是非、一人でも多くの方に読んでいただきたい作品です。
思春期という繊細で危うい時期。
フランスから帰国子女として転校した少年、佐伯紘一は、目をつけられイジメのターゲットにされてしまいます。周りに助けてくれる人も無く、誰にも相談できずに、エスカレートしていくイジメ行為。
そのストレスは凄まじく、身体にも異変が。
『モグラの穴』の意味を知った時、色々な意味で救いのない紘一の状況に胸が苦しくなりました。
そんな彼に訪れる束の間の安らぎ、さらなる地獄。崩壊。
紘一自身の言葉で語られる心の痛みはリアルで壮絶です。
こんな思いをする人が、一人でも減りますように。そう祈る気持ちと共に、そんな他人事の言葉を吐いている時点で、私はなんと愚かなのだろうかと情けなくもなりました。
私自身の中にも、この作品の加害者少年のような思考が、親や先生のような傍観者的思考が、存在しているんです。
それが、いつ、第二の紘一君を生み出すか分からないのだという恐怖を感じました。
この作品を自分の事と考えて、大切にしていきたいと思いました。
皆様も是非。お勧めです
モグラの穴ーーこのタイトルに込められた、痛ましく残酷な意味を知ったとき、ひどく胸が痛むと同時に、美しささえ感じる凄絶な熱が胸に迫り、表現の妙に圧倒されました。
フランスで暮らしていた日本人の少年・佐伯紘一が、親の仕事の都合で帰国し、日本の公立中学校に編入するところから、祖国を二つ持つ紘一の思い出が語られていきます。
紘一の容姿は、日本人。けれど、日常的に触れてきた言語は、フランス語。帰国子女の紘一と、中学校のクラスメイトたちとの間には、常に国境のような壁があり、祖国で暮らしているにもかかわらず「ガイジン」扱いされる日々が、教科書では決して教わらない日本語のスラングにさらされる悲しさが、誰にも心の弱い部分を見せられない緊張感が、新しい環境に馴染もうと懸命に生きていた十四歳の心身を、一切の容赦なく痛めつけていきます。
過酷さを増す窮状の中で生まれた、怒り、虚しさ、苦しさの表現が圧巻で、凄まじい引力に導かれるように、気づけば次へ次へと読み進めていました。「激情」と表現すべき強さで発せられた魂の叫びに、心を何度揺さぶられたか分かりません。
地獄の様相を呈した世界に、あるとき一条の光のような救いの手が差し伸べられたときは、感動で胸が詰まりました。救いを切実に願っていたときに、隣に寄り添ってくれた人と作った思い出は、長い人生の道を照らしてくれる光として、紘一の心だけでなく、読者の心にも灯り続けると思います。
「生きること」に対する絶望の深さと、パンドラの箱に残された希望のような煌めきに、真摯に、力強く、徹底的に向き合われたのだろうなと想像せずにはいられない、素晴らしい熱量を感じる物語でした。
読み終えて数日がたった今、ほろ苦くも優しい余韻に、幸せな気持ちで浸っています。読めてよかったと、心から思います。
この傑作に対し、どのような言葉を付したらよいか一晩考えてみたのです。
しかし、破格の作品ゆえに、なかなか気の利いた言葉が見つかりません。
だから、率直に言うしかないのです。
― もし未読なら是非読んでみて欲しい
きっと、世界が広がるから ―
『多様性の尊重』という言葉を近頃よく目にします。しかし、どうも表層的にしか使われていないように思われます。
多様性を尊重することとは『異質な他者を受け入れること』ではなく。
『自らが異質であること』、これを知ることにこそあるのだと思うのです。
異質なもの同士が互いを慮りながら手を取り合って、日々にぶつかりながら認め合っていく。
…果たして我々に、そんなことが出来ているといえるのでしょうか?
