トロンプ・ルイユでお茶会を

表側の人々

 列車が都に着く頃には、辺りは濃い霧で満たされていました。

 終点の駅は、いくつもの路線が集まる大きな駅でした。汽車の吐き出す蒸気が霧と混ざって構内を包み、その間からアーチ状の支柱が覗きます。ガラス張りの天井の高さから、この駅がいかに大きいかがうかがえました。

 ホームには、行き交う人々の気配がたくさん感じられます。しかし、それらは気配だけで、誰も彼も影しか見えません。アリサが恰幅かっぷくの良い女性の人影とすれ違い様にぶつかりそうになりましたが、実際にはぶつかることなく、アリサの体を通り過ぎてしまいます。

「なんだか、みんなふわふわしてるね」

 ハレの言う通り、まさしくつかみどころのない人々です。

 アリサは、女王のところへの行き方を聞こうと影の人々に話しかけますが、まったく反応がありません。車掌のお爺さんも探しましたが、すでにどこかへ行ってしまったのか、どの車両にも見つけられませんでした。

 とにかく駅の外に出ようと、二人は改札へと向かいます。しかし、改札が視界に入ったところで二人は慌てて引き返しました。

「スマホ兵だ」

 改札では、大勢のスマホ兵が影達の列を整理していました。改札には大きなパイプがいくつも並んでおり、スマホ兵に促されてパイプに入っていく影達は、ベルトコンベアに乗ってパイプの奥へと次々消えていきました。

「明らかに怪しいなぁ」

「どうする、お姉ちゃん」

 鳥獣一家のときのように、こちらの命令を聞かせるということも考えました。しかし、もう一度うまくいくとは限りません。

「他に出口がないか探そうか」

 スマホ兵達に見つからないように、二人はその場を離れます。しかし、スマホ兵を避けながらホームを隅々まで探索しますが、やはり改札以外に出口はないように思われました。

 しかたなく、二人はホームを降りて線路の上を歩くことにします。


 外は霧に交じって雨粒が舞っていたので、アリサは傘を広げました。

「ハレ、もっとこっちに寄って。汽車が来たら横に避けるからね」

 アリサは周囲に気を配りながら緊張していました。汽車がいまにも走ってくるかもしれませんし、いつスマホ兵に見つかるかわかりません。霧で足元すら見辛く、一歩踏み出すのも慎重にならなければいけません。

 しかし、一方のハレはなぜか面白そうににやついています。

「なに笑ってんの」

「だって、なんだかかくれんぼみたいだなって」

 自分は真剣に気を張ってるいのに、呑気なものだとアリサは呆れました。

「あのね、こっちはマジメにやってるんだけど」

「でも、なんでも楽しいほうがいいよ。お姉ちゃん、すぐこわがるし」

「はぁ? うるさいんだけど。っていうかハレだって怖がってたじゃん。お屋敷とか、鯨とかさ」

「こわがってないもん」

「怖がってた。私のスカートつかむもんね、ハレは」

「お姉ちゃんだって、すぐ泣くじゃん」

「それは……否定しないけど、関係ないでしょ」

 言い合いながら、ハレが能天気に笑うのを見てアリサもいつの間にか肩の力が抜けていました。

 線路は石造りの高架橋に敷かれており、二人はちょうど駅舎を見下ろす位置を歩いていました。少し距離はありましたが、ガラス張りになった部分から駅の中を覗けます。

「お姉ちゃん、あそこ」

 ハレが指差す先では、ベルトコンベアの周りを何人ものスマホ兵が取り囲んでいました。そして、それぞれが手に筆やペン、塗料らしきバケツや消しゴムを持っており、せわしなく動き回っています。

 パイプから流れてくる影達は、改札を通る前よりも輪郭がはっきりとしています。周りのスマホ兵達が、流れてきた影に色を塗ったり、線を書き込んだり、消しゴムで修正したりしています。見事な連携作業で、ベルトコンベアの終わり頃には服も性別も肌の色も様々に、影ではない普通の人の形になっていました。

「お絵かきしてるみたいだね」

「この国には普通の人はいないのかな」

 そんなふうに二人が駅の中を見ていると、スマホ兵の一人とアリサの目が合ってしまいました。

「やば」

 スマホ兵達が騒ぎ出すのを見て、アリサは慌ててハレの手を引きます。

「走るよ!」

 霧に満たされた天空の線路を、二人は息を切らして走ります。

 空中を舞う水滴が容赦なく体に打ちつけ、汗と混じりあって肌にはりついてきます。肺に吸い込む空気も、湿気を含んで息苦しさを増してきます。陸の上を走っているのに、溺れそうな感覚でした。

