奥まる人々

 少年を追って霧の中を進むと、周囲の景色が表通りとも住宅街とも違った雰囲気になりました。

 軒先に広げられた棚や、屋台が立ち並ぶ商店街です。しかし、どの店を見ても活気がなく、人の気配を感じません。不自然に艶々とした食べ物や、毛皮、工芸品などが雨ざらしになっています。

 霧に映る少年の影が、左に曲がって消えました。しかし、アリサ達がその曲がったはずの場所に着くと、そこはレンガの壁があるのみです。

「行き止まり?」

「ううん」

 アリサが一歩踏み出すと、段差があることがわかります。レンガの壁は、そう見えるように階段にペイントされたものでした。

「そろそろ慣れたね、この街にも」

 得意げに階段を上るアリサですが、膝に衝撃が走り「痛っ!」と叫びます。階段になっているのは途中までで、そこから先は見たまま壁になっています。

「お姉ちゃん、こっちに扉があるよ」

 階段下でハレの声が聞こえます。

「もう、あっちこっち歪み過ぎ!」

 アリサは膝をさすりながら、ひょこひょこと階段を下りました。


 扉の向こうは、人が一人通れるくらいの狭くて真っ暗なトンネルです。奥に見える出口からは、陽光に照らされた緑豊かな庭園と、真っ白なお城が見えました。

「もしかして、女王のお城?」

 そんなことを少しだけ期待したアリサでしたが、トンネルを抜けて落胆します。庭園とお城は、板に描かれただけの書き割りだったのです。

 トンネルの先は四方を建物に囲まれた小さな空き地で、書き割りの前では小さなお茶会が開かれていました。細身の青年といかつい顔の初老、そして先ほどのベレー帽の少年がテーブルを囲んでいます。

「おや、人が来るとは珍しいですね。ご機嫌よう、お茶でもいかが?」

 細身の青年がカップを上げて挨拶すると、初老の男性が急に大声を上げました。

「貴様らの茶はない。帰れ!」

 アリサは、突然の偉そうな態度に面喰らいます。

「別にいらないけど……なんでこんなところでお茶飲んでるの?」

 アリサの問いに、青年が「『こんなところ』とは?」と聞き返します。

「だって、雨が降ってるじゃん」

「雨が降ってない場所なんてありませんよ、この国には」

 青年は皮肉っぽく笑いました。

「茶は庭で飲むと決まっている!」

 初老の男性は大声で叫びます。そのやかましさにアリサとハレは少し後ろに下がろうとしましたが、下がるほどのスペースすらありません。青年も少年も、初老の男性の大声にはびくともしていない様子です。

「まあ、そういうことです。あなた達、お名前は?」

「私はアリサ」

「わたしはハレ。あなたたちは?」

「僕は“理屈屋”。この声の大きい御仁が“わからず屋”で、そっちの黙りこくってる少年が“恥ずかしがり屋”です」

 ちぐはぐな回答にアリサは困惑しました。

「いや、名前を聞いてるんだけど」

「だから、僕が理屈屋で、こっちがわからず屋と恥ずかしがり屋」

「性格でしょ、それ」

「いいえ、名前ですよ。まあ、正確にはそれぞれの店の名前ですけどね。僕達は商人なので、それ以外は必要ないんです」

「“理屈”と、“わからず”と、“恥ずかしがり”を売ってるの?」

 よくわからない、といった表情のハレが尋ねます。

「その通り。どれも素敵な商売でしょう?」

「いや、意味わかんないんだけど」とアリサ。

「わからんのは不勉強だからだ!」

 わからず屋がまた叫び、理屈屋が「まあまあ」となだめます。

「例えば、僕の店で説明すると……なにかしらの理由や道理、意味が欲しくなることってありますよね。失敗したときの言いわけとか、他人に自分のルールを押しつけたいときとか……後は『これだから最近の若者は』みたいな、大昔から語られるテーマで結論ありきの講釈垂れたいときだとか。そういうときに、それらしい“理屈”を後付けするんです」

 理屈屋の説明を聞いたアリサは、その内容になんとなく納得いきませんでした。

「それって、理屈っていうより屁理屈じゃない? それになんだか嫌味っぽい」

「屁理屈も理屈ですよ。要は説明できれば良いんです、それが真理でも詭弁でも。そして理解者が物事を理屈立てて説明したとき、非理解者は理解が追いつかなかったり、自分の意に沿わない内容だったりすると、否定的な感情を持つ。だから僕は“皮肉屋”とも呼ばれます」

