか、どういう戦いぶりだったんですかねティティちゃん。
「ちゃん言うな。それに見たとはいっても見えてない。歩いたかと思ったらバッタバッタと人が倒れていった」
「……お粗末」
「そこ照れるとこ違う」
護衛が粗末だったのと、自分の技が粗末だったので謙遜している感じか。いや、それを言ったらこいつも護衛達も立つ瀬がないというか。
「お、お前! 確か、クローレンスと一緒に式に出ていた従士だな!」
「そうだけど、それがどうした」
「決まっているだろう! 国を守る貴族と、コイツと、どちらが王国にとって重要なのか! 国民の義務を果たせ!」
「義務? そう言われたら断れねえな」
頷き、ティティを見る。頬の傷は明らかだ。俺は迷うことなく、正しい判決を下した。
「強姦魔―――とまではいかないな。でも誘拐未遂だから通報しますね」
笑顔で答えてやる。間髪入れずに、俺は魔導通信で治安維持のために派遣されている巡回の軍人を呼び出した。フハハハ、ここいらの警備や治安部隊の一部とは仲良くさせてもらってるこの俺を舐めたのがお前の運の尽きだ。そう告げると、硬直する貴族はぽかんとした表情でこちらを見ていた。
「きさ」
「蚊ぁ!」
騒がれても面倒なので、顎を小突いて気絶させた。こんな所に蚊が出るとは不幸ですね。それから警備が到着したのは4分後。哀れ外で気絶している部下と共に、貴族サマは連行されていった。部下に指示を出していた分隊長―――ナウルという40ぐらいのオッサンは、顔見知りであるティティに苦笑を向けた。
「災難だったな、お嬢ちゃん」
「……その呼び方は止めて。嬢ちゃんなんて年じゃない」
「だからこそ襲われることもある。コイツを知ってる奴なら手出しはしないだろうがな
ナウルがこちらを見てくるが、失礼な。せいぜいがボコして道路に転がすだけだ。
「顔を落書きして、か? 懐かしいな……と感傷に浸る前に忠告だ。さっきの男のようなルールを知らない馬鹿が急増してる。どうにも第1軍の末端らしいがな」
ああ、やっぱり。俺は事情を把握してなさそうなナウルに手持ちの情報を伝えた。これから増えていく可能性も含めて。
ナウルは深い溜息をついた後、そういう事か、と呆れ声で呟いていた。警備部隊のOBに出張って貰う必要があるからだろう。一部には貴族に顔が効く者が居る。警備部隊として給料を払っている代わりに、下っ端では裁きづらい案件に顔出ししてもらうために在籍しているとか。
「ところで、そっちのお嬢さんは?」
「ちょっとした知り合い。ティティを助けてくれた恩人で、これからちょっと飯に行くつもりなんだよ」
だから、いかにも怪しい上に腕も立つという不審人物だが、ここは見逃して欲しい。視線でそう伝えると、ナウルはイレリナ産という形に口を動かした。おま、南部ワインの中でも高いやつじゃねーか。だけど、ここでナウル他警備の奴らがボコにされるのはごめんだ。
視線だけで了承を伝えるとナウルは小さく頷き、部下を連れて去っていった。残されたのは俺とティティとソフィアの3人だけ、なんだが。
「……美味いもん、食べる?」
「「食べる!」」
素直でよろしい。ため息と共に、俺は移動を開始した。
「……それで? この前の純朴な子を放って、まーた新しい女の子漁りかい」
「誤解も甚だしいわ。さっさとメニュー置いてけよナターシャ」
いつもの食堂。俺は野次馬根性丸出しのナターシャをしっしっと手で追い払うと、二人の方へメニューを差し出した。
俺の注文は既に決まっている、疲労回復のための牛肉一択だ。訓練が始まってから1月余り。慣れない教官役に訓練にと、本当に疲れた。ここは自分へのご褒美で英気を養うのが賢明だろう。ティティは少し悩んだ末に、隣のテーブルに運ばれてきた料理を見て頷いた。
「決めた。私はトレアット海の魚貝パスタで」
「おう。デザートも付けていいぞ……って、どうしたアンタ」
「ソフィア」
「……それがお前の名前か? で、何を注文するソフィアさん……いや、どういったものが好みなんだ?」
分かっているけど、聞いてやる。ソフィアは即答した。