「こんどはっ……鬼ごっこ……みたいだねっ」

 軽口こそ叩いておりますが、ハレに余裕がないのは明らかです。

 必死に走る二人でしたが、後ろからスマホ兵達が追ってくる気配がしました。

「例の…………だ!」

「……まれ」

「……ちだ、……すな!」

 声と足音から、スマホ兵達がすぐ近くまで迫ってきているのがわかります。

 しばらく走っていると、下から人が行き交う雑踏が聞こえてました。線路の脇に、点検用らしき階段を見つけます。

「あっち!」

 二人は柵を乗り越えて、階段を駆け降ります。


 階段を駆け降りた先は、市街地の大通りでした。石畳の道路には馬車と真っ赤な二階建てバスが並行して走っていて、青々とした街路樹が等間隔に整備されています。通りの左右にはカラフルなレンガ造りの建物が並んでおり、ガス灯が霧の街をおぼろげに照らしていました。

 人も大勢歩いておりましたが、道行く人をよく見ると、だれもが奇妙な造形です。皆一様に目が大きく、肌は真っ白で不自然なほどになめらかです。顔の輪郭や手足はいまにも折れてしまわないかと不安になるほど細長く、顔は色んな動物を混ぜたようなのや、変に歪んだ人もいます。そして全員が、スポットライトでも当てたかのように光輝いていました。

 人混みに紛れて逃げられると考えたアリサでしたが、これではかえって目立ってしまいます。

「なにこれ、みんな盛り過ぎじゃない?」

 アリサが立ちすくんでいると、赤ん坊のような顔をした髭面の男性が話しかけてきました。

「君、それ加工を失敗したのかい?」

「加工?」

「駅でやってもらうだろう。ぼやけたままだと難儀だからね」

 アリサはベルトコンベアで、スマホ兵た達が人影に形を作っている光景を思い出します。しかし、それよりも自前の顔を失敗と言われたことの方が気に障りました。

「別に、元からこの顔ですけど」

「だって、肌もくすんでいるし、顔もまん丸じゃないか。髪だってぼさぼさだし」

「いまは走って来たからしょうがないでしょ。っていうか、そんなに丸くないし!」

「いやいや、常に身だしなみには気をつけなければ。都会派はいつでもスマートかつエレガントに、ね」

 髭面赤ちゃんのウィンクに、アリサは寒気が走ります。

 そして今度は、タピオカとチーズボールとタルゴナコーヒーとパンケーキを抱えた、派手な見た目の女性が話に入ってきました。

「田舎から出てきたばかりなんでしょう。野暮ったいし、全然流行りの見た目じゃないもの」

 周囲の人々も、アリサとハレを好奇と嘲笑の目で見ています。アリサは理不尽な罵倒を受けて、更に腹が立ってきました。

「そっちこそ、みんな同じような見た目じゃない。中身がぼやぼやしてるから似たような加工しかできないのよ」

「なにを言っているのかしら。中身よりどう見えるかのほうが重要よ。それに、これがトレンドなんだからみんな同じで当たり前よ」

「どっちにしろダサいもん。流行りに流されて価値観が狂ってるのよ。肌も手足も不自然だし」

「おいおい、自然のままじゃは手つかずと同じだぞ。手を加えないままなんて見てられないよ、君みたいに」

「私はともかく、ハレなんて天然のスベ肌でしょ、よく見てよ!」

「お姉ちゃん、もういいから……」

 ハレがたまらず口論を止めようとしたところ、霧の向こうからスマホ兵達がやってきました。

「見つけたぞ、このイカサマ女!」

 先陣を切ってやってきたのは、鳥獣一家のところで会った隊長です。

「きさまのせいで、女性陛下はご立腹だ。捕まえて城まで引きずり回してやる」

「なによ、また命令するわよ!」

「残念でした、音声認識は切ってます!」

 画面に舌を出して馬鹿にする絵文字を表示させ、隊長は号令をかけます。

「行くぞ、飛びかかれ!」

 沢山の兵隊が、宙を舞い襲いかかりました。アリサは傘をなんども突き出して、それらのスマホ兵を次々と弾いていきます。

「傘が壊れるぞ、乱暴者め!」

「そう思うなら来ないでよ!」

 弾かれたスマホ兵達は野次馬の群衆を巻き込んで、辺りは大騒ぎになりました。中には、スマホ兵に写真を撮らせている人もいます。

「ばかやろう、撮ってる場合か!」

「だって、映えるから……」

 アリサ達は混乱のうちに、群衆を盾にして逃げ出します。

「お姉ちゃん、あそこ入れる!」

 ハレが見つけたのは、建物の隙間にある細い路地でした。人一人がようやく通れる幅で、アリサは急いで傘をとじます。

「待て!」

 後を追うスマホの隊長は、入り口で引っかかって通れません。更に、後ろから他のスマホ兵や群衆が押し寄せてきました。

「痛い痛い! 一回どいて、向き変えるから!」

 隊長の哀れな声を聞きながら、アリサ達は小さな路地を滑るように駆け抜けました。


 路地裏は家の間を縫う迷路のようで、複雑に入り組んでいました。崩れた壁や、石畳の剥がれたところがあったりして、大通りとは違い、うらぶれた印象です。

「はぁ、しんど」

 アリサとハレはしばらく走った後、大通りの気配がしなくなったので足をゆるめました。

「ハレ、大丈夫?」

 アリサは自分自身が全速力に近い速さで走っていたので、それについてきたハレの体力を心配しました。体格のことを考えれば、とっくに限界になっていてもおかしくありません。

