閑話:ルーシェイナ・リッド・クローレンスの事情



「今度という今度はもう怒ったよ――どれだけ心配したと思ってるのさ!」


レオが死にそうになって、血が止まらなくて、必死で治療して。渾身の治癒魔法を使ったから内臓を抉られるような痛みが続いて、それでもレオが生きている証拠だからって病院で我慢してた。今さえ我慢すれば、僕たちはきっと元に、あの部隊に戻れるんだって。


なのに、解体? 異動ってなんだよ? たった一言の説明さえもなかった。


何が起きたんだろうって、ひょっとしてって、心配で心配で慌てて駆けつけた。


「なのに、陛下のお……お……胸を揉むとか揉みしだくとか!」


「いや、はい、すんません。客観的に見ると大変よろしくありませんね」


「主観的にもだよ!」


なんていうか、この、腹が立つんだよ! 分かってよ!


そこ、なんでって顔しない! ああ言い訳をしないあたりもモヤモヤする。


事情を聞くと、その思いは更に深くなった。なんだよ、解体の意向はほぼコロウ宰相の独断と偏見じゃないか。


「いや、違うぞ……と説明しても納得しないか。だけど、宰相を責めるのはお門違いだ。同意して従うのを選択したのは俺だからな。治癒の件も含めて、怒られるのなら俺だって話で」


「……だから?」


「げ、元気が出て良かったな、ルー」


「……それで?」


「俺がいなくても自主練で何とかなるだろ。あのソフィアの機動を見たんなら、何をすればいいか分かるだろうし」


「ソフィア、って……ううん、やっぱり。彼女がそうだったんだ」


星を落とした、最強の一角。本当に存在していたことも驚いたけど、見せつけられた実力差にはもっと驚かされた。


あれは、違うモノだ。僕なんかが200人居ようが関係ない。十星が特別視され、神聖視される理由が嫌というほどに分かったよ。大切な人の生き死にが左右される戦場であの実力を発揮されると、信望を集めるのは当然だと思う。


だって、僕は心底祈ったもの。レオが死にそうになった時に、狂いそうだった。なんでもいいから助けてって、縋るように。


僕のそんな気持ちも知らないで……考えるともっと腹立ってきた。


でも、本当は―――駄目だ。聞いておかなきゃならない。


「ねえ、レオ。敵わないって理解してたんだよね。なのに、どうしてソフィアさんに挑んだの?」


「……理由は3つある。白狼部隊を見捨てると外聞が致命的、忘れかけてた最強を味わうと共にお前らに教本を見せたかった」


「見捨てるのは拙いもんね。そして、教本か……最後の1つは?」


「あー……3つ目は、アイツなら無意味な殺しはしないと思ってた。変わってる可能性も考えたけど、やっぱりソフィアはソフィアだったよ」


は? え、いや……は?


なに惚気けてるのかな、このレオは。ちょっとカチンと来たよ?


でも、信頼度で言えば僕たちなんかより、よっぽど……そうだよね、僕たちは何も出来なかった。レオが死にそうになっても、踏み出そうとした所で制された。殺気、だったと思う。アリスさんもそうだったと言っていた。たった一度、一瞥されただけで僕たちは指一本さえ動かせなくなった。レオが死にそうになっているのに。


「いや、なんで泣くぅ?!」


「ごめん……ごめんね、レオ」


「いやそういうんじゃなくて!」


あわあわしながらレオが右往左往してる。……卑怯なやり方だ。狙った訳じゃないけど、これはズルい奴の方法だ。


――レオは、優しい。分かっていたことだけど。狙いは分かったよ。でも、部下の僕たちを前面に出す方法が無かったとは思えない。その上でもっと上手くやることだって出来たはずだ。なのに、自分が前に出た。あの瞬間、僕たちは庇われたんだ。


アリスさんさんも同じ意見だった。僕たちはセレクターで、ウォリアと共に在る。なのに下がっていろと言われたのは、『邪魔な足手まといだから引っ込んでろ』と言われたも同然だ。それで僕が悪くないなんて、思う方が間違ってる。


(いったい誰が、何が悪かったのか。決まってる、僕たちが弱いからいけないんだ)