「牛肉嫌、鶏、パン好き」
「あっさり系か。魚は……食べたことがなさそうだな、試しに食べてみろよ」
不凍港が無い帝国にとっては、高級品だったからな。海産物は。白身魚のソテーと、鶏煮込みスープを頼んでやる。
ソフィアは頷き、鼻をひくひくとさせていた。分かる、帝国ではこんな贅沢な香りを出すような食堂なんて無かったもんな。
はしゃいでいる内心が見て取れる。今にも両手にスプーンとフォークを持ってうきうきと身体を揺らしそうだな、コイツ。そうされると目立ってしまうので、俺は強引に話を切り出した。
先程の騒動についてだ。俺は心当たりがあるとティティに話した。
「すまん、面倒をかけた。もっと注意すべきだった」
「謝られる筋合いは無いよ。自衛自守自立があそこの唯一のルールじゃないか。それよりも、次の機体の話だ」
ティティは鬼気迫る表情で問いかけてきた。負けて入院していた頃と同じく、切羽詰まっている。あれはお前のせいじゃないと何度も言ったんだけどな。
ニグレイドの低装甲高機動は、同格以下のセレクターを複数相手にするコンセプトだ。事実、最初の戦闘では優位を取れていた。ティティの設計には何の問題もなかったんだ。圧倒的格上と遭遇戦になった俺の不運が悪いだけで。
諸悪の根源は隣で周囲の料理に興味津々なソフィアだ。もっと言えば、止めろっつってんのに勝ち目も計算せず義務感だけで挑んだ白狼部隊なんだけどな。
障害となる壁には2つあることを奴らは知らなかった。今までは、その場で死力を尽くせば乗り越えられる敵ばかりと遭遇していたんだろう。だが、世の中には事前準備が大前提という反則級に強い相手がいる。それを怠って死んだ奴らを勇敢だとは思わない。どちらかというと真面目に生きようともせず、強引な賭けで破滅するギャンブラーへ抱く感情に似ていた。
「準備、大事」
「そうだな」
「……大事」
「うん。料理は下拵えが重要で時間もかかるんだ、だから大人しく待ってろ」
腹を鳴らすな涎を垂らすな。くそ、昔を思い出すぜ最強の反面教師だった孤児院筆頭・ソフィア先生の悪夢を。
「……なんというか、分かり合ってるな。二人は初対面なのか?」
「当たり前だろ。なあ、ソフィア」
「……大事」
聞いてねえよコイツ。そうこうしている内に料理が運ばれてきた。
ティティは魚貝の、ペスカトーレに近いパスタだ。オリーブオイルで炒められた白身魚と大きな貝が皿の上を盛り上げている。にんにくの臭いも香ばしく、食欲をそそられて仕方がない。
ソフィアの方はストレートに肉厚の白身魚をソテーして、バジルのソースで彩りが整えられている。鶏のスープにはくたくたに煮込まれた野菜が入っている、シンプルな仕上がりだった。横にある手作りパンを漬ければさぞかしいい気分を味わえるだろう。
俺の方はもう少し時間がかかるようだ。だから先に、と告げようとした所で視線が飛んできた。え、なんだ、マナー? そんなもんは無いと言いかけた俺は、昔のことを思い出す。そういえば、帝国ではこういった食生活とはかけ離れていたからな。最初は盗み見て覚えたんだっけ。
それから俺は基本だけを教えた。なるべく音を立てない、フォークを刺して齧り付くように食べない、パスタはすすらないという事だけだ。
二人は頷くと、辿々しい手付きで食べ始めた。あ、ソフィアの動きが止まった。
「………………アリン」
「誰だよ。あーもう、泣くな! なんか知らないけど!」
ソフィアを慰める一方で、ティティは魚貝の旨味の虜にされていた。
それから色々と騒動があったが、一応は問題なく食事は終わった。途中でパスタとパンのトレード事件や、量的不均衡を問題視した抗争未遂から、歴史的和解などがあったが些細なことだ。
デザートにはナターシャの特製ティラミスが出てきた。二人は一口食べるなり、珍しくも満面の笑みを浮かべた。女の子には甘いものが一番、とナターシャに教えられたことがあったが、嘘じゃなかったようだ。
(いや、ソフィアは女の子って年じゃないんだけど………………うん?)
