第八話 学生食堂にて

 柚香は、黒白鳥学園大学出身だ。構内でも正門に近い第一学生食堂は行きつけだった。学生食堂にしては気の利いたパフェを他人の目を気にせずつつくのが、柚香のストレス解消法の一つだ。


 一方、そんな柚香を見る視線は一つではなかった。美貌と曲線美カーヴスとどこか人を寄せ付けない神秘的な魅力で柚香は学生時代から有名だった。今でもそのことを語り継ぐ一部の後輩たちは、さらにその後輩たちにそのことを伝え、学生食堂で柚香を見かけるたびに連絡を取り合っている。まるで柚香親衛隊だ。いや、親衛隊ではない。観察しかしないのだから。在学中、一度も男子と一緒のところを目撃されたことのない恋愛UMA《ユーマ》が、ついに男子と一緒にいるところを目撃できやしないか、と。


 藤田に話しかけられ、イヤな気分になった柚香は、仕事を早めに切り上げ、学生食堂にやってきていた。こんなときはいつものパフェでリセットするしかないわ。






「……でね、無視なんて、やっぱりよくないと思うの」


 くるみは、季節のフルーツパフェを一口頬張った。秀雄はブラックコーヒーを一口。なるほど、食前のデザートってやつね。見た目通りだな。


 くるみは、秀雄について行きつつ学生食堂につくと、ほとんど躊躇せずに30センチはあろうかという「スーパードゥーパー」パフェを注文した。


 学生食堂はカフェテリア方式で、カウンターで注文するとしばらく待たされる。待っているあいだ、くるみはもじもじしていたが、テーブルにつくとおもむろに話し出した。


 もちろん、最初はフランス小説の話だ。くるみはタラ・ダンカンを読み返したようだった。秀雄は、同時期に公表されたイギリスのジュブナイル魔法使い小説との比較を交えながら、NHKで最近アニメ化されたフランスのコミックの動向といった適当な話をしてくるみを満足させた。


 そのあたりで、秀雄は寮の門限が気になってきた。なので、山のようなパフェが三分の一程度になったころ、秀雄は話を変えた。いつまでもフランスの話をしているわけにもいくまい。なぜ、話しかけてきたのか。情報を引き出さなくては。


「ごめんね、ぼくのせいでクラスの雰囲気が悪くなって」

「日野原くんのせいじゃないよ! 机を倒した人が悪いんだよ!」

と、くるみは語気を強めた。だが、ほとんど秀雄と同時に教室に戻ったくるみは、誰が机を倒したか知らない。寺泊も同じだ。


「みんなに手紙が来たの」


 くるみによれば、秀雄をクラス全員で無視するという企画は、突如として作成された秀雄抜きのSNSで一斉に伝達されたらしい。そのSNSへのアクセス方法は、アナログなことに、秀雄がクライメイトを恫喝した日の翌朝には封書で寮の各自の部屋のドアの下から差し込まれていたというのだ。


「わたし、なんだか怖くて」

「わかるよ」


 不気味なくらいに周到過ぎた。


 秀雄は内心、首を傾げた。確かにぼくは嫌われるようなことを言ったが、憎まれるほどの覚えはない。


「わたし、明日から頑張って、クラスでも日野原くんに話しかけるね」


 秀雄が考え込んでいると、くるみが意を決したように宣言した。どうも秀雄が悩んでいるように見えたようだ。


「いや、それはやめよう。きみも無視されるようになるだけだ。それは困る」


 情報が絶たれては困る。


「わたしのことなんて……前から存在感ないし」


 秀雄は、男子生徒がくるみの話をしているのを何度か聞いたことがある。校内巨乳ランキング。男子のくだらない遊びだが。ガキどもばかりだからな。


「そんなことないよ。きみはクラスでも」


 おっぱいが注目されている、というわけにもいかない。


「ぼくに話かけてくれる貴重な存在さ」


 秀雄は事実を述べただけだが、くるみの何かに響いたようだった。


「そんな……でも、寂しくない? 日野原くん、大丈夫?」


 母親か。


「水沢さん。気持ちはうれしいよ」


 秀雄がそう言うと、くるみの顔が明るくなった。


「この学校に知り合いなんてまったくいなかった。話しかけてきてくれたのは、きみや寺泊くんくらいだよ」


 比留田はこの際置いておこう。


「無視される、といっても、ぼくにとっては前とそんなに変わらないんだ。きみは存在感がないって自分のことを言ったけど、そんなことない。でも、ぼくはみんなから見えない存在だよ」


 一応、入学時から目立たないように願ったつもりだった。外見が目立つのは仕方がなかった。


「ほら、わかるでしょ。みんなと比べてさ、その、ぱっとしないわけじゃん? 髪の毛も薄いしさ」


 髪の毛が薄いのは秀雄の自覚するところだった。


「そんな、でも。日野原くんは、その……面白いよ?」


 くるみは、視線を秀雄から外した。否定はしないんだね。


 ……そろそろ潮時だな。門限に確実に間に合うには。

と、秀雄が思ったそのとき。


 学生食堂で見かけるにはいささか時季外れなスーツ姿の女子が食堂に入ってきた。何人かの男子学生が振り返る。柚香観察隊のことなど、秀雄は知らない。月岡先生だ。なんでこんなところに。


 食堂の出入り口は、秀雄の席からは見えるが、向かい合っているくるみには見えない。


 まさか、ゲームセンターじゃあるまいし、見廻りじゃないよな? と思いつつ、顔を伏せる秀雄。見つかったらヤバい。くるみからクラスでぼくが無視されてることの相談なんかされたら大変だ。誰だか知らないが、そいつは今はぼくに攻撃していることで満足している。だが、教師が介入してきたらエスカレートしかねない。さいわい、この学生食堂は広い。


 秀雄の祈りはむなしく、夕食の少し前の時間帯で食堂の人の入りはそれほど多くはなかったし、そんな時間に「スーパードゥーパー」パフェを食べている女子はくるみだけだった。

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