強ければもっと、きっと。頼られることだって出来た、協力すれば撤退することだって出来たんだ。


ずっと努力してきた。あの頃からずっと、誇れる自分に成りたいと、そう思って頑張ってきたつもりだったけど。そんな事を考えていると、頭を小突かれた。


「思いつめた顔をすんな、アホ。遭遇したのも含めて、超絶に運が悪かっただけだ。いやマジで。今考えても有りえん」


「でも……僕が弱かったのは事実で」


「騎士団長が来た所で結果は変わらなかったぞ。それに、悪かった探しはキリがないから止めた方がいいぞ面倒くさい」


負けた、叶わなかった。それでも生きているという理由に価値を見い出せ。面倒くさそうな顔をしながらも強く告げられた言葉には、納得が引き出されるほどの深みがあった。


「それに、敗北の責任を負うのは指揮官の仕事だ。下っ端は反省して、次に活かすだけ。勝手に背負い込むのは義務じゃない、ただの出しゃばりだ」


「……酷いことを言うね」


「良薬口に苦しだ。痛い所を突かれてるから傷つく。正しいって認めてる証拠だ、それは」


「でも。でも、さ。次に、次のために頑張るって、何を」


「あーもう、残された時間は少ないんだ。さんざん言っただろ。なら、今回の事件にとってのお前の収穫はなんだ?」


問いかけられた僕は、ハッとなった。


そうだ、僕は無様を見せた。


でも、生きてる。生きてるんだから、まだ何も終わっちゃいないんだ。


そして、収穫は……そうだ、さっき言われたじゃないか。頂点の動きを見れた。思い出すだけで痺れるような、あまりにも美しく、理解できない動き。模倣とまでは流石にいかないけど、何かを掴めた感じがする。それに、僕がまだまだ無力であることを知れた。更に、今までの倍の努力をしようって、今の僕は思えてる。


(でも……なんだろう。僕は責められたかったのかな。悪いのは僕だって、そうしたかった?)


なんでだろう。考えても、分からなかった。ただ、何となく感じる。それさえも、とっても卑怯なことだって。


……ああ、そうか。自分よがりで、自分のことしか考えていない自分がまだ残っているんだ。レオと出会う前のあの頃ように。


(懐かしいな、本当に)


瞬く間さえ、あればこそ。名前も知らなかったそのひとは風のように現れると、一瞬で僕の世界を壊してしまった。


今も覚えている、任官してしばらくの頃のこと。整備兵の人たちと打ち解けることができず、駐屯地で孤立していた僕の元に彼は現れた。


―――それまではずっと、僕は自分の心を押さえ込んでいた。


任官する前の、訓練学校は嫌な所だった。僕が第三夫人の子だからだろう、誰もが見下して、嫌がらせをしてきた。たった一人の親友がいなければ途中で耐えきれずに退校していたかもしれない。


チビ、臆病、根性なし、口下手、魔力だけしか取り柄がない。色々な悪口を言われた。悔しかったのは、情けないのは、何も言い返せなかったこと。学校に入る前からずっと、父様と第一夫人様に口答えすることを禁止されていた。破ると平手が飛んでくる時もあった。入学する時も、他生徒と揉めるな、大人しくしていろと命令を受けた。


だから、ずっと縮こまっていた。陰湿な生徒が相手でも、蹲ってやり過ごせば何もしてこなくなる。腐っても侯爵家の子供だからだろう、周囲が止めてくれるのだ。少しの間だけ耐えれば、それ以上辛い思いをせずに済む。あとは、誰も居ない場所で泣けばいい。


今になって思えば、臆病者の思考でしかない。止めて“くれる”なんて思ってるあたりが最低だった。


しばらくして、ルージェイドを父様より下げ渡された。クローレンスが保有するウォリアの中では下級の機体ということだが、初めて与えられた自分だけの所有物。それも、父様からの初めての贈り物なんだから、喜ばない筈がない。


逃げ込む場所にもなったので、それからの僕は真紅のウォリアに夢中になった。自由時間のほとんどをルージェイドと共にしていたと思う。


成績が良くなれば教官の目に止まる。暇さえあれば訓練していたのが良い方向に転んだ。自然と、直接的な苛めは減っていった。陰口の数は逆に増えていったけど。


女王陛下と出会ったのもこの頃だった。陰口に落ち込んでいた僕がルージェイドに語りかける姿がツボった、とか言われた。未だに理解できないでいるけど、どういう意味なんだろうか。レオの胸の話もあるし、今度聞いてみよう。


当時の陛下はまだ王女の地位にいた。今よりもずっと気楽で、とっても自由だった。僕に対しては正体不明の金髪武官と名乗っていて、とんでもなく美しいけれど奇抜な言動が面白い人だった。


しばらくしてからは、用事が出来たからと言って来れなくなったけど。後日に正体を明かされた時は心臓が止まると思った。


それから、色々あった。予想外だったのは、成績が10位以内に入った頃に仲良くしてくれていた知り合いから距離を取られたこと。どうして、僕が何かしたのか。親友に聞くと、不機嫌な顔になりながらも教えてくれた。


