第二話 目立つヤツ

「わたしが一年八組の担任、月岡柚香つきおか ゆのかです。みなさんの学年では英語を担当するわ。よろしくね」


 入学式が終わり、それぞれのクラスの生徒の前で、各クラス担任があいさつを始めた。


 一年八組の担任は、入学式前に生徒たちを誘導していた、胸のはちきれんばかりのスーツに身を包んだ女性教員だった。髪はセミロングで、表情はいかにも教師然としている。だが、グラビアアイドル並みの容姿が、教師役に徹する芸能人のように彼女を見せかけていた。


 教員が話を始めれば、生徒は教員の顔を見るものだ。とくに、それが困難な入試を潜り抜けたよく訓練された生徒なら。


 当然、一年八組の生徒の全員が、柚香の顔を見た。だが、ほとんどの男子の目は少し女子とは違った。全身を舐めまわすような、値踏みするような視線。代り映えしない、いつもの反応。柚香は嘆息した。結局、思春期の男子なんて、みなサカリのついた雄猫だわ。思春期に限ったことではないのだけれど。


 柚香が内心嘆息しつつクラスを睥睨すると、柚香の胸も顔も見ていない不届き者がいることに気づいた。男子最前列左手。あの、特特待生。


 秀雄は、手にした式次第の末尾に書かれた校歌の歌詞を丹念に読み込んでいた。式次第など、式が終われば無用の長物。校歌など、新入生が歌うことなど期待されてもいない。ついさっき、それも在校生によって盛大に歌われたばかりで、いったい、誰が関心をもつというのか。しかも、明らかに教員の目につく最前列で、それを読むという所業。


 柚香は、黒白鳥学園高校で教鞭をとるようになって3年目のまだまだ新人。生徒にあからさまに無関心を示されることには慣れていない。とくに男子に関心を示されない経験など、物心ついたときからほとんどない。


 しかし、そのショックを表に出すわけにはいかない。この場には少し隔てたところで同じように割り当てられたクラスのガイダンスをしている他の教員もいる。指導力を疑われてはならない。


 柚香は、足元に置いていた紙袋のなかから、四十人分のペーパーを取り出した。配るには決して多すぎる量ではない。だが、どのように配布するか、いっしゅん、迷いが生じた。


 一年八組の先頭に四十人分をすべて手渡し、出席番号順に配るように言う? でも、それではいかにもテキトーな教師だなどと思われそう。じゃあ、列ごとに渡そうか。一列は何人だったっけ? 一、二……六名。じゃあ六枚ずつね。あ、でも七名の列もあるわね。


 考え事をしながら紙をさばくのは意外に難しい。


 いつっ。柚香は小さな声を出した。紙で指を切ったのだ。その小さな刺激のせいで、四十枚の紙は盛大に辺りに舞い散った。


 その瞬間は、柚香には永遠のように感じられた。


 大失態。いや? そこまでじゃない?


 柚香の思考は停止していた。


 誰も拾わない。他の先生は自分のクラスのガイダンスで手一杯のようだ。あるいは、まだまだ経験の浅い教員がミスをどう処理するか見定めようとしているのかもしれない。生徒は、教師の失態を心の底で嘲笑しているに違いなかった。男子高校生に至っては、下に落ちた紙を拾い集める姿を観賞しようなどという下心さえあるように感じられた。


「先生、落ちましたよ」


 気が付くと、小っちゃいオッサンが目の前にいた。紙の束を差し出していた。


 いや、最初から目の前にはいたのだが、それが真正面に移動してきていた。


 柚香の思考が停止しているあいだに、秀雄が驚くべき素早さで回収したのだった。


 柚香は簡単に礼を言って受け取ると、なんとか、何事もなかったかのように配り終えた。


 わたしがしゃべってるときはよそ見してたくせに、落ちた紙は拾うわけ?


 柚香が秀雄のほうを見ると、秀雄は、今度はちゃんと配られたペーパーを読んでいた。


 ……なんなの? これが特特待生ってわけ?


 秀雄は、柚香の関心をこれまで引いたことのないタイプであることは間違いなかった。

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