「……確かに、すごい皮肉ね」

「お、良いですね。それもまた“皮肉”ですよ……おや」

 にわかに、雨の勢いが強くなりました。テーブルに置いてある料理や紅茶に雨が勢いよく降り注ぎますが、わからず屋は雨水でかさの増えた紅茶を平然と口に運びます。

「ちょっと。雨入っちゃってるよ、それ」と、アリサはたまらず指摘しました。

「それがどうした」

「変えた方が良いんじゃない? おいしくないし、汚いでしょ」

「一度用意した食事は絶対に残してはいかん!」

「だったら、せめて家の中で飲めば?」

「さっきも言っただろう、茶を庭で飲むのが決まりなのだ。昔から!」

 憮然とするわからず屋の隣で、理屈屋が口を挟みます。

「わからず屋の彼の前では、僕の理屈も通用しませんよ。彼の店はその一点勝負ですから」

「……“こだわり屋”でもあるんじゃない?」

「“こだわり”には理由や意味がありますけどね。『わからず』にはありません。文字通り、理屈じゃないんですよ」

「じゃあ、あなたの『恥ずかしがり』はどんな商品なの?」

 ハレが恥ずかしがり屋の少年に話しかけると、少年は帽子で顔を隠し、消え入りそうな声で喋ります。何度か聞きなおして、ようやく「ぼ、ぼ、ぼ、僕なんて大したことないですから」と言っていることがわかりました。

「いやいや、実際、彼が一番やり手でしてね。多角経営のお手本ですよ。なにしろ『照れ屋』と『はにかみ屋』と『どもり屋』と……」

「その違いがわからないんだけど……いや、やっぱりなんでもない」

 アリサは理屈屋の長い解説を避けるため、話題を切り替えます。

「で、そんなのいったい、だれが買うのよ。すすんで欲しくなるものじゃないし」

「需要は探せばありますよ、なんにでも。これでも王室御用達ですし」

「……ちょっと待って、いまなんて言った?」

「需要は探せばある」

「じゃなくて、その後」

 理屈屋は肩をすくめながら「王室御用達」と返します。

「王室御用達ってことは、女王と取引があるってこと?」

「まあ、そうですね。この国に他の王族はいないし、僕らの中に海外展開している店もありませんから」

「私達、女王に会いにここまで来たんだけど、どうやって会えば良いか困っていたの。良ければ、協力してくれない?」

「断る!」

 有無を言わさぬ力強さでこだわり屋が即答しました。

「なんでよ……って、聞いても意味ないんだっけ」

「まあ、彼はともかく……僕らが協力する理由も特にありませんしね。それに、なぜ女王に会いたいのですか?」

「この国を出るためと、この雨を止めるためよ」

 アリサの回答に、理屈屋は嘲笑うようにくつくつとのどを鳴らしました。

「雨を止める、か。君達、女王がどうしてこの雨を降らせているか知っていますか?」

「知らないわ。あなたは知っているの?」

「いや、僕も知りません」

「なんでよ、そこは知っている流れじゃない?」

「理由は知らないけれど、つまりはそういうことですよ。なぜ雨が降るか、とは、なぜ人は生きるのか、と同じです」

 アリサはわけがわからないと思いながら「どういう意味よ」と返します。

「考えても仕方がない、ってことですよ。世の中はそういうものだと割り切るしかない」

「理屈っていうのは説明することなんでしょ」

「この場合は『意味や意義を付け加える』使い方をすべきですね。雨が降れば水不足にならないし、乾燥で肌荒れもない。お茶も延々飲んでいられる。味は薄くなるけれど」

「でも、それで困る人だっているじゃん。森や海で、そんな人達に会ったわ。私だって、雨は嫌いだし」

「君は風がうっとうしいとき、その風を捕まえて閉じ込めますか? 右手が右だと困るなら、右と左を入れ替えますかね? 地面が下じゃ具合が悪い、それなら空と取り換えましょうか……この国では女王ってのは、そういう存在なんですよ」