「勝手に裏切られた気分になってるのよ。可哀相だから優しくしてあげたのに、どうしてアンタなんかが、って感じかしらね」


「……僕は、憐れまれていたの? 同情されていたから、優しくされていたの?」


「優しいってのは間違いね。あとは……そうね。自分より下の存在が居ると思い込んで安心したかったんじゃない?」


なんだよ、それ。その日、僕は枕を濡らした。


翌日、彼女は気まずそうな顔をしながら「言い過ぎたわ」と謝ってくれた。


必要ないと答えた僕は、笑っていたと思う。見下して嘲笑っているあの人達の真意を、薄々だけど分かっていたから。


そう、僕は分かっていた。……本当は、気づいている人ばかりなんだと思う。気づきたくないから目を逸らしているだけで。


――そして、時間が過ぎる。変化が重なれば環境も変わる。任官した僕は軍人になった。だけど、それだけでは僕の中身は変わらなかった。それで良いと、家から望まれていたからでもあった。


第一夫人様と第二夫人様のお子は優秀だった。特に長男のシャギス兄上とラウド次兄上は有名なセレクターで、成績が極めて優秀な者しか許されないフォーリスト大森林に任官して即派遣されているほどだ。


僕に求められているのは、貴族としての義務を果たすことだけ。任官後の入隊式から半年後、ハッキリと父上から言われたんだ。お前の意味は終わった。今でもお前を育てているのは、軍人にさせたのは、体裁のためだけだと。


『問題を起こすな、家の名を汚すな、当たり前のことだけをやれ』。呪いのように繰り返し告げられた。


そして、知った。僕は何も求められていなかったんだ。僕は家にとって都合の良い存在であれと望まれて作られた人形。それが、きっと僕の幸せなんだと。


思い込もうとしても無理で、あの頃はずっと意識が朦朧としていたような気がする。


「ちょっと。あんた……いや、お嬢ちゃん? そこめっちゃ邪魔なんだけど」


基地の中で、そんな言葉と共に彼は現れた。


その背後には蹲っている整備兵が5人、お腹をおさえながら嘔吐を繰り返していた。研修生の服を着ている彼の頬には、殴られた跡。喧嘩だろうが、あまりにも一方的過ぎる。問いただすと、僕の髪を見るなり嫌な顔をしながらも答えてくれた。


「ああ、ちょっと運動をしたかったんだ」


「……殴り合いじゃなくて?」


「ストレスを発散するには運動が一番だ。病は気から。我慢ばかり続けていると、やがて身体の機能は衰える。それを発散するために身体を動かした、つまり運動。ここまではオーケー?」


「う、うん。でも、その、大丈夫なの? 頬の痣とか」


「大丈夫だ。正当防衛の証だからな、大事にする」


「いやそういう事じゃなくて。そ、そこで吐いている彼らも、苦しそうなんだけど」


「きっと食あたりだろう。そして、あれも運動だ。体内から悪いものを吐き出そうと肉体が危機感を覚えたんだろう、必死に動いている」


そうなんだろうか。転げている彼らを見ると、ぶんぶんと首を横に振ろうとして出来なかったようにも見えるような。でも、隣に居る彼を見るなり青い顔をして黙り込んだ。


これは無理だ、心が折られてる。医務官を呼ぶ必要があるけど、先にどちらに非があるかを確かめるべきだろう。揉め事に関わるのは禁止されているけど、この状況で逃げると悪評が立つ。


質問を重ねると、何とも理不尽な話であることが分かった。仕事の覚えが早いものの態度が研修生らしくないと、難癖をつけられたのだと彼は言う。


「それでも、殴り返すのは良くないよ。君の将来にだって響くだろうし」


それは悪いことだ。やってはいけないことだ。僕が子供の頃から何度も説かれてきた、“当たり前”。それを教えていると、バカを見る目で彼は言った。


「いや、殴られるままってのも悪い行為だろ?」


「……それは、どういう意味で言っているのかな」


苛められる方が、っていうことかな。そう思っている僕に、彼は告げた。


「だって、殴られたままの方が良いって―――嘘ついてるじゃん。嘘をつくって、悪いことだよな?」


「―――それは」


「殴られたらムカつくし殴り返したくなる。罵倒されたままなんて苛つくだけだし、言い返したいだろ。押さえなきゃ勝手に動く、ってことは身体がやり返したがってるんだ、その気持に嘘をつくのは、裏切りだろ。ほら、それも悪いことだよな」


