第3話 「優しい家庭」
ヒーリング。べつに僕の精神に、霊的な現象とか悪霊とかそういう悪いことは起こっていないから、彼女のヒーリングがどう影響するのかは検討がつかない。
多分、何も起こらないのだろう。本人も、僕に高い壺とかパワーストーンとか売りつけて儲けようなんて考える人ではないから、真剣な顔をする悠人のお母さんを見て、もし笑ってしまったら失礼だなぁ、と心配になった。
僕は「しばらく景色を眺めるか」なんて独り言を呟いて、最上階へと向かった。階段の途中で、上から降りてきた人影があったので挨拶しようとすると、向こうから声が掛かった。
「あれ、浩二?」
その人は、紗季だった。彼女は中学の頃の同級生で、偶然同じマンションだったので、稀にこうしてバッタリ出会ったりする。だから僕は、
「おはよう。朝、早いんだね」
と、紗季に声を掛ける。
「なんだか急に、景色が見たくなっちゃって。そっちこそ。どうしたの?」
「同じさ。景色を眺めていたんだ。こうしてぼうーっとしていると、心が落ち着く」
「それ、分かる気がする」
話をしながら、僕たちは最上階へ来た。この建物は、屋上の扉が開かないようになっていたから、十階の階段を上り切ったところで、手すりに腕を乗っけて、二人で景色を眺めた。
空がまた一段と明るくなってきた。暖かい風がやってきて、僕と紗季の髪の毛を揺らした。
「今日、例のモニターをする日なんだ」
「あー。今日なの。なんか面白そう」
「僕も期待しているんだ。まあ特に何も起こらないとは思うけどね」
「ふうん」
しばらく僕らは黙ってぼうっとしていた。特に話す話題は無かったけれど、気まずくはなかった。ふと腕時を見て時間を確認する。五時半だ。約束の時間は十二時なので、まだだいぶ時間がある。
「……時間気にしているの?」
紗季が心配そうな顔をしながら聞いてきた。
「いや。まだ全然時間があるなあ、と思ってさ」
「だね。もっと君とお話ができる」
彼女は微笑む。紗季が、僕とお話をしたがっている様子だったので、少し嬉しくなった。思えば、僕が東京にやってきて、最初に仲良くなった異性というのが夢洲紗季であった。
当時、僕は小学五年生で、都会の慣れない生活の中でたびたび苦労を感じていた。そんな時に図書館で偶然、紗季を見つけて読書の話題で盛り上がったのが仲良くなったきっかけだった。クラスは隣だったけれども、同じ文芸部ではよく話した。
高校受験の頃には、少し僕は精神的に病んでいて、いろいろ相談にも乗ってくれた。またその拍子に、僕の過去のことをほとんど彼女に語ってしまった。
両親が離婚したこと。原因は父親の浮気だったこと。しかも父親の職業は「お坊さん」で、神聖な仕事なのに、僕も将来、実家のお寺を継いで僧侶となることを期待されていたのに、その選択肢をつぶされたということ。
三年前にやってきた新しいお父さんとは、あまり仲が良くなかった。というより同じ食卓を囲むのには少しばかり抵抗があった。
そんな話を、紗季は嫌な顔ひとつしないで聞いてくれた。心の優しい友達だ。
「…………なあ。もし、僕らが見ているあの青い空がいきなり割れて、血の雨が降り出したら、世界って、どうなるんだろうね」
「…………それはそれで面白そう」
僕の、唐突な空想の話にも、彼女はぜんぜん困惑せずに即答する。
それから付け加える。
「そんな事件、今まで無かったじゃない。でも、もし起きたら世界は多分びっくりする」
「びっくりするだろうね。防衛省とか環境庁とかどんな反応するんだろうね」
「どんな反応もできないよ。きっと。ゴジラが街に現れたら、終わりよ」
「終わるだろうねぇ。自衛隊も腰を抜かすだろうね」
「ええ」
僕は先ほど買った缶コーヒーを手すりに置いておいたことに気が付いて、手に取ってプルタブを起こした。
それを一口飲んで、ふぅーっと深呼吸した。
「好きねえ、コーヒー」
「ああ。特にこの摩天路を見渡しながらの一杯は……ね。最高だよ」
「ふふふ」
と、彼女は笑う。それから朝ご飯の時間だから、ということで僕と別れた。十階のエレベーターから降りる紗季を見届けてから、僕も部屋に帰った。
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