シェルターチューン

地下水道

 梯子を降りた先には、巨大な地下水道が迷路のごとく広がっていました。

「傘は差した方が良いですよ。老朽化して、天井から水が漏れてくるので」

 理屈屋がランタンに火を入れ、一行は石造りのトンネルを一列になって歩きます。通路に挟まれた水路は水がざあざあと激しい音を出して流れていました。

アリサ達は水路の上流へと向かいます。

「これ、下流の方はどこにつながっているの?」

 アリサが尋ねると、理屈屋が「ぽっかり沼ですよ」と答えました。

「この国の排水がすべて集まる、大きな沼があるんです。雨水と一緒に、色んな不要なものをそこに流します。この国全体のごみ箱みたいなものですね」

「じゃあ下水道なんだ、ここ」

 ここでアリサに、ある疑問が浮かびました。

「あなた達、王室御用達の商人なんでしょ。下水道からじゃなくて、もっとちゃんとしたルートはないの?」

 アリサの問いに、商人達は押し黙ります。しばらくの間、気まずい雰囲気が流れますが、やがて恥ずかしがり屋が思い切ったという感じで答えました。

「ぼっ、ぼっ、僕達、“元”王室御用達なんです」

「もと?」とハレが聞き返します。

「じょ、じょ、女王が僕達を切り捨てたんです。“理屈”も“わからず”も“恥ずかしがり”も、みんな要らない感情だって」

 確かに、それらを切り離せるものならその方が良さそうだとアリサは思いました。しかし、理屈屋は鼻息を荒くしながら「おかげで貧乏暮らしですよ」と不平を漏らします。

「だいたいね、なんでもかんでも切り捨てれば良いってもんじゃないんです。理屈のない人生なんて浅い生き方だし、なんでも受け入れるなんて空っぽな証拠だ。羞恥心がないのは無知だからだ! 我々より、飾り立てて表通りをうろつく影の方がよっぽど余計な存在ですよ」

 理屈屋が拳を振って熱く語る一方、アリサは大通りで見た人々を思い出しました。あの人達はたしかに盛り過ぎだと思い、実際に批判もしました。しかし、自分も程度の違いはあれども、お洒落はするし、写真などなるべく可愛く、面白く写りたいと普段なら思います。すべて否定してしまうのもなにか違うと思ったのです。

「まあ、なんでも偏り過ぎは良くないってことじゃない? あなた達も街の人達もやりすぎなのよ、結局」

 アリサの言葉を聞いたわからず屋が、静かに呟きます。

「やりすぎでもな、儂達にはこれしかないのだ」

「……別の商売は考えなかったの?」

 わからず屋は自嘲するように鼻で笑います。

「そうそう商売替えもできんよ。儂ら全員、これしかできないものだからな」


 一行は地下水道をひたすら歩き続けました。ときおり、天井の隙間から染み出た水滴が傘にぽとりぽとりと落ちてきます。

 アリサは先ほどのわからず屋の言葉と、岬で出会ったユキナの姿を重ねていました。どちらもそれまでの人生に囚われてしまい、苦しくても現状から抜け出せないという点で似ているように思えたのです。

——どうして人は変化を恐れるのだろう。なにかに縛られるくらいなら、なにもかも忘れてしまえば良いのに。そうすれば、楽に、苦しまず生きていけるのに。

 なにかに悩むときは、決まってなにかを手放せないときで、それはまるで自分から悩みの種をわざわざ抱きかかえに行っているようで、アリサは考えれば考えるほどその姿勢がひどく滑稽に思えてきました。

 アリサは隣を歩くハレを見ます。薄暗いトンネルの中でわずかに見えるその表情は、明るいところで見るよりも少し大人びて見えました。

「ねえ、ハレ」

 ハレはアリサの顔を見上げて「なぁに?」と聞き返しました。その表情は打って変わっていつも通りの、あどけないものです。

「……ハレってさ、なんでそんなに強いの?」

 アリサは、本当に聞きたかったこととは少し論点をずらして尋ねました。ハレはきょとんとした表情を返します。

「強いって?」

「さっき、理屈屋の質問に私が答えられなかったとき、助けてくれたじゃん。いま思えば、蛙の親分のときも同じように助けてくれたしさ。なんか、ハレってここ一番で強いよね」