嘘をつく、裏切りは悪いこと。その言葉に、僕は頷いた。


「腹が減ったら美味いもんを食いたい。眠りたい時は寝ていたい。美女との出逢いがあれば、是非とも一戦願いたいね。最低でも揉みたい。そう思うのは別におかしな事じゃないし、悪いことじゃないだろ?」


「それは……うん、確かに?」


「だったらやり返さなきゃ。誤魔化すのは裏切りだろ。なあ、お嬢さん。お前、自分で自分を裏切って、なにがどうなるってんだよ」


ため息をついて、彼は僕の人差し指に手を当てた。真剣な表情で、言う。


「お前の他に、誰が自分お前を守ってやれるんだよ――自分にさえ裏切られたら、誰よりもお前自分が可哀相だろ」


だからこそ、裏切るのではなく勝ち目が薄くても――と。


その理屈は、僕の胸の奥にストンと落ちた。


ああ。うん。まったくもって、その通りだった。


ずっと、僕は目を閉じていた。我慢していた。嘘をついていた。その間に傷つくものがあると、分かっていながら考えないようにしていた。逆らうことが、怒られることが怖かったから、でも。


「……間に合うかな。ずっと嘘をついて裏切り続けていた、こんな僕でも」


「死んでないなら十分。ま、死んでも生き返ればいいだけだし」


「他人事だと思って無茶を言うなあ。言うだけならタダとか思ってない?」


「鋭いガキだな。将来はさぞかし生意気に育ちそうだ」


「聞こえてるから……ちょっと待って。君、学生なら18以下だよね」


「ああ、年上だぞ、無条件に敬い給え」


「……いや、僕の方が年上なんだけど。あと、言ってることとやってることが矛盾してない?」


それからひと悶着あったけど、僕は気づくことが出来た。行動してみればなんてことは無かった。最初はちょっとだけ勇気がいった。


挨拶することも、ありがとうって言うことも、ずっと思っていたことだった。


伝えたら、うざいとか言われたりしないだろうか。だけど、恐る恐る告げると戸惑いながらもお礼を返された。戸惑っているようだったから理由を説明すると、感動された。


そして―――初めてだった。ありがとう、って。自分の目を真正面から見返して、僕の家がどうとか関係なく、ただ感謝の言葉を返してくれた。


その嬉しさに後押しされた僕は、色々と自分が思うままに動いた。


そして、自分が間違っていなかったことを知った。同時に、気がついた。家族から教えられた言葉は、全て正しくなんてなかったんだと。


それでも僕は生きていたい。今すぐで無くてもいい、自分を裏切らない、胸を張ることを躊躇わない、誇れるような己で在りたいと思った。


誰に言われた訳でもない、初めてかもしれない、僕の中に芽生えた反抗心。


それはきっと、何よりも大事なものだと感じたから。



「どうした、急に黙り込んで」


顔を覗き込んでくるレオ。その顔は心配そうな顔色で。でも、これだけじゃ駄目なんだ。

レオの言う通り、僕たちも強くならなきゃいけないんだ。まだ9ヶ月あるんじゃなくて、あと9ヶ月しかないと思うべきだ。


「……レオ。僕、強くなりたい」


「なんだ、いつもの……軽い言葉じゃないみたいだな」


内心の変化を見抜かれたようだ。というか、今までは軽かったのか……うん、軽かった。僕自身がそう思えている。何となく頑張ればって、そう思ってた。


でも、変わりつつ在れている。それを見抜いてくれたことが、どうしようもなく嬉しい。レオって、こういう所が最高に卑怯なんだよね。


でも……やる気が出る。てっとり早くなんて出来ないことは分かってる、でも何かをやらなきゃ。何より、レオにこのまま置いていかれるのは嫌だ。


「そうか。――だったら、最近編み出した修行法を教えてやる」


告げるなり、レオは色々な方法を伝授してくれた。少し試したけど、正気の沙汰じゃなかった。でも、分かる。これを続ければ僕は強くなれる。


「アリスにも伝えといてくれ。しっかし、やっぱり魔法行使に関しちゃルーの方が上だな。飲み込みも早い」


「見様見真似で試してたから。でも、いいの? これ、アリスさんが知りたがってた身魔法の基本だよね」


餌をちらつかせてやってたのに。尋ねると、不義理の詫びだとレオはため息をついた。


「色々と勝手をしちまったからな。それの慰謝料だと思っとくよ」


「……でも、覚えたいものを覚えたら、軍から出ていくかもしれないよ」


「嫌々残られる方が迷惑だ。俺にとっても、あいつにとっても」


「望まない戦いに意味はないってこと?」


「あいつの目的は習得の先にあると思うからな。どの道、我流だと限界があるさ。クソッタレなことだけど、殻を破るには実戦が一番だからな」


命を試される場所でこそ、人は命を感じる。そうだよね。魔力とは命から溢れるものを操作する術だと言ってもいい。大森林の中で多くの戦闘をこなしてきたアリスさんだ。そのあたりの事は、分かっているんだろうね。


