第8話 「お茶を飲む」


 柔らかいフローリングの上を歩き、壁に手を当てながら、隅々まで見回した。


 扉があった。発色の良いオレンジ色の格子の間に、磨りガラスがはめられた軽そうな扉だった。僕は扉を開け放って中に入る。


 夢か、幻覚だと分かっていても、僕の手の平に伝わる扉の感覚は消えなかった。


 もしかすると中に少女がいるのかもしれない、と思って入った訳だったが、そこに居たのは、少女ではなくシルクハットの男だった。


 アンティークの椅子に腰を掛け、足を組み、葉巻を吸いながらその鋭い眼光で僕のことを見ていた。


 僕は、この人と何か会話をしなくてはならないという妙な使命感に突然襲われて、口を開いた。


「…………あの…………鉄の、稲妻…………あ、あなたが、開発した、あの……鉄の稲妻が、本当に世界で最初の、この世で初めてのものなんですか?」


 なぜそんなことを聞いたのか分からない。僕の口から出たこの言葉は、どうやら自分の意思で聞いたものでは無いらしかった。


 でも彼は答えてくれた。


「…………ああ。近現代においては、初めてだろうね」


「…………近現代に、おいては」


「…………ごらんよ。窓の外にいる醜悪を、世界の腐敗を見るがいい」


 男は指さした。僕はふっと顔を上げて窓を見た。


 巨大なビルと同じくらいの大きさの鬼が、町にいた。体を赤くぬめらせ、手には長くて大きな鉄の棒を持っている。


 鬼は、それを振り上げて、地上に叩きつけた。


 鬼は、雄叫びをあげる。地鳴りがして、鳥たちは地に落ち、草木は枯れる。


「何なんだよ! アレはぁ!」


 僕は男に向かって叫ぶように問いかけた。男はカッと目を見開く。


「…………あれは、人だよ」



 僕はハッと目を見開いた。マリア様の絵と、アメジストドームが目に入った。


 お香の匂いにはもう鼻は慣れていたけれども、僕の目の前まで白色の煙が糸を引くように漂っている。


「おきたぁ?」


 エミさんが言う。僕の頭はまだふらふらしていて体に力が入らなかった。


「すみません。僕、寝ていました?」


「トランス状態っていうの。覚醒と眠りの中間」


 その言葉自体は知っていた。金縛りになったとき、人はトランス状態であるらしい。目覚めて体が動かないと、潜在意識が恐怖の対象を持ち出し、幻覚を見る。


「面白い世界を見ました」


「ほうほう」


 エミさんは興味深そうに僕の話に耳を傾けた。


 それから僕は、この間の夢の話、今見た幻覚とシルクハットの男、鉄の稲妻についての話を語った。エミさんは僕の話をウンウンと聞きながら何かを考えていた。


「答えは君の中にしか無いね」


 と言われた。多分そうなんだろう。答えは僕の中にしか無い。


 そしてどのような世界の真実すらも、自分自身の内側にしか眠っていないのである。


「終わった?」

 悠人が来た。彼は首に手を当ててポキポキと音を鳴らした。


「悠人くん。君のお母さんはだいぶ優秀みたいだね」


「ははは。ありがと」


 電気が明るくなった。ヒーリングの試験は終わったみたいだ。大体三十分くらいの時間だったけれども、実に面白い経験をした。


 僕は幻覚のことも少し考えて「薬物でも盛られたんじゃないか」と思考を巡らせてみたが、お香の煙で、ここにいる皆がラリっている様子もなければ、ジェイソンティーに何かの粉を混ぜられた様子もなかったよな、と思う。  


 第一この人たちはそういうことをする人ではない。


「起き上がれる?」


 と、悠人が聞いた。僕は立ち上がろうとしたけれども、体が少しふらついてしまった。

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