女王の兵隊
「親分、手入れだ!」
壷が開かれる寸前、慌てた様子の猿が入ってきました。それを聞いた他の動物達も一斉に騒ぎ出し、あちこちで右往左往しはじめます。
「今度こそ役人だ!」
「隠れろ、隠れろ!」
「押すな馬鹿!」
「おいらは犬だい」
廊下から行進曲が聞こえてきて、薄い板に頭と手足をつけた、不格好な兵隊が列を成して入ってきます。板の部分は色とりどりの画像が流れていたり、様々なアイコンが表示されていて、その姿はアリサにもとても身近なものでした。
「スマホの兵隊?」
兵隊達は部屋の中で隊列を組み直そうとしますが、指示する隊長らしき人が明らかに不馴れで、中々うまく並べられません。
「二列目、もう少し左に。違う、僕から見て左! そこの三番目の人、はみ出てるから。ほら、きりきり歩く。そっちのあなた、なんで低電力モードなの……ダメダメ、充電は仕事が終わってから!」
ようやく整列が終わり、隊長はわざとらしく咳払いをした後、お腹をスワイプします。『逮捕状』と大きく書かれた文章が画面に表示され、スクロールしながらその内容を読み上げはじめました。
「逮捕状——大蛙の親分はじめとする鳥獣一家は、雨の国法第百八条『賭博罪』により、雨の国の女王の名において『お鍋の具の刑』に処す。なお、味つけはお味噌かお醤油か選べるのものとする」
隊長が読み終わると、他の兵隊達から「よ、隊長!」「さすが最新機種!」と
「盛り上がってるところ悪いけどよ」
蛙の親分が前に出て凄みます。
「あんた達、どうやってここに入ってきた。この屋敷は獣以外、立ち入り禁止だぜ」
「なに、親切な蝙蝠が手引きしてくれたのさ」
隊長は得意げに答えます。アリサは門の前にいた蝙蝠のことを思い出しました。
「……女王とは手打ちになったはずだ。いまさら、なにしに来たんだい」
親分の言葉に、部屋の隅に固まっている他の動物達も便乗して「そうだそうだ!」とわめきたてます。
「約束は『白兎を嫁に貰う代わりに沈めない』というものだろう? それと賭博の摘発は話が別さ」
「女王も、ここのシノギはご承知かと思ったんだがね。じゃなきゃ俺も、妹を嫁にやったかいがねぇぜ」
「ああ、あの白兎は君の妹かい。ま、どちらにしてもあまり意味はなかったと思うがね」
「……どういう意味だい」
凄む蛙に、隊長はにやにやと笑い返します。
「婚礼だっていうけれどね。どうせ陛下の気紛れさ。なんせ陛下はとっかえひっかえ、いつでもなんでも欲しがるからね。いずれあの白兎も、飽きて捨てられる運命さ」
他のスマホ兵達も、みんな大声を上げて笑いました。あまりの意地悪さに、アリサも思わず「ひどい」と口に出します。
しかし、この場でもっと怒りに燃えている者が別にいました。
「……そうかい、そうかい」
蛙の、怒気をはらんだ低い声が響きました。身体が膨れ上がり、凄まじい熱気が立ち昇って蜃気楼が生まれます。
「てめぇらを信じた、俺が馬鹿だったってことだ。つまりは、もう、戦争だな!」
刹那、大蛙が飛び上がってスマホ兵達に襲いかかりました。その勢いに隊列は瞬く間に崩れます。
「怯むな、迎え撃て!」
隊長の号令のもと、てんでバラバラにではありますが、スマホ兵達が反撃します。しかし、蛙はその怪力で群がるスマホ兵を投げ飛ばし、気炎を吐いて次々と蹴散らしていきました。
「おい、旦那がおっぱじめたぜ」
「俺達も加勢しよう」
「こうなりゃヤケだ。お祭りだ!」
そんなことを言いながら他の動物達も次々に加勢し、座敷はおろか庭にまで広がる大乱闘となりました。
「ハレ、こっち!」
アリサとハレは、巻き込まれないように胡蝶樹の陰に隠れます。
「隊長、押されております。画面割れの者も多数!」
「なにくそ、あれを出せ!」
数人のスマホ兵達が、白い布に覆われた台車を牽いてきました。
「やいやい、畜生ども! こいつを出せばお前達も、もうお仕舞いだ。目には目を、歯には歯を。そして畜生には畜生だ!」
隊長が覆いを取ると、その下にあったのは珍妙な動物が入った檻でした。
「なんだ、ありゃあ」
だれかが呆れて呟きます。
「もっと驚け、張り合いのない。コイツはな、『虎』と言うんだ。まあ、貴様らも実物を見るのははじめてだろう」