この作品は非常に重い。おそらく作者が全人格をかけて、絞り出すようにして書ききった作品であろうから。
この赤心のような作品に対し、我々もまた真摯にぶつかっていくべきであろうと思うのです。
真なる心と心とがぶつかったとき。
その響きは、一体何を生むのか。
柊圭介氏の最高傑作のひとつ。
是非、飛び込んでみて下さい!
この作品の主人公紘一はフランスで育ち、14歳で帰国して公立中学に編入します。
14歳。同調圧力の強い日本社会でも、多感で最も排他的な年頃ではないでしょうか。
紘一は帰国子女である上に、同性愛者である事も暴かれてしまい、同級生の差別と偏見の目に晒されます。
紘一の苦しみが繊細かつ大胆な筆致で綴られ、その過酷さの中で自身と向き合い、正直に生きようとする紘一から目が離せませんでした。
紘一の置かれた状況は特殊かもしれません。
しかし、いじめで命を落とした等の報道が絶えない現状ですから、さまざまな理由で紘一と同じ苦しみを抱えている子どもは多いでしょう。
もし自分が紘一だったら・紘一の親だったら・先生だったら…身につまされるものがありました。
人間の本質を鋭く炙り出しながらも、人間への愛情と生き抜く事への賛歌を感じられる作品です。
本作の主人公はフランスからの「帰国子女」という側面があり、彼ならではなグローバルギャップ、プライド、性的嗜好などによる苦しさ、辛さをたくさん経て、育っていったことでしょう。
ですが、世に生きる中学生──14歳というタイミングは、大半の子どもにとってもひとつの「ターニングポイント」と私は考えています。
自分自身でしか理解しがたい思考、嗜好。
自分自身と異なる周りの人間とどう付き合っていくか。
もしも上手くいかなくて誰かとぶつかったり、いじめやスクールカーストなど、人間関係に悩まされてしまったとき、どうやってその障害を乗り越え、あるいは逃げれば心穏やかな日々を過ごせるようになるのか。
そういった「処世術」じみた成長をしていくのが思春期という年頃じゃないでしょうか。
正しい、正しくないと一緒くたには語れない命題に、読み手の私たちが図らずとも向き合わなければいけなくなる物語でした。
わたしは柊さんの大ファンです。でも、ずっとこれは読めなかった。作品紹介を読んで、娘のことを思ってしまったから。
娘はドイツで育って10歳の時にアメリカに戻りました。性的な嫌がらせにはあいませんでしたが、アメリカ人の女の子も壮絶です。白人だらけ田舎で唯一のアジア人。「純粋な外国人ならチヤホヤされるのに!」何度もそう言ってました。決して教えてはくれませんでしたが、相当の思いをしていたのでしょう。真っ青な顔で学校に通っていました。どんなに聞いても心を閉ざすだけで何も話してはくれなかった。私は休ませたかったけれど、完璧主義の彼女はそうしなかった。「私が代わりになってあげられたらいいのに!」何度も思いました。私はすでに、アメリカ人からいじめられるのには慣れてるから。
今は、楽しそうにしています。でもやっぱり私はいつでも彼女の顔色をうかがっています。彼女が何度「楽しい」と言っても、一生、彼女の顔色を探り続けるでしょう。
……柊さんの為のレビューなのに、こんなことを書いてしまってすみません。でもやっぱり……どんなに「今が幸せ」と言われても、後悔と自責の念を感じずにはいられないのです。
この作品を読んで思いました。だからこそ、柊さんの作品が好きなんだ、と、これからも応援しています。
この世の地獄って何だろう?
現実に存在する地獄とは?