 しかし、ハレは疲れているというよりも、怒っているという雰囲気でアリサのことを睨みます。

「な、なによ」

「……あんなところでケンカしてもしょうがないじゃん」

 アリサは先ほどの言い合いを思い出し、確かに冷静さを欠いていたと思いました。

「ごめんって。あんまりにも失礼だったから」

「すっごいはずかしかった。お姉ちゃん、へんなこと言うし」

「変なこと?」

 アリサは少し考えて、一つだけ思い当たることを見つけました。

「だって、ハレは可愛いじゃん。子供の癖に照れるなって」

「もう、うるさい!」

 珍しく自分が優位に立てたので気分の良いアリサでしたが、あまりからかい過ぎると本当に怒りそうだと思い、そこそこでやめることにしました。

「でも、うまく逃げられてよかったよ。まぁ、この後どうすれば良いかわかんないけど」

 辺りは寂れた住居が並ぶだけで、とても女王が来るような場所には思えません。

「いっそ、スマホ兵さんたちにつかまれば女王さまのところに行けないんじゃないかな」

 ハレの指摘を聞いて、アリサはなぜそれに気がつかなかったのかと後悔しました。

「失敗したなぁ……」

「じゃあ、もどる?」というハレの言葉に、アリサは周りを見渡します。

「来た道、わかる?」

「……わかんない」

 二人は大きくため息をつき、それからあてもなく歩き始めました。


 それからしばらく歩き回っていた二人でしたが、アリサは少しずつ、周りの様子を不審に思いはじめました。住宅地なのに、人が一人もいないのです。

「いくらなんでも、人いなさ過ぎじゃない?」

「だれともすれちがわないね」

 ハレが角を左に曲がり、辺りを見渡します。

「なんか、静か過ぎて不気味だよ」

 アリサは塀をよじ登って、ハレの隣に追いつきました。

「お姉ちゃん、また怖がってるの?」

 ハレが階段を登りながらいたずらっぽか笑います。

「別に怖がってなんかないし」

 階段を降りてハレの背中を見下ろすアリサは、ムキになって反論しました。

「声がふるえてるもーん」

 ハレは尚もからかって、地面に空いた大きな穴を飛び石の要領で飛び越えます。

「もうっ、調子乗るな!」

 アリサはハレを追いかけるように、その穴をよじ登りました。

「うわぁ、つかまった、つかまった!」

 壁の隅に追いやられて、ハレはすっかりはしゃいでいます。

「まったく、本当に呑気だねハレは」

 もう何度も呆れて呆れ慣れたアリサは、天井の角にいるハレを捕まえました。

 二人は一枚の板が置かれただけのベンチに、それぞれ表と裏へ腰かけます。

「なんか、つかれちゃったね」

「さっきから方向感覚狂いっぱなしだよ、まったく」

 二人が路地裏に迷いこんでからどれほどの時間がたったかわかりません。延々と続く石畳と霧の道に、アリサは嫌気が差してきました。

「あぁもう。だるいなぁ」

「ネガティブなことばっかり言っちゃダメだよ」

「いや、ハレも疲れたって言ってたじゃん」

「でも、わたしは楽しいよ」

「……それさ、よく言えるよね。私は不安の方が大きいよ」

「えー? だって……」

 ハレはなにかを言いかけて、途中で言葉を止めてしまいます。ハレの足元に、なにかが転がってきたのです。

 それはビー玉くらいの大きさの、青緑色の玉でした。透明な球体の中には細かなラメが入っており、見た目はスーパーボールといった方が近いかもしれません。

 二人がなんとなくその玉を眺めていると、ベレー帽をかぶった少年がやってきました。

「……!」

 アリサより少し年下くらいのその男の子は、二人を見て明らかに動揺しています。肩にかけた鞄の紐を握りしめ、俯いて目線を合わせません。

 ハレが足元の玉を拾い、少年に近寄ります。

「これ、あなたの?」

「う、うん」

 少年はやはり目を合わせず、ハレから玉を受け取りました。

「あ、あ、あ、あり……」

「あり?」

 どもる少年に、ハレは小首をかしげます。

「あ、ありがとうございまう」

 最後の方は噛んだ上に小声になって、少年は駆け出していきました。残されたアリサとハレは、呆然と少年の背中を見送りました。

「……行っちゃった」

「なんか、呆気に取られちゃったけど……追いかけたほうが良いかも」

 少年の影を追いかけて、アリサとハレも走り出します。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る