「でも、説得すれば……」

「この国で女王は絶対だ!」

 わからず屋の叫びに、理屈屋も「そういうこと」と同調します。

「この国を出るだけなら方法はあるでしょう。君はなぜ雨を止めたいんですか? というか、本当に止められると思っているんですか?」

 アリサは困惑しました。理屈屋に突きつけられた言葉に、自分の考えの甘さを、改めて浮き彫りにされたのです。

——いつの間にかこの国に連れてこられて、なんとなく女王に会いに来て。森や岬で、雨に苦しむ人達を見てきたけれど、女王自身がどんな存在かなんて、一度も考えたことがなくて。自分が会えたところで、雨を止めてくれる保証なんてどこにもない——そんなことを考えないまま、いまここまでやってきたことが、アリサは急に恥ずかしく思えたのです。

「だいじょうぶだよ」

 反論できずにいるアリサの手を、ハレが握ります。

「わたしたちはまちがってない」

 ハレの言葉は力強く、迷いがありません。

「ねぇ、あなたたちはお店屋さんなんでしょう?」

 ハレはまっすぐに、商人達を見据えました。

「だったら、わたしたちに売ってください。雨を止められる“理屈”を。ダメって言われても負けない“わからず”を」

 ハレはポケットの中のものを取り出しました。鳥獣一家のところで貰ったサイコロと、ユキナに貰った龍のウロコ笛です。

「お金はないけど、いまあるもの全部あげるから。お願いします」

 理屈屋は「玩具を貰いましても……」と苦笑しますが、隣の恥ずかしがり屋が目をまん丸にして身を乗り出しました。

「こっ、こっ、こっ、こっ、こっ、これ!」

「やかましいぞ! 鶏か貴様は!」

 わからず屋の怒鳴り声も気にせずに、恥ずかしがり屋は震える手でハレの出したサイコロを摘まみます。

「こ、こ、これはどこで?」

「森の蛙の親分さんに貰ったんですけど……」

 ハレが少し怯えながら答えると、理屈屋とわからず屋も途端に表情を変えました。

「蛙の親分だと!」

「ということは、これは……」

「が、が、が、『蝦蟇の角砂糖』ですよ!」

 三人の商人はすっかり取り乱し、「おい、こっちによこせ!」「あ、駄目ですよ一人占めは!」「さ、さ、さ、三人でわけましょうよ」と言い合いになってしまいます。

「あの、もう一個あるけど……」

 アリサがポケットからもう一つ取り出すと、三人は更に驚愕してアリサの持つサイコロを凝視します。いまにも奪い取らんとする勢いです。

「ちょっと待って、あげても良いけど……」

「もちろん、あなた達に協力します!」

 理屈屋から言質を取ったアリサはサイコロを渡します。三人の商人は二つのサイコロをスプーンで削って、三等分にわけました。そして、サイコロだった砂糖を各々が紅茶に加えてかき混ぜ、一息に飲み干します。

「いやぁ、これは格別ですね!」

「まさに極上の味わいだ!」

「さ、さ、流石は蝦蟇砂糖です」

 三人が満足げにその味わいを讃える様子に、アリサもハレもぽかんとします。

「そんなに美味しいの? サイコロでしょ?」

 理屈屋が気取ったように舌を鳴らして指を振ります。

「これは蝦蟇砂糖と言って、蝦蟇の油で固めた角砂糖ですよ。辺境の森に住む大蝦蟇蛙から、千年に一度しか取れないという……話には聞いていましたが、この重厚な甘み、舌先の痺れる刺激、全身みなぎる高揚感。そんじょそこらのとはわけが違う!」

 理屈屋は興奮して話が止まりません。

「どっちにしても、要は砂糖なんでしょ。そんなに騒ぐほどのもの?」

「さ、さ、砂糖自体があまり出回らないんですよ。女王が独占しているから」

 アリサは、女王が列車で貿易の利益を独占している、という話を思い出しました。

「いま出回ってるものは、全部イミテーションですからね。表通りのやつらは騙せるかもしれませんが、目利きの我々にとってはとても食えたものじゃありません」

「なんでも良いけど、約束は守ってよね」

 アリサが念押しすると、三人の商人は立ち上がりました。

「見くびるな! 儂等は腐っても商売人だ」

「受けた恩には、きちんと対価を払いますよ」

 理屈屋達が席を離れると、それまで確かにそこにあったテーブルや椅子、食器類が、たちまち平面に描かれただけの絵になりました。三人の商人達がテーブルだった部分を持ち上げると、地下に続く梯子が下へと伸びています。

「ここから、女王の城までつながっています。暗いので足元に気をつけて」

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