第七話 クラス一丸無視

「春から大変ですね」


 職員室で授業の準備をしていた柚香は、肩越しに同僚の藤田謙ふじたけんから話しかけられた。藤田は柚香の先輩教員だ。


「ご心配をおかけしまして」


 柚香は、ため息をついた。確かに、春から机を倒される生徒の出現は、教師を始めて数年しか経たない新米同然の教員には、キツい出来事だ。だが、藤田に声をかけられてうれしいとは思わなかった。この男の下心は柚香には見え見えだった。


「やっぱり。生徒指導室を春から単発で使用するのはたいていトラブルが起きたときです。先生の指導力のせいではありませんよ。それにしては早すぎます。むしろ、特特待とくとくたいの彼のせいなのではないですか。わたしは特特待をもったことはありませんが、難しい生徒だということはわかります」


 藤田は、羨ましいとでも言いたげだった。


 特別特待生、通称「特特待」。わかりにくいのであまり使われない通称だ。


 ようするに、それは世界レベルの中学生。その後、世界的に名の知られる卒業生になる可能性は高い。学園の財産だ。学園に財産をもたらした教師にも、そのおこぼれがあるという。学園の常任理事のなかには、そんな教師だった理事もいる。理事になれば給与は桁違いだ。金に困っていなくても、卒業生のネットワークを通じて各界に影響を及ぼすことができるのは魅力だ。


 しかし、一方で、特特待は往々にして強すぎる個性でクラスを振り回し、教師を追い詰めることもあるという。まだまだひよっこと言っていい柚香に特特待生がまわってきたのは、ひとえに他の教員がそのリスクを避けたからにすぎない。そう柚香は思っていた。少なくとも、藤田先生が日野原くんと合うわけないわ。クラスメイト全員を自分から敵に回すような生徒だもの。日野原くんならきっと藤田先生も敵に回すでしょうね。


 藤田は一見、柔和そうで、生徒受けもいい。だが、柚香は苦手だった。下心見え見えの男相手にそれなりの場数を踏んでいる柚香だが、藤田の表情は、まるで、罠にかかるのを待つかのような、そんな警戒感を抱かせる、見え見えでもイヤなタイプだった。言葉自体はやわらかでも辛らつだ。今も、まるで生徒が悪いかのように言っている。


「彼のことはちゃんと見てます。クラス全体にも気をつけます」


 そうは言いつつも、クラスで困ったことが起きてはいないか、などといった通り一辺倒のアンケートで「日野原くん机倒し事件」の犯人がわかるとも思えない。……まさか、特特待生を狙った、のだろうか。


「そうですか。まあ、気を付けてください。特特待は本当に大変だと聞きますからね。きっと、先生も教師として一皮剥けますよ」


 藤田は、そう言って立ち去って行った。柚香は、立ち去り際に見せた笑みに下卑たものを感じた。本当にイヤなヤツ。結局、ただ不安にさせようとしただけじゃないの。


 机の上に目を戻すと、柚香はもう一度ため息をついた。アンケートの実施は気が重い。過敏な生徒は気に病んでしまうだろう。ただでさえ、彼の不穏当な発言で、クラスの雰囲気は悪くなって……


 いるのだろうか。


 彼、日野原秀雄は、何事もなかったかのように毎日遅れもせず学校に来ている。クラスメイトも、そうだ。何事もなさすぎる。


 おかしい。クラス全体が。

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