第三章 鳥獣戯談

鳥獣一家

 音のする方へ向かった二人は、やがて木漏れ日の道へと行き当たりました。木々を透かす柔らかな明かりが、舞い散る雨粒を照らしています。

 アリサとハレが聞いた音の正体は、花嫁行列が奏でる雅楽の音色でした。静かに進む列は厳か《おごそ》で、二人は息を呑んで茂みの中から覗きます。

 花嫁行列に並ぶ人々を良く見ると、どれも奇妙な出で立ちでした。先頭を歩く神主や巫女達の顔は、どう見ても狐にしか見えません。その後ろの参列者達も、和装した兎や猿、猫、犬、蛙、鼠に雉など、様々な動物達です。

 白無垢を着た花嫁は、綿帽子から大きな耳を垂らす白兎でした。鮮やかな朱色の傘を伴って、その姿には凛と澄んだ美しさをたたえています。

――だけど……。

「なんだか、悲しそう……」

 アリサが感じたものを、ハレが一言で言い表しました。一歩一歩を踏みしめて歩く花嫁に、どこかひどく張りつめた、このまま透明に消え入ってしまいそうな、そんな儚さ《はかな》を感じたのです。

 やがて花嫁行列は、アリサ達の前を通り過ぎて森の奥へと消えました。木漏れ日だけが行列の跡を残していますが、それも徐々に薄れていきます。

「ねえ、どうする?」

「どうする、って……」

 ハレの問いに、アリサは顔を見合わせます。考えていることは、きっと同じのようでした。

「心の赴くままに、でしょ」

 二人は、木漏れ日の道を追いかけます。


 木漏れ日の獣道を進んだ先には、黒塗りの大きな門がありました。周囲は背の高い生垣に囲まれていて、中の様子は見られません。薄暗い森の中でも場違いな、重苦しい威圧的な雰囲気です。

「さっきの人たち、この中に入ったのかな?」

 ハレが呟きながら黒い門を見上げます。アリサは扉をノックしてみましたが、なんの反応もありません。

「そこに人間は入れないよ」

 頭上からかかるその声は、門の屋根にぶら下がる蝙蝠のものでした。

「あんた達、なにしに来たんだい? ここは鳥獣一家の屋敷だよ」

「私達、花嫁行列を見て来たんだけど。あれってここの屋敷の人達?」

 アリサが尋ねると、蝙蝠はキィキィと笑います。

「白兎の婚礼だろ。ここのお嬢様さ。箱入り娘が、可哀そうにねぇ」

「なんで可哀そうなのよ」

「女王に輿入れしたって、飽きられればポイ捨てさ。結婚なんて名目で、ただの生け贄だよ」

「なにそれ、どういうこと?」

「さあね。お嬢ちゃんには関係ないだろう?」

 鼻で笑う蝙蝠に苛つくアリサですが、隣のハレは地面に手をついて生け垣を覗き込んでいます。

「ちょっと、なにやってんの。汚いでしょ」

「ね、これ見て」

 ハレが指差すのは、生け垣の内側に隠された扉でした。枝で覆われたその扉はあまりにも小さく、四つん這いになってようやく通れそうなほどです。

「ここから中に入れそうだよ」

 アリサとしても扉の中には興味津々でありましたが、果たして勝手に入って良いものかと、蝙蝠の顔をうかがいます。

「別に止めやしないよ。私はこの屋敷の者じゃないからね」

「そうなの? じゃあ、ここでいったいなにしてるのよ」

 蝙蝠は、鋭い牙を覗かせ笑います。

「色々あるのさ。でも、なにがあっても知らないよ」

「……なんだか、含みのある言い方」

 アリサはどこか引っかかりながらも、扉をくぐるハレの後ろに続きました。


 扉の先は曲がりくねったトンネルで、先に進むほど狭く小さくなっています。アリサは服が汚れたり、スカートがめくれたりしないか気になって中々進めません。一方のハレは、せっかくの綺麗なワンピースに土がつくのも構わずに、ずんずん先に進みます。