確かに檻の中の動物は、いわゆる虎柄模様でした。しかし、虎にしては首から胴、そして手足が細長く、ひょろひょろと頼りない体格です。顔も皺くちゃで情けなく、子供の落書きみたいな見た目でした。
「んま゛ぁああ」
虎もどきは間の抜けた声で鳴き、いまいち怖ろしくありません。
「なにそれ、本当に虎?」
アリサも指摘せずにはいられませんでした。
「当然だろう。証拠にほら、検索してもコイツが出てくる!」
兵隊達が一斉に『虎』と検索すると、檻の中の動物と同じ絵が検索結果に表示されます。
「全部同じ画像じゃん」
「わたしもそのトラ、へんだと思う……」と、ハレすらも小さく呟きます。
「我々が! 間違えるはずが! ないだろう! 人間のくせに生意気だぞ!」
「隊長、落ち着いて。発熱してます」
兵隊が
「もう怒った。虎よ、あの少女二人を喰い殺せ!」
解き放たれた虎は、その姿からは想像できない速度で猛然とアリサ達に向かったきました。
アリサは咄嗟に、とにかくハレと胡蝶樹の木を守らなければと、前に出て腕を広げます。虎が目前で跳躍し、鋭い牙を剥き出しました。
やられる!——そう思ったアリサでしたが、しかし鋭い牙も爪も、アリサの身体を切り裂きません。恐る恐る目を開けると、大蛙が間に立って虎を受け止めてくれていました。
「危ねえだろうが、なにやってる!」
「だって、大切な木なんでしょ」
蛙は舌打ちをしながら虎を投げ飛ばしますが、虎も空中で身を
「ええい、役立たずめ!」
痺れを切らした隊長が、細長い剣を片手にアリサのもとに走ってきました。アリサも今度は傘を前に構えて、剣道の構え真似します。
「お前、剣の心得があるのか」
「ないから、できれば勘弁してほしいんだけど」
「今さら泣き言を言っても遅い。行くぞ!」
隊長がアリサに向かって、鋭い突きを繰り出しました。しかし、アリサは紙一重でそれを避けました。隊長は二度三度、更に突きを繰り出しますが、アリサは再びすべて避けます。
「こなくそっ!」
むきになった隊長はめったやたらに乱れ突きをお見舞いしますが、アリサはそれらを剣ではじいたりいなしたり、すべてを完璧に防ぎきります。
「お前、やっぱり戦えるじゃないか!」
「私も自分で驚いてるわ」
「これだから人間は嫌いだ。スペックを活かすどころか把握もしていないんだから。おい、だれか手伝え!」
隊長の呼びかけに、近くにいたスマホ兵二人がやってきました。
「これで多勢に無勢だ」
「三人がかりなんて、卑怯でしょ」
「効率の良さこそスマートだ。くらえ!」
アリサは襲いかかる三人の剣をギリギリのところで防ぎますが、流石に今度は追い付きません。すぐに追い詰められ、とうとう尻もちをついてしまいます。
「これで終わりだ!」
隊長がトドメの一撃を放とうとした刹那、その身体が横方向に吹っ飛びました。
「うげ!」
ハレが隊長に体当たりをぶちかまし、二人は同時に倒れこみます。身体を起こした隊長が「このガキ!」と、怒りにまかせ剣を振りかぶります。
「ダメ!」
アリサは無我夢中で、ハレと隊長の間に割り込みました。手を差し出し、その手が偶然に隊長の身体に触れた瞬間、突然『ポーン』という電子音が響きます。
「——認証しました。ご用件をどうぞ」
動きの止まった隊長は、いかにも機械音らしく丁寧な口調で喋ります。他のスマホ兵達も同様に動きが止まり、取っ組み合いをしていた動物達が困惑しています。
アリサも
「兵隊達みんな、今すぐここから出ていって」
「撤退、ですね。かしこまりました」
隊長を含むスマホ兵達は、一斉に動き出して隊列を組みはじめます。来たときとは違ってとても機械的な動きで、隊列はあっという間に真四角に整います。
そのまま無言で、スマホ兵達はもと来た道を帰っていきました。
「なんか知らんが、帰ったのか?」
「いやに呆気ないなあ」
一連の出来事に、動物達は戸惑うばかりです。アリサも傘を握ってへたり込んでいると、傷だらけの蛙がやってきます。
「大丈夫か?」
「うん。親分こそ、怪我が……」
「大したことはねぇよ」
「さっきの虎は?」
蛙が顎で指し示す先では、虎が庭の隅で鼠達に縛られていました。あまりにもぐるぐる巻きなので、縄の体積が本体よりも多くなっています。
「それでお前、いったいなにをしたんだ?」
「わかんないです……スマホだから人間の命令は聞くのかな」
