第二十話 やべーけど、ワクワクしないでもない
秀雄と沙代里のその日のミッションは、サッカー部から原稿を回収することだけだった。
だが、サッカー部のクラブハウスを目の前にして、秀雄は沙代里からビンタされたうえ、秀雄の机をゴミ箱に突っ込んだのは自分だと勝手に自白された。あまりの無茶苦茶ぶりに秀雄の動きは止まっていた。
「何をしている。おまえも次期生徒会役員だろ」
一時停止している秀雄に、クラブハウスのドアノブに手をかけたまま沙代里は言った。
言葉を交わさないうちから机をひっくり返し、ビンタしたばかりの相手に、何事もなかったかのように命令。「公爵」だかなんだか知らないが、よくここまで無事に生きて来れたな。ぼくのように、美少女の憎しみの目が好物だという紳士はそういないだろうに。ちなみに暴力は好物ではないぞ。断じて。
「はいはい、確かに」
秀雄はからかわれ慣れている。その程度、何事もなかったかのようにふるまうすべには長けていた。
「『はい』は一回だ」
沙代里は、そう言い置いてからドアを引き開けた。秀雄はまたビンタが飛ぶかと思ったが、沙代里はそれよりも仕事を済ませることを優先したようだった。
「なんだ、おまえ?」
少しハスキーな男子の声がした。ドアの向こうは、ちょっとした応接室になっていた。その奥に、トレーニングルームへの扉がある。ロッカールームは、さらにその脇だ。タオルを首にかけた男子が沙代里の肩越しに見えた。
黒白鳥学園高校サッカー部は、押しも押されぬインターハイ常連校。もっとも、黒白鳥学園高校の場合は他の部活も当然のように全国級の実績をもっているので、だからといって目立ちはしないが、いわゆる「進学校の体育会系部活」でありがちな「優越感」を他の部活、とくに文系部活に対してもっていた。ドアの向こうで応対した二年生男子は、お人形のような沙代里を上から下まで眺めてからさらにことばを継いだ。
「迷子か?」
その二年生男子はたいして悪気があったわけではないだろう。実際、沙代里は小学生に見えるのだ。だが、沙代里のほうは、黙ってはいない。
「無礼だろ」
と、言うが早いかビンタが届かないのでグーパンチを二年生の男子の鳩尾に喰らわせようとしたのを、秀雄が割って入って止めた。二年生男子は、呆気にとられた。突然、かわいらしいお人形が睨んだかと思うと、急に小っちゃなオッサンが割り込んできたのだ。
「次期生徒会役員の日野原です。この女子もそうでして」
「この女子」
秀雄から距離をとっている沙代里がぼそりと繰り返した。さすがに頭が冷えたらしい。いくらキレても上級生を殴りつければただでは済まないということくらいはわかっているようだ。だが、その手はぷるぷると震えている。
「今日がポスターの締め切りになっています。お原稿をいただけないでしょうか?」
いささか慇懃無礼なほどの態度で秀雄は言った。秀雄の見ようによっては愛嬌がないでもないオッサンの容姿と相まって、不思議と相手を和ませる効果があった。
「あ? あーそうか。ちょっと待ってな」
そう言って、二年生男子はソファーで寝転んでいる図体のデカい男子のところに駆け寄った。
「部長、ポスター原稿あります?」
話し声が秀雄まで聞こえてくる。
「んなもん、ねえよ。だいたい、新入部員なんてだいたいいつも春には決まってるだろ。意味わっかんねーよ」
だよねー、と秀雄は思った。黒白鳥学園高校の体育会系部活は、新入生獲得競争を、春までには終えている。中学のときの実績でスカウトする新入生をすでに決めているのだ。獲得競争さえ、ほとんど生じない。なのに、部活を宣伝するポスター報告をする意味など、確かにわからない。だが、ポスター報告は学校行事だ。
「おら、そこの。聞いてるか? すまんが、サッカー部はポスター報告を辞退するって伝えてくれや」
部長と呼ばれた男子は、ソファーから起き上がりもせず、秀雄に向かって怒鳴った。
「辞退、ですね」