「ちょっと、もっとゆっくり進んでよ」

 アリサのお願いにも、ハレはケラケラと笑って「はやくはやく!」とはやし立てます。子供は気楽で良いよ、とアリサは呆れますが、それと同時に、自分が外を駆け回らなくなったのはいつ頃だったかな、とも思いました。

——小さい頃は泥遊びや、虫取りも平気でしていた気がするけど……。

 アリサは当時のことを思い出そうとします。そして、先ほどのクレマチスのときと同様、だれとそういった遊びをしていたのか、忘れてしまっていることに気がつきました。

 記憶にもやがかかったような、上から染みを落とされたような、とても奇妙な感覚です。

 アリサの脳裏に一抹の不安がよぎります。けれども、いまはとにかく進むしかありません。

「行き止まりだ」

 ハレのお尻が、アリサの目の前で止まりました。

「うそ、戻れないよ」

「だいじょうぶ、上に出られそうだよ」

 ハレが身をよじって、頭上の蓋を押し開きます。アリサもそれに続いて、狭いトンネルから抜け出しました。


「うわ、くっさ!」

 トンネルを出た先は、薄暗い屋敷の中でした。カビ臭さと獣の匂いが充満していて、じっとりと重たい空気です。窓は一つもなく、代わりに、長く続く廊下の左右に並ぶ障子戸から、おぼろげな灯りが漏れています。

 障子戸の向こう側はどこも宴会中らしく、楽しげな音楽や酔っ払いの笑い声が聞こえてきました。しかし、それらの喧騒けんそうはどれも人のものではありません。揺らめく灯りが映し出すのは、どんちゃん騒ぎをする動物達の影でした。

 いつの間にか、ハレがアリサのスカートを握りしめています。アリサはハレの肩を抱き寄せて、板敷きの廊下を進みました。ゲラゲラと一際大きな笑い声が起きたり、なにか大きな音がするたびに、二人の身体は跳ね上がります。物音を立てないよう息を殺して、互いの身体を抑えながら暗がりの中を歩きました。

 廊下の突き当りには襖戸ふすまどがあり、そこは他の座敷と違って、酒宴のざわめきも聞こえません。二人はちょっと目くばせした後、襖戸を隙間程度に開きます。


 部屋の中では、様々な動物達が丁半博打に興じていました。狐がカラコロと壺を振り、長方形のコマ札や「丁!」「半!」という掛け声が飛び交います。

「勝負!」

 狐が伏せられた壺を開くと、歓声と悲鳴が同時に響き渡りました。

「ピンゾロの丁!」

 小さな鼠達が、札を集めて駆け回ります。あれがいわゆる独楽鼠こまねずみかと、アリサは一人で納得しました。

他の動物達を見ると、勝って上機嫌らしい者や、天を仰いで呆然としている者など様々です。

 中でも目立っていたのが、血走った目で歯ぎしりをするぶち猫でした。

「ちくしょう、オイラの全財産が!」

 叫び出したぶち猫は、近くを走っていた鼠を、鋭い爪のある手でつかみ上げます。

 周囲は驚いて「なにをする気だ!」「ヤケになるな!」と騒ぎ立てますが、ぶち猫は聞く耳を持ちません。

「うるせえ、こちとらおまんま食い上げだ! 飢えて死ぬぐらいならやってやらぁ!」

 ぶち猫は鼠を宙に放り投げ、大口を開けて待ち構えました。あわや鼠は胃の中へ――だれもがそう思ったとき、襖戸からハレが座敷に飛び出していきました。

「ダメ!」

 ハレの体当たりを食らい、ぶち猫は「ぎゃひん!」と叫んで吹っ飛びます。着地した鼠はうの体で逃げますが、動物達の関心は突然現れた少女に集まり、それどころではありません。アリサは慌てて、ハレの元へと駆け寄りました。

「人間だ」

「人間だぞ」

「なんでここに人間が?」

「ここは獣の鉄火場てっかばだぞ」

「もしかして、女王の役人か?」

「まさか!」

 部屋中の視線が、一斉に二人に向けられます。

 人外に囲まれたアリサは恐怖で膝が震えますが、なんとしてもハレは守らなければと、気丈に動物達を見返しました。

「ほら、退いた退いた」

 動物達のざわめきが、その一言でぴたりと止みます。群衆をかきわけて出てきたのは、身の丈がアリサの倍近くはある大蛙でした。飛び出した真っ黒な眼球で辺りを見回し、その表情はなにを考えているか読み取れない不気味なものでした。