蛙は黒い眼で、アリサをじっと見つめました。すると、ハレが間に割り込んで睨み返します。それを受けて面喰った表情の蛙の背中を、今度は狐が軽くはたきました。
「貸元、今のはアンタが悪いよ」
「……いや、そうだな。すまねぇ」
蛙はアリサの正面に立ち、少し屈んで頭を下げます。
「アイツらが帰ったのは、お前さんのお陰らしい。礼を言うぜ」
「そんな、私もなにがなんだかわからないし……」
急に真っ向から礼を言われて、アリサは気恥ずかしくなります。
「……それに」
蛙は頭を上げて、胡蝶樹の木を見上げました。
「この木も守ってくれたしな。……ありがとよ」
「耳赤いよ、お姉ちゃん」
茶化すハレに、アリサは「うるさい」と返します。
「それにしても、ずいぶん散らかっちまったねぇ」
狐が座敷を見回してため息をつきます。板戸や障子が倒れていたり、畳が裏返っていたりと、あちこちひどい有り様です。
「なに、片づけりゃ済む話だ」
「そう言うんだったら、貸元もちゃんと手伝いなよ」
「……わかってるよ。ガキ扱いすんじゃねぇや」
二人のやり取りに、アリサもハレも思わず吹き出してしまいます。じろりと睨みつけられますが、先ほどまでの恐ろしさは感じられませんでした。
「でも、けっきょくかけはどうだったのかな?」
ふと、ハレがそんなことを言い出します。壺が開かれる寸前で騒ぎが起こったため、勝負の行方はうやむやのままです。
「良いさ、お前さん達の勝ちで」
蛙は軽く笑ってから、すぐに真剣な面持ちへと変わります。
「都への行き方は教えてやるよ。その代わり、頼みがある」
「頼みって?」
「妹のことさ。都への行き方は教えるから、あっちで妹を見つけたら……いつでも帰って来いと伝えて欲しい」
「カエルさんは行かないの?」とハレが尋ねます。
「俺はここを守らねぇとな。家をほっぽりだして会いに行ったら、どやされるだけじゃすまねぇだろうよ」
蛙は再び、胡蝶樹を見上げます。その表情は、どこか遠く、記憶の中の風景を見ているようでした。
「負けん気の強いやつだ。どんな場所でも、背筋伸ばしてやっていると思うんだが……だからこそ、心配でもある。俺が行くより、お前さん達の方が良い気がする」
アリサとしても、都へ行けるのであればなんの文句もありません。それに、あの白兎にはもう一度会ってみたいという気持ちもありました。
「わかった。約束する」
「……恩に着るぜ」
蛙は庭の奥の竹林を指差します。
「向こうの竹林を抜けると扉がある。そこを出れば都に通じる列車があるから、終点まで乗っていきな」
「ありがとう」
「それと、もう一つ」
蛙が裾から取り出した新しいサイコロを投げ渡します。アリサとハレは少し慌てながら、なんとか上手くつかみました。
「
「ありがとうございます」
アリサとハレは一つずつ、サイコロをポケットにしまいます。
「じゃーねー!」
別れ際、ハレと動物達が手を振り合います。
「気をつけろよー!」
「女王にバシッと言ってくれー!」
動物達の見送りを受けながら、二人は竹林へと入っていきました。
「たのしかったね」
通り過ぎる竹にタッチしながら歩くハレが、そんなことを呟きました。竹はそれほど密集していませんがそれでも枝葉が飛び出しており、アリサはときおり傘を傾けたり、持ち上げたりしなければいけません。
「最初びびってたじゃん、ハレ」
アリサは苦笑しながら返します。
「びびってないよ」
「びびってた」
「お姉ちゃんだって、かけのときびびってたよ」
「だって、親分怖かったじゃん」
「……こわかった」
「でしょ。ていうか、私、結構頑張ってたでしょ。ハレのことも守ったし」
アリサが冗談めかして言うと、ハレは「うん」と言いながら数歩前に出て、竹に身を隠してアリサを見ます。
「カッコよかったよ、お姉ちゃん」
ハレはそのまま素早く駆け出して、竹林を先に行ってしまいました。
「……なにそれ。意味不明」
思わず足を止めてしまったアリサは、それから自分がにやついてることに気づいて「……気持ち悪いなぁ、もう」と、一人で呟きます。
「お姉ちゃん、早く。扉あったよ!」
「だから、先に行かないでってば。濡れちゃうよ」
ハレを追いかけるアリサの歩幅は、少しだけ大きなものでした。
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