そう言いつつ、秀雄は考えた。それだとミッションインコンプリートだ。「辞退」宣言を持ち帰って明日、柚香に報告するのは簡単だ。だが、当然、問題になる。まずは、サッカー部の横暴がだ。それだけではない。原稿を受け取りに行った次期生徒会役員も、唯々諾々と持ち帰ったわけだから、そこも問題になるかもしれない。いや、問題になるだろう。なぜならば。
「なんだ、そんな簡単なことも伝えられないのか? 次期生徒会役員はたいしたこたねーな」
生徒会の仕事は、こうした横暴を処理することだからだ。それができない次期生徒会役員の扱いなど、目に見えている。
いつのまにか沙代里が秀雄の後ろに来ていた。
「生徒会長に通報するか?」
沙代里は意外に冷静だ。
「いや。想定内だ。言っただろ? こういうときはぼくが作るって。境川さんはちょっと下がってて」
そう言うと、秀雄は想定していた通りの提案をした。沙代里は、そのまま後ろに下がり、クラブハウスから出た。
「辞退するくらいなら、ぼくに作らせてもらえませんか? そのほうがいいでしょう」
辞退が問題になったら一番困るのはサッカー部なのは間違いない。
「おう、わかってるじゃねーか、おまえ。ただのオッサンじゃねーな」
部長はソファーから起き上がった。
「でもな、テキトーな仕事だったら殺すぞ? こっちは辞退するとまで言ってたんだからな」
そう言って、部長はニヤリと笑った。元々、次期生徒会役員に作らせるつもりだったわけだ。脅しも手慣れたものだ。
だが、秀雄は気にしない。
「もちろんですよ。では、レイアウトだけは決めてもらっていいですか? ポスターに表示する実績はここ十年からでいいですよね。別に部長さんでなくても、誰か言っていただければ、その先輩と打ち合わせしますよ」
「お、おう。話がはえーな。ちょっと待て」
手際の良さに若干気圧された部長は少しの間を置くと、さっき沙代里の応対をした二年生男子に呼びかけた。
「おい、風間。おめーどうせヒマだろ。つきあってやれ」
それから、秀雄はサッカー部の風間とレイアウトを決めたり使用する写真の提供を受けた。それでも、十五分くらいだろうか。
「ありがとうございました!」
そう元気よく言って頭を下げると、秀雄はクラブハウスを出た。
沙代里がクラブハウスの裏から出てきた。まさか、ヘンなイタズラをしでかしてないだろうな。ぼくの机をひっくり返すくらいだからな。
「あの、境川さん、まさかとは思うけど、何もしてないよね」
沙代里は、無表情に言った。
「あの部長の言い分はもっともだ。新入生がすでに獲得できているのにポスター報告の意味はない。命令違反は生徒会長に通報すべきだが」
秀雄は、ポスター報告という学校行事への参加要請を「命令」と表現した沙代里にひっかかるものを感じた。境川さんのなかでは、万事、「命令→従属」なのか? いずれにしても、二年生男子の「無礼」を忘れているのなら、思い出させる必要はない。
「だが、おまえにはやはり罰が必要だ」
そう言って、境川さんは秀雄を平手打ちした。
「次期生徒会役員はわたしとおまえの二人だ。いくら男臭いクラブハウスとはいえ、『下がってろ』は無礼だろ」
秀雄は頬を押さえながら思った。確かにそれはそうだった。つい、自分一人で仕事をしようとしてしまった。いつものように。
「ごめん、境川さん。じゃあ、一緒に作業しよっか」
「それは断る」
即答だった。なんだよそりゃ、と思わずにはいられなかった。
「こういうのは、手続きが大事だ。おまえがなんでも一人で決めるのはダメだ。次期生徒会役員は二人なんだからな。だから、わたしの意見を聞いたうえで、おまえがやれ」
そう言うと、沙代里は、ぷいと踵を返してどこかに行ってしまった。
三度目はないと言われながら、さっそく三度目の罰を喰らった秀雄は、とりあえずカバンを捨てられないように気を付けておこうと心に決めた。
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