第12話 「幼い記憶」
私は幼い頃、こんなことを考えたことがあります。
「この世界というのは、イッタイ何なのでしょう。どうして、この世界が存在できているのでしょうか。なぜなんだろう、どうして世界が存在するんでしょう。創造主がいるのでしょうか。だとすれば、創造主の創造主がいることになり、そのまた創造主もいることになる。では、いちばん始めの創造主は何なのでしょうか。何を根本としてこの宇宙が成り立っているのか。ビックバンから始まったのか、ではなぜビックバンなどという爆発が起きたのか、その原因は何だったのか、無から有が生まれることなど本当にあるのか。無からは無しか生まれないのではないか。では有るとは何か、なぜ世界が有るのか」
このように、堂々巡りをして世界そのものに困惑し、存在そのものに混乱する。世界の一番の不思議というのは、世界が存在することそのものなのだ。私はずっと考えた。考え続けてある一つの結論に到達した。
それは、人間の意識の根源が、ある一つの存在に収束するという点である。
幼い頃、世界がどうして存在しているのか、という疑問を持ったのと同じように、もしかしたら、世界には「私」という存在が一人しかいなくって、他の人たちはみんな感情の無いロボットであるかもしれない、という疑問を抱いたことがある。
実はその疑問を深掘りしていくうちに、私は自分なりの答えを見つけることができた。
全ての宇宙が、それ一つで一個の巨大な生命体である。という仮説だ。
宇宙の果てから果てに至るまで、空間も物質も、エネルギーも、生物も、システムも、物理法則も、その塵一つに至るまで、すべてが巨大な生命体の一部であるのだ。
こう言うと、まるで神のような存在が一つあって、我々はその下にいるのだという理解をしてしまうかもしれないが、厳密に言うとそうではありません。
その神を構成している細胞の一つ一つとして我々の意識が存在するのです。
言い換えれば、我々の意識一つ一つが神を構成しているのです。つまりアナタの意識も私の意識も、宇宙に散らばる無数の塵一つに至るまで、神そのものであるのだ。
右手の指と、左手の指は確かに別物である。右手の指の痛みは、もちろん左手の指で感じることはできない。しかしどちらも自分の体である。
アナタの痛みを私は理解できないが、どちらも同じ宇宙という生物の一部である。
太古の昔、宇宙は一つの存在だった。
認識してくれる存在がいて、初めてそこに有か、あるいは無が存在できる。だがこの時は誰からも認識されず、「有るも無いも無い」存在だった。そう、無すらも無い究極の存在。
私たちは、いや、私たちの意識は、その存在の一部であるのです。人間の意識がどこから発生してくるのか、クオリアの正体は何か、という問いに関して終止符を打つというなら、それは、つまり…………
「嬉しい! それ、読んでくれているんだ」
少女の声だった。突然、首筋に息がかかったので僕は驚いてハッとして、声のする方向を見た。
美しかった。僕がなぜ夢に見たあの少女に、あんなにも強く心を惹かれるのかが分かった気がした。彼女はただ美しかったのだ。透き通るような白い肌と、つややかな黒髪がとっても印象的で、清らかで、艶やかで、僕の心の全てを溶かし、全てを包み込むような、そんな幻想に生きる少女。
ただ、ただ、一つ難点を挙げるとするならば、
彼女には腕が四本あった。
「あ、あの、君は?」
僕は何をしたら良いか、何を言ったら良いかが分からなく、本を手に持ったまま呆然と少女の瞳を食い入るように見つめていた。
四本の腕の、余計な二本は着物の袖からだらんと垂れ下がり、しかしその奇麗に生えそろった腕の曲線や、繊細な指先に至るまで、微塵も美しさを欠いてはいないという奇妙な光景。僕は圧倒された。
ここは夢であったが、ほとんどリアルと変わらない感覚が全身にある。少女の声色も、フローリングの感覚も、確かに存在する。それに、まだ覚めそうもない。
「それね、その本ね、私が書いたの。少し読みにくいかな。でも、周りの目とか皆にどう思われるかとか考えないで、言いたいことを書いたの。全部ね、私が考え付いたことだけど、アナタはどう思う?」
心臓の脈拍が上がった。口の中が乾いている感じがして、足は震えた。顔がカッと熱くなって、体がすくんだ。
異形の、彼女の白い四本の腕に、妙な興奮をおぼえた。快感、と言っていいかもしれない。そんな恋愛的、または性的な感情が僕を襲って離さなかった。
「……君が書いたんだ、これ」
「そう。どう?」
どう、と聞かれても、どう答えていいか分からなかった。
ただ目の前の少女が単なる夢にすぎないという事実に落胆していた。もっとこの明晰夢を見ていたい! と強く願った。
しかし幸運にも僕は、本に書かれている「クオリア」や「チャネリング」等の内容には、すこぶる明るかったので、少女と思考のレベルを合わせた話をすることに苦労は無かった。
だから僕はその本の感想を、できるだけ素直に伝えてみることにした。
「とても読みやすい文章で書かれているし、内容も悪くないと思うよ。でも、たしかに宗教色が残るね。『宇宙』とか『人間いうフィルター』とかいう言葉に、マイナスなイメージを持たれるかもしれない。だから、純粋な哲学として伝えたいのであれば、要所要所で言葉を変えてみるとか、そういう工夫をしてみるのはどうかな? 例えば、『宇宙』という言葉を『世界』って変えたり、『人間というフィルター』を『五感すべて』って変えたりするとかね。それでもう少し、読者のレベルに合わせることも必要かな……そうすることでより認められる作品になるかもしれないね」
不思議と言葉がすらすらと出た。少女に寄り添い、工夫を凝らし、考え、そしてこの本の内容をより良いものにしていこうという意欲が湧き出てきた。
それは、まるでずっと昔から仲が良くて何十年も一緒に暮らしてきた伴侶のような存在だから……と、そう思えて仕方なかったのだ。けれど違う。そんなのは悲しい妄想に過ぎない。あるいは幻想か幻惑か。とりあえず曖昧で不確かな儚い夢だと思った。
「ありがとう、そうね、おじさんには、もっと専門的でもいいって言われたんだけど」
「おじさん?」
「トーマヨのおじさん。いつも葉巻ばっかり吸っててカッコつけているんだけど、例の計画を進めてくれているんだよ。俺の責任がどう、とか私の腕についても、俺が倫理的になんとか、って難しい話をたくさんしているの」
「あのシルクハットを被った? 鉄の稲妻がどうとかって話をしていたよね?」
僕は少女に迫るように問いかけた。あの男、トーマヨというのは人の名前だったのか、と謎が少し解決したような気持になった。
「あの帽子、シルクハット? って名前だったんだ。知らなかった」
「それで……鉄の稲妻って」
「私の腕は、鉄の稲妻が原因なんだって」
どうにかしてこの夢の真相を突き止めたい。
でも、謎が一つ一つ解決していくたびに、また新たな謎が生まれることもある。それでも、納得のいく説明を聞いておきたい。聞いて、記憶して、目が覚めたら、少女について夢日記をたくさん綴っておきたい。僕は再び、彼女の腕について疑問を投げかける。
「それは、生まれつきなの? その、腕」
「…………生えてきたの。数年前から、だんだん伸びて、そして、今は自由に動かせる」
そう言って少女は、脇から垂れ下がった余計な二本の腕を動かして、僕の頬に触れてきた。ひんやりとしていた。細い指先が僕の顔をなぞって、くすぐったいけど気持ちが良かった。
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