読んだ後にそんなことを思いました。
同時に現実を地獄だととらえる機会ってそれなりにあると。
今が最悪、いや、昔はもっとひどかった、将来にも希望なんて見えないし。
若い時期、年を取った時期、この世を地獄のようだと感じたことのある人は多いはず。
それをもっとも多感に感じるのは中学生くらいなのではないのかなと。
この物語には読んでいてもつらいシーンが多々あります。
人の、特に集団が放つ、狂気にも似た無邪気の皮をかぶった残酷さ。
それは子供ばかりでなく、大人たちもまた形を変えた残酷さを持っています。
その中で傷つく少年の心が痛々しく胸に迫ります。
もう息苦しいほどの、地獄のような現実世界が描かれています。
これはもちろん『物語』です。架空の話ではあるのですがリアリティーが満ち溢れています。
これは想像なんかじゃなく、現実でも十分起こりえることなのだと思えます。
作者がちゃんと人間というものをよく見て、人間そのものを書いているのが伝わります。
この物語が語ろうとしているのは何か?
私もまだそれを考えているところです。
そういう力を持った作品だということです。
みんな楽しい作品が好きだと思います。
でもたまにはこういう作品に触れることも大事な事じゃないかと思うのです。
誰かにとっての地獄、それを知ることは大事なことなのです。
ちょっと支離滅裂なレビューでしたが、ぜひ読んでみてください!
主人公は、日本の中学校に通うことになった紘一。
フランスのパリで9年間生活していた彼は、父親の転勤で日本へ帰り、地方の中学校へ編入することになったのですがそこでは様々な問題が起きます。
外国暮らしが長かったことに対するいじめや「言葉の壁」問題、紘一が同性愛者であるが故の葛藤。中学二年生という多感な時期であるということがさらに拍車をかけ、それらの問題が大きくなっていきます。
多分『モグラの穴』は読む人を選ぶ作品だと思います。全ての人が「良かったね」と言えるようなものではないでしょう。
「寂しさを超えた孤独」「己の中に潜む日本ではない別の国で育まれたアイデンティティを理解されない悲しみ」「いじめがあっても、周囲に相談できず、自分の中に押し込め続ける怒り」「そして彼の身に起こった出来事とこれまでの全てを否定されたときに発現した、マグマが吹き上がるかのような激情」等々……読んでいるとこのような負の感情が渦巻きます。
しかし紘一に起こる一つひとつの出来事は、きっと他人事ではありませんし、似たような経験をしている人たちも沢山いると思います。
そのため一人でも多くの人が紘一の気持ちに寄り添ってくれたら嬉しいですし、彼の身に降りかかった出来事について、考えてくれたらいいなと思わずにはいられません。
主人公の「コーイチ」は見た目は「日本人」、でもフランスで長年暮らし、中身はどちらかといえば「フランス人」。そんな彼が14歳のときに、親の事情により日本へ移住します。
序盤で語られる、彼の目から見る日本という国の描写は、人によっては新鮮で、人によってはひどく共感するものかもしれません。それは日本のほうが良いとか、外国のほうが良いとか、そういうことではないのです。
その違いを認めて、受け入れられる社会であれば良かったのですが……物語はそこから、一気に暗いほうへと転がり落ちます。
同級生、先生、親……きっとそれぞれに事情を抱えているのでしょうが、それらがあたかも全て悪いほうへと作用していくようです。多感な14歳の少年を襲う試練は容赦なく、読み進めるのが辛いこともあるかもしれません。
一方で、フランス語のほうが慣れている「コーイチ」の一人称で語られる文章の中には、ときにハッとするような日本語選びに惹かれるのもこの作品の魅力です。
この物語を極端な例と思う人もいるかもしれません。でも、それはどこかしら真実で、実際に誰かが感じている痛みを代弁しているものだと思います。共感も反感も、心当たりがあるから覚えるのではないでしょうか。
多様性と口で説くのは簡単でも、気づかぬところで他人を傷つけていたりする。それが誰かをこんなにも苦しめ得るということが、読後考えるほどに重く圧し掛かってきます。