 壺振りの狐から顛末てんまつを聞いた大蛙は、ぶち猫を睨みつけました。

「お前さん、ずいぶん肝が据わってるねぇ」

 ぶち猫は「いや、旦那。あの、その、これは……」と、手をこすりながら口ごもります。

「その立派な肝を売りゃあ、負け分くらいはお釣が出らぁな……なんなら、うちで捌こうかい?」

「すっ、すいやせんでしたぁ!」

 蛙の声に震え上がったぶち猫は毛を逆立て、叫びながら座敷を走り去っていきました。

「さて、次はあんたらだ」

 大蛙の視線が、アリサ達に向けられます。

「嬢ちゃん達、どうやってここに入った? ここは獣の社交場だ。喰われても文句は言えねぇぜ」

 ぬらぬらと怪しく光る蛙の目に、アリサは身じろぎ一つ取れません。下手な答えを返したら、本当に喰われかねない威圧感です。

「まぁまぁ、貸元」

 沈黙の中、壺降りの狐が蛙の肩を叩きます。

「その子がいなきゃ、大切な子分が今頃ぶちの腹ん中だよ。それを考えりゃ、この子らを喰わなくたって、帳尻は合うじゃないか」

 蛙は聞いているのかいないのか、二人をじっと見つめたままでしたが、しばらくして「……勝手にしろ」と呟きました。

「さぁ、お客さんがた、戻った戻った。宵もまだまだ序の口だ!」

 蛙に促された動物達は、それぞれの席に戻っていきます。「人間ってうまいんか?」「煮ても焼いても喰えねぇのもあるらしいぜ」などと、ささやく声が聞こえてきます。

 緊張から解放されたアリサは、安堵あんどのため息をつきました。

「ごめんなさい。かってにとびだして」

「え? ううん、大丈夫だよ」

 ハレが飛び出さなくても、見つかる可能性は高かったはずです。鼠を助けたおかげで丸く収まったと考えられますし、アリサには怒る気はありませんでした。

「ゴメンねぇ。怖がらせちゃって」

 狐は壺を振っていたときとは打って変わり、人懐っこい笑顔を浮かべて二人に歩み寄ります。

「うちの親分、気が立ってるのよ。妹が嫁いじゃったから」

「私達、それを見てここに来たんです。とても綺麗な花嫁行列だったから」

「そこだけ日差しがあたってね、およめさんが光って見えたの」

 二人の言葉に狐は気を良くして、ますます顔をほころばせます。

「あら、あんたら、見てたのかい。あれはねぇ、私ら狐の伝統的な作法でね。いわゆる“狐の嫁入り”ってやつさ。この雨だろう、少しでも明るく見送りたいって、親分が言うもんだからねぇ」

「余計なことを言うんじゃねぇ」

 蛙の一言に狐は「照れ隠しよ」と笑います。

「それで、あんた達はなんでこんなところにいるんだい。遊びに来たってわけでもないだろう?」

「私達、女王に会いたいんです」

 妹が女王に嫁入りしたなら、少なくとも都への行き方はわかるはず――なにか手がかりをつかめるかもしれない、とアリサは考えました。

 しかし、再び向けられた蛙の黒い眼には、今度ははっきりと怒りが込められていました。

「なんで女王に会いてぇんだ」

「……帰りたいんです。元の世界に」

 アリサは怖じけづきながらも答えます。

「よそ者か、お前さんがた」

 蛙はアリサ達が入ってきた方とは反対の襖戸を開き、濡れ縁から庭へと降りました。糸雨しうの降る庭の中央に、一本の木が植わっています。張り出す枝には小さくて粒状の薄黄の花と、その周囲を守るかのように咲いた真っ白な花弁があり、雨で薄暗い庭の中でも、目を引くほどの純白でした。

