第9話 「終焉の音」
少し休んでもう一度立ち上がると、何故か足が重くなっていた。苦しいわけではない、地に足がぴったり付き地上と一体となったような安心感をおぼえた。
「面白い調子です」
「へへっ。そうでしょう」
エミさんは少し照れたような表情でそう言った。僕は飲みかけのジェイソンティーを喉に流し込んで、息を大きく吐ききった。少し冷めていたが、それが心地よかった。
周りの空気が蒸し暑いことに気が付いたから、外に出て風に当たりたいなあと心の中で思うと、それを読み取ったかのようにエミさんが、
「外、行こうか?」
と言ってくれた。僕はそれに快諾し、悠人も連れて屋上に行くことになった。
屋上といっても、七階から繋がる非常階段の扉を開けると、段差になってやや開けた場所に出るというだけだ。
僕にとっては本日二度目の摩天楼で、場所が違うとこんなにも空気が違うものなんだと不思議な感覚になった。
地元は商業施設が多くて活気があったけれど、この町は住宅街で、いい意味では落ち着いているし、悪い意味ではやや殺伐としている。
「亀有もそろそろ両さんに頼るだけじゃだめだよ」
と、悠人が言った。続けて「落ち着いた地域だけどね」と言う。
実際、両さんを推しているのは駅から十数分歩くと見える商店街で、道を通ると『こち亀』のオープニングテーマのメロディーが流れている。それだけで、少し道を外れると途端に寂しくなるのである。
僕は悠人の横顔を見ながら、
「今は桜の季節だけどさ、去年の秋なんか、水元公園に向かう途中の通り道、イチョウの葉っぱが全部落ちてて、寂しくなってたよね」
と僕は言った。
「うん。なってた、なってた」
なぜなんだろうと疑問に思う表情で、悠人は言った。その時、扉がガチャリと開いて、エミさんが来た。手にはお菓子と飲み物の袋を下げている。
「カンパイしよう」
僕は「すみません、ありがとうございます」とお礼を言って、その袋を受け取った。ビニール袋の内側にぴったりと張り付いた缶ジュースのパッケージが目に映った。緑色の爪痕が描かれている。
「エミさん。これモンエナじゃないですか」
「ピンポーン。正解」
さっきも飲んだんだよな。と思いながらそのモンエナを手に取った。
表面が少し結露していて、僕の手に水滴がつく。そうしたらツルリと手が滑って、カラカラと缶が地面に転がってしまった。僕は「あ、すみません」と、拾おうとした、まさにその時だった。
突然、空から低い耳鳴りのような巨大な音が響き渡った。それは壊れたラッパのようにくぐもった不気味な音で、断続的にこの区域へ鳴り響いていた。
僕らは一瞬、固まった。悠人もエミさんも何も声を上げないでただ目を丸くしながら音に聞き入っていた。
「……空からだよな」
と、悠人が言った。
そう、この奇妙な音は、決して地上のどこかの誰かが発している単純な音などではなく、上空から響き渡る轟音だった。
でも飛行機や隕石は見つからない。音源が分からないのである。
「地震の前兆、ですかね」
僕はエミさんに向かって訪ねた。もちろんそんな前兆など聞いたことが無かった。
「分からない。でも、あまりいい気味はしないよね…………神様が、世界の異変を知らせているのかなあ」
実に単調な声色でエミさんは言った。
でも、その言葉は、意外と本質を突いているのかもしれない。それで、世界のいちばん最初の異変というのが、人類の誕生なのだろう。
「人」が生まれて、世界の均衡は一気に崩された。
また、エミさんの言葉で、音に関するある逸話を思い出し、僕は語る。
「……これは、まとめサイトの記事なのですが『終焉の音』というのがあるらしいんです。ヨハネの黙示録で、天変地異を知らせるとき、天使がラッパを吹くそうです。
七番目の天使がラッパを吹き終えると、世界に最後の審判が下される」
音は、まだ鳴り止まなかった。
はじめは空から響いていると思っていたこの不気味な音も、幾度となく聞くうちに、実は地下深くから響いているのではないかと感じられる。
実際のところ、どこから響いているのか分からない。
空からでもあり、地下からでもあり、空間そのものからでもあるような気さえしてきた。遠いようで近く、近いようで遠いその音で、僕は気が狂いそうになった。
「……アポカリプティックサウンド。って、そう呼ばれているよ。この音」
悠人が言う。
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