心して読んでください。読み込むほどに、抉られます。それでも多くの方に読んでほしい作品です。
幼少期の十年間をパリで暮らした紘一は家族の帰国でいきなり日本の中学校に投げ込まれる。帰国子女として身も心もズタズタに傷つけられる紘一の心と叫びはリアル過ぎて、これはフィクション小説なんだと言い聞かせないと読み進められない程の迫力がある。
辛い物語であるからこそ、読めば物語の最後に紘一に沢山の拍手とエールを送りたくなると思う。
一つだけあげるならば、紘一は日本では心も体もあんなに傷つけられたのに、ある人に言われたことを大切に、ある事を一生懸命に勉強し続けている事。別の地で暮らしながらも祖国を思う気持ちは、日本で生まれ育ってぬくぬくと暮らしている私達よりもずっと強いものだと感じます。
親の都合で帰国子女。生まれ持った性的指向。
自分の意志ではどうにもならないことが理由で、紘一は酷く貶められる。何も悪いことをしていないのに。誰にも迷惑をかけていないのに。
剥き出しの自意識に狡猾な残酷さを身につけはじめた子供たちは、自分達との僅かな差異を目敏く嗅ぎつけ、彼を異分子と見做した。多数派であることを振りかざし、暴力に酔いしれ、自分の立ち位置に安堵する。
彼らは馬鹿な臆病者だ。だからこそ、大人がしっかりと見守り、指導するべきだろう。
なのに紘一は、大人の無理解にもまた、苦しめられる。教師は綺麗事ばかり。親ですら本当の自分を見てくれない。守るどころか、理解する努力さえしてくれない。
紘一の血を吐くような心の叫びが、痛い。
胸が潰れそうなほど辛いお話です。(辛すぎて、私は一時離脱しました)
でも、紘一君は自分の力で幸せを掴みます。
全てを読み終え、ホッと胸を撫で下ろしたあとで、自分に何ができるのかを改めて考えさせられました。
多くの人に読んでもらいたい作品です。
主人公の抱える問題は非常に解決困難で、周囲の了承も得にくいもの。かなり本文は極端な描写がありますけれど、そこに、その感情に、嘘はないと思います。理解が高い国、低い国があります。日本はものすごく、驚くほど低い。そこで希望を見つけたのだから、一応は良しとせねばならないのかもしれません。時代が経過し、偏見が少なくなれば、また違う道も模索できると考えます。
そして、この作品を読んでもっとも言いたいことは、『イジメをする奴はゴミだ』ということ。容姿、性格、行動、その他、どんな理由があってもイジメはしてはいけません。イジメるくらいなら関わらなければ良いのです。イジメを受ける側もそう望んでいるはず。日本人は全員中流家庭の先進国民だとすりこまれていますが、その実、蛮族です。もっとその事実と向き合わなければいけないと思います。
とても教訓を得ることのできる素敵な作品でした。
主人公は9年フランスで暮らし、親の都合で日本の中学校に編入してきた帰国子女。
個人的な話だが私は所謂ハーフなので、ときどき人にきかれる。「子ども時代にそれが理由でいじめにあったか?」と。
これに答えるのは難しい。
ある意味ではもちろんノーだし、ある意味ではイエスだ。
はじめましての相手からは様々な質問が飛び交う。見た目からして外国人のハーフにとって、それは「おまえは日本人か? 外国人か?」という確認作業であったことに、大人になった今は気づく。
見た目は違えど、中身は日本人ならば、仲良くしてやろう。そう明言はされずとも、ちゃんと感じ取れるのだ。だから必死で「心は完全に日本人です」と言い続ける。そうすれば、受け入れは楽になる。
この物語の主人公は、まったくちがう。
見た目も国籍も日本人。
けれど考え方、受け取り方、感覚はどうしても日本になじめない。当たり前だ。生まれ育ちはフランスだもの。彼はフランス人なのだ。まちがいなく。
けれども日本に来たからには、尋問に付き合わねばならない。そしてうっかりまちがえた答えを返したせいで、宣告される。
「おまえはガイジンだ」と。
もう日本人と外国人を切り分けることさえやめてほしいと思う気持ちもあるのだけれど、とにかく読んでほしい。
つらいけれど、ラストはきちんと心温まるように構成されているから、どうか安心してこの物語を知ってほしい。
きっと気づきや発見があるはずだから。