第17話 処刑の朝

 どれだけ思い切り振られても必ず朝が来る。僕は腫れた目を見られないようにうつむいて朝ごはんを食べた。教科書を詰め直したカバンには、夜中に階下へ降りて母親のへそくりの財布からこっそりと抜き取った三万円が入っていた。


 鉛の足かせでもつけたように重たい足でのろのろと学校へ向かう。あと二週間の辛抱。そしたら春休みが来る。あと二週間、ガマンすればいい。呪文のように心の中で唱えながら。


 だけど、教室に入った僕は、後ろから頭をガッツリ殴られるような衝撃を浴びせかけられた。



 『佐伯紘一はホモだ』


 僕の目に飛び込んできたのは、黒板いっぱいに書かれた大きな文字だった。僕は雷に打たれたようにがく然としてその白い文字を見つめた。

 クラスの後ろの方から笑い声がした。僕はハッと我に返って大急ぎでその文字を消した。そしたらまたどっと笑い声が起こった。


「お前ジェレミー先生とキスしてたんだってな!」


 席に着こうとする僕を須藤が捕まえた。

「見た奴がいるんだよ。昨日お前が駅前でジェレミー先生と熱烈なチューしてるとこ!」

 周りからヒュー、と口笛の音がする。


 僕は思わず後ずさった。

 見られた。僕が絶望的な気持ちでジェレミーに別れを告げるところを。さよならのビズを交わしたところを。僕の一番つらい夜を。よりによって、そんなところを──。


 僕は真っ赤になって、必死で首を振った。

「違う、そんなんじゃない。あれはビズといって──」

「うっせえよ、先生と抱き合ってキスしてたんだろーがよ。お前ただのハゲかと思ったらホモのハゲだったの?! スゲー、さすがおフランス。何でもあり」

「そんなんじゃない!」

「口ごたえすんのかよテメエ、ホモのくせに」


 ホーモ、ホーモ、ホーモ。


 周りからホモの大合唱が上がる。正体をさらけ出されたような気持ちになって、体じゅうにぶわっとあぶら汗が吹き出す。エミールのことも、ジェレミーの家でのことも、何もかもバレてしまったような気がした。


「違う! 違う!」

 僕は思い余って須藤を突き飛ばした。

「なんだテメエ!」

 古関が僕のすねを蹴った。その痛みで僕は思い切り床に倒れた。すぐに古関は僕に馬乗りになった。宮里や本橋たちも僕を取り囲んだ。


「男同士でチューしたんだろ! ブッチューって!」

「違う!」

「お前ジェレミー先生のこと好きだったの?! あのデブのオッサンを? ガイジンだけにやっぱガイジンがいいわけ?!」

「もうヤッちゃったとか?!」

「きもちわりー!」

「違う!」


 泣きたくなるのを必死でこらえた。こいつら何も知らないくせに。僕がどんな気持ちだったかなんて、なんにもなんにも知らないくせに。


「なあ、ホモのアソコ見てやろーぜ」

 須藤が言った。

「マジで?!」

 古関が僕の上から須藤を振り返った。周りから爆笑が起こった。

「病気がないか検査してやるよ」

「やめて!」

「おい、お前腕押さえとけ」

「オッケー!」

「やめて!!」

「足、誰か押さえろ」


 じたばたしても無駄だった。僕はあっという間に数人の男子に押さえつけられた。


「Non!!」

「あー、フランス語出ちゃったよ。うぜえ。黙らせろ」


 口の上に手がかぶさる。必死でもがいたけど、逃れようとしてもがいたけど、鎖でつながれたみたいに体が動かない。馬乗りになった古関が重たくて苦しい。助けてジェレミー、助けてゾロ。助けて。誰か助けて。


「ねえ……やめときなよ……」

 どこからか気弱な女子の声がする。もっと大きな声で言ってくれ。叫べない僕の代わりに、大声で叫んでくれ。

 

 須藤がベルトを外す。

「動くんじゃねーよハゲ!」

 ──Non!

 

「おい、ちゃんと押さえとけよ」

 ──Non! Non!


「一気に下ろすぞ」

「じゃ、いきまーす!」

 ──Non!!Non!!!

「せーの!」


 ── NON!!!


 キャーッと女子の悲鳴が上がった。男子の大爆笑が起こった。


「ご開帳ー!!」



 気が遠くなる──。

 これはイジメなんかじゃない。レイプだ。僕の心を、尊厳を踏みにじる暴力だ。お前らに僕を裁く権利があるのか。お前らに僕を罰する権利があるのか。お前らに僕をめちゃめちゃに壊す権利があるのか。僕は今ここで死にたい。粉々に砕け散ってしまいたい。今すぐ消えてなくなってしまいたい──!


「あたし、先生呼んでくる!」


 正義感あふれる女子の声がして教室を出て行く足音が聞こえた。僕は古関がひるんだ隙に奴を突き飛ばして起き上がった。ずり下げられたズボンを引き上げ、ベルトもしないままカバンを掴んで、大笑いしている須藤に体当たりした。


「ウアアアアアアッ──!!」


 意味不明の奇声を発しながらドアにぶち当たるようにして僕は教室を逃げ出した。飛び降りるみたいに階段を駆け下りて、上履きのまま校舎を飛び出した。すでに閉まっていた地獄の門を飛び越え、僕は、この場所から走り去った──。

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