「そうかなぁ」

 ハレは腑に落ちないという表情です。

「あのとき、私は情けなくてさ。なんでこんなことにも答えられないんだろう、なんで自分の選択を信じられないんだろう、って。それで、ハレが大丈夫って言ってくれたとき……どうして、そんな強い言葉を言えるのかなって思ってんだ」

——その強さは、記憶がないから。“今”と“未来”しかないから。

 口にこそ出しませんでしたが、アリサはそう思っていました。なにかを持っている人よりも、なにも持っていない人の方が、強くなれるんじゃないかと考えたのです。

——だったら、記憶を失くしたハレが、それを取り戻す意味は?

 そんなことを考えている自分に気づいて、アリサはふと、自己嫌悪に陥りました。その考えは、結局アリサの願望や憧れを無意識にハレに押しつけているだけなのではないか。ハレにはずっとこのまま、変わらずにいて欲しいと思っているんじゃないか。そんな考えが脳裏にちらつく勝手な自分が、ひどく情けなく思えてきます。

「ごめん。やっぱなんでもない。気にしないで」

 例えハレに伝わっていなくても、アリサは自分自身が許せませんでした。これ以上この話を掘り下げると、ハレにもっと酷いことを言ってしまいそうで、強引に会話を終わらせます。

 ハレは、やはりアリサの不自然な態度に違和感を持ったようで、けれどもその理由がわからず言葉を言いあぐねているようでした。

 しばらく考え込んでから、ハレは口を開きます。

「……お姉ちゃんの言う“強さ”っていうのは、よくわからないけど。でもね、わたしが大丈夫って言えるのは、お姉ちゃんのおかげだよ」

「私の?」

 思いもよらない答えに、アリサは戸惑いました。

「お姉ちゃん、最初に会ったとき言ってくれたじゃん。記憶を思い出せなくてもなんとかする、って」

 アリサは森で出会ったときのことを思い返しました。確かに、ハレが記憶喪失と聞いてそんなふうに言ったことを思い出します。しかし、シレナジタートに怯えていたことや、その後の出来事に対する印象の方が強く残っていて、すっかり忘れていたのです。

「それとも、あれはうそだった?」

「……ううん。嘘じゃない」

 ハレは「でしょ」と言って笑いました。

「わたしだって不安もあるし、こわいこともあるよ。けど、お姉ちゃんがなんとかするって言ったから。だからわたしは信じてるし、なんとかなるって思ってる」

 アリサは、自分がとっさに言っただけの一言をここまで信じてくれているとは思っていませんでした。そして、その“とっさの一言”を言ったときの自分の気持ちを思い出して、ようやく理解しました。

