第10話 「散歩と思想」
「そろそろ、世界の終わりが来るのかな?」
彼の、軽い口調を聞いて、僕は本当に世界が滅んでしまうような気がした。いや、正確に言えば滅ぶのは人類であって、この世ではないのだ。地上の神として君臨する僕ら人類ですら、地球環境の前では、単純な生命の集まりとして淘汰され、または屈服するという真理が実際に存在するから。
「……浩二くん。電話」
悠人に言われて、ポケットでしきりに鳴っているスマホを取り出す。ラインの無料通話だった。本人アイコンですぐに紗季からだと分かった。僕は悠人にお礼を言って、電話を取る。
「聞こえてる?」
「声、聞こえるよ。さっきぶり」
「違う、この、大きな変な音」
「もちろんそれも聞こえてる……今、エミさんたちも、一緒に」
そう自分で言って、ハッとした。僕と紗季は、区をまたいでいる。ここは葛飾区であっちは北区だ。足立区や荒川区を超えて全域に響く音というのは、ハッキリ言って、異常だ。
「そっちまで聞こえているんだ……」
紗季が唖然とした様子で言う。どこかに音源があるようにも思えない。音が発せられている地域そのものが音源なのだ。まるで得体の知れない化け物を見ているよう。
十数回目を境にして、音はぱたりと止んだ。辺りは静まり返った。鳥たちの鳴き声と、風の音と、少しの耳鳴りが聞こえる。僕は、紗季のアイコンに向かって、
「止んだね、音」
「うん。凄かった。きっとニュースになるわよ」
「空は……割れなかったけど」
「……血の雨も降らなかった」
空は割れなかったし、血の雨も降らなかった。けれども漠然とした恐怖だけが、僕らを包み込んで離さなかった。その不安は、紗季との通話を切った後も消えず。
「そう言えば、おとといも隕石が落ちたよね。あんまり被害は無かったみたいだけど」
エミさんが言って、僕はそのことを思い出した。あのとき……隕石が落ちたという情報を知ったとき、僕の心の内側を激しく叩くような、混乱があった。
そのときは、何か行動を起こさないといけない、と、強い焦燥感に駆り立てられ、すぐに情報を集めた。でも……依然としてその混乱は、原因が分からない。抱いた感情が、懐かしさだったのか、怒りだったのか、悲しみだったのか、喜びだったのか、把握できない。そのもどかしさは、歯がゆくもあったが、それでいて知識欲を刺激するものでもあった。
「俺さ…………生まれる前は、ピラミッド、作る人だったんだよ」
悠人が言う。僕は、その話は前にも聞いたことがあるので、さして驚きはしなかった。
彼は前世の記憶を持っていて、クフ王のピラミッド職人だった。
「聞いたよ。お祭りの……神輿みたいだったって?」
「いろんな運び方している人がいたけどね。転がしたり」
するとエミさんが口を開く。
「この子が八歳の時にね、学童からの帰り道、いきなり告白されてね……母さん、俺、生まれる前はピラミッド作っていたんだよ、って。最初は何かのテレビ番組に影響されたのかな、って思っていたんだけど、話を聞いていると嘘を言っているようには思えないのね」
確かに嘘をついているようには思えなかった。彼の瞳はいつだって真っ直ぐで、奇麗で、心は優しく穏やかで、そして格好いい。学校では人気者だ。でも彼の心の中、強いて言えば前世の記憶の中、というのはあまり口にして良いものじゃなかった。
周りから、どんな目で見られるか分からないし、それで距離を置かれて孤立するかもしれない。それは僕も分かっていたし、多分彼自身も分かっているのだろう。
だから暗黙の了解というか、そういうのがあった。
「世の中には、そういう不思議で満ちているものなんですよね。でも人には語りづらい」
と、僕はうつむきながら言って、それから話を続けた。
「理解できる人たちで集まればいいんですよ。類は友を呼ぶ、とかいうじゃないですか。僕らがこうして三人で下界を見ているのも、ここが同類だからです」
言い終えるとエミさんが、「下界だって」と言ってアッハッハッと笑った。つられて僕もハハハと笑った。
