第7話 「エネルギー・コード」


「浩二くんは、音楽やってみようとは思わないの? 楽しいよ」


「そうだね。聴くこと自体は好きなんだけど、どうしてもコードが覚えられなくて。


 Fコードと……Aかな、できないのは。けど、作詞ならやりたいと思うんだ」

「やろう、やろう。歌詞が書けるならいいね。今度俺が曲作ってみる」


 悠人が軽い口調で言うとエミさんが、

「いいねぇ。盛り上がっているねー」


「いいから、いいから、盛り上がっているから」


 エミさんに来るな、という感じで手を振りながら悠人が言う。


「あー。そうだヒーリング!」

 いきなりエミさんは思い出したかのようにそう言った。僕は、今までヒーリングのことを忘れていたのだろうか?

 という気持ちになった。


「どく?」

「どく」


 悠人とエミさんは、そんな短い会話をする。彼は「三十分くらい?」とエミさんに聞いて


「それくらい」という返事をもらうと、さっと自分の部屋に戻って行った。


「じゃあー、横になって。えっとね、このソファーベッドになるの」

 エミさんは、僕が座っていた茶色のソファーの背もたれを倒して、横になれるようにした。


「ここに寝転がれば、いいんですか?」

「マリア様のほうに頭を向けて横になってね」


 僕は言われた通りにすると、電気がより一層暗くなった。


 お香の数も増やされたらしく、さらに濃い香りが漂ってきた。煙いわけではないが、この独特な匂いは服について取れないのだろうと思われた。



 しばらく目を瞑っていると、音叉のような波長の高い「キィーン」という音が僕の額の辺りに響いた。クリスタルチューナーである。


 その時、遥か外のほうで、学校の下校時刻を告げるチャイムが鳴った。


『キーンコーンカーンコーン』としきりに鳴るその鐘の音を聞いているうちに、なんだかヒーリングの始まりを告げられている気がして、面白くなって「ははは」と笑ってしまった。


 つられてエミさんも「ははは」と笑った。


 エミさんには「大丈夫?」と聞かれたので「ええ、少し面白くなってしまいました」と正直に答えた。



「私のヒーリングは、外の世界とシンクロしているの。もっとたくさんの奇跡がおこるよ」


「楽しみにしています」


 目を瞑っていても、エミさんが僕の胸の上で印を結んだり、十字を切ったりしていることがよく分かった。


 胸の辺りがジワリと熱くなって、心臓のエネルギーが渦巻いている感覚にさせられた。


 しばらくすると、外のほうで廃品回収車の声が聞こえてきた。



「こちらは、廃品回収車です。ご家庭内で、不必要となりました、テレビ、エアコン、冷蔵庫など、回収いたします。わからないことが、ありましたら、お気軽に、ご相談ください」



 その音を聞いて僕は今までの人生の中で、どれだけ自分自身の中にあった心が、廃品となってしまったのだろうか、という感覚になった。



 父親、苗字、自信と誇り、母子家庭だが温かみのある暮らし。全部失くしたが故に、得たもの。


 反対に、投げやりになって心に渦巻く邪悪なもの。既に重たいだけの廃品と化した心がほとんど回収されていくようだった。


「そういうことだよね」


 エミさんが言う。回収車が過ぎ去った後は、辺りはしんと静まって、僕の体は暗い深海にぷかぷか浮かぶ小さな生物になったみたいな感覚だった。


 それからより一層、体とソファーとの境目はあいまいになって、まぶたの裏にユラユラとうごめく陽炎のような幻影を見た。



 その幻影がだんだんと形を帯びて行って、

 一つの光になる。


 光の中へ足を進めると、そこは小さな家だった。


 壁は砂刷りで、窓から青白い光が差し込んで、洗濯物のいい匂いがして、壁には絵画が飾られてあった。


 僕は、前にもこの世界に踏み込んだことがある気がして、思い出すとこの間の夢だなと分かる。


「そうだ。あの少女は? どこにいるんだろう」


 そんな気分になって、この中途半端な幻覚の中を探索した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る