第五話 わかりやすい敵意

「クラブ活動はしないつもりなんだ」


 秀雄が言葉を続けると、二人は驚いた。


「どんな部活もしないってこと?」


 くるみは心配そうに聞いた。秀雄は頷いた。


「内申書はどうするんだい? クラブ活動はかなり大きいポイントだって聞くけど」


 寺泊はどちらかといえば怪訝そうだ。


「内申書にはハナから期待しないって戦略もあるよ」


 秀雄は冗談めかして笑った。


 言葉の思い浮かばない二人を尻目に、今度こそ秀雄は立ち上がった。お二人さん、ご苦労さん。あとは、どうぞお好きに。






 食堂から戻った秀雄は、少し驚いた。彼を待ち受けていたのは、ひっくり返った机とぐちゃぐちゃになった教科書、ノートだった。年季の入った愛用のカバンは、教室の隅のゴミ箱の上に蓋のように載せられていた。


 秀雄は机を直すと、カバンをとりに行った。それから、教科書とノートを拾い、被害状況を確認する。小学校か、ここは。だが、わかりやすい。ぼくに対する敵意。


「ははっ。おもしれー顔が、さらにおもしれーぜ」


 比留田がニヤつきながら座っていた椅子を鳴らした。まおとどこかに行ったように見えたが、ただ教室に戻っていただけのようだ。


「比留田くんじゃないことくらいはわかるよ」


 秀雄は椅子に座りながら比留田にほほ笑みかけた。


「は、はあ!? なんでおれじゃねーってわかんだよ」

「きみだったら、ぼくがいるところでやるでしょ」


 秀雄は教科書の破けた表紙を確かめた。うん、まだ使える。


「なんだよ、なんでわかんだよ」


 比留田はまだつっかかる。


「まあ、なんといっても、きみはぼくに話しかけてきた初めてのクラスメイトだからね」


 秀雄はニッコリ微笑んだ。


「きも! おまえきも!」


 比留田の表現力はあえなく限界に達した。だが、手は出してこない。


 秀雄は、内心、ほほ笑ましいと思っていた。ふむ。ぼくのことが嫌いというよりは、自分の周囲にいないタイプに自分からコミュニケーションを取る方法がわかってないだけか。ぼくが同性愛者だったら手を出したかもな。秀雄は優しい目で比留田を見た。


「きも……」


 比留田の勢いは無くなっていた。混乱しているようだ。


 そうこうしているうちに、午後の授業が始まった。






「今日、とても残念なことがありました」


 その日の終礼。柚香は初めて見せる厳しい顔をしていた。


「日野原くんにイタズラした人がいるそうです」


 秀雄はアクビを飲み込んだ。イタズラ。まあ、子供じみてはいるが。まったく、誰が告げ口したんだか。余計なことをするヤツがいるものだ。早く帰りたいのに。ぼくが悪戯イタズラしたら、こんなもんじゃ済まない。悪戯はもちろん美少女に、だ。そんな美少女がこのクラスにいれば、だが。


「日野原くん、大丈夫?」


 柚香が教壇から最前列の秀雄に声をかけた。


 秀雄は頭を抱えそうになった。おいおい、クラスメイトの前で慰められるのはキツいよ? ぼくじゃなきゃ泣いてるかもよ、先生。だが、いい機会だ。


「いえ、全然大丈夫じゃありません」


 秀雄は静かに言った。まるで、泣き出したいのをこらえるかのような表情で。


「だよね……」


 神妙な顔をする柚香。本当に同情しているのか? だが、先生の気持ちなどどうでもいい。


「こんなことがもう一度あったら、ぼくはクラスメイトを全員ボコボコにします」


 柚香の顔が凍りついた。一見、打ちひしがれたかに見えた秀雄は、今や、クラス全員を敵にまわそうとしていた。かまわず秀雄は続ける。


「ほら、よく言いますよね。イジメは見過ごすのもイジメだって。みんな同罪です。ぼくは絶対容赦しません」


 それから、秀雄は最前列の席から後ろを向き、教室を見渡した。


 秀雄の眼前には、いくつものピリつく空気に不安そうな顔があった。何を言い出すんだ、と不愉快そうな顔。単純に怒った顔。冷静に見つめ返す顔。くるみと寺泊はただただ驚きの顔。ぼくが人畜無害なただのチビハゲとでも思ってたか?


 秀雄が教室を見渡すと、ただ一人、ほかとは違った顔があった。お? 誰だ、あれは。上品な美少女がいるじゃないか。小学校高学年くらいにしか見えない。すばらしい。今までどうして気が付かなかったんだ? あとでチェックしておくか。しかもそんなに睨んで、ドキドキしちゃうじゃないか……おっと、そんな場合じゃなかった。


「今日の件は、水沢さんと寺泊くんが無関係なのは分かってます。お昼休み、ぼくと一緒でしたから」


 一言付け加えてやるのも悪くない。水沢と寺泊が後でどうなろうが知ったことか。


「比留田くんも関係ありません。彼はぼくの友達なんで」


 ふだんなら強気の比留田とて、この空気で何か言う度胸はなかった。むろん、比留田もどうでもいい。


「ほかに許して欲しい人がいたら、いつでも言ってきてください。ぼくの気分次第で許してあげます。でも、犯人は許さないから、そのつもりで。以上です、先生」


 柚香は、「ああ、そう……」以外には何も言えなかった。


「とにかく、もう誰も暴力は振るわないようにしてくださいね」

 

 辛うじてひねり出された柚香のそのことばが、どれだけクラスに響いたかはまったくわからない。ふん。誰かは知らないが、今度ぼくに手を出したらただでは済まさんぞ。次の手が楽しみだな。


 次の日から、一年八組の生徒たちは男女ともに秀雄と口を聞かなくなった。



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