「参進を見たと言ったな。お前さんらには、花嫁がどう見えた?」

 蛙は枝の花を見上げながら問いかけます。

「綺麗、だと思いました。」

 アリサは本心から答えました。

「幸せそうだったか?」

 続く問いかけにアリサは言葉に詰まります。

「ううん。悲しそうだった。とっても」

 代わりにハレが答えますが、蛙は表情を変えません。

「……この木は胡蝶樹と言ってな」

  雨に濡れる蛙の横に、狐が番傘を差して寄り添いました。

「この時期に毎年、こうやって花をつけるんだ。妹は自分の毛皮と同じ色だってんで、この花がお気に入りだった。ガキの頃から跳ねっ返りだったけど、花ではしゃぐ姿を見たときは、ああ、こいつもやっぱり女なんだなと思ったもんよ。こいつには俺の認めた、立派な男をあてがわなきゃいけねぇと思っていたんだ。けれども……」

 蛙の大きな背中は震えていました。少なくとも、アリサにはそう見えたのです。

「女王に関わるのはやめときな。俺達だけじゃねぇ、女王と、この雨のお陰で苦労しているやつはゴマンといる。よそ者なら尚更、関わり合いになるんじゃねぇよ」

「でも、それじゃ帰れません」

「あんたらがどこから来たか知らねぇけどな。この国を出るだけだったら、俺にもアテがある。そっちも安全とは言わねぇが、女王に会ったって出国の許可なんか出やしねぇよ」

 アリサは迷いました。蛙の話が本当なら、女王に会えてもこちらの話を聞いてくれるとは到底思えません。他の道があるなら、そちらを選んだ方が良いかもしれません。

 しかし、あの凛としつつも寂しい姿の花嫁が、アリサはどうしても忘れられませんでした。

「お姉ちゃん」

 アリサが言葉を出せずにいると、ハレが制服の袖を引きます。

「心のおもむくままに、でしょ?」

「……あんた、私の心でも読んでるの?」

 ハレは子供っぽく、無邪気な笑みを浮かべました。つられて力が抜けてしまったアリサは、改めて腹を決めます。蛙の方に向き直り、黒い眼をまっすぐに見据えました。

「私、雨が嫌いなんです」

「……それで?」

 蛙はアリサの視線を、真っ向から見返します。

「濡れるし冷えるし、頭も痛くなるし。雨なんか降らなきゃ良いのにって、いつも思うんです。だから、この雨を女王が降らせているなら……一言、文句が言いたいです」

 アリサと蛙は睨みあう形になりましたが、ここで負けてはならないと、アリサは自分の顔をしっかりと固定します。しばしの沈黙が流れ、先に視線を切ったのは蛙の方でした。

「ここは賭博場だ」

 蛙は座敷の中へ戻ってきて、おもむろに狐が使っていた壷を拾い上げます。サイコロを振り入れ、ゆっくりと壺を回していたかと思いきや、床に叩きつけて伏せました。

「欲しいモンがあるなら、賭けで俺に勝ってみせな」

 その迫力は、最初の無言の威圧とも、女王に対する怒りとも違いました。博打家としての表情が、アリサの素人目にもうかがえたのです。

「サイコロ二つ、出た目の数を足して偶数なら丁、奇数なら半だ。それと……」

 蛙の黒い眼は怪しく、爛々らんらんとしています。

「お前さん達にも当然、それなりの対価を賭けてもらう。もし、負けたら……生きて出られると思うなよ」

 アリサの脳裏に、再び不安がよぎりました。確率は二分の一です。もし間違えたら、どうなるか。かじられたり丸呑みにされる様子を想像して、思わず身震いを起こしそうになります。

 そんなアリサの汗ばむ手を、小さな手が握りました。

「だから、だいじょうぶだって」

 なんだか助けてもらってばかりだ、などと思いながら、アリサは再び迷いを断ち切ります。

「丁。丁に賭けます」

 気がつくと周囲の動物達も、固唾かたずを呑んで二人の勝負を見ていました。

 蛙が心なしか、一瞬だけ笑みを浮かべた気がします。

「勝負!」

 蛙の手が、伏せられた壺にかけられました。

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