——ああそうか、ハレの言う『大丈夫』も……。

 自分にとってハレの存在と言葉が、この旅でどれほど救いになったことか。きっとそれは、ハレにとっても同じことなのです。

「……それにね」

 ハレが耳打ちをする動作をしたので、アリサはそれに合わせてかがみました。ハレはアリサの耳に手を当て、小さな声で囁きます。

「あのとき、わたしもむかついたもん。ごちゃごちゃうるさいなって」

 ハレの言い様に、アリサも思わず吹き出しました。

「本当にね」

 二人がくすくす笑っていると、先頭を歩く理屈屋が急に足を止めました。どきりとした二人でしたが、どうやら会話を聞いて止まったわけでなさそうです。

「……迷いましたね」

「え?」

 唖然とするアリサをよそに、商人達は会議をはじめました。

「おかしいですねぇ、どこで間違えました?」

「左手の法則を使わんか、左手の法則を」

「あれは迷路の完璧な攻略法ではありませんよ。ゴールが内側にあると使えないんです。それに、一度通ると道が変わってる気がするんですよね」

「そんな馬鹿なことがあるか! 良いから左手の法則をだな」

「ですから、あれはすべての壁が繋がっていないとですね……」

「や、や、八つ前の曲がり角では?」

「なぜそのときに言わんのだ!」

「すすすすすすみません」

「いまさら言ってもしょうがないですよ。それより、これからどうするかが重要では?」

「だから、左手の法則!」

 三人がわあわあと言い合いを始めたので、アリサとハレは座り込んで頬杖をつきます。なんとなく水路の流れを眺めていたアリサでしたが、ふと、水路の反対側、ランタンの明かりが届く境目に、なにか黒いものが引っかかっているのを見つけました。

ゴミ袋にも見えるそれは、良く見ると水の流れに必死に逆らい羽をばたつかせています。

「蝙蝠だ」

 鳥獣一家の前で出会った蝙蝠が、水路に流されかけていたのです。

「お知り合いですか」

 言い合いをしていた理屈屋がランタンを掲げます。

「うん。たすけないと……」

「しかし、届きませんよ」

 ハレと理屈屋のやり取りを聞きながら、アリサはすでに身体が動いていました。黒い水の流れの中に、迷わず飛び込んでいたのです。

「ちょっとちょっと……」

「あ、あぶ、危ないですよ!」

 水路はアリサの腰近くまで深く、気を抜くと一瞬で足を取られそうです。アリサは流れを斜めに突っ切って、対岸にいた蝙蝠のところまで辿り着きました。

 すくい上げた蝙蝠はひどく衰弱しており、アリサの腕の中でぐったりとしてます。

 ハレ達の元に戻ると、理屈屋が呆れた表情を浮かべていました。

「いやはや……あなたも大概、大胆ですねぇ」

「海に飛び込むよりはマシよ」

 アリサは制服のスカーフをほどき、蝙蝠の身体を包みます。

「……あぁ、あのときのお嬢ちゃん達かい」

 眼を開いた蝙蝠は、かすれた声で呟きました。

「まさか、兎を追ってここまで来たのかい。呆れたね」

「女王に会いに来たのよ。あなたこそ、いったいどうしたの?」

「……別に。お嬢ちゃんには関係ないだろう」

 蝙蝠はそっぽを向きます。その仕草や、スカーフで包んだ格好がおくるみ姿の赤ん坊みたいで、アリサはなんとなくおままごとを思い浮かべます。

「関係ないことないじゃない。助けてあげたんだから」

 アリサが優しくささやくと、蝙蝠は眠たげに目を細めました。お互いの体温が伝わって、腕の中に暖かさが生まれます。

「……別に、大した話じゃないさ。息子を迎えに来ただけさね」

「息子?」

「都に住んでた息子が、女王の不興を買ったらしくてね。投獄されたって、役人が来たのさ。それで、鳥獣一家の屋敷へ手引きすれば、息子は釈放されるって言われたんだ」

「……じゃあ、息子さんには会えたの?」

 アリサは聞きながら、きっとそうではないのだろうと思いました。それならば、こんな暗くて寂しいところで、一人流されかけているはずがないからです。

「それがねぇ……もうぽっかり沼に流しちまったって言うんだよ、役人どもは。私のやったことは、なんの意味もなかったってことさ。馬鹿馬鹿しいね」

 蝙蝠は声を震わせながら、なんでもないことのように言いました。しかし、瞼に力を入れ、涙がこぼれるのを必死に耐えている、そんな蝙蝠の姿にアリサは心が締めつけられます。

「お嬢ちゃん、女王に会ってどうするつもりだい? 女王は、他人の言うことなんか聞きやしないよ」

「……そうかもね。でも、行かなくちゃ」

 アリサは静かに蝙蝠を降ろし、立ち上がります。

「なんだか知らんが、良い顔になったじゃないか」

 わからず屋が楽しそうに笑います。

 アリサの中に、迷いはもうなくなっていました。

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