ちょっと待て。今、何か不自然なことが。
「つっ!」
思わず言葉がこぼれる。それほどに、頭が痛い。どうしてだ、いきなり、こんな。
「ど、どうしたんだよ、レオン」
「……寝不足?」
叱るような言葉で、ソフィアが語りかけてくる。
いや、違う。何が違うとかじゃないけど。
その後、1分もすると頭痛は収まった。
それからソフィアは俺たちに気を使ったのか、礼だけを告げて去っていった。……いや、どうだか。隠れられてる可能性もあるけど、探した所でアイツの気配は察知できないしな。
その後俺たちはティティの工房に戻って、今後のことを話し始めた。まずはニグレイドの礼を。ティティは受け取らず、次こそはと意気込んでいた。
「いや、ニグレイドのことはよくやってくれたよ。お世辞じゃない」
「じゃあ私もマシナリーの観点から言わせてもらう。ごめん、レオン。まだまだ私の仕事は甘かった。……あの相手に勝てたとは思わない。だけど、もうちょっと、少しでも何かが出来たんじゃないかっていう後悔が消えないんだ」
戦闘の映像を見たからだろう、生々しい境界線上での命の遣り取りは想像以上にティティに衝撃を与えていたようだった。
「……分かった。でも、方向性を変えたい。雑魚散らしじゃなくて、格上が相手でも勝負になる機体を」
「もちろん、でも―――少し難しい。固有技能が、ちょっと」
ああ、Bランクのコアだったな。軍部の技術班が担当した解析結果は出たという話は聞いている。どういったものか尋ねると、ティティは渋面になった。
「ひょっとしたら、
Bランク以上のコアは高確率で固有技能が発現する。あるいは、機体を組んだ後で出る個体もある。だが、ほとんどが解析により判明するものだ。表情を見るに、分からなかったとは考えがたい。
「言葉に詰まる……ということは、あんまり良くない能力だったか?」
「―――通信系だよ。よりにもよって」
「うわあ」
思わず呟いてしまう。
固有技能は大まかに分けて4種類ある。真紅のルージェイドのような増強系、翠嶺のウィルガルディや蒼烈のナーシエフのような発動系。そして、特別な技能を除いた補助系。通信関係のものがそれに該当する。
「魔導通信の出力、範囲に常時補正。戦闘系列じゃないんだよ。それを除けば、出力バランスが良いしマナジェットへの伝達効率も高いんだけど」
「……いや」
通信出力に範囲、か。悪く無いじゃないか。
「違うな、最高と言っていい。大当たりだ、ティティ」
「え?」
「俺の考えている部隊運用には持ってこいだ。これなら、連邦ともやりあえる」
練度次第だけど、勝算が見えてきた。こうなると、第三軍でも落ちこぼればかりが集められたあの訓練校に配属されたのも運命のイタズラだと思えるな。
とはいえ、機体が台無しになればその限りではない。俺は工房の中でティティと一緒に機体の草案を固め始めた。細部のことは任せる他に手はないが、出来る限り俺のイメージに沿うようにして意見を交換し合う。
強い意見、言葉でハッキリと、わかり易いように。勘違いで失敗しました、なんて笑い話にもならない。万が一にも意見の齟齬が出ないように、俺は図も混じえて説明を始めた。
食堂からこっち、ずっと頭痛は続いていたが、明日からはまた訓練に戻らなければならないので我慢をしながら6時間。夜も更けてきた所で、一息をついて―――油断した。
ガシャン、という音に反応するも遅かった。俺は破られた窓ガラスから飛び込んできた石を避けることができず、側頭部に奔る衝撃と痛みに思わず倒れ込んでしまった。
がらん、と石が転がる。結構な大きさで、視界が揺れて血の臭いが鼻につく。
「っ、レオン!」
「大丈夫……とは言えないか。すまん、タオルを取ってくれ」
取り敢えずは止血を。そう告げているともう一つ、石が飛んできた。ティティに当たるコースだったそれを、俺は手で庇った。不意打ちじゃなければ、こんなものだ。
だが……頭が痛い上に、このダメージはちょっと拙いな。俺は急いでタオルを取り、ティティに離れるように指示しながら血が出ている所を覆うようにタオルを巻いた。
まだ痛むが、動くことはできる。武器は……魔導銃が一丁か。それを手に窓へりから外を伺う。そこには、昼間に捕縛された筈の男の一団が居た。
「ナウルの野郎……しくじったな」
上の貴族からの介入か、OBの協力を得られなかったか。そうこう考えている内に、再度石が投げ込まれた。跳ねて、工場の中を傷つける。
