第15話 「運命への通路」


 僕らは「負けたね」と笑いながら、通学路の途中の公園のベンチに腰を下ろした。公園の地面には、潰れた桜の花びらがペタペタ張り付いていた。

「負けた、のかな」

 と、悠人が言った。彼は桜の花びらを手でいじっている。

「奴らの嫌味っぷりに根負けだよ」

 ふーっ。と悠人は息を吹く。桜の花びらが宙を舞う。それはヒラヒラとしてまた再び彼の膝の上に落ちた。

「かわいいやつめ」と彼は言う。

「儚いけどね。もう季節は終わったのかな」

「俺は、あいつらに対していったんだ。かわいいってさ」

「桜に言ったんじゃないの」

「もちろん桜もかわいいさ。健気なところが、美しいし」

「そうか」

 しばらく僕らは黙っていた。話題が見つからなかったからである。そのうち、僕はなにか飲み物が飲みたくなって、近くの自販機でペプシとドクペを買った。それを持ってベンチに戻り、悠人に「どっちがいい?」と聞いた。

「俺、ドクペ苦手なんだよね」

 という彼の要望に応えて、彼にペプシを渡した。「サンキュー」と彼はそれを受け取った。僕はドクペを飲みながら、やっぱり公園の水を飲んでからドリンクの種類を決めたほうが良かったかなあ、と思った。喉が渇いていない時に飲みたいものこそ、自分が本当に飲みたかったものだから。きっと水を飲んだ後に、自販機の前に立ったら、僕は必ず缶コーヒーを買っただろう。しかも新商品が並んであった。近いうちに飲んでおこう。

 手に持っていたジュースが半分くらいになった時、近くを廃品回収車が通った。それでヒーリングのことを思い出した。

「君のお母さんのヒーリングを受けた時、外を廃品回収車が通ったんだ。なんかさ、僕の心の中で、廃品になったものが回収されていくようで、面白かったよ」

「そうかな。俺はそれはあまり関係ないと思うなあ。ただ外を通っただけだよ」

「そう思う? シンクロニシティとか、メタファーとか信じない?」

「うーん。どうなんだろうね」

 意見が食い違うことは多々ある。事象の意味付けとか、歴史的な人物が何を考えていたのか、とか必ずしも考え方が合うとは限らない。でもそのうえで一つ言えることは、その人が信じるものが、その人にとっての真実になる、ということだ。これは普遍的な事実といえよう。文化人類学では「真実の複数性」などと言われている。

 世界はもうたくさんの真実で満ち溢れている。数百万、数千万という膨大な真実が折り重なって現実を作っている。それは、ある場所では合致し、ある場所では矛盾する。

「浩二くん。今、弁証法について考えていたでしょ」

 悠人が言った。僕は、彼を見た。彼は地面に落ちていた小枝をひょいと拾った。

「弁証法?」と、僕が問いかけると「ヘーゲル派の哲学の応用」と言い、小枝で地面に絵を描き始めた。彼が書いたのは三角形と四角形の絵だった。

「たとえば、ここに、何かよく分からない物体がある」

 彼はその三角と四角の上に、モヤモヤした絵を描いた。そうして、話を続けた。

「ある人は、この物体を三角形だと言う。でも、ある人はこの物体を四角形だと言う。そこで争いが起きるんだ。これはどう見ても三角だろ、いや、四角だろ、ってね」

「ほうほう」

「でも、真実はこうなんだ」

 悠人は、線を引っ張って、そのモヤモヤした物体の横に、奇麗な三角錐を描いた。

「この物体の正体は、実は三角錐だったんだよ。ある人はこの三角錐を下から見ていた。だから四角に見えたし、ある人はこれを横から見ていた。だから三角に見えたんだ。同じものを見ていても、どの角度から見るかによって捉え方が変わってくる。三角錐は立体だから、二次元の見方から三次元の見方に次元をひとつあげないといけない。それが…………」

「アセンション」

「その通り。次元上昇だ」

 僕は、悠人の話をたいへん気に入った。スピリチュアル業界で声高らかに叫ばれるアセンションについての、最も分かりやすい説明だったからだ。悠人は天才だと思う。

 清々しい風が公園を通り抜けて、僕らの髪の毛をふわっ、と揺らした。草木の香りを乗せた柔らかい春の夜風だった。目の前に設置されている街灯にぽっと明かりが灯った。外は紺色になっていた。それで僕らはそろそろ解散、ということになった。


 帰りの電車の中で、僕は何となくツイッターを見ていた。西日暮里方面の千代田線は、この時間だいぶ空いていて、座ることは簡単だった。僕はゆらりゆらりと揺られながら、ボケッとツイッターをしていると、ある呟きが目に入って、少し驚いた。

 それは数日前、エジプトに隕石が落ちた日に不思議な夢を見たという人の呟きだった。 

 驚くべきことに、その人は僕とほとんど同じような体験をしていた。

 これは奇遇だなと思って、僕は途中の北千住で降りる。ツイッターに集中する為だ。僕はトイレを済ませて、ホームに設置されたベンチに座り、その人にダイレクトメールを送った。「よければお話を聞かせてもらえませんか?」と。

 返事は思いのほか早く来た。「広い家でした。周りが青白くて、帽子をかぶった男の人がいたんです!」

 僕は心の中でガッツポーズをした。夢の謎を解明する手がかりになるに違いない。ネットという世界は、こんなにも狭いものなんだ。と感心した。それで小さく「よっしゃ」と叫んで、返信の文面を考えた。まず、自分も同じ夢を見たということ。その夢の内容や、夢に現れた人物のことをなるべく詳細に伝えた。長文になってしまった。

 数分で再びその人から返信が来た。どうやらその人は僕とはまた少し違う場面の夢を見たらしい。「私の場合は、男に地下まで連れられて、壁画みたいなのを見せられたんです。黄色とオレンジと黒のシマシマ模様の変な絵が描かれていました。扉があって、その奥には危険な兵器があるらしいです」

 僕が「それって、もしかして『鉄の稲妻』という名前でしたか?」と送ると、びっくりした様子で「どうして分かったんですか?」と来た。やはりそうか、僕の他にも同じような夢を見た人がいて、少なからず夢は関連しているようだ。僕は夢の真相を突き止めたくて、この人とは長く会話を続けよう、と思った。

 千代田線の電車がホームに来たので、いつまでもここでツイッターに集中している訳にはいかないと思い、その電車に乗った。電車に揺られている間も、乗り換えの時も、家に帰る途中の道を歩くときも、僕は終始、その人とのやり取りに集中していた。俗に言う歩きスマホである。

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