「分かった。一緒に頑張るよ。僕がリードしていく」


「……その心は?」


「だって、父様が言っていたもの。男ならば背筋を伸ばして、女性の手を引くぐらいの心意気を持ちなさい、って」


「男、ねえ。他には何か言われたか?」


「うん。子供の頃だったけど、よく覚えてるよ。一番に言われたのは“男ならこのぐらいは耐えられるだろう”って言葉かな」


うん、確かに言われた。あの頃は、それでも兄様達のためだって、怠けることは許されなかったから。


「――ルーシェイナ。父親から言われた、って言ったな。それは何時、どこでそんな事を言われた?」


「何時って……あれ、そういえば」


なんだろう、思い出せない。でも、確かに言われたんだ。泣き虫だった僕を叱るように、繰り返し、繰り返し。その言葉が励みになった。耐えられる人も居るんだから、泣き喚くのは甘えだって、そう、思って……。


「いや、分かった。ありがとう」


「な、なにさいきなり」


レオは僕の髪を優しく撫でてきた。うー、僕の方が年上なのに。でも、それでも嬉しいあたりが、子供っぽいと言われる理由なのかもしれない。


(でも、だって……気持ちいいし)


ほわっとする。へにゃって顔が和らいでしまう。だって、父様は一度もこんなことしてくれなかった。兄様達だって労ってはくれたけど、触れようとはしなかった。


でも、手。レオ、手が震えてるよ?


「猫っぽく目を閉じるからだ。そんなに気持ちいいか」


「うん。触れられると分かるんだ。人って、暖かいよね」


あ、ほっぺた触った。それ好きだよね、レオ。なに、あいつらを思い出すって誰さ。


「昔の知り合いだ。しかし、熱いほどだな。お前だと余計にそう感じる。子供っぽく体温が高いせいだろうが」


「レオはちょっと冷たいよね。わりとドライな所があるからだろうけど」


「そういう意味でもお前は暖かいよ、ルー」


あれ、嫌味を言ったけど皮肉が帰ってこなかった。


調子狂うけど、なんだろう……レオ、怒ってる?


尋ねるけど、頷かずに誤魔化されるだけだった。しつこく聞くけど、撫でられると力が入らなくなっちゃう。結局は最後まで怒った理由とかは聞き出せないまま、僕は帰ることになった。


(―――名残惜しいけど、いつまでも甘えていられないし)


定期便のバスの中、窓の外に見えるのは遠ざかっていく木造の訓練校の風景。そこで腕を組みながらじっと見送ってくれているレオの姿が見えた。


僕は、小さく笑いながら手を振る。レオは軽く片腕を上げるだけだった。


素直じゃないんだから。そんな事を思いつつも、僕はずっと手を振った。


そして、姿が見えなくなったことを確認すると、椅子の上で蹲った。


今までずっと我慢してきた、治癒の代償の痛みを。


(……いたい。いたい、いたいよ、れお……でも、ぼくはがまんできるんだ。しなくちゃいけないんだ)


目の端から涙が溢れるけど、喚いたりはしない。


だって、僕は男の子だから。

男なら、歯を食いしばって頑張らなきゃいけないんだ。


本当に……何にも例えられないぐらいに、痛い。内臓を直接切り刻まれるようなこの痛みを感じるのは、百回は越えただろう。治癒魔法を使って、何かが抜けていって、その限界を超えるといつもこの痛みがやってくる。最初の内は転げ回り、勢いあまって調度品を倒してしまったのは情けない思い出だ。


でも、今なら耐えられる。僕は強く在りたいんだ。クローレンスという名前を持つ男子として、弱音ばかりは吐いていられないという意見だけは同意する。


父様が僕を大切にしてくれなかったことは分かってる。でも唯一、あの日々の中で受けた教えだけは間違っていないと、僕自身が分かっているから。



触れられた場所に残る、少し冷たいけど、誰よりも優しい温もりの残滓。


揺れるバスの中で、僕はそれを噛み締めながらずっと、痛みに耐え続けた。



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