先生の気持ちになんてぼくは関心がありません

rinaken

第一話 入学式

 私立黒白鳥こくはくちょう学園は、北関東の郊外に屹立している。幼稚園から大学院まで、教職員をはじめ、園児や児童、生徒、学生、院生、そして大小さまざまな食堂や売店、施設で働く人々を数え上げれば一万人は優に超えるちょっとした学園都市だ。


 中学校からは全寮制で、中高一貫。幼稚園から在籍する者の同居の家族その他は除き、基本的にその家族は近郊には住まないことになっている。限られた所得階層の家庭にしか出回らず一般には入手しにくい黒白鳥学園中学(中学部)・高校(高等部)のパンフレットには、自主自立の精神を早期に確立するため、そして生徒同士の関係を密にして将来的に社会や実業界をけん引する俊英同士の連帯感を醸成するため、などとある。


 幼稚園から黒白鳥学園に在籍する者は、莫大な教育費等がさほどの負担とならない大富豪の子弟に事実上限られている。その数は多くなく、周りからは畏敬の念を込めて「公爵」といわれたりする。身分制をほうふつとする非公式・非正式の称号だが、ある意味で身分そのものだ。


 小学校から在籍する者は、幼稚園から在籍する者よりは多いが、それでもまだ少数派だ。「伯爵」といわれている。


 次に多いのは、中学から在籍する者だ。「子爵」といわれる。まだまだそれでも少数派だ。


 そして、一番多いのは、高校から在籍する者だ。高校から在籍する者には、とくに称号はない。


 学園で得られる人的ネットワークを目当てに、他の私立高校とは比較にならないくらい高額の学費や寮費などをねん出しようとする保護者はあとを絶たない。


 だが、お金がなければ力を示せばよい。全国的なスポーツ大会で優秀な実績をもち、かつ、入学試験で上位三十パーセント以内に入れば、学費・寮費等半額免除の特待制度を利用できる。ただし、スポーツでそれだけの実績をもちつつ、かつ、難易度の高い入試をそれだけハイレベルにクリアできる者はあまりいない。貴族ではないが、実力を認められて取り立てられるという意味で、そうした者は「騎士」と呼ばれた。


 そして、ほとんど知られていないが、世界的なスポーツ大会で優秀な実績をもち、かつ、入学試験で上位十パーセント以内に入った者には、学費・寮費等全学免除の特別特待(特別・特別待遇)制度が案内される。ほとんど知られていもいないし、実際に利用できる者もほとんどいない。だから、そうした者に授けられる称号に決まったものはない。


 さほど歴史はない黒白鳥学園だが、そんな特別特待生には、のちに「騎士団長」、「英雄」、「革命家」と呼ばれる者たちがいた。


 「騎士団長」は己一人の力を過信しがちな騎士たちをとりまとめた最初の生徒だった。


 「英雄」はその圧倒的な知力と武力でライバル校を蹴落とした。


 「革命家」は、親や教師の権威に従順な生徒たちを目覚めさせ、称号の有無に関係なく全生徒を代表する組織、生徒会を組織した。


 むろん、こうした称号は、その生徒が在籍したときに授けられるものではない。卒業時に後輩たちが畏敬と憧れの念でもって奉るものだ。


 これは、のちに「変態紳士」の称号を贈られる男子校高校生の物語だ。


 黒白鳥学園高校入学式は、同校の敷地内にある第一体育館で行われる。体育館のなかは、新入生席と保護者席に大まかに分けられていた。


「父兄の方はこちらじゃないです。大人が制服着ちゃマズイです」


 学校関係者を示す緑色の腕章をつけたスーツの若い女性が、新入生席に侵入しようとする小柄な制服姿の男子に声をかけた。その女性は、二十代だろう、若く魅力的で男性誌のグラビアを飾ってもおかしくないスタイルをしていた。実際、生徒だけでなく保護者の様々な視線も集めていた。


