第四話 二人は幼馴染
「やっぱり! わたしも『星の王子様』大好きなんだ!」
秀雄の返答に、くるみの目が輝いた。そのテンションの早変わりに寺泊が苦笑する。
「ぼくも『星の王子様』読んだけど。なんだかよくわからなくってさ」
と、寺泊。
「寺泊くんは、ほんとに読んでるのかなあ?」
くるみは眉をしかめた。なんだ、ぼくに用があったのはだらしのない胸をした小娘のほうだったか、と秀雄は思った。小娘は小娘でも小さい娘は好きだが。
「『星の王子様』は、いい雰囲気だけど、いろいろ考えさせられる物語だよね。ちょっと難しいかも。ところで、あのキツネってすごく耳が長いよね」
秀雄は、適当に横道に逸れようとした。ところが。
「あー知ってる知ってる! フェネック狐なんだよね!」
くるみが寺泊をずずいと押しのけてきた。
不発。
秀雄はたじろいだ。意外にこの小娘、詳しい。
「水沢さん、日野原くんはまだお昼ご飯を食べていたんじゃなかったっけ? 少し待とうよ」
蚊帳の外に置かれそうになっていた寺泊が口を挟んだ。
秀雄は横目で寺泊を観察した。ははあ。水沢がぼくとの会話に盛り上がるのが面白くないのか。それなら、わざわざ水沢の付き添いなんかすることないのに。水沢が一人でぼくに話しかけるなんてありえなかったんだからさ。まあ、ぼくだと恋のライバルになるわけないと思ったんだろうけど。
秀雄は内心嘆息しつつ、「じゃあ、食べ終わるまで待ってね。ありがとう」とにこやかに言うと、静かに完食した。その間、くるみは寺泊から『星の王子様』の感想を聞き出そうとし、寺泊は難渋していた。
秀雄は今度はあからさまにため息をついた。だが、誰も気づかない。どれ。助け舟を出してやるか。学び舎よりも牛舎が似合いそうな女にぼくが興味なくて幸運だったな、小僧。
「水沢さん、『タラ・ダンカン』とか知ってる?」
秀雄は話を今度こそ『星の王子様』から逸らそうとした。それほど不自然じゃないように。だいぶ時代は違うが、同じフランス人作家のものを話題にすることで。
「読んだけど、高校生向けっていうよりは中学生向けくらいじゃない?」
と、くるみ。
秀雄は驚いた。まさか、読んでいたとは。よく見ると、くるみの白い肌は桃色に上気している。自分の好きな話だと少し性格が変わるタイプなのか。それにしても、けっこういろいろ読んでるじゃないか。寺泊よ、おまえの怠慢をぼくがフォローする義務はないんだが。
「まあそうだけど、フランス独特のエスプリっていうか? 結構ハチャメチャなところが面白いじゃない。寺泊くんはまだだったら読んでみるといいよ。じゃあぼくはこれで」
もう十分だ。牛は牛飼いと一緒にどこへなりと消えてくれ。
だが、立とうとしたところを寺泊に止められた。
「実はその話が本題じゃなくてさ。日野原くん。単刀直入に言うけど、ぼくたちと一緒に読書クラブに入ってくれないか」
秀雄の眉が上がった。読書クラブ……だと? 本くらい一人で読めないのか。
「ほら、水沢さんって、内気だから、フランスの小説の話ができる人が読書クラブにいなかったらさ、かわいそうじゃん」
かわいそうじゃん、というところで、くるみの表情が曇ったのを、秀雄は見過ごさなかった。かわいそう、と言われていい気がする人などいない。どうも、この寺泊という男、過干渉のきらいがあるようだ。
「寺泊くん、わたし……」
くるみがそう言いかけたところで、がしゃん、と三人のいたテーブルが激しく揺れた。コップが撥ね、秀雄のシャツを濡らした。
「おー、ごめんごめん。底辺の人たちを不愉快にさせちまった」
まったく謝罪の気持ちのないことばを吐いたのは、比留田だった。どうも「一等」のスペースから出てきたようだ。
その隣には、比留田と同じく以来の背丈でショートカットの女子がいた。違うクラスだろう。秀雄は見たことがなかった。なかなかの美形だ。そこはかとなく漂うビッチ臭もそそる。だが、いかんせん、胸に余計な脂肪がつきすぎている。ニワトリじゃあるまいし、アンバランスだ。背も高すぎる。
「あ、朝居まお……さん」
くるみが小声でつぶやいた。
「あら、ありがとー! 違うクラスなのに、ワタシのこと知ってるのね」
そう言ってまおは輝くような笑みを見せた。
「まお、行こうぜ、そんなヤツらかまってないで」
「あー? てめーがぶつかったんじゃん」
まおは、さっきの営業用とは全く違う顔と口調で比留田を睨んだ。それから、二人は連れ立ってどこかに行ってしまった。むろん、秀雄や寺泊にかけることばなどはない。
「もしかして、朝居さんて、『クムクム』の? 本当にこの学校にいたんだ」
寺泊がまおを見送りながらつぶやいた。
「『クムクム』って?」
あー、あの芸能界を泳ぐのだけはプロだが歌も踊りも素人のあいつらか、と思いながら秀雄がとぼけると、くるみがおおげさな声を上げた。
「えー知らないの? 国民的アイドルグループだよ」
秀雄は内心呆れた。あの程度のダンスで、か。見る方のレベルが低ければ、見られる方も向上心を抱かないわけだ。
「やなとこ見られちゃったな」
寺泊が呟いた。
「どういう意味だい?」
「朝居さんに変な印象もたれたかも……いや……比留田くんって『子爵』だからさ。目をつけられるとヤだなって」
「『子爵』って中学からこの学校にいる人のこと? 前から思ってたんだけど、それって何がどうふつうの人と違うの?」
秀雄は、この学校の「身分制」について一通りのことは教えられていたが、その実態はよくわかっていなかった。というより、関心がなかった。
「いや、まあふつうはふつうの人なんだろうけど。中学からここにいるってことは、親が有力者だったり金持ちだったり……多少悪いことをしても平気でいられるっていうか……」
寺泊は言葉を濁した。
「ぼくも水沢さんも『平民』だからさ。そういうの、気にしちゃうわけ」
「へー」
心までは貧乏になりたくないものだな、と秀雄は思った。
「じゃあ、あんまりぼくと一緒にいないほうがいいね。ぼくはどうも比留田くんにとって目障りみたいだから」
秀雄は、この面倒くさそうな二人組とはお別れしようとした。
「それとこれとは別だよ! 比留田くんは読書クラブには来ないと思うし」
寺泊はなぜか必死だ。
「わたしも、日野原くんともっとお話ししたい」
くるみはチビでハゲな男子に送るには少しもったいない視線を秀雄に投げかけた。
なるほど、と秀雄は思った。寺泊はぼくを自分の引き立て役兼水沢の話し相手にしたいんだな。読書クラブに二人だけで入部しても、寺泊は水沢の話し相手には不十分だ。適当な先輩に話し相手になってもらううちに、水沢をその先輩にとられてしまうかもしれない。だが、ぼくも一緒に入部すれば、内気な水沢はぼくにしか話しかけようとしないだろう。だが、水沢がぼくに懸想するとは考えられない。寺泊、おまえ、そう考えているな。だが、甘い。水沢は寺泊に惚れないだろうしこれから先もずっとお友達だろうよ。だから、やさしいぼくは、もう少し健全な二人になるために、ほんの少し協力しようと思う。
「ごめん。ぼくは読書クラブには入らない」
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