ふと横を見ると、僕が飲もうとしていたモンエナを悠人がぷしゅりと開けて飲んでいた。
それから、僕らはまた部屋に戻って、映画を見ながらお菓子を食べたり、スピリチュアルな話題で盛り上がったりしていた。エミさんは、悠人が前世の記憶をしゃべりだす以前までそういう話題にはあまり関わりが無かったと言う。悠人の記憶の話を聞いているうち、このように不思議極まる現象というのが現実に存在しているのだという、絶対的な事実を突きつけられ、エミさん自身も数々の書物を漁った。
自ら意欲的な活動を始め、様々な人と巡り合い、彼らの話を聞き、より深い理解をしていったのだと言う。
一九六〇年代から七〇年代にかけて、新しい精神世界の幕開けとして鮮やかに登場した『ニューエイジ思想』
神智学や神秘主義を源流としたこの思想は、インドを中心に世界へと広まり、今も数々のヒーラーに多大なる影響を与え続けている。
中心人物であるマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの活動は、既存の宗教的概念を大きく覆すものであり、スピリチュアル業界の新たなる新地平を切り開いた。
僕は、エミさんや、悠人と別れてから真っ直ぐ家に帰った。その途中で何度も空を見上げたけど変わった様子は無かった。ただ快晴の空が続いている。今夜は星が良く見えそうだ。
自宅近くの最寄り駅で降りてから、僕はリュックの中からイヤホンを取り出して、ビートルズの名曲をいくつか聞いた。
ビートルズのファンがマハリシという人物についてもよく理解しているというのは、多いだろう。しかし僕はその逆で、マハリシについて調べているうちに、彼がビートルズと深く関わりがあることを知ったのだ。
ビートルズからマハリシに、ではなく、マハリシからビートルズ。
三曲目の『yesterday』が終わる頃に僕は家に着いた。玄関のドアに鍵が掛かっていたのでまだ両親が帰ってきていないんだな、と、少しホッとした。
新しいお父さんとはあまり仲が良くない。なので、できるだけ会話をしないように心掛けている。彼は、僕としっかりコミュニケーションを取ろうと積極的なのだが、しかし僕とは決定的に価値観が違った。向こうは、常識や社会的承認の中に身を委ねることに幸福を感じるタイプで、対して僕は、自分自身の内側にある世界に浸ることに幸福を感じるタイプなのだ。誰にも迷惑を掛けず、誰からも迷惑を掛けられることのないパーソナリティスペースを保ち続ける生活こそが理想なのだ。と強く思う、でも両親はそんな僕を心配する。
心配に心配を重ね、僕がちゃんと学校の中でコミュニケーションの輪の中に入ることができているのか、とか、偏った思想に染まり、それを他人に押し付けていないか、とか心配する。ハッキリ言って、ありがた迷惑である。
彼らには、僕が偏った思想の危険な少年に見えているのだと悲しくなってくる。
と、いうようなことを本人たちがいない場所で考え続けても、時間の無駄だと感じたので、部屋に戻って少しの間、昼寝をすることにした。
掛け時計を見るとまだ時間は三時半だった。「おやつの時間だな」と思う。
僕は布団を被ったまま、好物のチョコレートを食べる妄想をしてみた。口の中で甘く溶けた。それから家系ラーメンを山ほど食べる妄想をした。お腹が膨れないので好都合である。次に、酒をがぶがぶ呑む妄想をした。未成年で味は分からなかったけど、とにかくがぶがぶと飲んだのである。この背徳感がたまらない。次に梅干しだ。塩分が二〇パーセントくらいあって、シソで真っ赤に染まった梅を、ちまちまと食べるのである。すると唾液が出てくる。不思議なものだ。口が酸っぱくなったので、またチョコレートを食べる。
妄想が、だんだんと曖昧になる頃には、僕は夢の世界に入り込んでしまっていた。その夢の世界というのは、以前の不思議な部屋であった。僕はその夢の中で、これが夢であることをハッキリと自覚していた。つまり明晰夢である。
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