第十四話 先送り

「一年八組からは、四人の候補者ということでいいですね」


 愛花は、そう穏やかに宣言した。あさひの抗弁など意に介さぬ、という意思表示だ。沙代里はどこ吹く風、黙って前を向いている。あさひは、何か言いたげな顔をしていたが、それでも黙るよりほかはなかった。


「他のクラスには定員以上の立候補者はいないということですね」


 次期生徒会役員選考会議は、生徒会が基本的に運営する。生徒会長は議長。つまり愛花が議長だ。そして教員が一名、オブザーバーとして参加するが、今年度の担当は柚香だった。現生徒会長である愛花の隣に鎮座マシマシている。


 舟見が日野原と立候補すると聞いたとき柚香は驚いたが、少なくとも、日野原がクラスとの接点を見出そうとしているのだろうと思い、安心した。それに、境川と宮崎の勝ちは覆らないだろうという判断もあった。そしてなにより、生徒会候補者名簿への記載を求める生徒に対して、教師は干渉してはならないという建前があった。その建前は建前に過ぎなかったが、柚香にそれを教える者はなかった。なんだ、日野原くんにもこういう活動に誘ってくれる友達がいたのね。クラスに不穏な空気だなんて、杞憂でよかったわ。


 柚香がそう思ったのもつかの間だった。


「それでは、一年八組については、通例に従い、全校選挙に……」

と、愛花が高らかに告げようとしたとき、沙代里がその小さな鈴を鳴らすような声で異議を唱えた。


「議長。全校選挙と言っても、幼稚園や小学校から本学園にいるわたしや宮崎と、この二人が勝負になるとはとても思えません。無駄なイベントには、みな興ざめします」


 かわいい声でとんでもなく辛辣なことを言うものだな、と秀雄は思った。勝負の見えている選挙は茶番、か。


 舟見のほうを見ると、舟見は小さく肩をすくめて見せた。


 愛花は、ピクリと眉を動かしたが、さすがの懐の広さを見せた。手を小さく上げて他の生徒会役員を呼ぶと、何かを言いつけた。その生徒会役員は、大急ぎで部屋から出て行った。


 柚香は、何も言えないのか言わないのか、凍り付いたような表情で黙り込んでいる。元々、生徒会の進行に教員が口を挟む伝統はないのだが。


「境川さん、でしたか。確かに、勝負にならないとわかっていて見かけだけ勝負するのは見ていてつまらないですね。複数の候補者がいたとき、必ず全校選挙をしなければいけないものかどうか。今、事実関係を確かめるので、みなさましばらくお待ちください」


 愛花はそう静かに言った。ほかに異を唱える者はいない。


「四十八坂愛花さんも『公爵』だよ」


 そう舟見は秀雄に耳打ちした。このババアも幼稚園からこの学園に通えるほどの大金持ち。とはいえ、後輩に言葉を遮られて怒りもしない。なかなかの苦労人のようだな。


 しばらくして、戻ってきた生徒会役員が愛花に何枚かの紙を渡した。それを読み、愛花は言った。


「……これまでの全校選挙は、候補者の条件が拮抗していたときに行われていたようですね。なので、全校選挙にする必要はありませんね」


 判断が早い。秀雄はそう思った。それも「公爵」の地位になせることなのか。


「それでは、わたしと境川さんが次期生徒会役員ということで、よろしいでしょうか」


 あさひが確認を求めて大きな声を上げた。愛花はやはり静かに、そして鋭く答えた。


「それでは、日野原くんと舟見くんを無視することになります。さいわい、必ず全校選挙によらなければならないという学則もありません。異例ですが、生徒会が審査し、議決にて決定することといたします」


「な……!」


 あさひが声を漏らした。だが、あさひは生徒会役員でもなければ愛花先輩と対等の「公爵」でもない。


「以上、本日の会議はこれまでとします。未決の事項が残りましたので、日をあらためてもう一度開催いたします」


 そう言うと、愛花はにっこりと微笑んだ。むろん、他の生徒会役員は誰も口を挟まない。沙代里が悪目立ちした格好だ。


 これが「白魔女」か、と秀雄は思わずにはいられなかった。生徒会役員はほとんどが「伯爵」や「子爵」だ。沙代里は、そんな「身分制社会」だからこそ、自分の言い分に分があると踏んであえてあの発言をしたに違いないし、実際、その通りのはずだった。それが、完全に「白魔女」のコントロール下だ。


 会議が終わり、みな退室しようとするどさくさに紛れて、秀雄は、沙代里に近づいた。あさひが遮る間もなく、秀雄は言った。


「境川さん、どうしてぼくを目の敵にするの?」


 すると、沙代里はきょとん、として言った。


「目の敵になどしていない。わたしはおまえを罰しはしたが、それだけだ」


 罰って、何の? 秀雄がその問いを口にするいとまはもはやなかった。沙代里は、あさひと一緒にすでに遠ざかりつつあった。


「日野原くん」


 突然、秀雄の後ろから声をかける者があった。愛花だった。その爆裂しているといっていい胸から秀雄は慌てて目を逸らした。


「ちょっと、お話があるんですけど。大学の方の学生食堂に行きませんか」


 秀雄は、学生食堂ということばで何かを思い出しそうになったが、目の前の問題――ババアにやや遅いアフタヌーンティーに呼ばれていること――に気を取られていた。

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