投石は超古代から通じる武器で、単純だが威力は相応だ。当たりどころが悪ければ大怪我を負う。それが、5、6の、8人か。
……投石は、誘いだな。出てきた所を魔導銃で狙い撃ちか、手足を撃って脅す。問答無用で殺しに来たという訳ではないだろう。
だが、頭が痛い。この体調だと……少し拙いかもしれない。そう考えている時だった。
あ、とティティが呟く。つられて見た俺は、その視線の先を追った。あれは……爺さんがいつも使っていた。古ぼけた置き時計。そのガラスが割れ、破片が地面に落ちていた。呆然と、ティティがそれを見て口をパクパクとさせていた。溢れた感情のままに何かを言おうとして、言葉に出来ないような。
それを見た俺は、魔導銃を投げ捨てた。
懐を探り、銅貨を3枚づつ。握りしめた俺は次の投石を受け止めた直後、窓から飛び降りた。
2階からの落下のため、着地の瞬間にはそれなりの衝撃が足にかかる。
それを無視し、俺は正面から貴族の一団に話しかけた。
「こんばんは、良い夜だな」
「……貴様、狂ったのか?」
これが見えないのか、と告げてくるボンボン。ああ、見えてるよ。
全員で7人、半包囲状にこちらに魔導銃の銃口を向けてきている。最低限の訓練は受けている構えだ。半分ほどは確実に当ててくるだろう。
――だが、そんなもんは知るか。
軽く笑ってやる。それをどう取ったのか、男達は嘲笑を浴びせてきた。
「安心しろ、言う通りにすれば生かしておいてやる。あのティティとかいう娘をここに連れてくればの話だが」
「……機構師を拉致して、ウォリアを作らせるつもりか」
「その通りだ。本当は、当代きっての名工と言われたあの娘の祖父を連れていくつもりだったのだが」
ああ、ジジイの情報まで持ってるのか。死んだのは知らなかったようだが。
だけど、心配する必要はない。俺は笑顔で告げてやった。
「今からでも遅くはない、会いに行けよ。俺が案内してやる」
「……何?」
「こういう事だ」
手の石を放って、足元へ。思い切り蹴り上げられたトゲトゲのそれは一直線に貴族へと向かい、その柔らかそうな腹に命中した。
苦悶の声。男はうずくまり、腹を押さえながら蹲った。
それを理解した護衛隊から、殺気が膨れ上がる。制裁で済ますつもりだったんだろうが、勝手に上から目線で決めつけてんじゃねーよ。
――未だ訓練途中、魔法は未完成だが、強化しきれば怪我だけで済む。
魔導銃でチマチマやれば勝率は上がるかもしれないが、それだけで済ませてやるものか。
動いた拍子に血が落ちたが、関係ない。
覚悟を決めた俺は飛びかかるべく足に力を入れて。
そして、世界が死んだ。
呼吸が止まらせられた。心臓さえも止まっていたかもしれない。その次の瞬間に、聞こえたのは誰かが倒れる音。気がつけば護衛の男達は泡を吹きながら、膝立ちでうつ伏せになり、気絶していた。
「カ、ハッ……ぐ、お……」
声が出ない。呼吸さえもままならなず、視界が揺らぐ。
そして、俺は見た。夜の月の光の下に佇む、深夜の蒼の髪を持つ怪物を。
ソフィア・ブルガリは静かに、そこに君臨していた。
気絶する男達を冷たい目で見下ろしながら。目隠しは外され、魔力に満ちた黄金の瞳が2つ、月光のように輝いていた。
(――とんでもねえな。変わらない。手加減抜きの殺気を向けられただけで、コレかよ)
何もしていないのに勝敗が理解らされる。先の戦闘では遊びの範疇を出ていなかったのだと確信させられてしまうぐらいの。
そのソフィアは呼吸を1つ落とし、殺気を消すとトコトコと近寄ってきた。
「……大丈夫?」
「ああ。……ずっと張ってたのか」
「肯定。確認。……確信」
「どういう意味だ」
分かってはいながら、問い返す。
ソフィアは、笑った。
「―――生きてた。私のアリン」
月の光を背中に、あまりにも美しい表情。出会った時とは違う、感情に満ち溢れたそれは成長を感じさせるもので。
「いや、生きてたっていうのはどういう―――」
意味なのか、と問いかけようとした俺は崩れ落ちた。頭を金槌で叩かれたような頭痛を感じたからだ。
(ぎィ……くっ、ガ……ど、ういうことだ)
何がおかしいのか。
いやおかしい、ソフィアの顔が。
20才にも届かない容貌のままなのはおかしい。
何かを考えようとする度に奔る頭痛に、呻き声しか上げられなかった。
(俺か……誰が、ソフィアか? 何かが、途方もなく変で……っ!)