 だが、その小柄な男子は、彼女を見向きもせずに、新入生席にすたすたと入っていこうとしていた。


 その男子は、制服の上からすぐにわかる程度に丸いからだつきで、おでこがかなり広めだった。加えて、手に持った革製の鞄は、すっかり使い込まれており、社会人のそれと見間違ってもおかしくはなかった。


 その男子は、女性教員を見て、ただ静かに言った。


「ぼくは日野原秀雄ひのはら ひでお、新入生です」


 えっ、と小さく声を上げたその若い女性教員は、胸の大きさが際立つぴっちりとしたスーツの胸ポケットから折りたたまれた数枚の紙を取り出すと、その名簿らしきものを点検し始めた。


「あ。確かに名前(リストに)あるね。ごめん。日野原くん。さっき、言ったことは内緒にしててね」


 若い女性は、笑ってごまかした。秀雄はそんな反応に慣れていた。


「もちろんです」


 そう言って、秀雄はにっこりとほほ笑み返し、事前に通知されていた自分のクラス、一年八組の席へと向かった。


 その後ろ姿を、女性教員が興味深そうに見送った。「日野原英雄」。数年に一人の特別な特待生、略称、特特待生。彼女のクラス、一年八組に割り振られていた。


 いったい、どんな生徒かと思ってはいたが――その年の入学式で、その女性教員が見られる側ではなく見る側になったのは、そのときくらいだった。ほかの男子高校生など、彼女にはほとんど区別がつかない。彼女にとっては、みなが一様に「思春期の男子」にすぎない。だが、秀雄には、ほかの男子高校生にはない何かを彼女は感じた。もっとも、それは単に特特待生の見た目に意表を突かれただけかもしれなかった。

 

 黒白鳥学園は芸能界にも人材を輩出しており、すでに芸能活動をしている生徒も決して珍しくはない。一年八組に限った話ではないが、平均身長は高く、いわゆる顔面偏差値も高い。実際、入試の際には見た目に配点があると噂されていた。


 そのなかで、秀雄はよく目立った。


 目立つものはほかにもあった。ほかの新入生たちのカバンは校章の入った制式の新品ばかりだった。みな、それを、椅子の下に行儀よく収めていた。使い古したカバンを椅子の下に詰め込んでいるのは秀雄だけだ。


「小っちゃいオッサンじゃん」

「くすくす……キャラ立ちすぎ」


 女子の並んでいる隣の列からそんな囁き声が聞こえてきた。


「おめー、ここ、入社式じゃねーぞ」


 今度は、秀雄のすぐ後ろからだ。毒のある声。入学式が始まる十分前。式が始まるのを待ち、みな静かになる頃合いだ。その男子生徒の声は、はっきりと体育館に響いた。


 秀雄が振り返ると、金髪の男子がニヤついていた。周りの生徒のなかには、それが気の利いたツッコミであるかのように、ニヤついている者もいた。


「それはわかってるよ。でも、ありがとう」


 秀雄は、にっこりとほほ笑んだ。


 金髪の男子が何か言い返そうとした瞬間、司会の教頭先生が式の始まりを告げた。


 秀雄は前を向くと、作り笑いを浮かべなくて済むことに安どした。ったく、ろくな学校じゃない。胸糞が悪い。なぜ、ぼくの隣に女子の列があるんだ。右に一列ズレていれば、サカリのついた老猫のような十代後半の女子の臭いに胸を悪くすることはなかったろうに。老猫といえば。さっき、ぼくをオッサン扱いした巨乳。間違いなく経産婦だ。あの品のない胸の大きさはもはや軽く犯罪……いい意味じゃない。悪い意味でだ。


 後ろの金髪の男子の悪態など、秀雄の耳には届かない。


 秀雄は、十五歳にして、十歳から十二歳のビッチにしか性的な衝動を覚えないヘンタイだった。

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