痛みにうずくまる。その思考の端で、周囲が騒がしくなっていくことを感じた。遠くから人の気配、それも集団が駆け寄ってきているようだ。
恐らくはナウルだろう、殺気の類は感じない。これでひとまずは大丈夫だが、ソフィアは違う。
現場の状況が状況だ。ナウルは問い詰めようとするだろう。そして、血の雨が降る。それだけは避けなければいけなかった。
(だけど、ソフィアは動かない。置いていけと言っても、絶対に聞かない)
そういう顔をしている。邪魔をする者がいれば全てを薙ぎ倒して、俺を持ち帰るだろう。ナウル程度などひとたまりもない、生身でもこの街の半数を相手に出来る程だ。そんな致命的修羅場を展開されると困るし、いくらソフィアでも人1人を抱えて無傷での脱出は無理だろう。だが、コイツ相手に下手な理屈を捏ねて説得するのは無理だ。
どうすれば、と思っている時だった。
音が……これは、魔導通信? ソフィアの携帯端末から、声が溢れている。
『……ふぃあ。聞こえ……か、おい』
長距離通信の弊害だろう、電波がよく届いていないようだ。いや、届くこと自体がおかしいのだが、古代兵器の類かもしれない。
そして、声には聞き覚えがあった、これは……!
「ウェアルフ、か」
告げると、ソフィアが弾かれるようにこちらを凝視した。
目を丸くしながら、全身が震えている。
もう誤魔化すのは無理だろう―――だが、別方向に誤魔化すことはできる。
「――行け、ソフィア。急いで逃げろ、任務を遂行しろ」
「……意味、不明」
「連邦を挟み撃ちにする作戦だろう? 長年の仕込みが台無しになる、聞き分けろ、ここで騒動を起こせば俺が怪しまれる」
あくまで計算の内だと告げる。これは長期的な潜入であると匂わせる。
強引過ぎる手法だが、この場で誰も死なせないためにはこれしかない。
それに、ずっと昔にソフィアには徹底的に教え込んだ。軍として動くのなら、判断力が不足しているお前は独断で動くな、必ず上役と共に行動しろと。
ただでさえお前の持っている力は規格外。だからこそ、使うべき場を弁えろと何度も何度も告げた。
その教えが、ソフィアの思考にエラーを起こす。守るべき教えと、今の言葉と。
「早く……もうすぐそこにやって来る!」
「……帰って、くる?」
「……!」
「アリン、帰って、くる?」
確認するように、一言ずつを区切って問いかけてくる。
その顔は、迷子になった子供そのもので。
俺は何かを言おうとして食いしばり、小さく頷くと偽らずに答えた。
「行くさ、必ず。どんな障害でも跳ね除けて」
「――分かった」
小さく頷き、それ以上何を言うこともなく。ソフィアは壁に向かって走り始め軽く跳躍、2、3回壁を蹴るだけで、4階相当の建物の上まで到達していた。軽業には自信がある俺の更に上を行く冗談のような身のこなしは、呆れる他にない。
そして最後にこちらを見た後、青髪の少女は屋根の向こうへと消えていった。
残されたのは俺と気絶した護衛達、色々と臭う貴族のボンボンだけ。上の口だけじゃなく下の方も緩んでしまったようだ。
俺も限界だったため、仰向けに倒れ込んだ。取り敢えずはティティが無事……いや、ちょっと無事じゃないけど、強い奴だ。それでも修理屋を探さなきゃな。
遠く、ナウルが叫ぶ声が聞こえる。
だけど頭痛が酷く、どうしようもなく眠い。
(……ああ。行くさ、絶対に)
真実次第では攻め込むことになるだろうが。
俺は複雑極まる心情を横に、改めて決意を固めながら―――
(この痛みも、何がなんだか)
痛みと共に何かを消されるような。そんな感覚を抱いたが抗うことさえできなかった俺は、誘われるままに夢の中に落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます